2009年 10/23~12/31



12月31日・・・芦峅寺から

 粉雪がかなりの勢いで降り積もっている。芦峅寺の山里の大晦日にふさわしい大荒れの天気予報だ。
 親爺は昨夕家のリフォームがひとまず完成したので、一寸余裕である、こんな天気でも・・・。
 屋根の融雪装置も働いているし、新装なった居間(リビングと言うのだそうだが・・・)も床暖房で暖かい。だから余裕で、雪見をし
て居るのだ・・・が、もちろん親爺もオカカもかなり倹約家(ケチ)なので、燃料費や電気代を常に気にしながらスイッチを入れたり
切ったりしてそわそわと落ち着かない。外が吹雪いているのに、暖かくて良い気持ちなのが何やら「ウシロメタイ」のだ。
 そんな両親の思いなどどこ吹く風、三人の娘達は深夜まで床暖を満喫しストーブを各部屋に焚きっぱなしで、すこぶる脳天気だ。
 とか何とか言っているうちに、今年もどんどん過ぎて来年がどんどん近づいてくる大晦日。今年も終わりか・・・。
 居間に新設した窓から雪降る戸外を眺める・・・。寒そうだ・・・。


 かつて「オイ」と呼び慣わしていた居間が、リビングと名を変えた。まだ家具が入っていないので広い・・・。


 玄関からの屋内の眺めがすっかり変わった。親爺にはこれが「終の棲家」だ。


12月29日・・・芦峅寺から
 
 晴天のお陰で玄関先のコンクリート工事が進み、どうやら正月には玄関からの出入りがかないそうだ。件の玄関土間タイルも仮
工事で何とか解決、担当の加藤現場主任有り難う。
 年末はやはり何となく慌ただしい。親爺は芦峅寺の村役員を仰せつかっており雄山神社初詣の準備も手伝わなければならない
のだが、今年は正月を迎える家が全く片付いて居らず、仙人ヒュッテの新一郎親爺に頼み込んで肩代わりしてもらった。
 「お~。解った心配するなよ。でも、お前に貸し作ったぞ~!!」と快く新一郎親爺は引き受けてくれたのだが、何か最後の言葉
が引っかかって・・・。「よりによって新一郎に借りを作ってしもうたぞ~・・・こりゃえらいこっちゃぁ・・・。」と、一寸ビビッている。
 で、朝から今日も片付け、家具の移動作業である。親爺はオカカより瞬発力はあるが持久力がない。車庫の二階までものを運ぶ
と一回ごとに息切れをおこしぜーぜー言う。所謂役立たずに近いがそれでもオカカは容赦しない・・・。
 はぁ~どうしてこんなに要らないものを溜め込んでいたのだろう・・・後悔と息切れが続く・・・。
 立山町の平野部からの今日の立山連峰。


ばてて親爺部屋で寝ころんだら、そこからペンギンの置物越しに大日が見えた・・・。


12月27日・・・芦峅寺から

 灰色の空が広がってはいるが花霞の立ちこめる暖かい日、何やら3月の気候だ。
 この前の大雪の後だから、これから冬に向かう年の瀬なのに妙に春が恋しい気分でこの朝靄を花霞と見てしまうのだろうか。
 玄関のタイル張りが終わらない、タイルの数が足りなかったとのこと・・・職人のレベルが疑わしく腹立たしい。アホか!!
 更に玄関先のコンクリート工事もまだだ・・・来年の正月は工事中のまま迎えることになりそうな気配・・・・・
 のんきな親爺もここに来てちょっと立腹・・・・・まぁ、未だ窓外を眺め朝靄を花霞と優雅に考える余裕はかろうじてあるのだが。
 暖かい朝、閻魔堂の森も朝靄(花霞)に煙る。


12月26日・・・芦峅寺から

 昨日の快晴で雪はずいぶん溶けた。今日は北陸の冬の空、灰色の空だ。
 朝なのだが夕方のような光量で、寒々とした山里の景観が広がる。
 昨日の晴天がもう恋しい。
 芦峅寺の村はずれ(村下)には保育所があり、その裏庭からの立山連峰の景観は素晴らしい。
 昨日の晴天下の1枚。


