長ずるに従い父の偉さが分かるようになって来た宗弘だが、その父への想いも又深まった。
 宗弘は事あるごとに父の石碑を訪れ、そこで父に語りかけていたのだろう。
 幼い日々の凄まじい腕白はすっかり影を潜めたが、負けじ魂は人一倍強く、勉学も常に首位であった。
 不二越工業での仕事は辛かった。それでも宗弘は父を常に誇りとし仕事勉学に励み、模範的夜間生と
しての表彰も受るまでになっていた。
 しかし世情は悪化の一途をたどり、戦雲急を告げるようになる。昭和十七年、宗弘は志願して海軍に
入隊、幾多の危機を奇跡的にくぐり抜け、愛知県の河和海軍航空隊で終戦を迎えることになった。

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