2010冬・親爺の寝言 2010年 1/1~

小屋閉め後(親爺の寝言)2009年12/31まではこちらに移動しました。
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2010年 3月14日

 山里の遅い春の足音がようやくはっきりとしてきた。
 曇天ながら気温が高い日が続いて迎えた今朝の晴天。久々に大日岳がくっきりと真っ白に見える。
 小屋開けの支度もちょっと慌ただしくなって、この前から芳名箋の印刷やら、土産物の注文やらと、寝ぼけ眼のままやっている。
 この親爺の寝言もそろそろ終い頃だろう。
 で、突然ではあるが、今回を持って終了としよう。
 つまらない寝言ばかりにおつきあいくださった皆々様、どうも有り難うございました。
 このコーナーは終わりますが、もっと怪しげなコーナーを近々立ち上げます。又おつきあいください。・・・・・2010 3/14
 山里ももう春だ。久々に見る大日は未だ真っ白。

2010年 3月11日

 もう降らないだろうと思っていた雪がまた来た。あまり見たくもない雪景色だ。
 出窓の花瓶に挿した桜の一枝のつぼみが、部屋の暖かさに促されて花開いたと思ったらこの雪だ。
 今月末か、来月頭にはヘリコプターで各山小屋の偵察に入る。芦峅寺のヘリポートから飛び立って常願寺川をさかのぼり、称名
滝を超えて弥陀ヶ原と大日平を分ける浄土川上空へ出て方向転換、今度は大日平へ出、大日の尾根沿いに高度を上げ立山川を超
えて剱の早月尾根に沿ってさらに高度を上げつつ、ついには剱の山頂超えて剱沢上空に至り,剱沢にそって別山乗越を超え雷鳥沢か
ら室堂平、浄土山を超えて五色ヶ原、黒部源流の上廊下上空までを偵察し、芦峅寺のヘリポートに戻る。
 この間約1時間の飛行だが、この偵察は極めて重要な意味を持つ。
 各山小屋の状況のみならず、周辺の状況も手に取るように解り、この後の入山時の参考になるのだ。
 親爺もぼちぼち山小屋営業モードに切り替えて、起き出そう・・・。
 桜の切り枝のつぼみが開いたのに外には雪が積もっている。


 もう降らなくとも良いのに又降った。


 2010年 3月10日

 次女の引っ越しにかり出され、仙台に行っていた。学生の一人暮らしだから荷物もたいしたことないだろうと、高をくくっていたが、
細々とあのワンルームマンションにこれだけのものがあったのかと驚くほどの荷物で、そのパッキングに親爺は一日費やして、へと
へとになった。
 その留守の間に、山の神様の祭りがあって、芦峅寺の山に関わる男達には一番大切な祭りなのだが親爺はお参りできなかった。
 この祭りだけは未だに男だけの祭りで、最近は観光客が写真を取りに来たりし、その中に女性も混じっていることがあるが、少なく
とも村の女集は参加することはない・・・といいながらも実は裏ではお供えし、村中に配る餅の手配やら直会の手配やらと、女集に頼
り切っているのだが・・・。
 昔はこのお供え餅も、深夜風呂で身を清めた男達が集まり、大きな5升餅をいくつもついてお供えとし、各戸にこれを切り分けて配っ
たものだが、現在は餅屋に頼み小さな丸餅をいくつも作り、お供えとし、各戸へ配っている。
 頂いた餅は家の神棚に供え、その後切り分けて焼いて食べる。
 小屋開け一月前の気分がみなぎり、何とはなしにあわただしくなってくる頃を象徴する、山の神様の餅である。 


2010年 3月 5日

 更新がしばらく出来なかった。
 親爺のずぼらが原因なのは解りきっているが、ちょっと鼻風邪を引いていたし、保健所やら環境省やらと講習会やら意見交換
会が続いていたのも事実で、親爺は真面目に鼻をすすりながらも会合に出てはいたのだ。
 今日午後、山岳警備隊の山田隊員が来訪、最近の剱御前小舎の写真を届けてくれた。
 幸い剱御前小舎は今のところ被害は出ていないようで、ホッとしているが、雪は去年より少し多そうだ。まぁ、去年が少なすぎた
のだが、3月に入ってズーット天気は良くない。
 1階部分はほぼ出ているが、裏は屋根まで雪がかぶっている。ほぼ例年並みの雪と言ったところか・・・。


 2010年 2月27日

 三人の娘達が幼かった頃は当然親爺もオカカも若かったから、おひな様を飾るなんて仕事の中には入らなかった。
 親爺は力任せにひな壇を運び、あっという間に組み立てたし、オカカも楽しみながら飾り付けをしていたような気がする。
 でも娘達もそれぞれの職場や大学に親と離れて住み、親もそこそこに老けてしまった今、おひな様の飾り付けや片付けは立派
な重労働である。
 で、末娘が大学に入った頃から手抜きを始めもう今年は出窓にお内裏様とおひな様を並べ・・・と、究極の手抜き飾りと相成った。
 それでもそこそこに華やかではある・・・。


外は花霞で、水墨画のような風景が広がる。


2010年 2月26日

 山里の朝も妙に暖かく、夕べは風が吹いていた。
 昨夕家に帰ったが、羽田の濃霧騒ぎでフライトが遅れ空港で2時間あまりの足止めを食った。それにしても我が山里の過疎に
慣れているからか、あの都会の人口密度にはほとほと閉口する。
 ゆったりとした大自然が残る山村や農村には人がまばらで、子供の声もあまり聞けないような寂しい日々があるのに、大都会
やその周辺には人が溢れかえり「芋の子を洗う」様な殺人的な(親爺には)人混みが日常としてある。
 若い人たちには人よりも猿やカモシカが多く、刺激などあまりない山里は退屈きわまりないのだろう。
 山下公園の夜は氷川丸の電飾が華やかで、港町横浜のエキゾチックな雰囲気が漂う。