12月25日・・・芦峅寺から

 快晴のクリスマスの朝だ。昨日はまだかすんでいた大日がくっきりとその冬装束の姿を見せている。
 ホワイトクリスマスのイメージはもう少し雪が降り積もりつつある時の情景で、今朝の芦峅寺の情景はと言えば雪下ろしが終わって
白黒まだらの家々の屋根と、すっかり雪を落とした黒々とした杉木立と寒々とした雑木林の山肌ばかりが青空の下に目立つ。そうだ、
どちらかと言えば雪解けの三月末の晴れ間に似ている。
 クリスマスはすっかりお馴染みで、親爺の世代でもさほど違和感はない。が、やはりクリスチャンならぬ身のお祭り騒ぎをするほどの
「晴れの日」の認識はなく、むしろその後の正月は「年の初め」の厳粛で特別な日であると言う認識が圧倒的に強い。
 ま、でも、クリスマスを宗教とは関係なく楽しむのは決して悪くない。自分が仏教徒であることを殆ど忘れている親爺だから、ひょっと
すると自分がキリスト教徒で有ることをクリスマスにしか思い出さぬ連中も大勢いるだろう。
 大日はクリスマスにもただ静かに聳えている。


12月24日・・・芦峅寺から

 今日は青空が占める割合がかなり多い。日射しも出て雪面はまぶしい。
 久々に大日が顔を出したが真っ白で、かえって神々しく見える。


 どの屋根もこの屋根も雪下ろしが終わって軽々としてる。今日雪下ろしをしているのはMoさんだな・・・。
 Moさんは親爺の大事な仲間・・・。かなりののんびり屋だから親爺ともペースが会うのだ・・・。


12月23日・・・芦峅寺から

 暖かい朝、起きて直ぐ親爺は自分の部屋に行ってカーテンを開けてみた。
 そこには久々に足場に遮られることのない我が山里の景観が広がる。残念ながら山は見えなかったものの、親爺の希望で馬鹿
みたいに大きくした窓のお陰で、部屋には開放感が有る・・・いや有りすぎてカーテンを開け放すと外のようだ・・・。
 未だ手すりは付いていないが、建築基準法でつけなければならないそうで、親爺は少し残念だが、それは仕方がない。
 とにかくあと一週間で今年も終わる。予定ではとっくに新装なった家で寛いで居る予定だったが世の中そんなに上手く事は運ば
ないようだ。
 ともあれ、未完ながら何とか落ち着けるスペースが出来て良かったとしよう・・・。
 見慣れた相変わらずの山里の景色。大日は山裾だけしか見えない。


 広い窓は広々と気持ち良い。外みたい・・・・・。


12月22日・・・芦峅寺から

 家を囲っていた足場が取れて、新しい外壁の綺麗なわが家が現れ、親爺は一寸感動。
 四十五年前に、新築なった家のモルタル吹きつけ仕上げのあの新しい白が、今目の前に外壁材の白で再現されたようで・・・。
 この大雪で屋根や足場にも雪が積もり、今日は屋根の雪下ろしから作業が始まった。足場の撤収が終わったのは夕方、作業に
当たってくださった皆さん本当に有り難う。これで融雪装置も安心して使えるので親爺も一安心。
 内装や電気工事はこれから未だ続くが、親爺とオカカの難民キャンプは今日明日にも撤収出来そうだ。
 大日岳を正面に望む二階の窓は思い切って大きくした。焰魔堂の杉木立で、立山の主峰雄山が遮られるが・・・。


 屋根の雪も綺麗になった・・・・・・。


12月21日・・・芦峅寺から

 玄関先のコンクリート工事や、外回りの片付け等々は越年となることが確定。まぁこの雪の中、職人さんも大変だったろう。
 明日はいよいよ足場が解体され、リフォーム後の綺麗になった?わが家が姿を見せる予定だ。
 まだ、居間も廊下も縁側もクロス張りやらクリーニングやら電気工事やらが残っているし、玄関はこれからタイル張りだ・・・
何とか正月には間に合うだろうが28日、29日になっての家具の移動やら片付けはかなり大変そうで、親爺は一寸逃げ腰にな
っているが、オカカが逃がすはずもない・・・。
 またこれ以上秘蔵の模型を捨てられてもたまらないし親爺も覚悟を決めた。
 この零戦も脚がおれてしまった・・・。


親爺は何歳になってもこの零戦の模型から一歩も進歩がない。いや~、本当にうっとりするねぇ~。


 12月20日・・・芦峅寺から

 予報よりは降雪も少なく、久しぶりに日の光の暖かさを感じた今日だ。
 新雪の後の青空は素晴らしくきれいで、一瞬だが青空が鉛色の雲の間に広がった。
 が、未だ予断は許されない。せっかく寒さに引き締まった我が身が、一瞬の暖かさにゆるんでしまうのが怖い・・・。
 リフォーム中の家も外壁もどうやら終わり、明後日には足場も撤収されそうだ。
 今は未だこんな具合だが・・・。


