叔父友治は、母ヒデの弟で、一山衆「宝伝坊」の当主だったが、五色ヶ原山荘の経営も手がけていた。
 その叔父の小屋を手伝いながら、宗弘の立山ガイドの修行が始まった。
 立山には父宗作の踏み跡が残されていた。
 宗弘はその父の足跡を至る所に見つけ、常に宗作を側に感じながら山に馴染んでいったと云う。 
 昭和25年頃の五色ヶ原山荘の前で、向かって右端が叔父佐伯友治、左端は若き日の音二郎、その右となりが宗弘。
 この頃既にボッカとして名前を知られるようになっていた音二郎は、陰に日向に宗弘を見守っていた。
 立山の宗弘の周囲には必ず音二郎の姿があった。


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