山里に戻り、空港で買った弁当で夕食をすませた親爺とオカカだが、横浜中華街の「清風楼」のシウマイもさすがに旨かった。


2010年 2月23日

 所用で横浜へ来ているが、久々の都会で、親爺は少し疲れ気味。
 今朝、10時頃家を出て、失効直前のANAマイレージを利用して富山空港から羽田に飛んだ。12時過ぎには羽田に着いて、
タクシーで20分、もう12時50分には宿泊予定のホテルに着いている・・・。
 いつもなら何処へでも車で移動するので、この時間感覚と、快適さ(飛行機のシートは狭くて、デブの親爺には苦痛なのだ
が1時間以内なら十分快適に我慢?できる。)は一寸癖になりそうだったが、時間に縛られて行動するのがやはり嫌だ。
 今回はマイルでの”ただ券”が有ったから特別なのだ。親爺には時間を全く気にせぬ自動車の移動が一番楽だ・・・。
 と、ほざきつつ、オカカ監督の下、今日の親爺の仕事はようやく終わった・・・。
 山下公園氷川丸を背に一寸休憩の親爺。


2010年 2月22日

 良い天気が続いて、今日は炬燵だけでいても寒さを感じない。
 開幕以来、時間があるので親爺もオカカも冬季五輪をかなり長い間見続けているが、ちょっと疲れてきた様だ。
 成績には余りこだわりたくない方の親爺だが、国別のメダル獲得数を見ると余りにも寂しい。
 親爺の世代の繰り言かも知れないがあえて言わせてもらうと、成績を残せなかった選手が「残念だったけど、五輪を楽しんでいます。」
と言うようなコメントを出す、これがメダルにつながらない原因を如実に物語っているような気がする・・・・・。
 ま、こんな事いくらぼやいても仕方ない。
 この後メダルがいくつ取れるか、テレビ観戦の親爺ばかりが熱くなっている・・・。
 今日は大日が晴れやかに聳える。


 2010年 2月20日

 朝から日が射して雪もようやく降り止んだ。2月も後半だがまだまだ雪深い我が山里だ。
 立山の雪は今のところ例年並みらしいが、3月に入ってからまだまだ降るから解らない。3月の末か、4月のはじめにはヘリで偵察
に入る予定だ。
 小屋開けまであと2ヶ月ともなると流石に周囲が少~しだけ慌ただしさを増してくる。なんだかんだと雑多な用事が出てきて、すっかり
世捨て人状態になっているので、後から思うとアホらしいほどのことが面倒で仕方なく感じる。
 昨日は山で知り合った若い人たちと昼食をともにし、久々に面白かった。
 たまにはこんな時間も持たなければ、親爺もオカカも早々と惚けてしまうかも知れない・・・。
 家の裏側の子屋根に新雪が積もり裏の家がかくれそうだ。融雪装置を止めたので結構雪が積もった。


 8年ほど前までは、町営のスキー場だった不動山は、2基あったリフトも外されゲレンデだった斜面だけが圧雪もされず、なだれた
跡を残して広がっている。


2010年 2月18日

 一昨昨日くらいにのどに不快な痛みと思っていたら、腹具合が悪くなり、ついには熱が出て、風邪・・・。
 長女と同じ症状だったのでオカカ曰く「また移された。アズサが風邪を持ち込むと、あんたが直ぐ移るもんねぇ。」
 で、昨日半日寝込んだら、今朝はどうやら熱もなく、快調とまでは行かないがテレビでオリンピックの競技を見て喜んでいる。
 窓から外を見ると閻魔堂の桜に雪と氷が寒々とくっついている。春未だ遠い我が山里である。


2010年 2月15日

 空から雪が落ちてくると、道からは水が噴き出す。道路融雪装置の話である。
 芦峅寺の山里を通る県道や町道の大半がこの仕組みの融雪装置を備えている。だからずいぶん冬の道路は車では通りやすく
なったが、徒歩での通行はびしょ濡れになる。良いに悪いは付いたものというが成る程その通りだ。
 水の噴き出す道路。不注意な親爺などいつもびしょ濡れだ。


2010年 2月13日

 青空が広がり始め、太陽も顔を出した暖かい日だ。
 リフォームでできあがったバルコニー風の物干し場は日がまともに指すので、暖かいを通り越して、暑い。このバルコニー
は居間に隣接しているので、間仕切りの引き戸を開けておくと居間までぽかぽかしてくる。
 お日様の力というのはすごいものだ、とつくづく思う。
 冬の日射しとはいえ目がくらみそうだ。暖かくうれしいお日様である。


2010年 2月12日

 寒い朝で、久々に除雪車の音で目覚めた。早朝まだ薄明かりの中そっと戸外を見ると20cm程のベタ雪が積もっていた。
 このベタ雪は重い。隣の庭木もまた雪をかぶってじっと耐えている。
 寒の戻りだ。でも間違いなく日々春に近づいていて、冬の神様の息切れが聞こえてくる。
 明日の冬季五輪開催が楽しみだ。
 親爺もオカカも時間が割と自由になるこの時期(親爺はほぼ通年?)、テレビにかじりついて胸をときめかせての、雪上、氷
上の競技観戦は、たまらない。
 テレビを見るにも、窓外は雪景色の山里、すばらしい臨場感?がある。
 親爺もオカカもきわめて平均的日本人だから、日本の選手全員を、まるで我子か孫か甥姪かと云うほどに感情移入して応援
するのだ。
 な~に、成績なんて時の運だ。でも、礼儀正しく潔く全力で戦っては欲しい。選手は我々日本人の代表なのだから・・・
 親爺は2年に1度ずつ(冬期・夏期とオリンピックが交互に2年に一度開催されるので)、約2週間はナショナリストになってしま
うのだ・・・。
 庭木はすっかり雪をかぶってしまった。