 丸裸で寒そうだった木にも雪の花が咲いた。


12月19日・・・芦峅寺から

 この冬第一級の-42℃の寒気団・・・聞き慣れた言葉だが、この時期のこれはない。明らかな反則だ・・・。温暖化、温暖化とまる
で「ダラ(馬鹿)の一つ覚え」のように芦峅寺の冬をなめきっていた自分を反省。
 もう1mは積もった雪だが、降っても降っても未だ降り止まぬ。喜んで庭駆け回る犬もいないし、これだけの積雪ではいかな犬でも
庭を駆け回れない、もしそんな馬鹿犬がいたら、ラッセルである。
 一応90%リフォームなった親爺の書斎(親爺以外は物置と呼んでいる)窓からの景色がこれだ・・・


 リフォーム90%の親爺書斎あるいは物置・・・

 
 どこが90%かと言うと、扉が未だ入って居なくて、寒いのなんの・・・・・・・・・・


12月18日・・・芦峅寺から

 今朝はもう60cmも雪が積もって、未だその雪は降り続いている。親爺が雪が無ければ冬じゃない等とほざくものだから、恐らく冬
の神様が大サービスしてくれたのか・・・でも神様、もう十分です。親爺はもう二度と雪が恋しいなどとは言いませんから・・・。
 家は未だ工事中、職人達が慌てて、工事ピッチが上がるのはよいが、寒い中での外壁工事なんていくら若い職人でも寒かろうと、
気になって仕方ない。足場も雪が着いた。滑って怪我するなよ~!


 冬だ、冬だ!もう沢山だ!


12月17日・・・芦峅寺から

 雪が降って、ようやく冬になった。この時期に雪がないなど正直なところ寂しかった・・・。でも家のリフォームは未だ完成してない。
外壁は殆ど終わったが、外回りのコンクリート工事が今から・・・まぁ、どうにかなるだろうが。
 食料の買い出しにオカカと町へ行ったが、そこも雪で真っ白。でも僅かに青空が見えたり山が見えたりしているから、50cm位は
降るという予報だが、大したこともあるまいとタカをくくっている。それに50cmくらいの雪には今更驚きもしない・・・が、最近何年か
が温暖化で雪のない冬に慣れて居るから一寸めんどうだなぁ、雪掻きが・・・。
 標高100m足らずの町場でも雪が降った。


道路は未だ積雪がない・・・でも、雪じゃ、雪じゃ~・・・・・・ハァ~ア!!


 12月14日・・・芦峅寺から
 
 リフォームも大詰め、ようやく玄関、廊下、階段の仕上げまで来た。と、何だもう2週間で今年も終わり・・・一寸驚いた。
 家をリフォームして、家のありがたさがしみじみ解った。どうにもこのリフォーム難民はいただけない。
 この歳になるとどうにもキャンプ生活もどきがストレスになるようだ。しっかりと落ち着ける場所が無いのがどうにも答える。
 でも、後十日ばかりで本当に完成するのだろうか・・・。


外壁も同時進行で8割ほどは仕上がったが、雪がもうすぐ来る・・・。


12月12日・・・芦峅寺から

 この前から2週間余もかけて作っていたベーコンが、全滅した。
 昨夜うっかりと車庫のシャッターを閉め忘れたのがいけなかった、どら猫か貂かイタチの仕業だろう、乾燥ネットに入れて階段の
裏にぶらさげて、風乾熟成中の塩抜きの終わった豚バラ肉のかたまり5個を襲われた。ネットは噛み破られ、肉は食いちぎられ、
グチャグチャ・・・・・。流石の親爺もこれを回収して洗ってベーコンを作る気にはなれずネットごと投棄した。
 昨夕味見で薄く切り取った一遍を焼いて喰ってそのうまさを確認していただけに親爺は茫然自失・・・・・・・・・・・・・・
 さっきようやくしょぼしょぼと片付け終わったが、とてもあの惨状を撮影する気になれなかった・・・悔しくて・・・
 が、これで懲りないのが親爺、明日か明後日には又肉の塩漬けからやり直すことにした。
 今度は全ての行程を写真で撮って、このページのネタにしようなどとプラス思考である・・・脳天気である・・・。
 やっと片付け終わって、何もない親爺作業スペース、一寸寂しくて悔しくてがっかり・・・・・


12月11日・・・芦峅寺から
 
 加藤さんは親爺の家のリフォーム工事の現場責任者。若くて穏やかで誠実で礼儀正しくて、本当に素晴らしい好青年だ。
 時々打ち合わせで親爺達の所へも顔を出してくれるし、こちらからの細かい変更や、工事の追加にも一々丁寧に対応して
くれる。
 大工さんや様々な職人さん達は殆ど加藤さんより年上だから、端から見ていてものすごく彼らに気を遣っているのが良く解る。
 一応施主である親爺やオカカへの気配りも細やかで、親爺もオカカも加藤さんのフアンになった。
 加藤さん、後しばらくだけど、頼みますよ・・・。体壊さないように。
 ゴミだめのような親爺部屋についに炬燵が出現し、加藤さんが打ち合わせに来てくれた・・・・・(オカカ撮影)


