2016親爺のずぼら絵日記(冬)   平成28年の元旦にあたり、ページを新設致しました。 
                                                                 H28/01/01  親爺 拝
                                          記録的小雪の今冬も終わりました。明日からは新年度です。
                                          で、本日をもってこの項を閉じます。
                                                                 H28/03/31   親爺 拝     



3/31
 もう三月も終わる。
 山里はとっくに春の様相を呈しているし、明日からは新年度だ。
 この冬は本当に雪が少なく、楽な冬だった。融雪装置の燃料費も殆どかからなかった・・・。こんな冬ばかりなら山里の
暮らしも楽なものだ。せめて冬は暖かいところへ避難したいなどとは思わない。
 今朝も暖かく晴れている。


 庭の片隅のミニ水仙も、かなりきれいに花を開いた。とにかく暖かい3月末日だ・・・・・。
 


3/29
 今日は朝から暖かく、青空が広がっているのでストーブは炊いてはいるが床暖は止めた。
 もう弥生三月も終わる。卯月四月は小屋開け月。あと二十日ほどで剱御前小舎も第一陣入山となる。
 毎年毎年こんなことを言いながら、山小屋親爺商売も39年目となる・・・・・。
 と、キーボードをたたいているところへ、名古屋のヒーチャン・トシ君から、今度は甘夏が届いた。カキやクリならいざ知
らず、北陸の山里では柑橘系の果物などは異世界のもので、購入するものなのだが、名古屋と云う所はそれが収穫出来
る暖かいところなのだと再認識した。
 前回のハッサクと云い、今回の甘夏と云い、ありがたい。
 筆をおき(キーボードを閉じ)早速いただくこととしよう。
 アイがかかるも大日がよく見えている。


 美味そうな甘夏。またママレードやジャムも作ろう。


3/28
 昨日で相撲も終わった。
 親爺もオカカも豪栄道や稀勢ノ里の活躍に大いに興奮し、期待もしたが結果は白鳳の優勝・・・。
 昨日千秋楽結びの一番まで優勝の行方が分からぬという展開は、まことに筋書きのないドラマ。さてその最後の激闘
はとテレビの画面に見入ったのだが・・・結果は白鳳の変化について行けなかった日馬富士の余りにもあっけない敗北。
 「汚いぞ白鳳!!!」と親爺もテレビの前で怒りまくる・・・。オカカも「あれはないわ。」と親爺同様プンプン・・・。
 白鳳の表彰式が始まるころ、観客席の3分の1は空席となっていた。白鳳の変わり身相撲に対する、観客のブーイング
を思うと当たり前の結果か・・・。
 テレビ解説者の北の富士も、舞の海も苦言を呈しているし、優勝インタビューの間もヤジが飛んで、すごい騒ぎ・・・。
 が、インタビューの途中で白鳳が泣き出し、謝罪したことで、それを見ていた親爺もオカカも急に白鳳がかわいそうにな
る・・・。テレビでも北の富士など、「俺もちょっと言い過ぎたかな。」などと慌てている・・・・・・。舞の海は毅然と「涙の謝罪は
理解するも、あの相撲については、それは別。」という・・・・・。
 いやいや毎日楽しませてもらった相撲も、何やら少し後味の悪い幕切れだった。
 で、開けて今日。「やはり白鳳は一流の横綱」というのが親爺の率直な結論。相撲内容についてまで云々すべきではない
だろう。何も反則技で勝ったわけではないし、だれにも平等に使える技を使って勝ったに過ぎない。悔しければ変わり身の
技を使って、白鳳を負かせばいい。それだけの話だ。
 だめ押しについても確かに見ていて気持ちの良いものでもないし、けが人も出てしまったが、そもそも格闘技である相撲、
勢い余るということも在るし、むしろ在ってしかるべきで、闘争心の欠けた相撲など全くつまらぬのだから。
 心・技・体の三拍子そろってこそ大横綱とは言え、白鳳もまだ若者である。あまり高い精神性ばかりを求めるのは酷だ。
 強い横綱ほど、現役中は憎まれ、嫌われる。汚いヤジや誹謗中傷を沈黙で耐える強さも白鳳に見る気がした。
 それにつけても、テレビ芸人よろしくへらへらせず、もっと命がけで頑張れよ日本人力士諸君!!どんどん白鳳の胸を
借りろよお前ら!!!!!
 春の野に農耕機の音が響くようになった。