こんな景色はもう見飽きているのだが・・・・・


2010年 2月11日

 建国記念の日だ。朝から雨が降っていたが、昼過ぎからみぞれになって、今はもう雪になった。重い雪で気温もさほど下が
らないから、屋根から雪が落ちる。
 オカカと二人、毎日が休日のようなものなので今日が祝日で休みなのは長女が家に帰ってきていることで実感するが、家の
電話も休日だからかピタリと鳴らない。
 親爺には娘3人なので、オカカガおひな様を飾る事を言い始めた。
 車庫からおひな様を運び、飾るのも歳とともに大変になってきて、娘らも家にいないから何やら面倒なのだが、オカカもかなり
面倒になってきたようだ。
 ネパールのハクパから春の写真が送られてきた。
 カトマンズ郊外のカラシナ畑


きれいな段々畑が続く


2010年 2月10日

 花霞立ちこめる中おかかと食料の買い出しに町へ出た。親爺は外出時にカメラを持って出ることが多く、それもこの寝言用の
写真を撮るため・・・・・で、今日もカメラを持って出て、途中本屋に立ち寄った時に駐車場で何かの弾みでカメラを落としたらしい。
 全くそれに気付かず本屋で用を足し、小雨の中小走りで車に戻ったら、若い人に声をかけられた。「あの、ひょっとするとこれは
お宅のカメラではないですか?ここに落ちていたんですが。」その若い人の手には確かに親爺のカメラ、とっさに車を出たときに
落としたと気付いた。「はい。いや~これはどうも恐れ入ります。私のカメラです。拾っていただいて助かりました。ありがとうござい
ます。」と親爺は気持ちよくその若者に最敬礼したものだ。その親切な若者ははにかんだように親爺にぺこりと頭を下げて、立ち
去ったが、おそらく車の横に落ちているカメラを見つけ、「この車の持ち主が落とし主だろう」と目星をつけ、その車の持ち主のうっかり
親爺が車に戻るまで小雨の中を、待っていてくれたのだろう。
 この若者のその気配りと、親切心に親爺は敬服するばかり。せめて名前でも聞いてくればいいものをここでもうっかり親爺である。
 こんな気配りができ、親切な若者がいることに親爺は今もいい気持ちでいる。
 お若い方。どこのどなたか存じませんが、本当にありがとうございました。
 花霞に包まれた野山


2010年 2月 9日

 今日は雨だ。暖かい日が暫らく続くとのことで、一寸うれしい。
 夕べは富山のチューリップテレビの取材で、我が家はにぎやかだった。
 外が暗くなる午後6時過ぎ、山崎邦正さんがミスチューリップ3人を引き連れて家へ来た。
 大阪教育大に行っている姪っ子が山崎さんの大ファンとかで、ちょうど帰省中で家に来ていたので大喜び、オカカも親爺よりは
はるかに芸能界に精通していて、大喜びでサインをもらったり、記念撮影をしたり、親爺もどさくさにまぎれてミスチューリップの美
女たちとまで写真を撮ってもらったりと、楽しかったのだ。
 オカカは昨夜がちょうど○○回目の誕生日。
 気を利かせてくれた撮影スタッフにワインまでいただいて、これも大喜びだったから、二人だけの寂しい誕生日よりはず~っと良
かったのである。チューリップテレビの皆さん、山崎さん、ミスチューリップの皆さんどうも有難う。
  親爺と山崎さん。右端は姪っ子。


 撮影後、オカカもサインをもらって記念撮影。


姪っ子のナミももちろん!! 黒部、仙台、松本の我が家の三人娘はこれを見て悔しがるだろう・・・・・。


親爺はどさくさにまぎれて・・・


 2010年 2月 7日

 慌しかった昨日とは打って変わって朝から来客もなく、予定もなくオカカと二人でのんびりしている。
 のんびりしすぎて、親爺はぶくぶくと太ってしまい、メタボリックシンドロームの見本のようになっていて、友人たちにも「もっと痩せん
にゃーだめだちゃ、わぁ~。」(翻訳:もっと痩せなければだめだぞ、おまえは~)と忠告されること仕切り・・・
 寒い日はてきめんに息切れを自覚するようになった親爺、タバコをやめて、90kgになった体重を気にしていない訳ではない。
 ちょっと減食し、適度な運動もし、少なくとも10kgは体重を落とさなくてはと、遅ればせながら考えている。
 考えているばかりで、実行が伴わない親爺、今日も居間に座り込んで半日はぼんやり・・・・・

 

2010年 2月 6日

 昨日から本格的な寒波襲来で、立春を迎えたのに又大雪に見舞われている我が山里だ。
 今日は雷鳥沢ヒュッテの親爺、佐伯万寿雄さんの藍綬褒章受章祝賀会に出席した。
 暖かく優しい万寿雄さんは誰にも好かれる人格者で、50年を一筋に山に生きてきた。我々口も素行も悪い山小屋の親爺連中も、
万寿雄さんの授章は嬉しく、「おめでとうマスさん。」と心から祝った。
 今夜はこの後19時からもう一つ会合があって、普段暇な割に今日に限って何やら忙しい。
 それにしても良く降る。
 目減りした積雪もあっという間に又増えた・・・。
 この冬は紛れもない大雪である。