 12月10日・・・芦峅寺から

 前回は3kgもベーコンを作って、いい加減な塩抜きで”塩辛ベーコン”あるいは”スープ専用ベーコン”にしてしまった。
 流石にこれは親爺のプライドが許さない、で、もう一度1kgほどベーコンを仕込み始めている・・・初心に返って・・・
 もう10日あまり約13%の塩水につけ込んでいたバラ肉の、今日は塩抜きだ。
 前回は面倒なので塩をすり込み塩漬けしたのだが、やはり濃度をしっかり決めた塩水に漬け込む方が失敗が少なそうだ。
 朝飯もそこそこに、8時には家へ来る大工さんに負けじと、漬け込んだ肉を持って車庫裏の親爺部屋へと移動。塩抜き開始
をした。時に8時10分・・・・・・・と、まぁそれほどのものでもないのだが、何やら子供が遊びに夢中になるそのマンマ・・・・・・・
ついつい熱が入って、今日も脳天気で、幸せな親爺であった。


12月 9日・・・芦峅寺から

 リフォーム難民生活もかなり板について、車庫裏の親爺部屋には洗濯物、着替え、食料、鍋釜・・・・・と、すっかり生活用品が運
び込まれ、炬燵まである。が、時はいよいよ年末で、多少慌ただしくなってきて、お客さんも多くなる・・・。
 家がリフォーム中だから皆さん車庫裏の親爺部屋にお越しいただいて、話し好きで暇な親爺はここへお客さまに上がってもらう。
 親爺は平気だが、上がっていただいたお客さまは良い迷惑かも知れない。でも山小屋生活をよく知っているお客さまばかりだから
あまり気にしていないだろうと親爺はタカをくくっている。
 今日は空輸作業全般をお願いしている東邦航空の松本営業所から、小松所長と清水さんがお見えになった。
 山小屋の生命線を担ってくれている東邦航空さん、汚い親爺部屋へでも上がってお茶の一杯も飲んでもらわなければと、無理に
お上がり頂くも、本当にお茶一杯しか出ないところが凄い難民キャンプだった・・・。
 所長、清水さん済みませんでした・・・・・。
 来シーズンもどうぞ宜しく頼みますよ。 あ、・・・それと、値上げ無しで頼んまっせ~・・・・・。
 ストーブの熱気でカメラのレンズがくもってしまったが、向かって右が小松所長、左が清水さん。


12月 6日・・・飛騨古川から

 今日はオカカをつれて飛騨古川に来ている。
 目的は一つ。「八ツ三館」に泊まること。この宿は本当に素晴らしいのだ。何が素晴らしいと云ってもそのもてなしの心、気働きに
つきる。ここのもてなしには真心が籠もっているのだ。
 一応親爺も山小屋とはいえ接客業の端くれであり、”もてなしの心”を学びにここにやってくる・・・もちろんリフレッシュもかねてだ
し、あるいはリフレッシュがメインなのだが・・・・・まぁ学びに・・・・・。
 親爺の大好きな宿はいくつかあり、その中で特に気に入っているのがこの八ツ三館と、ちょっと遠いが山形上山の橋本屋だ。
 残念ながら橋本屋は遠いので毎年というわけにもいかぬが、この八ツ三館は車で二時間の処だから年に一度はたいがい来られ
るし、もっと来る事もある・・・もちろん懐と相談しながらだが、普段の生活を切り詰めても来たい宿なのだ。
 とにかく今日はオカカと二人、ゆっくり八ツ三館でくつろぐつもり・・・。
 掃除の行き届いた部屋で風呂上がりの親爺はHP更新中・・・・・・・・・。窓からは円光寺が見え、本当に落ち着いた宿だ。


 12月 5日・・・芦峅寺から

 今日はアミューズトラベル東京の西山さんが来られたが、例によって車庫の親爺部屋へお上がり頂いた。
 親爺が得意の長広舌でお引き留めしてしまったが、まだ他の小屋へも回られるそうで、数軒の小屋主の家を案内した。
 ちょうどオカカがあまりの乱雑さに親爺部屋の入り口を片付けていたところだったが、一歩手遅れで、乱雑なままの親爺部屋で、
西山さんどうもすみません。
 もらった野菜やら、リフォーム用の建材やら剱御前小舎からの下げ荷やら、何故か炊飯ジャーまでおいてある車庫の親爺部屋
入り口。入り口引き戸右側のガラスは、5年前に爺様が車でバックして飛び込んで壊した時のまま・・・・・。
 

 親爺の今日のランチ・・・残り物のカレーに冷や飯をぶち込み、目玉焼きを載せた「剱御前小舎まかない風カリー」。
 チャパティはさすがに腹一杯で食えなかった・・・・・これでダイエットだなんて、アホか!?


