南極観測五十周年の式典に招かれた宗弘は孫の安寿紗に付き添われ富山を発った。
 羽田空港までは東京在住の長女多恵子が出迎え、長女、孫に伴われた宗弘は先ず、懐かしい宗谷が展示されている
船の科学館を訪ねた。
 そこでは嘗ての海上保安庁職員で、第一次観測時の宗谷操舵長三田氏と会った。
 互いに八十路を過ぎた再会だった。


 次いで晴海埠頭を訪れ、現南極観測船しらせに乗船した。
 「これなら南氷洋の結氷も、軽々じゃなぁ。オビ号より遙かにでかいし・・・。」と同伴の娘多恵子と、孫の安寿紗に語ったと云う。
 半世紀前に宗谷で南極に赴いた時は、西堀氏の唱えたように「命がけの探検」だった。
 しかし今や世界に誇る、科学技術の粋を集めた砕氷艦「しらせ」や飛行機で行く南極に、探検の色合いは無い。
 宗弘が南極に向かった時には、亡き妻稲子に負われ、一歳に満たなかった娘が半世紀を隔てた今、「しらせ」の甲板上を足が弱った宗弘の手を
捕って歩む。
 
 
 更にこの後、宗弘は赤坂プリンスホテルでの式典に臨んだ。
 半世紀の時を経て大半の第一次隊員は物故しており、懐かしい顔がなかなか見つからない。
 しかしそこで宗弘は田秀夫氏と再会することが出来た。
 涙を流し宗弘の手を握りはなさない田氏に宗弘も涙を流した。
 往年の南極観測隊員も、片や娘と孫に支えられやっと立っており、もう一人も車いす座ったまま。
 しかしあたりはばからず手を取り合って涙を流すこの二人の老人には犯しがたい威厳があったと云う。

 第一次隊員の紹介があり、一番に名を呼ばれて登壇したのは宗弘だった。
 長女と、孫の心配を他所に、元気に壇上に上がった宗弘は「父さんのどこにあんな元気があったんだろう、サッサと段を上がって、すたすた歩いて、
会場に向かって大きく手を振ってニコニコしてるんだもん。」 と長女を驚かせたようだ。

 しかしこの後、宗弘は公の席へ出るのを嫌がるようになり、地元の博物館でのパネルディスカッションを最後にサッサと隠遁生活に入ってしまった。
 そして、もう孫に会うのを唯一の楽しみとする好々爺を決め込んでいる。今年満八十五歳になった宗弘である。  
                   



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