親爺のずぼら日記
 
 小屋開けを一ヶ月後に控えて、親爺のずぼらな絵日記です・・・いや、写真日記とでも云いますか・・・。
 どうぞしばらくお付き合いの程お願いいたします。  平成22年3月16日 

 親爺のずぼら日記は親爺入山とともに閉鎖しようと思っていたのですが、剱御前小舎に入っても親爺は
やはりずぼらです。で、このまま続けます。ずぼらだなぁやっぱり・・・・・・・・
                                 平成22年4月26日


4月27日

 高度順化にかなり時間がかかるようだ。その時の体調にもよるがちょっと夕べは鼻風邪気味で、体調が悪かった。
 親爺にはこの小屋開け時期に前科がある・・・。一昨年だった。気管支炎と咽頭炎のダブルパンチで高熱を出して、
39度7分で意識障害が出、ついにこの時期剱御前小舎に常駐する山岳警備隊に、被救助者の立場で世話になってし
まったのだ・・・。
 人の噂も75日なんて嘘である。それから事あるごとに、山小屋の親爺仲間はもちろん、山関係者にもその時のこと
でからかわれたり、労られたり・・・まぁ、とにかく今も言われ続けているのだ。
 だから、この小屋開け時期というのは親爺には非常に慎重に対応しなければならない魔の?時期である訳だ。
 で、夕べは楽しい食卓をそっと離れ、風邪薬を服用し、パルスオキシメーターを枕頭に配し、酸素吸入器も部屋に持ち
込み万全を期して寝に着いたのだった。
 が、幸いにもよく眠れたお陰で、今朝は体調も戻り、朝食も食べ、元気になったのだ。
 心平や緑やスタッフのみんなに「防災ヘリですよ、今度何かあったら」と脅かされ労られ、体調管理にいそしむ親爺で
あった・・・・・。
 小雪の舞う早朝、親爺の部屋の窓から


 今は雪も止み、視界もかなり利くが、剱沢側はガスがかかっている。


 小屋内のワンショット。心平、Mさん、Nさん、森じいさん、背を向けているのはモリヤ(宿酔いのご本尊)



4月26日

 ヘリで入山した初日だったからか、夕べはやはりぐっすりと眠れなかった。寒くて目が覚める事を繰り返し、掛け布団を
増やしても一緒・・・でも明け方ぐっすり寝付いたと思ったら部屋の明かりが付いて(発電機が回って)ああ、眠いなと思い
つつも此処が剱御前小舎であることに気付きのそのそ起き出した。午前5時半。いわゆる山小屋時間で、これも高度と一
緒で少し経てば慣れてしまう。
 朝食後HP用の写真を撮りに外へ出た。ちょっと動くと息が上がる。半年ぶりの標高2760mは、30年以上この商売で飯を
食べている親爺にもやはりきつい。年のせいもあるが、年だからこそ用心用心・・・と決して慌てない。まるで亀だ。
 朝の剱御前小舎の前で寒さに震える親爺。 雪面はがりがりに凍てついている。


 今朝の剱岳


 別山の稜線もピカピカ光って凍てついている


4月25日

 親爺も無事入山。
 気温が低いので全面凍結しており危険な状態を確認したが、その矢先に事故の一報が入った。
 今年は雷鳥沢や小屋周辺もスリップ事故が極めて置きやすい状況だ。
 

 到着早々、親爺は剱を遙拝した。


 太った上に着ぶくれて、相撲取りのような親爺である・・・。
 本シーズンもどうぞ宜しくお願いします。


 今日から剱御前小舎の営業を再開する。
 スタッフも食料資材も全部入山して、剱御前小舎もいつでも宿泊可能な状態になって、後はお客さまの到着を待つだけだ。
 が、親爺は未だ山里にいる。
 快晴の立山を仰ぎながら、本日こそ入山するぞと、早朝からスタンバイしているが・・・
 昨日はガスで入山出来ず引き返しているので親爺もようやく、ちょっとだけ焦っている・・・。
 称名滝を超すと、深い谷が現れ、浄土川へとさかのぼる。右は弥陀ヶ原、左が大日平。