12月 4日・・・芦峅寺から

 親爺は家内を「オカカ」と表現しているが、それは方言?という質問が良くある。
 確かに親爺が子供の頃、オカカ(お母さん)オトト(お父さん)という呼び方が村の年寄り達の言葉の中にあって、親爺自身も向
かいの家の爺様を「オトト」と呼んでいた。でもその呼び方はこれだけではなくて「オッカ」「トッタ」と言う呼び方も親爺達より一世代
上の人たちは使っていた。
 親爺達は普通に「かあちゃん」「とうちゃん」と言う呼び方をし、希にパパ、ママを使う家もあったようだが、これはからかいの対象
になるほどで、つまり本当に希だった・・・。
 で、オカカと言う呼び方だがこれは方言ではないと思う。母様=カカ様、と云う呼び方は一般的?だし、その「様」はあまりにも
他人行儀なので取って、でも「カカァ」と呼び捨てにする勇気はないので丁寧語の「お」をくっつけてオカカと呼んでいるのだ。
 普段でも親爺は家内をオカカと呼ぶことが多くあり、そんな時オカカは「なんだいオトト」と返してくる。
 で、今日も又オトト(親爺)とオカカはリフォーム避難民のキャンプ生活をしている。
 今朝は寒くて、親爺はストーブのそばを離れず、オカカは親爺のフリースを着込んで毛布を膝掛けにしている。
 車庫裏の親爺部屋はすっかり生活の臭いが染みついて、今朝はカレーの臭いがした・・・・・・ ウ~寒い!!


12月 3日・・・芦峅寺から

 雨が降っているが暖かい。12月の3日に雪の無いのはもちろんこんなに暖かいとは・・・親爺が若かった頃はもう毎朝
霜は必ず降りていたし雪もどこそこに必ずあった芦峅寺なのだが。
 ベーコンを3kgも作って熟成も終わったのだが、凄く塩辛い。塩抜きが手抜き?だったからだ。
 キャベツや白菜とことこと煮込んでベーコンスープにしたらとても美味いが、ベーコンエッグなどやろうものなら塩辛いを
超えて、塩苦い・・・こんなもの全部喰ったら腎臓がいかれるだろう。
 でも捨てるわけにも行かない。で、知り合いのみんなに配った。
 「ちょっと塩辛いからスープにして食べて」と。
 日本海ガスの高田さん岩本さん加藤さん、早月小屋の謙ちゃんヤンジー、そして心平、ごめんなさい。実はちょっと塩辛
いではなく非常に塩辛いが本当です・・・・・是非スープ等の煮込む料理に使って下さい・・・。
 配給?を終え残量僅かになった塩辛ベーコン。


車庫の親爺部屋備え付けの流し台に準備された、親爺オカカのリフォーム避難民用食材。
今日は塩辛ベーコン入りの豚挽肉コルマカレー。アンテンバにもらったサフラン入りカレーパウダーが良い香り。


親爺の作業場は燻製室にも調理室にも何にでもなるが、きたねーなぁ・・・
カレー作りに励む親爺。親爺の今日の仕事はこれだけ・・・?


12月 2日・・・芦峅寺から

 快晴の朝、ちょっと寝坊して遅い朝飯の終わらないうちに大工さん達が来た。
 仕事の邪魔になってはと、早々に家内と外出雑用をすませると、昼になっている。立山が素晴らしくきれいに見える。
 あまりの天気にちょっとドライブとしゃれ込み、久々に大岩日石寺を訪れる。この寺は大きな岩に掘られた不動明王と、
寒中の滝に打たれる寒修行で有名。立山の修験道にも深く関わるという。
 不動明王はオカカの守り本尊だそうだ・・・・・・。


 寒修行で有名な滝。


12月 1日・・・芦峅寺から

 師走の朝を迎えた。快晴、やや寒いものの日中は気温も上がりそうだ。
 リフォーム難民状態にはやや慣れたが、親戚の婆ちゃんが91歳で大往生で、夜伽やら葬儀でバタバタした。この婆ちゃんの末っ子が
同級生だったので、親爺もずいぶん世話になったが、この婆ちゃんは剱沢小屋の友邦兄の母で、剱の文蔵と呼ばれた文蔵親爺の妻、
タカノ婆ちゃんだ。91歳8ヶ月の大往生で親爺の親爺(爺ちゃん)の従姉だから、84歳の爺ちゃんなど最近まで「こら、ムネヒロ!!」と
叱られていた・・・・・。
 又一つの時代の立山が時の彼方に去った。
 親爺の家の近所にある不動明王の祠。芦峅寺にはこんな祠も多くある。
 