 隣のケンタロウが掘った雪洞。親爺も子供の頃は良く掘ったものだ。夜、仲間と雪洞の中でろうそくを立てて楽しんだ・・・。


2010年 2月 4日

 昨日は節分だった。豆まきもすっかり忘れていたのだが夕刻にオカカが突然思いだし、慌てて炒り豆を買ってきて豆まきをした。
 婆ちゃんが元気だった頃、わが家での豆まきはそれはそれは賑やかだった。
 3人の娘が未だ小さくて、各自に婆ちゃんが煎り上げた豆を、大、中、小の新聞のチラシか何かでオカカが折った升に入れてもらい
これは本物の木製の升に入れた豆はオカカか婆ちゃんが持ち、豆まきが始まった。
 先ず仏壇のある座敷から、「福は内、福は内。鬼は外。福は内。」とまきはじめる。このかけ声は決まっていて、福は内二回、鬼は外
一回、福は内一回で、圧倒的に福を呼び入れることが鬼を追い出すことより勝っていた。
 居間、台所とまき、二階の子供部屋、寝室とまく。特に最後の寝室では、その年の恵方に向かい、「福は内・・・・・・」とやって、最後の
「福は内」に続けて、「チョウセンゴクノカブラヤモッテコイ」と言うことになっており、この呪文のような文言の意味は今でも良く解らない。
婆ちゃんに聞いても「昔からそう云うておった。意味なんか知らん。」とのことだった・・・。でも、豆まきはこれで終わらない。この後全員
そろって玄関に向かい、玄関を開けて外に向かい「福は内、福は内。鬼は外。福は内。」と豆をまき、まき納めとしたのだ。
 夕べの豆まきはオカカが一人で全部まいた。娘達は黒部、仙台、松本と各々の生活の場に離れていて家には一寸ぼーットした爺様と、
ごろごろするしか能のない親爺と家の全てを仕切っているオカカの三人だけ。
 豆まきに参加せぬ親爺に向かい豆をまいた瞬間がこの一枚だ。細々とだが、未だ豆まきの伝統は絶えていない。


2010年 2月 3日

 大雪の年でも節分を過ぎれば、雪も一段落する我が山里だが、今年の節分は雪模様だ。
 明日から数日は雪が残りそうな天気予報だが、来週はまた暖かくなるらしい。
 午前中にちょっと遠出で、積雪、凍結による高速道路大渋滞に引っかかり、閉口しきりでこんな時に雪の本場に向けて出かける愚を
呪ったが、高速を下り、芦峅寺へ戻る道はさほどの積雪も無かった。
 芦峅寺の村の入り口には教会の様な建物があるがこれは保育所だ。2歳児から6歳児までを保育するが、現在の園児は5人・・・
 我が山里も限界集落である。


 村の中央やや上手には、立山博物館がある。
 


 2010年 2月 2日

 今朝は寒の戻り。3cmほどの雪が積もった。
 今更こんな雪では驚きもしないが、寒いことは寒い。
 振り返れば今年の1月は辛い月だった。2人も大切な身内を亡くしたのだ。
 いずれも未だ逝くにはかなり早過ぎた。
 2月初日の昨日は葬儀への参列で始まった・・・。この2月はどうなるのか、明日はどうなるのかも解らぬのが人生なのだから、
先を思い悩むつもりはないが、人間など、人生など、本当に不安定きわまりないものだと思った。
 この小さな山里にも様々な人生があって、閻魔堂の閻魔様はそんな人生をいくつ眺めてきたのだろうか。
 閻魔堂の木立がまた雪景色になった。


  2010年 1月31日

 一月も今日で終わり。穏やかな天気に誘われ、長靴履きでそのあたりをウロウロしていたら、ケンタロウの雪遊びと遭遇。
 ケンタロウはわが家の隣の早月小屋の謙一親爺の跡取り息子、かわいらしい子供子供した少年だ。
 うずたかく庭先に積もった雪をみたら、何となくよじ登りたくなって、よじ登ってみたら滑り降りたくなって、滑ってみたら面白
くて、後は夢中でよじ登っては滑り降りてを繰り返す・・・。
 まさしく親爺達の50年前の姿で、雪国の子供ならではの雪遊びである。


 芦峅寺は一歩外へ出ればこんなフィールドがあちこちにあり、親爺の家から2分ほどのこの雪原でも、ウサギや山鳥くらいなら
ちょっと頑張れば直ぐに捕れる・・・。わが家の爺様は満80歳の時、此処でクマをしとめた。


 2010年 1月30日

 昨朝このページの更新を終え一息ついていると親爺の携帯電話が鳴って、友人で、またいとこでもある「まさ」の急逝を知ら
された。しかしそれが突然すぎて、事態を飲み込み、理解するまでにしばらくかかった。
 そして事態が飲み込めるや絶句。体中の力が抜け、膝が震えているのが解った。
 「まさ」は親爺より4歳若い、未だ53歳。大男で、酒もたばこもやらず、子供が大好きで、家族思いで、優しくて陽気で、誰から
も愛され慕われた。「まさ」の細君はオカカと大の仲良しで、一男二女の子供達も親爺の娘達と同級生や友達で、家も近く、家
族ぐるみの付き合いだった。
 「まさ」は昨朝も元気に出勤したが、会社で倒れ、救急車で病院に運ばれた時はすでに息絶えていたという。
 夕刻、無言の帰宅をした「まさ」を訪ねた。「まさ」は生前と変わらぬ温顔のまま横たわっていて、はげた頭や、大きな顔をなで
てやったが、うんともすんとも言わず、もう冷たくなっていた。
 今年になって、すでに覚悟の上とはいえ従姉が亡くなり、今度はまた突然に「まさ」が亡くなったのだ。
 諸行無常と云うが、人間とは何とあっけないものなのか・・・親爺は今しみじみとそのことを想っている。