4月24日

 惜しくも親爺以下1名は本日の入山がならなかった。
 早月の謙ちゃん達がまず入り、剱沢偵察の後、親爺達が剱沢の友邦兄夫妻と乗り込み入山の予定だったが剱沢まで
ヘリコプターが入れない。
 とりあえず早月小屋の荷を送り天気回復を待って剱沢、剱御前の荷物を何とか送り終え、さて人間様の輸送と相成った
のだが、剱沢に友邦兄夫妻を何とか送ったものの、上部にガスがかかり剱御前小舎へ近づけない・・・。
 で、結局親爺ほか1名(親爺の若い友人モリヤ)は本日の入山を中止、明日以降に再挑戦となったのだ。
 雷鳥沢のかなり上部まで幾度もパイロットは接近を試みるも、ガスが深く危険で、パイロット判断での中止だったが、お
かげで写真は何枚も撮れた。
 東邦航空の小松所長と親爺。芦峅寺ヘリポートに敗退帰着後。
 

 称名滝とハンノキ滝(阿吽の滝)を超え・・・・・


浄土川沿いに弥陀ヶ原上空へさしかかり・・・・・


大日の稜線をかすめて雷鳥沢、室堂乗越付近に至るも上部が視界不良でこれ以上剱御前小舎に近づけなかった。


4月23日

 昨夜の剱御前小舎は風速30m程の暴風雨に見舞われたが、今朝は視界20mほどながら穏やかな朝。
 小屋開け作業もどうやら順調だ。
 天気が悪いと除雪は出来ないが、小屋内部の仕事が捗る。
 ヘリコプターの荷揚げも明日は大丈夫だろう。
 ようやく天井裏の氷が溶けきって、食堂で夕食後の一時を過ごせるようになった剱御前小舎。


ストーブを焚いて雪や氷を溶かし、水を作る。剱御前小舎にとって水は正に血の一滴・・・。


4月22日

 案の定天気が悪い。案の定ヘリコプターの荷揚げは中止。案の定親爺の入山は延期・・・。
 昨日の山里は今日同様雲の中だったが、剱御前小舎は快晴だったそうだ。
 スキーヤーも2,3人上って来て、剱の勇姿に歓声を上げていた。


 剱御前小舎は順調に小屋開け作業が進んでいて、ブルーアイスを撤去し玄関も開いた。
 もちろん剱御前小舎の裏側は未だ雪に覆われている。釜場も発電小屋も雪の下だ。


 大日岳の下雲海が広がる。



4月21日

 山里は春先に良くある、雨に煙る朝だ。
 今年は寒くなったり暖かくなったり天候が定まらないのが、桜は満開になって雨に打たれている。
 去年もシーズン初のヘリコプター物資輸送は2,3日遅れたが、今シーズンも明日は飛ばない様な気がする。
 親爺も入山が遅れるが、たいした戦力ではないのでそれは問題ないが、25日の営業再開日に食料を間に合わせなけれ
ばならないので、それが心配だ。
 

 剱御前小舎の小屋開けも順調に進んでいる。
 雨戸を開け小屋内部に光が入るや小屋は目覚める・・・。
 



4月20日

 山里もどんよりした天気で雨がぱらついているが、剱御前小舎は朝から大荒れの天気だそうだ。
 気温はさほど低くはないものの、風が20mは吹いているとのことで、小屋開けも外回りの仕事は出来ない。
 もっとも小屋開けの作業などと言うのは、小屋内部の仕事の方が多いくらいのものだから、天気が悪くても仕事は山ほど
あって、中々休息など出来はしない。
 で、親爺は今も未だ山里にいて、予定では明後日入山する事になっているのだが、天候を見ているとどうも余り良くなくて
1日2日は遅れるかも知れない。
 ここへ来てじたばたしても仕方あるまい・・・・・。
 玄関前が蒼氷状態。窓も開け閉めの度に凍りつく。


 これは昨日の剱。積雪量はやや多め。


 大日岳も山頂付近の尾根にいつも通り大きな雪庇が張り出している。


4月19日

 朝一番でメールに添付された写真が剱御前小舎から届いた。昨日の写真が小さなサイズだったからと、ちょっと大きくして
送ってきた。
 現在電話のアンテナが使えず、剱御前小舎の電話はまだ不通状態。写真データーを送るにも、氷点下の外に出て送信し
なければならない。だから大きなデーターを送るのは寒くて大変なのだ。
 雷鳥沢を登る小屋開け第1陣。裏支配人の緑と支配人の心平(最前列の二人)は今シーズンも元気。


 アルペンルートが17日に開通したため、スキーヤーや登山者がすでに入山していた。
 この時期の奥地は危険で、山小屋も開いていない・・・奥地の山小屋の営業開始時期には十分ご注意を・・・。
 大日の稜線を足下にみる。