11月28日・・・芦峅寺から

 雨で寒い朝だが昨日から家具の移動作業でかなり体を動かしているので体調は良い(少し筋肉痛有り・・・)。
 将来の社会保障の薄さに驚いたせいでかえって「ふけこんでるばあいじゃね-ぞー!」と気合いを入れ直した(そうせざるを得ない)
のが良かったか・・・?
 それにつけてもどうだ、この雑多な床の間は。これがわが家の唯一の座敷(客間:応接間)だとは・・・
 この状態もまぁ、あと2週間程か・・・昔、叔父貴が「60過ぎて家をいじるのは大変だぞ~。」と言った事を、まだ60前なのに今しみじみ
と思い出す。


親爺なんぞこの荷物の隙間で熟睡するのだから、これはもう山小屋生活のたまもの?と言うべきか・・・。


 11月27日・・・芦峅寺から

 良い天気が続いている。昨日「ねんきん特別便」が親爺宛に届いたが、年金給付予想額を見て親爺はその少なさに愕然!!
 「なんじゃこりゃ!」と思わず叫んだ。人並みに31年間の厚生年金を納め、会社を辞めてからも国民年金も欠かさず納めている
親爺にしてみれば、8年後65歳になっても月10万円にも満たない年金額は絶句せざるを得ない。オカカと二人どうやって老後を
送ればよいのだろうか・・・・・・これは今から生活を切り詰めるしかない・・・社会保険庁よいい加減にしろ!と、蟷螂の斧を振り
上げても詮無いこと。団塊の世代のしっぽにいる親爺達には社会保障は極めて薄い・・・。
 と、明日もわからぬ身を思い悩んでも致し方ない。
 今日はベーコンの試食。塩辛い!!これは日持ちはするぞ~!


焼くとよけいに塩辛い。


 11月26日・・・芦峅寺から

 今日は良い天気で、気温が高い。暖かくて良い日なのだがベーコンを作っている親爺にはあまり暖かいのは困る。
 毎年今頃親爺はベーコンを作る。親爺のベーコンはやたら塩辛いが所謂ラックスベーコン(生ベーコン)で、少なくとも親爺はその
つもりで、結構評判がよい。特に心平あたりはお裾分けしてもあっという間に喰ってしまうらしい・・・・・・・。
 たまに作り方を聞かれるが親爺の作るベーコンに決まったレシピなど有ろうはずもない。
 豚バラ肉を塩漬けし、約1週間で塩抜きし、乾燥し、燻し、又乾燥(自然乾燥したり温熱乾燥したり、気分次第。)をして放って置く。
ただそれだけのベーコンだ。だから芦峅寺の今の季節の冷気が重要で、暖かすぎると放って置けず困るのだ。
 昨夜で燻しが終わり、今日は最後の温熱乾燥をしている。


こちらは自然乾燥中。


親爺の燻製器、乾燥器は全て手作り。スーパーでもらってきたダンボール製・・・。安上がりでよい。


11月25日・・・芦峅寺から

 この寝言のページを見ていてくださるお客さまから便りを頂いた。で、正直驚いてちょっと頑張って更新しようと考えたが、もう
今日の更新が遅れ夜だ。
 今日は所用で町へ出たが、途中で雉が道路を横切り轢きそうになった。富山の平野部は雉が多い。芦峅寺の山里にも少しは
雉もいるが山鳥の方が多い。
 親爺はまだ一度も出猟していない。だから雉も山鳥も捕れず写真を撮っている・・・。
 富山の平野部から見る剱岳。


11月24日・・・芦峅寺から

 高曇りながら視界は良く、暖かい今日。
 オカカ連れでちょっとのぞいてきた猟場から立山がよく見え思わず写真を撮った。
 雪も一段落したようだ。


 未だリフォーム中の家は落ち着いて居られず、猟に出ようにもその猟支度さえままならない、不自由なモノだ。
 完成まで後20日程もかかりそう・・・・・・。


11月23日・・・芦峅寺から

 小春日和で、普段からさしてしまりのない親爺はますますだらけきっているが、今日は勤労感謝の日。
 今までは長い間、勤労を感謝される側だったのに、ぶらぶらと日を過ごしている今、何やら感謝する側にいる自分に気付く。
 いや、それでもまだ現役で、剱御前小舎開設中はそれなりに親爺業に精出しているのだからやはりまだ感謝してもらっても
良いのかな・・・どうも微妙だ。勤労感謝の日が11月だからいけない。これが8月9月だったら親爺はへろへろになりながらも、
自分が感謝される側であることを実感できるのだが・・・・・等と暇だからこんなごたくを並べている・・・。