3/27
 何時もの年よりずいぶん春が早くやって来たようだ。暦の上ではとっくに春だが、山里の春は4月に入ってからようやく
やって来ると云うのが当たり前。
 新聞記事を見ると富山市内の降雪は例年の35%だとのこと、わが山里では20%程も無いように思われる。
 我が家の庭の片隅のミニ水仙が黄色い花を開き、近所の家の庭にもクロッカスが咲き始めた。
 とにかく、3月末なのに、どこにも雪が全くない山里だ。


 


3/25
 山里はまたうっすらと雪に覆われた。
 さほど寒くもないが、雪のちらついている戸外を見ていると目から寒さが飛び込んでくる・・・。
 オカカが今朝から、山小屋用の携帯電話の契約変更をしている。剱御前小舎の電話は4月〜10月の開設期間しか使わ
ないので、11月〜3月末までは一番小さな契約にしているからだ。でも何やら契約形態が頻繁に変わるので、戸惑うことが
多い様だ。いわゆるデーター通信と音声通信のどちらに重きを置くのか、という程度の選択肢くらいならいいが、カケホー
ダイやらパケホーダーイ、ナントカ割りやらカントカ割り、そんなものがごちゃごちゃと組み合わされ何通りにも変化し・・・・・
 まぁ、日進月歩のテクノロジーについて行けぬと同様、こんなややこしい契約にもついて行けぬ親爺である。
 あっと言う間に溶けるだろうが、寒々とした景色がっ戻った・・・。

 


3/24
 高曇りの穏やかな日だと思っていたら、突然白いものがちらつきだした・・・。名残り雪だろうか。
 今朝は肌寒かったが、10:00現在寒さは感じない。尤もストーブと床暖の入った居間でのこと・・・・・。居間の温度14℃。
 買物の帰路、岩峅寺地区で見た満開の桃の木に、わが山里の気象の厳しさを改めて思う。標高差の200mは植物にと
っても大きい様だ。
 わが山里では、どこの桃の木もこんな豊かな花盛りとは行かぬ・・・・・。
  


3/23
 今朝は朝の室温で6℃。
 居間のストーブと床暖もやや遅れてオン。でもその床暖の遅れで、室温はやや低く15℃を下回っている。
 今日は気温があまり上がらず、さいこうきおんも10℃以下なのだという。
 庭の水仙は花を開きかけて、寒さでまた身をすくめるように開くのをためらっている様だ。
 でもこのくらいの気温が、親爺には一番心地よい・・・。


3/22
 二、三日続いた曇天や雨天が終わり、今朝は快晴だ。
 早朝はやや冷え込み、日陰では霜が立っていたが、9:00を回る頃はもうすっかり気温も上がる。その温かさに誘われ
すっかり雪のなくなった庭に降りてみると、本当にぽかぽかと良い気分になる。
 立山方向を見上げると大日が真っ白に光っている。山里の雨ふり日には雪が降っていたのだろう。
 庭の片隅にオカカが植えているミニ水仙がつぼみを膨らませている。
 いやいや春が巡り来たのだ。
 小屋開けスタッフも決まり、4月頭の空からの山小屋偵察も間近・・・。さて、親爺もぼちぼちとスタンバイ・・・・・。


 この陽ざしを浴びて、夕刻いや明朝には花が開くかもしてない・・・・・。


3/21
 毎年、我が山里の閻魔堂では今日何かのお参りがあり(多分彼岸の法要?)、その仏事には数えで還暦を迎える村人
が、お参りをすることになっている。
 親爺も4年前に、同い年連中とそろったお参りしたが、今日はオカカがお参りだ。
 朝からスーツに着替え、近くの同い年の友達と連絡を取り合い、出かけていった。
 本人は早生まれなので1年損したと言っている・・・・・。
 考えると早いものだ、オカカが嫁いで来て、2年目に我が屋の爺様が還暦を迎え、同級生打ちそろい泊まりがけの宴会
に喜々として出かけていったことを、オカカは覚えているそうだし、親爺もそんなことがあったと覚えている・・・。
 そういえば去年は妹が還暦で、帰りに我が屋へ寄り、「私は早生まれだから、1年損した。」と、今日のオカカと同じ事を
言っていたような気がする。その妹がこの3月で、満60になったのだから、確かにその通り、早生まれなら1年早いことは
事実だ・・・。
 まあ、そんな厳密な計算をするようなことではなく、ほぼ60年を生き抜いてこれたことに感謝する日と思えばよい。
 親爺など、還暦過ぎの今は、おまけの人生気分、或いは世のしがらみから大凡離れた気ままな時間と想い極め、もちろ
ん許される範囲でではあるが、好き放題な時間を過ごしている。
 花咲いた桃の花の枝越しに、薄く新雪をかぶった山が見える今朝だ。
 