 剱御前小舎の裏山から真砂、雄山を遠望する。黄砂の後で新雪が来たから立山は純白。


 第1陣が入山している頃、山里の親爺はまだ下界でこんなものを作っていた。
 川西水上戦闘機「強風」11型である・・・・・賢くない親爺だった・・・



4月18日

  第1陣が無事剱御前小舎に到着。 雷鳥沢上部は氷結しブルーアイス状態。気温が低い。
  

  久々に剱を見る。本シーズンの無事を祈った後小屋を開けた。 内部状況は良好でホッと一息。
   

 昨日までの悪天候が嘘のような快晴の朝だ。
 登る朝日が強く輝き、山の端が滲んだように光っている。窓から差し込む光が暖かい。
 いよいよ、剱御前小舎も本シーズンの幕開けだ。


4月17日
 天気が不順で予定が上手く運ばない。
 まぁ、異常気象でとか、天気に恵まれずとかと言う言葉はほぼ毎年、5割の確率で使っているから珍しくはないが、今年は
3年ぶりで、小屋開け第1陣の入山が延期となった。
 室堂にすでに入山している山岳警備隊から情報が取れるし、室堂周辺の小屋は8日からもう入って小屋開けにかかってい
るので、助かる。
 明日は幸い晴天マーク。明日入山できれば小屋開け作業も十分大丈夫だ。
 立山方面はガスって何も見えず、鍬崎山も全く見えないし、山里はやたらに寒い。
 閻魔堂の桜は7分咲き。せっかく咲いた桜も凍えている。


で、親爺はストーブに火を入れ、部屋を暖かくして又プラモ三昧・・・?
昨日完成した零式艦上戦闘機21型。昭和18年ラバウルで海軍のトップエース岩本徹三飛曹長が乗った機体。
撃墜マーク数が凄い・・・。
しかしやっぱり零戦は素晴らしい・・・。
昭和37,8年の戦記漫画ブームの中で少年期を過ごした親爺達の世代の「あこがれ」の原点がこの零戦(レイセンである。
ゼロ戦などと読んではいけない)だ。こんな美しい機体は他に例がないのだ・・・(親爺独断)


 零戦21型は零戦の中でも最も初期の型だ。カウリング上部の7.7mm機銃口の切り込みも大きな特徴。


 ハセガワの1/48モデルだがかなり精密な作り込みが出来て老眼の親爺を手こずらせた。
 コクピットをこれだけ仕上げるのに1日程かかった。携帯電話の上に載せ接写・・・本当に細かいのだ!


4月15日

 昨日に引き続き今朝も雪だった。しかも、薄く積もっている。
 夕べが寒かったからか、親爺は熟睡した。
 昨夜は遅くまで模型をいじったり、夜具に入ってからも本を読んだりしていたので寝たのは零時過ぎだったろうが、
全く目覚めることなく7時過ぎまで眠りこけたのだ。
 早起きが苦にならなくなって何年経つか覚えていないが、その頃から今朝のような熟睡もたまにしかできなくなった
ようだ。
 4月も今日が中日、明後日には剱御前小舎にも第一陣の若い衆が入山する。
 山里は桃の花が咲いて、桜も負けじと3分咲きほどにほころんだのに、今朝は雪が薄く積もった。
 いくら我が立山の山里とはいえこれは珍しい。
 もし杉木立や家の屋根の雪がなければ、桜が満開になったように見えるだろう・・・


 これが4月15日の芦峅寺だ・・・・・・・・・・・・・・・寒い!



4月14日

 寒い朝で、小用に起きて外を見ると雪がちらついていた。
 東邦航空の小松所長から朝一番で天候の問い合わせがあったが、相談の上今日のヘリコプター偵察は中止とした。
 明日は晴れそうなので、ヘリ偵察は明日となるだろう。
 閻魔堂の桜が寒そうだ。
 雪がちらつく中桜が咲いているなんて、何とも奇妙な景観だ。山里ならではのこと・・・。


 こんな天気の時は寒いから家に居よう。
 昨日組み上がった二式大艇の仕上げでもしようか。



4月13日

 ストーブが要らない、暖かい朝だ。
 昨日東邦航空から確認の電話があって、天候さえ良ければ明日9時からヘリコプターで立山の偵察に入る。
 メンバーは剱沢小屋の友邦親爺、早月小屋の謙一親爺とこの親爺の三人。空からだが久々に山の空気を吸ってこよう。
 今朝の大日岳は穏やかに見える。暖かい空気に包まれ山肌もゆるんだかのようだ。