 剱を小春日和の富山平野から望む


 雄山や、薬師は真っ白だ


11月16日・・・芦峅寺から

 富士スバルラインを走ったりして、富士山の観光客になってきたが寒くて閉口。五合目あたりは凄い風。


 この後運転6時間。で、へろへろになって富山へ帰り着くや車窓越しに立山が真っ白に見えた。
 夕べ降ったのだろうか?神々しい白さに瞠目する。
 「ふるさとの山に向かいて言うこと無しふるさとの山は有難きかな」・・・と、しみじみ思った。


11月15日・・・甲州河口湖畔から

 狩猟解禁日の今日、親爺はどうしても外せぬ用事で山梨方面へ向かったのだが、もみじ祭やら何やらのせいで大渋滞
に巻き込まれてしまった。今日中に家へ戻り明日は出漁したかったのに・・・。
 疲れ果てて親爺は日帰りをあきらめ投宿。しかしなんとその宿の部屋からは富士山がまともに見えたのだ。
 やはり日本一の山。富士山には富士山ならではの風格があって、圧倒される。
 なんとたおやかで美しいのだろう、しみじみと富士山を眺めた夕刻であった・・・・・・・・


夕暮れの富士が浮かぶ。


11月14日・・・芦峅寺から

 一週間も更新をさぼって、何か忙しかったかというとそうでもない。単なるずぼらだ。
 家をリフォーム中で、大工さんが忙しい日中は家にいられないから、オカカと二人車庫に有る親爺の部屋に引っ込むことになる。
 親爺は漫画と模型が大好きな昭和の少年・・・。オカカ曰く「そこから全く進歩してない。」そうであるが、そうかも知れない。
 この写真は決して模型屋の棚ではなくて、親爺の部屋にわざわざ作り付けさせた「趣味の棚」なのである・・・・・。
 モデルガンやらプラモやら模型飛行機やら、親爺はここから一歩も進めないのだ。


 オカカもあきれているが、この部屋の漫画は親爺との共有。
 柿でも食いながら漫画を読んだり模型を眺めたりして、日を過ごす。(高岡のオカカの実家の庭の柿は甘柿で絶品なのだ。)
 


 11月 7日・・・芦峅寺から

 オカカが夕べから友達グループと恒例の秋の小旅行に出かけ、親爺はリフォーム中の家で寒々と一人お留守番。
 風通しが良すぎるブルーシート張りの家でカップ麺をすすっていると、剱御前小舎の小屋開けみたい。でも夕べはストーブも
いらないほど暖かだった。
 15日から猟期開幕。親爺はそわそわ落ち着かない。閑で、好天でオカカもいないとなれば絶好の猟場下見日和。早速あち
らこちらと猟場をうろついてきた・・・が土曜日だったことを忘れていて、観光客の車の多さに憮然!!こんな林道の奥まで、
素人さんが危ないよ・・・クマも出るし最近はイノシシも出るんだから・・・。
 とはいえ今日は親爺もカメラだけで鉄砲は持たないのだから同じことか・・・。
 某峠からの(猟師は自分の猟場を公表したりしない・・・写真見たらすぐ解る人には解るけど・・・)立山連峰。


 これは鍬崎山。奥の白い峰は薬師岳。いい天気だと景色ばかりに目を奪われて、獣なんかリス1匹見ただけ・・・。


11月 4日・・・芦峅寺から

 昨日とは打って変わって今日は朝から快晴だ。
 工事中の足場が組まれたままの家だから、2階の窓から簡単に外に出られる。流石に凛とした立山のような冷気が寝覚めの
顔に心地よい。不動山にはまだ雪が残り、大日も真っ白になった。不動山の雪は今日中に溶けるだろうが、山肌がせっかくき
れいに色付いていたのに、すっかり色あせてしまった。
 冬なんてまだ来なくて良いものを・・・・・。


 親爺が職人衆に邪魔にならぬよう、最近日中を過ごしているのはこの鉄骨立ての車庫の後の部屋。元々は爺様の隠居所
だったのだが爺様はもうとても隠居所に一人でおいておける状態ではない。
 今のところ親爺はまだそこまで惚けてないので、一応この部屋を受け継いでいる・・・・・・・
 後ろの稜線上にコニーデ型火山(富士山)のように見えるのが黄金埋蔵伝説のある鍬崎山。 