3/20
 今日も穏やかなわが山里だが、昨日よりはちょっと肌寒くなった。
 で、親爺は早速、床暖を復活させた。
 山里は周囲をガスに包まれ、ひっそりとしている。暖かい床にごろりと横になるや、すぐに瞼が重くなる。


 昨日、数年前の剱御前小舎スタッフで、現在は県警山岳警備隊で頑張っているシゲが、久しぶりに奥さんと5ヶ月になる
息子のアキの顔を見せに親爺宅を訪ねてくれた。
 全く人見知りせず、親爺やオカカに抱かれてご機嫌なアキは明樹と書くそうだ。
 今年3歳になって、我が家へ来ると駆け回ってじっとしていないヨータローも、ついこの間までこんな具合だったがと、思い
出す。あやすとキャッキャと笑いご機嫌だった。
 

 シゲもぼちぼち中堅隊員となり、父親らしい雰囲気も出てきた。若い連中が訪ねてくれるのは嬉しいものだ。
     
 


3/19
 暖かい朝だが雨が降り、辺りは霞立っている。
 隣の桃の木が花を開き、それが雨に打たれている姿を眺めていて、ふっと40年以上前の恩師からいただいた手紙の
一文を思い出した。
 大学に入り、上京したばかりのころ、高校時代の恩師M先生からの手紙だ。この先生には実に世話になった親爺で、
かなりのワルだった当時の親爺が、どうにか高校を卒業し大学に入れたのも偏にこのM先生のおかげ・・・。いやいや
実にお世話になった先生なのだ。
 その手紙の「春の雨に打たれる桜の花ほど悲しげなものはありません・・・」との一文が、今も忘れられない。
 下宿で、達筆な先生からの手紙を読みながら、雨に濡れた桜の花の情景が脳裏に広がった。まだ18歳の山出しの若
者には、それだけのことだったのだが、その脳裏に広がった情景と、その時の先生のきれいな文字は40年以上経った今
も映像、あるいは情景として心に残っている。
 で、今朝も花こそ違え、隣家の桃の花が雨に打たれているのを見ると、はるか時を隔てた先生からの手紙の文字と、
その文字で18歳の親爺の脳裏に浮かんだ情景が、ふっと蘇るのだ。それは実に鮮やかによみがえるのだ…。
 無沙汰に打ちすぎているが、M先生はまだお元気と聞く。いつか又お会いしたいものだ・・・・・。


3/18
 昨日は予定通り、黒部の魚の駅に行ってバイ貝やらアンコウやらと買い込んできた。
 途中魚津市の蜃気楼街道と名付けられた海渕の道路を、少し遠回りして行きも帰りも通った。もちろん蜃気楼が見られ
るかもしれないと思ってのこと。
 特に昼の時間となった帰路はコンビニでサンドイッチやおにぎりや飲み物を買い込んで、街道わきの駐車場に車を入れ、
少しゆっくり待機することにした。
 隣の車は紅葉マークの熟年カメラマン、車外に椅子テーブルを出し、カセットコンロで何やら自炊しながらどっしりと腰を
据えているし、海側に並ぶカメラ三脚も4、5脚あって、みなゆったり待機・・・・・。
 が、親爺もオカカもとてもこんな辛抱はできない。サンドやおにぎりを食べ終わり、ペットボトルのお茶を飲み終わり、もう
待つのが嫌になって、「今日は出んちゃ・・・。」と早々に切り上げて帰路に就いた。
 で、夕刻。相撲を見終わって、ニュースを見ていたらローカルニュースに切り替わるや「今年初めての蜃気楼観測」と伝え
始めた・・・。
 「え〜、やっぱり出たんかぁ・・・。もうちょっと待っとりゃ良かったなぁ…。」とぼやくも後の祭り。・・・・・
 因みに親爺とオカカが引き上げて2時間後のことだったらしいが、それならば悔しがることもない。出るとわかっていても
2時間など、とても待てぬ親爺とオカカだった・・・。
 蜃気楼街道からの帰路、早月川河口付近から剱を望む。


