母はあまり山小屋へは上がらなかった。
 それでも私たち子供を連れて、何度か剱御前小舎へ登ったこともある。
 昭和三十六年の夏。剱御前小舎の前で親子そろって撮ったのは、後にも先にもこの一枚だけだ。
 「続立山夜なべ話」”タテヤマリンドウの思い出”の頃の写真である。
 写真右より、父宗弘、母稲子、左端は伯母茂で、前の子供二人が私と妹の多恵子だ。-----Cont.


 母と伯母がそろって剱御前小舎の厨房裏で揚げ物をしている。
 当時の山小屋はまだ、ガスを使わなかった。薪と炭が燃料だったのだ。
 この時は母、32歳、伯母は40歳である。
 この伯母は母の長姉で、茂と云う男のような名をつけられていたが、通称は茂子で、私の「続立山夜なべ話」
”糒と宮様”に出てくる伯母である。-----Cont.


 剱御前小舎は宗弘の経営中に一度大きな改修を行っている。
 昭和三十八年だった。
 この写真は改修前の古い剱御前小舎だ。-----Cont.


 和起もこの頃から宗弘に連れられて、立山をうろつく様になって来る。昭和三十六,七年の頃だろう。

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