11月 3日・・・芦峅寺から

 紅葉酣の芦峅寺に雪が来た。僅か3cm程の積雪だが一面白くなって寒い。特に今リフォーム中の親爺の家は壁があちこち取り
壊されているから、寒さも外と大して変わらない。オカカと二人寒くて震えている・・・・・・・。
 大工、電気屋、壊し屋、クロス屋、配管屋・・・・・沢山の職人さん達が大活躍中で家はゆっくり休む場とてなく、日中は家の向かい
の車庫裏にある親爺の部屋に避難・・・食事と寝るだけに家に戻る生活で、ちょっと消耗気味・・・。
 そんなときの初雪だけに参った参った・・・・・・・・・。


 あたりは真っ白で、なんか剱御前小舎へ戻ったような気がする。


10月31日・・・芦峅寺から

 今日で10月も終わる。我が山里は今が紅葉たけなわ。
 不動の山がきれいに色づいて、背後には真っ白な立山の峰々が聳える。いつものこの時期の山里の風景だ。


又秋の終わり。寒い冬が直ぐ来る・・・。山里の秋は寂しげだが本当に色濃い。


10月30日・・・芦峅寺から

 今朝も良い天気。ふらりと外に出ると、隣の早月小屋の親爺「謙ちゃん」が庭先で日向ぼっこ・・・・・?
 「お~い、けんやぁ、おはよ~。」と声をかけてよく見ると何やら作業中・・・ズイキ(芋茎)の皮むきをしている。
 「お~う、山小屋用のおつけの実だちゃ。」と謙ちゃんはせっせと皮むきに精出す・・・日向ぼっこしながら。
 ああ、山里はいいなぁ。幼なじみが隣にいて、ズイキの皮むきという爺ィ仕事に精出している・・・何やら昔の山を仕舞ってきた
爺様とその仲間の姿が頭の中にフラッシュバック・・・半世紀ほども前と変わらぬ自分たちの生活がたまらなく嬉しい。
 皮をむいたズイキは切って干して、まことに結構なおつけの実となる。
 里芋とズイキのおつけにごま油を数滴垂らしたら、応えられない・・・・・・・。


親爺は今こんな状態の家の片隅で、オカカとふたり荷物に挟まれて暮らしている。


昔の「おい」と呼び慣わした居間も、リビングとやらに姿を変える。それにしても凄い補強・・・・・・・・・・・。


10月29日・・・芦峅寺から

 親爺の家はリフォーム真っ最中。大工さんの電動カンナや電動鋸の音が聴力の衰えた親爺の耳にすらけたたまし
く噛みつく。もちろん大工さんに悪気など無く、仕事に精出してくださっているだけ。(陽気な大工さんで休憩時間も
ラジオを鳴らしてたのしんでいる。)
 で、外が快晴なのを幸い、オカカと一緒に「寅さんのような遠出」に出た。行き先を決めずにとにかく気の向くまま
走る(もちろん車です。)という趣向。
 で、着いたのが五箇山相倉集落。世界遺産に指定されたあの集落。家からウロウロ約2時間500円の駐車場に入った。
 これが合掌造りの世界遺産・・・。昔の芦峅寺のような気がした。


もちろん合掌造りなんて芦峅寺にはなく、単なるクズヤ(わらぶき屋根の家をこう呼んだ。)だったのだが。
合掌造りは・・・・・・・・・・・と説明はしなくてももう周知のこと。何せ世界遺産だ。


こんな風に内部まで作られた合掌造り家屋の模型に嬉しくなった。


芦峅寺から五箇山まで2時間ほどなのだが、親爺は初めての訪問だった。


オカカも小学校の遠足以来(40数年ぶり?)だった・・・・・・。


10月25日・・・芦峅寺から

 紅葉を見に来る観光客で立山街道は車列がとぎない。
 中には危ない紅葉マークが多くて、こちらでも紅葉狩りが出来そう・・・・・「もう運転止めたら?」と言う
程度の危ない方も居られるね・・・・・。親爺も70歳まで生きていたら、たとえ元気でも運転は止めようと思
う。もう10年あまりだけど・・・・・。
 写真はドッカソノアタリの紅葉・・・。


こちらもアノヘンの紅葉。いたるところ紅葉ばかりの山里だ・・・。


10月23日・・・芦峅寺から

 小屋閉めが終わるとホッとして、元々あまりしまりのない生活が極限までだらけてしまう。
 まぁ、毎年のことだが、今の時期が一番ボーッとして快適に過ごせる。
 季候もいいし食い物もうまい・・・・・
 今朝は快晴で、オカカと散歩に出かけた。不動山がちょっと色づいた。こうなるとあっという間に紅葉が盛りを迎える。
 朝晩もかなり冷えるようになって、立山から雪に追われて下りてきた山里だが、まもなくここも雪か・・・。


ムラサキシキブという秋の草だそうだ。
オカカに教えてもらった。親爺は植物音痴。高山植物もかなりいい加減にしか覚えていない・・・。



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