 蜃気楼街道脇のパーキングには公衆トイレもあり、ゆっくり待てるが・・・。海がもが波に揺られていた・・・。
 


3/17
 暖かい日だ。床暖もいらぬ。気温はまだまだ上がりそうだ。
 オカカが日課の自転車マシンに取り掛かっているが、暑い暑いを連発している。予報では明日も暖かいとのこと。
 良い天気なので、今日はオカカと二人一寸ドライブがてら、黒部市にある「魚の駅」でも行ってこようかと話している。
 まあ、そろそろ冬眠から完全に覚め、世間の風にもあたり、社会復帰に備えなければ・・・・・。
 大日がまぶしく輝いている。


3/16
 ようやく晴れてきたが、朝は寒かった。
 小屋開けまで一月ほどとなったので、さすがのずぼら親爺も身辺が少しあわただしくなり、朝から様々な連絡やら予約
の整理やらと、もう冬眠状態ではいられない。
 今日からは気温も上がってくるそうで、なるほど朝の寒さは影を潜め、外も何やら明るくぽかぽかとしてきたようだ。
 春は間違いなくそこまで来ていて、これからは日増しに過ごしやすくなるのだろう。
 今年は不動山もとっくに地肌が出ている。

 


3/15
 今朝も冷え込んで、またうっすらと新雪が積もっている。布団から出るのが一寸躊躇われる、真冬の朝のようだ。
 雪の少なさでは本当に記録的だったこの冬だが、弥生半ばにさしかかってまだこの寒さ、山里を思い知る。
 山仲間のYさんの奥様から、今年も”いかなごの釘煮”を頂いた。「瀬戸内の春をお届けします。」という水茎のあと
鮮やかな手紙からは瀬戸内の暖かい気が漂い、親爺もオカカもほのぼのと暖かくなる・・・。
 Yさんによれば、今年はいかなごも不漁で、奥様もいかなご入手にご苦労なさったとのこと、そういえば富山のぶり
も不漁だったし、ホタルイカも全く振るわぬ様だ。
 毎年、引っ越そうかと愚痴の出るほどの大雪なのだが、こうも降らぬとまた少し気味が悪い。


 いかなごのくぎ煮と、添えられたお手紙。感謝。          飛燕の雄姿はNさんに頂いたカレンダーの3月の写真。
 


3/14
 今朝は予想外の冷え込みで、雪が降っている。
 暖かい日が続いた後の寒の戻りは身体に応える・・・。寒くてたまらない。
 今日は午後から体調を崩し入院中の従兄を見舞いに行くつもり。
 ここ数日、朝の目覚めがすっきりせず、起きだしても何やら頭の芯に眠気が残っているような気がする。少なくとも
5〜6時間は寝ているはずだが、眠りが浅いのだろうか?
 また一気に雪景色・・・・・。


3/13
 過日のテレビ番組で、ボケ、いやいや認知症を取り上げていた。それによれば初期症状もいくつかあるようで、どれ
どれと興味深く見た。
 日付が分からなくなる、曜日が分からなくなるというあたりでは少し親爺もオカカも心細い気がしたので、それからは
毎朝注意して日付と曜日を確認している。ついで、名前が出てこなくなる・・・これはもう親爺などずいぶん前から自覚
症状がある。
 人の名のみならず、物の名もとっさに出ぬことがあり、「ちょっと、その、あれ、とって、それそれ、そのなんだ・・・」な
ど日常茶飯事である。
 季節や、自分のいる場所はまだはっきりわかるし、昨日は何をして過ごしたなどもちょっと考えればたいてい出てくる
から、単なる老化だと高をくくっているが、やはり心配はないでもない。
 毎日毎日あまりぼんやりせず、何かに夢中になって集中する時間を持たねばなるまい・・・・・。
 この冬、オカカは刺繍を再開、最近はいよいよ面白くなって来たようだ。これは良いことだろう。親爺もまたプラモを
再開しようと思うのだが、どうにも取り掛かれない・・・・・。