 手前の桃の花、奥は桜。我が山里も本格的に春だ・・・そして親爺達は間もなく又雪の立山に戻る。



4月12日

 昨日今日と雨のぱらつく天気で、今朝はちょっと肌寒いが山には花霞がかかっている。
 しかも閻魔堂の石段の桜が咲き始めたから驚きだ。いつもより1週間は早いだろう。


 不動山や来拝山も花霞が流れる。山里の春だ。


 で、親爺はと言えば未だこんな事をやっている。
 今度は迷彩塗装に失敗してしまったが、一応陸軍一式戦闘機「隼」2型だ。
 昔、少年サンデーで九里一平作の「大空のちかい」という漫画があって加藤隼戦闘隊の活躍に心躍らせた親爺である
が、その本の復刻版が出て、もちろんそれも買い込んで懐かしく読み返した。
 思い起こせば親爺がちょうど小学四,五年生の頃からいわゆる戦記漫画というのが大ブームを巻き起こした。昭和三七,
八年の頃だったろう。親爺はそのブームの中で「零戦太郎」や、「紫電改のタカ」に夢中になって育ったのだ。
 その最初が「大空のちかい」の隼だったから、この機体には思い入れがある。
 


4月10日

 昨日、常願寺公園(常願寺川下流の立山町内の土手に沿ってある公園で、馬場もあり馬事公園とも呼ばれる)の桜
を見てきた。
 ほとんど土手を素通りだったが、立山連峰がよく見えた。
 所用をすませた後、ダイエット中の身で有ることも忘れ久しぶりに外食。
 オカカの好きな珈琲哲学で、パスタとピザのランチを食べたのだが、これが酷く美味かった・・・が、胸焼け、胃散を飲
む羽目になる。しばらく食事制限をしていて胃が小さくなってしまっているのだろう。
 桜越しの剱岳遠望。桜は未だ七分咲き。


 今朝の大日岳。立山も穏やかな天気のようだ。



4月 9日
 
 暖かい朝だ。気温が高めだから山も少し靄って見える。
 昨日の花祭りの様子を、当番で閻魔堂に行っていたオカカが撮影してきた。
 芦峅寺の村は9つの組に分けられ、1組がおおよそ10数軒で、その組単位で色々な村の行事を担当し執り行うのが
昔からのしきたりである。
 村中総出の神社や閻魔堂の雪下ろしも、毎月必ずいくつかある神事や仏事も、全てこの組が単位となる。
 もちろん神事や仏事の大半・・・いや、ほぼ全ては女衆の仕切りであり、男どもは関知しない。
 で、昨日の花祭りも我が7組が当番で下の写真の美女連により執り行われた。


 花祭りは天台宗の作法で、僧侶(一の越山荘の主人、こうちゃん)の読経から始まる。


 厨子から水盤に移された釈尊像に甘茶をかける、我が7組の長老おばば。


 閻魔堂には当番以外の信心深い村の女達が集まる。長老連にお茶を振る舞う。


 で、親爺はオカカ留守の間中、こんな事ばかりしていたのである・・・・・・


4月 8日

 今日は閻魔堂で甘茶のふるまいがある。4月8日は釈尊の誕生日で、いわゆる花祭りの日。
 厨子から釈尊の立像を水盤の上にだし、花を飾り甘茶をかけてお参りをするらしいが、なにぶんこれは女衆の仕切る
仏事のこと、男どもはよく知らない・・・。
 オカカがその仏事の当番で、閻魔堂へ出かけた。カメラを持って写真を撮ってくるとのこと・・・うまくいけば後刻掲載
出来るかも知れない。
 大日がよく見える。山も気温が上がっているのだろう谷筋や、山肌から雲が湧いている。


 親爺のプラモ狂いはとどまるところを知らない・・・。世界初の4WD 95式乗用車 黒金四起(クロガネ・ヨンキ)



 

4月 7日

 従兄が第二の人生で庭師になったのはもう数年前のことだが、今年めでたく還暦を迎えた。
 すごいヘビースモーカーだが、元気で、昨日から改装なったわが家の庭の改修をやってくれている。
 狭い庭なのにど真ん中に大きな石段が有って道に下りるようになっているので、庭のスペースが益々狭くなっていて、
酷く中途半端な庭だったので、石段を片側に寄せ、庭の面積を広げる様にするのだ。
 庭が面白い時期には親爺はほとんど山にいるから、庭師の従兄いわく「おまえの意見はどうでもいい、ヒサチャンの言う
とおりにするから。」・・・だとサ!
 この従兄ももちろん恐妻家である・・・・・。
 剱沢の上空写真。左上に剱御前小舎、中段左よりの剱沢小屋、中段やや右寄りに剣山荘が見える。