 それでも庭の雪が減り、世の中の時間は何ら変わることなく流れ続け、日常が繰り返される・・・・・。   合掌


 2010年 1月29日

 今朝は雪模様で、溶け始めたソフトクリームの様な残雪の上に、ちらほらと粉砂糖のように新雪が薄くかぶっている。
 下界(と言っても標高400mの山村)の生活に慣れきって、親爺はだんだん夜型になって来て、起床は7時半前後である。もちろん
夜具に潜り込む時間も23時を回ってからだ・・・と、書いてみると、まぁ、特別な夜型ではないかも知れない・・・。
 雪は降っているが、何とはなしにその向こうに温みを感じるような、そんな山里の景色が窓外に広がる。
 薄暗く陰鬱な鉛色と言い表される空の色も、花霞の気配を含んでいるのだ。


2010年 1月28日

 一月寒中の雨で、雪がみるみる溶けてゆく。
 子供の頃、幼なじみ三人で連れ立って雪道を下校していたとき、雪を一番溶かすのは何だ?という話題になって、三人の意見が
見事三通りに分かれた事があった。
 全てに真面目なツネは最もオーソドックスに「お日様だチャ」と答え、子供の頃から直情径行型の親爺は「絶対雨じゃ」と答え、一番
純真で子供子供していたシゲは「風だチャ、風。父ちゃんがそう言うておったもん!」と答えたのである。
 親爺にとって意外だったのは風と言う答えだったが、シゲの父ちゃんがそう言うと云う以上それは疑う余地のないことだった。
 シゲの父ちゃんとは他ならぬ、「剱の大将文蔵」その人だったし、あの頃の子供には何処の父ちゃんであっても、絶対的な大人とし
ての信用があって、父ちゃんの云うことは確実だったのだ。
 「お日様のツネ」は元気で近所に住んでいるが、東京にいた「風のシゲ」はもうサッサと父ちゃんの処へ逝ってしまっていない・・・。
 そんなことを思い出しながら今、外の激しく降る雨を、「雨のカズ」だった親爺は眺めていて、これは雪が溶けるぞと思っている・・・。
 家の前庭の雪がアイスフォールのようになった。融雪の散水と、この雨でだ。


2010年 1月27日

 長野の行程半ば、昨朝になってオカカの実家の父が倒れたとの連絡が入った。上田から松本への予定は全てキャンセルし急遽
オカカの実家がある高岡へ向かう。幸い義父は命に別状はなく入院し落ち着いたが、なにぶんの独居老人。神奈川の義兄が帰る
まで、オカカが奮闘し親爺もまぁ、猫の手か足くらいには役だって、高岡でのホテル泊まりと相成った。
 それやこれやで迎えた今朝、早く目覚めたホテルの窓から見た立山の峰々が、今更ながら素晴らしくシャッターを切った。
 デジタルズーム10倍で粒子が粗くなったが、黎明の剱。大窓、小窓、三の窓のシルエットがくっきりと浮かぶ。


 黎明の立山連峰。高岡の市内からも立山は見える。


2010年 1月25日

 昨日は一日天気が良くて、夕日に大日岳が赤く染まった。
 今日は曇りでちょっと重い天気だが気温は高い。
 昼過ぎから長野の方に用事があって、今日は長野泊まりになる。久しぶりの遠出だ。
 爺様は今日から六泊七日のショートステイで家を空けるので、オカカも親爺と長野へ同行。
 道中、オカカが運転を代わってくれるので親爺はすごく助かるのだ。数年前なら五時間くらいは平気で運転できたと思うのだが
今は二時間から三時間が限度かもしれない。
 時間があれば上田まで足を伸ばして池波正太郎真田太平記館を訪ねてみたいと思っているのだが・・・・・・。


2010年 1月24日

 昨日、市ちゃんが帰った後、森さんがうちを訪れた。森さんは剱御前小舎の一番古い居候の一人で、オカカの出身地高岡市の
住人。某大手企業の勤め人だったが現在は定年退社して悠々自適の生活。昨年11月末からネパールに入っていてアンナプルナ
ゾーンや、クンブーゾーンをうろついていた。
 土産にガランマサラや紅茶をもらったが、ネパール産の無農薬コーヒーもあって、未だ試してないが以前カトマンズのターメルの
あたりで怪しげなコーヒーをドリップコーヒーとして飲ませていた店を思い出した。そこのコーヒーは焙煎が強いというよりかなり焦げ
味の強い濃いタイコーヒーのような代物だったが・・・。
 森さんの土産話に親爺もまたネパールに行きたくなった。過去十数年の間に60回以上も通ったネパールだが、勤め人の足を洗っ
てからもう丸2年ネパールには行っていない・・・その内にオカカをつれてゆっくりと、物見遊山でネパールへ行こう・・・。
 ビレタンティから望むアンナプルナの朝焼け、昨日ネパールからメールで届いた。


 で、今日の芦峅寺はと言えば快晴で、久々に大日がくっきりと青空に映えている。


2010年 1月23日

 昨夕家の向かいの市ちゃんが家のリフォームのお祝いに写真をくれた。市ちゃんとは高橋敬市氏のことで、立派な写真家だ。
 カメラマンというと怒るので、じゃあ何だと聞くと写真家だと本人が言うので、此処で紹介するときは写真家とした。その写真家
に更に立派なという形容詞をつけて讃えたのは、親爺に写真をくれたからで、しかもその写真は御前山からの剱で、剱御前小舎
の親爺宅に飾るのに最もふさわしい写真だったからだ。親爺もこの写真は大好きだ。
 早速玄関正面の廊下の壁にバーンと掲げた。家へ来るお客さんは大体が山関係者だから必ずこの写真に目がいくだろう。
 市ちゃんの奥方はお敏さんといって、市ちゃんより親爺とのつきあいが古いが、この夫婦の結婚式でにわか神主を務めたのが
他ならぬ親爺なのである。しかもネパールヒマラヤのナムチェバザールでのことだ、もう何年前になるのか・・・。
 えっ、あれから31年!気付くと市ちゃん夫婦は家のお向かいさんで、これは掛け値無しの立派な熟年夫婦になっている・・・。
 玄関から真正面の剱岳は剱御前小舎親爺の家にふさわしい。市ちゃんアリガトウ。