3/12
 寒い朝だが青空が広がり山も良く見えている。
 三月も半ばに差し掛かって来たが、今年は雪に悩まされることがなかったので、その分春めいて来た気配が希薄だ。
 居間の東側の窓から大日岳の肩が見え、その上に青空が広がっている。
 この時期になるとどうしても立山の雪の状態が気になりだす。アルペンルート除雪部隊やら、カルデラ博物館の調査部
隊や、訓練入山の警備隊などから、情報もぼちぼち入って来る。
 今年は標高の高いエリアは例年並みだが、標高の低いエリアは極端に雪が少ないとか・・・。
 まあ、小屋開けまでにはまだ一月余りある剱御前小舎だから、状況もずいぶん変化するだろう。
 と、まあ、それなりに親爺の身辺も少しあわただしくなってくる・・・。


3/11
 東日本大震災からもう5年も経った。
 テレビでしか見ていないあの日のことだが、今でもその場にいたかのように思い出す・・・。
 テレビが伝える映像は、それが現に起きている出来事だとはとても思えず、それを事実と受け止めるまでには幾分の
時間がかかるほどだったが、それを現実として受け止めたときの背筋の凍るような思いは忘れえぬ。
 5年という歳月が流れたが、今なおその爪痕は深く残り、ご苦労されている皆様がいることを忘れてはならぬ。
 冷え込んだと思ったら、不動山に雪がついていた。


3/9
 せっかく暖かくなったのに、今日からは又寒くなるとのこと。気温が下がり戸外は濃いガスに覆われた。
 今日は山の神様の祭りの日。昔からこの祭りが過ぎれば山へ入っても良いとされた。
 親爺が子供だった半世紀以上も前のころは、このしきたりも守られており、爺様(親爺の父)たちは仲間同士誘い合わ
せ、狩山へと入ったものだ。
 狩山など今は昔の話。
 アルペンルート除雪隊はもう一月も前から立山に入っている・・・・・・・。


3/8
 何度も書いているが、この冬の雪の少なさはどうだろうか・・・。
 ここ3日ほどは暖かく、気温は毎日10℃を超えている。
 で、隣家の桃は例年より一月半も早く花を開き、幾度かの雪に見舞われながらも今日は満開となっている。もちろん
山里に雪はなく、村はずれの田畑もすっかり地面が出てしまい、フキノトウが萌え出でいる。
 三月もまだ半ばにも至らぬというのにこの陽気は気味が悪くさえある。親爺にもこんな冬は記憶にない。
 大きな天変地異のまえぶれか、はたまた地球温暖化の証なのか・・・。
 満開の桃の花の向こうにうっすらと見えているスキー場にも雪が無くなっている。


 春がもうやってきた。                           不動山にも雪はない。
 


3/7
 昨日の山里での最高気温は20℃程となって、暖房なしで半日を過ごせたのだが、これがまだ三月初旬のことなのだ
から驚く。夜も布団の上掛けを外し丁度で、今朝目覚めたときには、春眠不覚暁・・・と云う漢詩が脳裏に浮かんだ。
 春眠暁を覚えず…とここまでは諳んじているがあとは何だったかな、などと考えているうちに目が覚めてしまい、どうも
これが気になって仕方がない。
 で、枕もとのタブレットで検索をすると、「春眠暁を覚えず、処処啼鳥を聞く、夜来風雨の音、花落つること知る多少」と、
すぐに出てきてすっきりしたが、今度は又頭の片隅に「シュンショウイッコクアタイセンキン」というヤツが引っ掛かって来
た。でもそのあとは全く出てこない・・・。
 何分中学生の頃か、高校生の頃か、いずれにしろ半世紀前に覚えたことがある漢詩だから、記憶がかなりあいまいで
またすっきりしない・・・。
 で、また調べたら、後者は「春宵一刻値千金 花にC香有り月に陰有り・・・・・」と云う蘇東坡の漢詩であることが分かった。
 なるほどシュンミンアカツキヲオボエズは、今でもよく使うフレーズだが、「シュンショウイッコクアタイセンキン」は記憶の中
には残っているが普段使いのフレーズではないのだ。
 値千金など使いそうで使わぬ言葉ではないか。だからその後が全く出てこなかったのだ・・・。まあどうでもいいようなこと
なのだが、そんなことを思いぼんやりしていて、我に返り時計を見たら八時を回っている・・・。
 起きだして外を見ると見事なガス・・・いや、花霞か?ちょうど寝起きの親爺の頭の中の様にぼんやりした風景だった。
 