 昨日完成した陸軍二式単座戦闘機「鍾馗」二型 昭和20年6月、柏飛行場、吉田好雄大尉搭乗機


4月 5日

 剱御前小舎の様子がわかって、やはりホッと一安心した。
 昨日の偵察で、ヘリコプターには一の越山荘のコウちゃんと、五色ヶ原山荘の昌彦とが乗り込んで撮影してきたらしい。
 わざわざ写真まで届けてくれて有難いことだ。
 雪は去年よりは多いが、例年並みだ。小屋開けもスムースに行きそうだ。
 玄関は少し掘れば入れるだろう。


 裏側は完全に屋根まで埋まって、発電小屋も釜場ももちろん埋まっている。


 親爺は今日は「鍾馗」を作り遊んでいる。かなり細かい作り込みをして、へろへろだ。


 これが親爺の眼の限界・・・。疲れ果てて頭が痛くなってきた・・・・・馬鹿だねぇ〜


4月 4日 12:30再更新

 村はずれからの立山連峰です。見事です。




 親爺の部屋は寝室の隣の8畳ほどの畳敷きの部屋なのだが、元は船底天井で立派な床の間付きの6畳の座敷
だった。
 その座敷に2畳半ばかりの縁側が付いていたのを、昨今の住宅事情にあわせて床の間をつぶし収納スペ
ースとし、縁側の障子戸を取り払い鴨居敷居下がり壁も撤去して一間としたものだ。
 だから趣のあった和室は、でたらめな親爺にあわせて何やらでたらめな親爺部屋となっているのだが、明るい事
はここ一番の部屋で、朝日がまともに差し込むのだ。
 で、老眼のオカカにも汚れやほこりが特によく見える部屋となるわけで、親爺がここでプラモデルを作ったり、鉄砲
を掃除したりしたあとは、オカカが「なんて汚い部屋!」と必ずこぼすのだ。
 しかしここは親爺部屋と言うことになっているから、ここでの自治権だけはさほど侵害されず、今日も親爺は陸軍
2式単座戦闘機「鍾馗」の作成作業に入っている・・・・・。
 大日は新雪に覆われて光り輝いている。


 夕べ2時間がかりで搭乗員を仕上げたが・・・

4月 3日

 桃の花が咲いているのに気付いた。4月の3日で、平野部ではもう桜の花が7分咲きとか8分咲きなどと言って
いる時期なのだから当たり前か。
 でも我が山里では桜はGWのあたり、今の時期は桃なのだ。
 春はそこまで来ているが、親爺達の山小屋稼業はこの遅い山里の春を楽しむやいなや、また雪と氷の立山へ
時間をさかのぼるように入るのだ。
 隣の桃の木に花が咲くと小屋開けの時期になる。


 今朝は少し日も射したが、雨になり、さっきまで霙だった。
 寒い。寒いから親爺は又午前中に用事を済ませ、午後は炬燵に潜り込んでプラモを作っている。
 昨日完成の96式艦戦。


 この前からの作品??そろい踏み。左から1/48の雷電、彩雲、96式艦戦。後部は1/72の飛燕。


4月 2日

 昨日よりかなり気温は低めで、朝は雨が降っていた。
 親爺もかなり冬眠からさめ、ぼちぼちとではあるが仕事モードに入ってきた。
 昨日飛燕の完成写真を掲載したら、翼端灯の色が逆とのご指摘を受けた。実は親爺もあれっ?と思ってい多のだが
例によってずぼらで、良く確認もしなかったのだ・・・飛行機の翼端灯は右青、左赤なのだそうだ。早速塗り替えよう・・・。
 昨日飛燕が完成し、今日は何と96式艦戦1/48をやっている・・・。
 我ながら飽きずによくやるものだ。
 実は飽きるどころか、面白くてたまらない。
 大日の裾だけが開いて、少しだけ明るくなってきた。これから天候は好転するのだろう。


