復員し芦峅寺に戻った宗弘には、先ず出征中に隣家の火事で類焼した、家の再建が急務だった。
 父宗作が残した「家」さえも失ったのだ。やはり父宗作が残してくれた山林には家一件分を優に補える用材が有った
が、杣仕事など全く知らぬまだ二十歳の宗弘には如何ともしがたく、隣家宝伝坊の叔父、友治が一から手取り足取り
力になってくれた。
 更に宗弘より少し遅れて、次男の宗信も予科練から復員し、上市農林学校獣医科に復学しながらも兄を助け、小さ
な家ながら翌年には家を再建したのだ。
 この時宗弘僅か20歳、宗信18歳であった。
 宗弘は不二越工業には戻らず、立山に生きることを決めた。


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