3/6
 昔からの山里の慣わしで、3月9日の山の神様の祭りが終わらねば、山へ入ってはいけないと云われている。
 恐らく山に降り積もった雪が落ち着き、新雪雪崩の恐れがいくらか少なくなるのがこの時期だからだろう。
 その山の神様の祭りはまだ3日ほど先なのだが、今はこの慣わしも忘れられようとしており、もうとっくにアルペンルート
除雪部隊が立山に入っている・・・・・・。
 この冬の雪は異常に少なく、室堂などでも2〜3m少ないとのことだが剱御前小舎辺りは例年並みで、昨春の小屋開け
のような雪の少なさではないようだ。
 立山ではこれからも雪が降るので、4月初めの頃を待たねば雪の状態もしかとは言えぬが。
 今朝の温かさはどうだろう。7:00の気温が14.7℃だった。
 我が家の居間もストーブこそ炊いているが、床暖は止めた。物干場への出入り口を開けておくと、暖かい外気が入る。
 隣家の庭の残雪もどんどん溶けている。


3/5
 ずいぶん暖かくなってきた。もちろんまだ朝晩は冷え込み、ストーブの床暖も欠かせぬ。
 剱御前小舎ももう一月半で小屋開けだが、ヒデ新支配人体制で、クミチャンやトモちゃん、GWまではシマチャンも来てく
れるし、心平も剱御前小舎の修繕作業で、小屋開けから入山し体調を見ながら間欠的にではあるが手伝ってくれること
になっている。
 親爺もあまり役には立たぬが、立たぬなりに親爺にしかできぬす事もあり、またしばらく社会参加せねばならない・・・。
 曇天乍ら暖かい今日、山里を下り富山平野のはずれに至れば、そこはもう春。



3/4
 朝は冷え込んだものの、すっきりと晴れた今日は気温もぐんぐん上がり、暖かく眩しい。
 用事で外出したオカカは、いよいよくしゃみが激しくなりだした。花粉だろうか・・・・・。、
 親爺も昨日から風邪気味で昨夜寝るときに市販の風邪薬を飲んだところ、朝までその薬が効いているようで頭がぼん
やりしている・・・。
 ぼんやりと云えば親爺はここ数日、オカカに認知症を疑われるほど失敗続き・・・ガスの火を消し忘れたり、洗面所の水
を止め忘れたり・・・。「100引く7は?」「93引く7は?」86引く7は?」と矢継ぎ早にやられた・・・。
 まだその程度のことは即答できるが、消し忘れ、止め忘れは自分でもちょっとショックである。
 老いるのは致し方ないが深刻なボケ(認知症)には決してなりたくはない・・・。
 ボケ防止にまたプラモでも作り始めようか・・・・・・・
 快晴の下鍬崎山がっすっきりと見える。


3/3
 ひな祭りの朝は寒い。暖房前の室温は3℃。夜具から出るとぶるぶるっと寒気が来た。
 3人の娘たちが幼かったころのひな祭りはそれはそれは賑やかだったが、今はオカカと二人で雛飾りも最小限にとどめ、
細やかに祝っている。
 それでもいつもお心遣いを下さるNさんにいただいた雛菓子や、甘酒などもお供えし、時折ひな壇となっている出窓に目
を移せば、幼い娘たちの”あかりをつけましょぼんぼりに・・・”というにぎやかな歌声がよみがえり、心華やぐ。


 花開いたのに、又雪の下に埋もれていた隣の桃の木だが、雪が解け落ちてみると花はしっかり咲いていた。
  


3/1
 山里の弥生朔日は見事な雪景色で開けた。
 昨日の朝の雨が、霙に変わり、さらに雪になりずっと今朝まで降りやまなかったのだ。積雪は40cmあまり。一晩で
降る雪とすれば、まあまあ多いほうだろう。
 しかしわが山里でなら、これが当たり前なのだ。今までの積雪ゼロが異常だったのだ。
 今日は午後からヘリコプター空輸講習会。夕刻からは富山市内へ出て、直会の予定。この雪は山雪で、平野部はせい
ぜい7〜8cmだというからまあ大丈夫だろう・・・。
 雪のない生活に慣れた身には、間の悪い雪だ。