 今日又こんなパッケージの零戦21型を見つけた。1/48ハセガワのモデルで、エース岩本徹造少尉の搭乗機だ。
 もちろん買ってきた。




4月 1日

 新年度が始まった。
 まぁ、年度で動く世の中からは卒業している親爺には余り関係ないようだが、それでも剱御前小舎の新シーズンの
始まりの月である。小屋開けだ。
 芦峅寺の山里は未だ雪だらけだが、さすがに平野部の方は春めいて田んぼの水も温かそうだ。
 富山や石川、福井、新潟はいわゆる北陸、北越と呼ばれる地だが、平野がまことに広々と広がる地である。
 だから米所で、日本海からの海産物にも極めて恵まれ、豊かな地でもある。
 それでも何故か陰鬱でくらいイメージがあるのは、とりもなおさず冬の鉛色の空と降り積もる雪のせいであろうか。
 しかしその雪が山に積もり野に積もり、やがて来る春に雪解け水となり、豊かな恵み全ての母となっていることを忘
れてはいけない。
 等と真面目そうにほざく親爺だが、そんなに物事を深く考えるほど利口じゃない。さて今日は何をしようかと、又々
プラモの買い置きをゴソゴソと選んでいるのである。「あまり利口の沙汰でなし」を地でゆく親爺だ。
 広々と連なる田んぼの彼方にかつて太刀山と呼ばれた立山連峰が聳える。


 余り利口の沙汰で無しとは、「柳多留」に収録された「雪見とは余り利口の沙汰で無し」からのパクリなのだが、プラモ作り
にはげむ親爺にぴったり・・・。完成した飛燕U型-改 その1


 飛燕U型-改 その2



3月31日

 3月も今日まで、と言うより明日からは新年度だ。
 時の経つのは早い早い・・・・・先ず自分の歳が「信じられない・・・。」のである。
 2年前にたばこを止めた。かなり深刻な体調不良で止めざるを得なかったと言うべきか、その分未練無く
止められたような気もする。
 親爺はヘビースモーカーだった。不良高校生の16,7歳から父のたばこを失敬しては喫煙に親しみ、
大学生になった年から大っぴらに吸い始め37年あまり、大方はハイライトを吸っていた。
 多いときには日に3箱。少なくとも2箱は吸っていただろうか、咳と痰が酷く、息切れが顕著になってきた
五十路を5年過ぎたところでドクターストップ。このドクターは女性で、娘の年代だったものだから、諭される
と娘に意見されているようで応えたのである。
 それ以来スッパリ、たばこを止めた。
 まあ、年に1度か2度は、こっそりとたばこをくゆらせても見るが、大概はむせて吸えない。で、最近は咳も
痰も収まったし、体調も悪くないが、太った。
 喫煙時から見ると12kg程も太って、体の動きが悪くなり、だから運動不足になり、しかも間食の悪癖が止
められない・・・・・・・・・・。
 で、親爺の服が全部合わなくなったのに怒ったオカカに、今ダイエットをさせられている親爺である。
 どこかで物欲しそうな親爺を見かけても、皆さん餌を与えないでくださいヨ!・・・・・
 村の常願寺川側を「ハワ」と呼ぶが、そこは一面の畑で、今は未だ雪の下だ。


 親爺はこんな事ばかりしている。これは1/72飛燕U型-改のコクピットの組み立て。この細かさは老眼に応える・・・。

 
3月30日

 真冬のように凍てついた快晴の朝だが、純白の大日が姿を見せて思わず手を合わせる程神々しい。
 明後日から4月とは思えぬ山里の朝だが、4月の8日に30cmの雪が降ったこともあったのだから、驚くに当たらない。
 これだけ天気がよいと、流石のずぼら親爺も部屋に籠もってプラモオタクと云う訳にもゆかぬ。
 外へ出てあちこちうろつきたくて・・・。
 でもプラモオタクの親爺も悪くない、昨日ついに彩雲が仕上がった。プラモ作りの腕もだんだん上がるようで、今回は
ちょっと気に入った仕上がりだ。
 昨日とは打って変わった山里の朝。大日の白さが神々しい


 ちょっと手が上がったと、親爺が自画自賛する仕上げの終わった艦上偵察機「彩雲」のプラモデル


 彩雲その2


 彩雲その3


3月29日

 今朝も雪が降って寒い朝なのだが、親爺にはこの気候が合う。夕べは23:30頃に寝付いて、今朝は7:00まで
一眠りだ。小用にも起きなかった。
 良く寝た朝は快調で、雪の降りしきる戸外を見ながらも何か気力が湧いて出てくるようで(体力は伴わない・・・)
今日はプラモを仕上げるかと、張り切っている・・・・・「好きなことばかりやってれば元気もでるはずだ」(陰の声)

 小屋開けが近づいていろんな準備もあるが、毎年のことなのでもう手配は終わった。
 第1陣は4月17日に剱御前小舎へ入り、親爺は若い衆の迷惑にならぬよう一足遅れで20日過ぎの剱御前小舎
入山となる。
 未だしばし山里での生活が続くから、親爺はせいぜい好き放題のずぼらな日々を楽しむつもりだ。
 寒い山里の朝。