2010年 1月22日

 昨日は寝言を言いすぎて、夕方ころはちょっとくたびれていた。
 そこへ心平がメールで写真を送ってきて、何とそこには心平の捕った獲物がうつっていたものだから、親爺は一遍にご機嫌に
なり、元気になった。
 最近親爺は殆ど出猟していないが、心平は若い分元気でかつての親爺のように、細君緑の目を盗んでは猟野へ飛び出してい
るようだ。
 こんな気温の低くて天気の良い日は、山スキーでの出猟が楽だ。でもウサギなどの獲物も雪がしまっている分その逃げ足は
速くなる。


 捕ったウサギを捌く心平。吊し切りはウサギの皮がはぎやすい。


 心平は空気銃での鳥類の狙撃(80mスパン)が得意。空気銃も昔のポンプ中などとは違い、プリチャージ式の空気銃は強力だ。


2010年 1月21日

 山小屋の会合に出かけた。毎年恒例の某役所との会合だが、お役人というのはどうしてこうも「責任」と言う言葉に逃げ腰なの
だろうか?
 登山道の管理についてさえ明確な態度を打ち出せず、Aと言う役所はBと言う役所やCと言う役所へその責任を振りたそうだし、
BはAとCに、CはAとBに責任を転嫁したそうで、結局どこも役所は責任を取れないらしいからあきれる。
 それでは、登山道の整備を山小屋が自発的にやれるかというと、何やら色々と”法的制約”があるのだそうでこれも難しい。それ
では荒れるに任せるしかないのかと言う処まで話が行ってしまうのだ。
 少なくとも去年も同じような話があったし、一昨年も大同小異、こんな進歩のない話などいくら繰り返しても意味がない。
 又、たかが登山道を大きな役所が複数で管理するというのもおかしな話だ。
 全部とは言わないが、こんな責任を取れない、あるいは取る気のない役人が大勢いて、その役所役所の利得と保身のためにだけ
労力と知恵を使っているのは、税金の無駄遣いの最たる物ではなかろうか?
 国立公園内の登山道は何もコンクリートで固めて階段を作らなくても良い。
 こまめに見回り危険箇所を補修し続ける、根気と手間こそ必要なのだ。
 登山という行為が自己責任で行われるのはもちろんだが、数百万人以上もいると言う登山愛好者のために登山道を点検整備する
ことは、事故や遭難防止と言う観点からも、公的機関が責任を持って行う事が是非とも必要なのだ。
 無駄とは不要なことであろう。
 では、不要を通り越して、じゃまな物は何と呼べばよいのだろうか? 
 エエッ!「オヤクショ」と呼べば良いって・・・!? 本当だネ!!!
 雪解けの進む山里。親爺の今日の寝言は辛辣だが、これは全部寝言だからねオヤクショ様!!


2010年 1月20日

 今日も一応晴れ。道路もすっかり除雪され、爺様も今日はヨロヨロとデイサービスに出かけたので、オカカと買い物に出た。
 スーパーの駐車場からは剱岳がよく見えた。
 晴れ間も今日までらしく明日からの週間予報には傘マークや雪マークが並んでいるが、気温は低くないので大雪は心配ない
だろうと思うが、親爺の約束以上にあてにならないのが天気予報と地震予知だからどうだろう・・・。
 剣は山頂付近が僅かに雲に隠れている。
 

 親爺はかなり食い意地が張っていて、インターネット上のお取り寄せが大好き。
 オカカに白い目で見られながらもたまに素晴らしい味に巡り会うので、オカカも親爺のオトリヨセは多少大目に見てくれる。
 で、今回は素晴らしいピザにお目にかかった。
 作りたてのピザをすぐに冷凍して送ってくれて、これをオーブントースターで焼いて食べるのだが、かなりのピザ専門店で焼きたて
を食すのに遜色ない。
 少なくとも市販の冷凍ピザはもとより、宅配のピザも太刀打ちできないと思う。それで値段はリーズナブル。送料込みでも宅配ピザ
より大分安いから嬉しい。良い店に巡り会えた。
 ピザハウスペックさんである。


2010年 1月19日

 快晴が続いているが、雪や雨と違ってこれは何日続いても飽きない。
 夕べ雨が降って屋根の雪もかなり溶けたようだが、わが家の屋根は融雪装置のお陰ですでに瓦が出て黒々としている。
 ま、このまま春になるなどと言う事は芦峅寺に限ってはないと考えるべきだ。この後何度か雪が降っては積もり、積もっては消え
を繰り返し、3月下旬にならないと春めいても来ない、と考えなければ・・・。
 等と言いながら、窓の外のつららから落ちる滴の音を聞いていると、親爺はうかつにも眠くなってくるのである・・・。