2/29
 雨が雪を溶かした。が、気温が下がってきて雨が少しみぞれのようになって来た。まだ二月なのだ・・・その二月も今日
で終わるが・・・。
 暖かかったり寒かったり、いわゆる三寒四温なのだろうか、体の調子も定まらぬ。腰が痛くなったり、肩が上がらなくな
ったり挙句には膝まで痛くなったり。不都合を上げるときりがないが、いずれも今のところ大したことはなく、軽いストレッ
チで体をほぐしてやればおおよそ気にならぬ程度に回復する・・・。
 これがいわゆる体のガタと云うものなのだろう。せいぜい可動部分をさび付かせぬ様動かし、常に動きを確保しておく
必要がある。潤滑油がさしづめ「薬」というところか・・・・・。
 雪が解けて4月初めの雨のような山里・・・・・。


 一時雪の下になっていた謙ちゃん宅の桃の木も、今は8分咲き・・・・・。


2/27
 旧友の青井からシイタケが送られてきた。
 青井は学生時代の友人で、若い一番楽しい時間を共有した仲間だ。思い出は尽きぬ。
 礼を言おうと電話をしたが、出ない。携帯電話も出ない。まぁ毎度のことだ。で、頂いたシイタケを焼き電話のことなど
忘れていると向こうから電話がかかってきた。
 「おお悪い悪い、電話もらったが出られんで・・・。」「なんだ忙しいのか。シイタケありがとう。今届いた。」「おお、そうか。
最近あまり作ってなかったんだが、今年始めたもんだから、型が小さいけどな。まあ、大分県産だから。」「いや、美味
そうだ。今ストーブで焼いてるぞ。昼飯にこれでシイタケ茶漬けやる・・・・・」「おお、食ってくれ。お前元気にしてるか?」
「うん。元気だ。お前はどうだ?」「俺も元気だ。」「とにかくありがとう。」「おお、またな。」
 以上の会話で、電話を切った。約30秒・・・。でもこれで気持ちは十分通じる。青井と話したという満足感もある。
 おそらくそれが旧友なのだろう。
 冷凍状態で届いたシイタケ、見るからにうまそうだし、青井の自家栽培となれば更にありがたい。


 期待を裏切らぬシイタケ茶漬け。焼きたての熱々シイタケを温飯に乗せ、醤油をたらし熱い煎茶をかけていただく。絶品!!
 

 半分をジップロックに入れ冷凍保存し、親爺は佃煮をゆっくりとストーブの上で煮・・・・・
 

 シイタケのマヨネーズチーズ焼きはオカカがネットで調べ作ったがこれが素晴らしく美味い。極上の佃煮もできた。
 青井、奥さん、本当にありがとう。
 


2/26
 今日は曇りだが、時折陽が射し始めた。が、この天気は又雪になるとの予報だ。
 大日もちらちらと山すそを見せていたが今は何も見えない・・・。
 昨日買物をしてきたので、今日は外出するような用事も特になく、例によって冬ごもりの日となるだろう。
 この冬はちょっとプラモにもご無沙汰しているが、これは親爺の単なる気まぐれ、最近は新しく買い込んだPCに慣れる
ため、専らこれにかかりきりで、まだ飽きないというだけの話・・・。
 新しいパソコンはSSD(ソリッドステートドライブ)とやらで、HDD(ハードディスク)を持たぬ。その分記憶容量は少ないが
最近の技術進歩は素晴らしく、SSDに250Gほどの容量を確保している。
 このSSDの特徴は、立ち上がりが早く、その構造上ほぼ無音、消費電力が少なく軽量などなどがあるようだが又、読み
込みは早いが書き込み速度が遅い、容量が少ないなどというデメリットもあるようだ。
 あまり細かいことは理解もできぬが、とにかく新しいもの好きなので、今までのPCがかなりがたが来たのでという事での
PC購入だった。親爺のことだからさほど高価なものは購入できず、マウスコンピューターの6万円台のものを購入した。 
 で、今使っている感じでは、とにかく立ち上がりの速さは確かに感じられるものの、このPCのOSであるwindows10にまだ
なじみきれないと云った処・・・・・。ハードの性能的には申し分ない。
 ということで、また午前中が過ぎてしまいそうだ・・・・・・。
 

 八朔ピールがうまかったので、また作った。作りなれると割と簡単なものだ。この後グラニュー糖をまぶして出来上がり。
 

      