朝から脳天気な親爺。こんな写真も楽しい・・・・・。

3月28日

 親爺のずぼら日記が、親爺のプラモ日記になってしまった。
 今日も天候不順を口実に、朝からプラモ作り。
 親爺には周期的に何かにのめり込む時期があって、今がちょうどプラモの周期のようだ。
 1ヶ月ほど前から、零戦、隼、雷電と戦闘機を3機作り、その間には艦船「矢矧」も作り、今は「彩雲」を手がけて
いる。
 老眼にもめげず、細かい作業を続けているのだが、これが楽しいのだからおかしなものだ。
 彩雲のコクピットは3座有って細かいのだ。うっかり汚したヶ所はもうどうにも出来ぬ・・・・・


ぼちぼちと組み上がって来ると、妙に嬉しいものだ。

3月27日

 青空が広がって日射しが眩しい朝だが、寒い・・・寒いはずで、外は新雪で真っ白。
 春めいてきた山里が一晩で新雪に包まれて真っ白に衣替え、まるで初雪の頃のようだ。
 まぁ、3月末のこの時期に雪が来ることはさほど珍しくもないが、山里の住人としてはやはりため息が出る。
 小屋開けも近い。
 又どうせ又氷点下の山にはいるのだからと、覚悟のほぞを固めては見ても・・・・・・・
 見てよ、これが3月27日の朝なんだから・・・!
 


 親爺の雷電が何とか出来た。
 本人は一生懸命作っているのだが、老眼の影響は大きい・・・それとやはり根気が無くて仕上げも手抜きの連続だ。
 

3月26日

 さっきようやく山里のわが家にたどり着いた。
 夕べは、戸倉上山田温泉で、大好きな「旅亭たかの」に投宿、素晴らしいお湯につかって花のお江戸の疲れを落としてきた。
 この宿はお湯が素晴らしいのはもちろんだが、料理が美味しい。
 別に奇をてらうわけでもなく特別珍しいものを出すわけでもないが、一品一品がすべて丁寧にまっとうに作られていて、料理場
の職人さんの気遣いが良くわかる様な料理ばかりだ。美味しい。本当に美味しい。
 初めて此処でお世話になった時、何の変哲もない茶碗蒸しのうまさに驚いたものだ。
 季節季節の献立の妙はもちろんで、一品一品を褒めだしたらきりがない。全て美味しいのだ。


 今朝の朝食も、年老いて食の細くなった自分が恨めしいほど・・・。これにお粥と、ご飯、味噌汁、朴歯味噌までつく。
 食い過ぎで、ヒーヒー言いながらも又喰ってしまう・・・・・。


食べ物ばかり載せてしまったが、ついでにもう一つ。
上田市の池波正太郎真田太平記館の駐車場を挟んで隣にある蕎麦屋、太平庵の鴨せいろが馬鹿美味!!
今まで親爺が食べた鴨せいろの中ではピカイチだった。

3月23日 深夜

 東京は眠らぬ町と言われるが、本当にその通り、親爺にとって午後11時など深夜だが、表にはまだまだ人通り
が絶えない。
 若い時ならいざ知らず、もうこの年になると大都会には住めないと思う。
 年に何度か訪れるだけで十分だ。
 学生時代は本郷通りに面した、本駒込にいたので神田界隈や上野界隈に馴染みが深く、品川の方にはあまり
馴染みがない。
 で、今回の中目黒界隈は地理感がないので、車のナビだけが頼り。
 半ばやけくそで車を乗り回しているが、本当に東京都内での運転は疲れる。
 でも、今回はタクシーではどうにもならぬ引っ越しの荷物があって、もちろん90パーセントは業者に任せたが、
小物だけでも相当なもので、その運搬が親爺の任務。
 オカカに尻をたたかれながらまぁなんとか頑張った・・・。
 ホテルの窓外には眠らぬ町が光っている。

3月22日

 素晴らしい快晴だ。思ったより雪が降って、屋根も木立も山も真っ白。新雪が眩しい。
 昨日の黄砂なんて、この新雪に覆い隠され片鱗も見えない。
 この後強い日射しで雪は直ぐに溶けるだろうから、その雪解け水が山里の黄砂を全て洗い清めるだろう。
 大日が純白に輝き、神々しくそびえる。