2010年 1月18日

 快晴の朝、爽快な気分だ。
 親爺部屋の窓のカーテンを開けると光が部屋いっぱいになだれ込んで来て一瞬目がくらんだ。


青空に真っ白に聳える大日が神々しい。焰魔堂の木立と電線がちょっと邪魔だがこれも景色の中。


2010年 1月17日

 今朝も雪は降らず、薄日の射す穏やかな朝を迎えた。
 しかし気温は低く、あちこちバリバリに凍てついてしまっているので、家から一歩外へ足を踏み出すともうアイスバーンだ。
 玄関先のコンクリート段も、家の前を通る町道(旧立山道)も融雪装置からの水が流れっぱなしなので、全面それが凍って、
アイゼンが欲しくなる。
 今年は大雪だった。芦峅寺の山里で生まれ育った親爺にしてもこれだけの大雪というと何度かしか記憶にない。
 暖冬予報と去年、一昨年の雪の少ない冬が、今年の大雪への備えを忘れさせていた。
 失礼ながら、学者とかマスコミというのは何やらかなり怪しげだ。
 「温暖化」というとそればかりに固執して最近の雪のない冬も温暖化のせいにして人を惑わせるからいけない・・・。
 最近の暖冬が温暖化のせいで、雪が少なかったのもそのせいだとばかり親爺は思ってきた。じゃ、今年のこの大雪や、ヨーロッパ
を襲った大寒波は何のせいなのか?学者先生の手にかかればそれなりの説明は出来るのだろうが、親爺はもう聴きたくない。
 大自然というのは人間の浅はかな知恵で単純に説明できるものじゃ無い様な気がするのは、学問には全く無縁な親爺だけの思い
だろうか。大自然のメカニズム等としたり顔で説明する学者商売人が多すぎて、それに付和雷同するポリシーのないマスコミの名を
語る騒動人もかなり多いようだと、親爺はこの大雪から学んだ。
 近所の婆ちゃんの”寒試し”の方が芦峅寺の山里の天候をどんな学者より正確に予測しているのだから面白い。
 今年の婆ちゃんの寒試しの結果は、「今年やぁメチャクチャでぇわからんなぁ~。」だったのだ。どうだ、大正解だぞ!!!
 凍てついた山里に冬の薄日が射す。


 2010年 1月16日

 親爺はいつも冬の神様を友達のように気楽に考えている。だから時にはけなしたり、悪態をつくこともあるが本当は大好きなのだ。
 特に今朝のように青空と日射しを大盤振る舞いしてくれる冬の神様は、有難くて尊敬し、本当に親友のように肩を組みたくなって
さえ来る。
 目覚めて、朝飯もそこそこにバリバリに凍りつく戸外へ出て見た。
 雪に埋もれて我が山里の家々が立ち並んでいるが、青空の下の雪景色は華やかで、雪国が陰鬱だ等と言ったのは誰だ、責任者
出てこい!と、声を張り上げたくなるほどの明るさだ。白銀の世界とはけだし名言、いや輝き渡る銀世界と言えばもっと適切だろう。
 真っ青な青空と言うよりも、更にその青さが煮詰められた群青色の空は冬の晴れ間特有のものだ。
 昨日の引きこもり親爺は嬉しくて嬉しくて、外に飛び出して朝からあちこちウロウロとしていたのだが、そういえばオカカもどこかへ
出て行ったきり未だ家へ入って来ない。冬の日射しを何処かの井戸端会議ででも楽しんでいるのだろうか・・・。
 青空の下の礼拝山(らいはいざん)がまぶしい。


 融雪装置のお陰で屋根雪は無いけれど、家の1階部分はほぼ雪に埋まった。


 家の中から外を見ても出窓が半分以上雪の下。でも日が差し込んで部屋は明るい。


2010年 1月15日

 雪はしつこく降り続いて、昨日今日と親爺もオカカも外出を控えている。
 こんな時は古のご先祖様に倣って雪に降り込められて家でじっとしているのが一番理にかなっているかも知れない。
 もちろん勤め人の方々にはこんな冬ごもりなど出来ないだろうし、親爺も僅か数年前までは勤め人だったので、こんな雪でも出勤
は当たり前だったから、今のように冬に逆らわず生活出来る自分は「幸せ」だと感じている。
 まぁ、五十路過ぎまでの山小屋経営と勤め人の2足わらじで来た30年は、今の親爺には体力的にももう継続出来はしない。
 今の親爺には、冬は冬眠して4月からの山小屋家業に備える時間なのだ・・・。
 それにしてもこの雪は降り過ぎだ。
 冬の神様は本当に惚けてしまったのでは無かろうか、冬の青空をこんなに出し惜しみするとは・・・。
 リフォームはなったが未だ家具のそろわない(家具購入資金もそろわない)部屋で炬燵に潜り込む「今日の親爺」。外は雪。


 

2010年 1月14日

 朝から凄い雪の降りようだ。キチガイゾラと言う。でもさっきこのキチガイゾラを漢字で狂人空と書き表そうとしたら変換できないので、
キョウジンと入力しても狂人もまた変換できない。ヒョッとするとこれは差別用語とやらに分類されるのだろうか・・・。ましてやキチガイ
等という言葉には非常に侮辱的な悪意があることは否めない。
 が、あえて空模様にこのキチガイを充ててキチガイゾラという憎しみを込めた言葉が出来たのは、雪国で少なくとも「五尺」以上の雪
の下で暮らす人には解っていただけるだろう・・・。
 今日の芦峅寺はこの降り方だ。


隣の早月小屋の親爺、謙ちゃんの家なんぞ玄関が埋まりそうだ。


我が家の前庭の物干し台なんて完全に雪の下だ・・・。


 2010年 1月13日

 屋根の融雪装置はその屋の住人を雪下ろしから完全に解放してくれる。だがもちろんただで解放してくれるわけではない。
 電気代と灯油代がかかる。前者はまぁ、わずかだが後者の灯油代は大変で、年末から年始にかけて降り続いた週を挟んで10日
足らずで500リッターを消費した。リッター80円として計算すれば四万円で、この間大抵の家は二回雪下ろしをしている。
 因みに今このあたりでの雪下ろしの外注費は一軒が四万二千円相場だというのだから、その半額で済んでいると思えば高くも
無いのだろうが、雪が降り出し、センサーが働きボイラーがボーッと唸り出すとどうしてもオカカならずとも灯油代を計算してしまう・・・。
 で、オカカはセンサーを止めて手動で(自己判断で)ボイラー管理に乗り出すのだが、あまりに頻繁なオン・オフは帰って不経済かも
と、またセンサーに切り替えたりして、どうやら雪下ろし以上に忙しそうだ。


