立山ガイドの南極観測隊への参加には、西堀栄三郎副隊長の推薦が強くあった。
 西堀栄三郎氏は、嘗ての京都帝大白頭山遠征時の立山ガイド、佐伯宗作の強さを知っていた。
 「酷寒の地、南極では立山ガイドのように寒さをものともせず行動できる人たちが不可欠だ。」と、南極観測が探検である事を説いたと云う。
 最前列左端の子供が私、私と父の真後ろが妹を抱く母。後列左端は若き日の宗彦叔父(ヒコ叔父)、後列右より三人目が佐伯文蔵。
 この写真は出発前日であろうか。
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 珍しく家族四人で撮った写真である。当時父達の宿舎だった麹町のアパートの側だろうか。
 宗谷が出発する直前から、私はひどく暴れ出したらしい。
 父の南極日誌第一ページ目に、「出港式に和起が暴れ出して困った。」と記されている。この時、宗弘31歳、稲子27歳である。


 

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