親爺の雷電はデカールを張って雰囲気が出てきたが、翼の識別マークの黄色塗料を買い忘れ、マスキングでストップ。

3月21日

 夕べから暑いほど気温が上がっていたのに、朝から急に冷え込んで、ついには雪が降ったり止んだり。
 風も猛烈で、酷い黄砂だった。
 立山は雪だろうから、汚い黄砂を新雪の下に閉じこめて、純白をキープしていることだろう。
 小屋開けの時の純白のバージンスノーは又格別だから、せめてそれまでは黄砂に来て欲しくない・・・
 一昨日から作り始めていた「雷電」が殆ど完成した・・・と言っても久々の本格的なプラモで大きく勘が狂
っていて、塗装のミスが致命的・・・飛行機のプラモの命?とも言うべきキャノピーの枠の色が本体と違って
しまったのだ。でも非常に細かいキャノピーのマスキングなどもう繰り返す気力がなくて、そのまま組み立
てたら、やっぱりおかしくなってしまった・・・・・。
 まぁ良い。この後「彩雲」に挑戦する為の小手調べなのだから・・・・・・懲りない親爺だ。
 こんな雪空で、でも殆ど積もらない。


 キャノピーの枠色、何で間違えたのだろう・・・ぼけたな・・・。雷電21型(未だ仕上げ前)

 
3月19日

 今朝は天気が良く、親爺の風邪も殆ど完治。
 オカカと一緒に富山市内へ買い物に出たが、親爺の目的はプラモの塗料。
 体調が良くなるにつれ、プラモ作りも面白くなってきたが、親爺は料理も嫌いじゃない。
 スーパーで見つけた生きの良いカタクチイワシを大きなパックで買い(安かったから)梅煮を作った。美味い美味い。
鰯の鮮度が命だな、これは・・・。
 下の娘二人が帰省中で、長女も今日は帰ってくるから親爺はちょっと舞い上がっていて、オカカがハンバーグを作る
と言うので、鰯の梅煮では対抗できないから、クラムチャウダーを作ることにした。
 良いアサリを手に入れたからだが、娘達はこれが大好きだからでもある。
 親爺秘蔵の自家製ベーコンが隠し味に・・・今夜は腕をふるうつもりだ。未だに親ばかだと自分でも思う・・・・・。
 娘達には余り人気のない鰯の梅煮。でもこれは本当に美味いのだ。


今日の天気は春本番。富山の平野部からも剱や大日がよく見えた。


今日の立山連峰はこんな感じ。

3月18日

 風邪が殆ど抜けて、気分爽快になってきた。夜中の咳は眠れないから参ってしまう。
 この前からプラモ作りが楽しくて、毎日3時間ほども入れ込んでいる。
 流石に老眼(親爺は筋金入りの近眼なのだが、近眼でも老眼になって手元を見るときは眼鏡を外さないとよく見えない・・・)
が災いして、昔のように10時間も作り続けるなどとても出来ないし、大きなスケールの大作などとても根気が続かない。
 それでも良くしたもので、最近は塗装済みのデフォルメされながらもそれなりに良い出来映えとなるプラモデルが多くあり、
それはプラモも50年の齢(発売から起算して)を超えるようになったからだろう。
 前回何となく零戦の写真をアップしたら、結構反響があった。
 このHPを見てくださる方々にも親爺と同じ趣味の方(同じ団塊の世代の)が多くいるのだと、嬉しくなってくる。
 で、今回は、Nさんから頂いた巡洋艦矢矧を組み立てた。
 自分で云うのも何だが、結構良い出来映えで、本棚に飾ってしまった。
 まぁ、説明書通りに組めば、最近のプラモは大抵このくらいには仕上がるようだ。


本棚の「矢矧」

3月16日

 昨日、お客さまに頂いた本を何気なく読んでみると、坂井三郎氏の亡くなる4ヶ月前のインタビュー記事が出ていた。
 坂井三郎氏は知る人ぞ知る、先の大戦の戦闘機パイロットで、名機「零戦」搭乗員として開戦から終戦までを戦い抜いて、
撃墜王(エース)と呼ばれた方である。
 戦後にその戦闘記録をまとめ出版、後年「大空のサムライ」として知られるようになったその本は、世界中に読まれ200万部
以上も出版され、今も読み継がれている。
 もちろん親爺も全シリーズに渡り幾度も読み返したものである。
 氏は84歳までお元気で、なくなられる直前まで講演やら執筆やらと多忙な生活を送られた。
 で、親爺は又そのインタビュー記事に感動して、長い間放り出してあったプラモデルを組み立て、往時に想いをはせたのだ。
 「零式艦上戦闘機21型」ラバウル時代に坂井三郎氏が搭乗した機体である。(1/100スケールだがプロペラがマイクロモーターで回る)

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