2010年 1月12日

 リフォームなった部屋は妙に暖かい。すきま風が入らないし、壁、天井、床に断熱材が入り、窓も全てペアガラスだからだ。
 築45年のわが家には断熱材も全く入っていなかったし、すきま風は床からさえも入ってきたものだ・・・・・。
 だが、そんな暖かい部屋でぼーっとしていると戸外の雪景色が妙にメルヘンチックに見えてくる。寒さを感じない雪景色というものは
確かに綺麗なだけのものかも知れない・・・などと雪国住人らしからぬ事を思ってしまう。と、今雨が降り始めてそれがたちまちみぞれ
になってきた。
 せっかく目減りした雪がまたかさを増すかも知れないと思いやれば、やはりいくら暖かい室内にいても雪はただ綺麗なもののではな
く、やっかいな重荷でもあると、雪国住人の正常な精神状態に戻った。
 嗚呼、戸外を見ればいつの間にか、みぞれが雪に変わり降りしきっている。


 2010年 1月11日

 雪の舞わない青空が久々に広がっている。
 予報では今日だけのようで、明日からはまた冬に逆戻りするらしい。
 今朝の冷え込みは凄かった。小屋開けの剱御前小舎と同じほどの寒さを感じた。もちろん実際は氷点下7~8℃で、立山とは違う。
 今日は続・立山夜なべ話のコーナーを立ち上げた。
 更新が頻繁に出来るのかどうか解らないが、とにかく新コーナーを立ち上げたのだから途中でギブアップだけはしないようにしなく
てはと思っている。
 冬の青空が広がる。こんなくすんだような青空でも雪国の住人にしか解らぬ嬉しさがある。
 


2010年 1月10日

 今年は雪に降り込められている。
 でも、従姉の通夜やら葬式で出っぱなしだった。今日も親戚の婆ちゃんの四十九日法要だ。
 去年も前年末から新年にかけていくつか葬儀に出た記憶がある。
 寒さが厳しくなる頃だから高齢者や病人がバタバタと逝くのだろうか。
 山里の冬はやはり厳しい。日射しがあっても雪は降り続いている・・・。


2010年 1月 7日

 正月も今日まで。
 七草粥をこの朝に食べて松の内を終えるのが我が山里の倣いで、ひょっとすると日本中そうかも知れないなどとのんきなことを考え
ながら今朝は七草粥を食べた。
 芦峅寺はこの朝に正月の「お飾り」と呼ぶ鏡餅を降ろす。そしてその一部を七草粥の七草として粥に入れる。
 そもそものお飾りが簡素なもので、餅、蜜柑、勝栗、干し柿、昆布の五品だから足りない二品の白菜と黒豆を足して七草に見立てた
ものだと思う。もちろん蜜柑や干し柿はそのまま入れるわけもなく、蜜柑は皮だけを申し訳程度に、干し柿も甘みが出るので細かく裂い
て僅かにと言うものだ。餅も入るから腹持ちが良く、年に一度の独特な味わいは親爺にとって、正月の終わりを締めくくる味である。
 これがわが家の七草粥だ。


 久々に青空が顔を出す。琴平宮が鎮座まします「打ち越山」はいつの間にか美し山などと名付けられたが、今も静かに芦峅寺を
見下ろしている。それにしてもこの雪・・・


2010年 1月 6日

 雁木作りの町並みは雪の降る日にこそ趣を増す。
 商店の蛍光灯の明かりが雁木に覆われた薄暗い通路に漏れている情景など、昭和への郷愁を誘わずには居ない。
 少なくとも雪国育ちの親爺にはそうだ。
 昨日久々にその情景を糸魚川の駅前で見た。
 寒かったので車内からシャッターを切ったら、おかしなものまで写ってしまって・・・・・。


2010年 1月 5日

 夕べの暖かさが嘘のように雪の降る朝だ。でもこの雪は年末年始の大雪とは違い、たいした積雪にはならぬだろう、と思う。
 昨夕従姉が逝った。親爺より二つ年上でこの冬に還暦の祝いをする予定だったが、それを待たずにさっさと行ってしまった。
 温和しく口数も少なく少し恥ずかしがり屋の従姉だったから、赤いチャンチャンコを着るのが恥ずかしかったのか・・・・・などと
親爺もかなりしんみりとしてしまう。
 松の内とやらもあと2日ほど、親爺とオカカと退院してくる爺ちゃんとの日常が戻ってくる。
 こんな雪の下にも数限りない人々の生活がある。今朝の芦峅寺。


 2010年 1月 4日

  正月三箇日が過ぎ4日になって雪もようやく一息ついた。
  立山方向が明るく大日岳が今年初めて顔を出している。大晦日から正月三箇日はのべ4日間雪が降り続いたのだ。
  やはり我が山里芦峅寺の冬は凄まじい。融雪装置も凍てついて全く水が出ない今朝だった。
  でも雪は止んで、薄日も漏れはじめた。
  寒さは殆ど感じない。寒くないのではなくて体が冬仕様になったのだ。
 

2010年になって初めて顔を出した大日。山里もすっかり雪に埋もれた。


平成二十二年元旦

 雄山神社での初仕事を終え、寒さに震えながら帰宅した親爺の、今年最初の一枚がこれ。


 年が明けた。
 親爺は初仕事で、昨年同様雄山神社に駆り出されている・・・。
 吹雪の境内で寒さに震えているはずだが、せめて今日くらいは快晴の剱をお目にかけて、初春のご挨拶としたい。
 皆さん今年も又親爺の寝言つきあってくださいね・・・・・・・おめでとうございます。(昨年四月の剱)


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