2/25
 今日は税理士事務所に出向き、今年度の確定申告を済ませた。といっても税理士のK先生にほぼ丸投げ。
 先生立ち合いでインターネット申告を終えた。
 この税理士事務所からの帰路にはシマヤという大型スーパーがある。コストコを小型にしたような店舗で、いわゆるホー
ムセンターも併設されているが、ここでは業務用食材も多く、肉をまとめ買いするのに都合がよい。
 親爺は豚バラ約1sと、ラード用の豚背脂も1kgほど仕入れてきた。因みに豚バラブロックは100g138円、豚背脂が1s
99円也。
 夕食に焼肉をすることにし、焼肉用牛バラ肉も仕入れたが、これは半額見切り品・・・。帰宅して昼食後、親爺はさっそく
この肉を漬け込む焼き肉タレを仕込んだ。
 富山市内とあまり変わらぬわが山里の積雪だ。
 


2/24
 又雪が降ってきた。
 除雪や雪下ろしの心配はない雪だが、外出が鬱陶しくなり、明日に先送り。
 今日はお籠もり状態で一日を過ごそう・・・まあ毎度のことではあるが。
 窓外の雪景色を見ると、ついつい昔の冬に想いが至る。
 家々の姿は大きく違うがそれは雪が覆い隠してくれるから、半世紀以上前の雪景色も今朝の雪景色も雪の嵩に正比例
して違いが無くなってくる。
 まあ今年のこの雪では中々、くずや(茅屋)に積もった雪の情景までは浮かんでは来ないが・・・・・。


2/22
 今朝は6時前に寒さで目が覚めた。寝相が悪く布団がどこか捲れて、夜具の中に冷気が入ってきたようだ・・・。起きだ
して外を見ると、まだ薄暗い中だが、うっすらと雪が降っている・・・。
 今朝は寒いが、昨日あれだけ痛かった腰が、ほぼ治っている。靴下をはくのに体をかがめるのさえ痛くて往生したのだ
が、今朝はそんなことを忘れていて、あとで気づいた。恐らく大したことはなかったようだが、今後は十分腰も労わってや
らねばと思った・・・。
 世間は月曜日だが、親爺もオカカも曜日には関係ない生活。いつものようにゆるゆると朝が始まった。
 せっかく花を咲かせた隣の桃の木がまた樹氷とかした。


 例年よりひと月はんも早く咲いた花なのだが、さすがにちょっと早すぎた・・・・・。
   


2/21
 昨日はモモが咲いたと大喜びしたが、今朝は又雪が間欠的に舞う天気だ。
 午前中は村の総会で、親爺は例年議長を仰せつかる。声が大きいからだろう。
 で、朝起きようとすると、一昨日お雛様を飾るときに薬缶と鍋のかかったストーブを変な姿勢で移動させた時に、ギクッ
と来た腰が、本格的に痛く、前かがみにになれない・・・。これはしまったと思っても後の祭り。
 オカカに湿布薬を張ってもらい、鎮痛剤を飲んで、隣の謙ちゃんを誘い一緒に会場へ行った。その謙ちゃんは某所で
転倒、足首を骨折しギプスは取れたもののまだ松葉づえ・・・。ロートル二人痛々しいざまで受付へ行くとここもロートル
ばかり、口々にさんざん「こいつら、隣同士でぎっくり腰やら松葉づえやら、普段が普段だからザマナイちゃ」と優しく労わ
られた・・・・・。
 村内の顔なじみの連中の労わりは手荒い。はたから見ると労わりと云うより悪態としかとれぬだろう。
 まあ、とにかくそんな状況で村の総会に臨み、何とか議長の大任も無事果たして、その後の直会は早々に退散して帰
ってきたのだが、あら、不思議あれほど痛かった腰が痛くない。
 あの優しい仲間の悪態と、鎮痛剤が見事聞いてくれたようだ。雪も病んでいる。


    昨日作ったハッサクのママレードは実にきれいに仕上がった。ちょっと甘すぎたかな・・・・・。
     


2/20
 曇りの今日だが、冷え込みはなく気温も6〜7℃はありそうだ。先の降雪で庭には30cmあまりの雪が積もったが、それ
もずいぶん解け、家々の屋根も瓦の黒色が占めるスペースが8割以上となった。
 2月半ばすぎとしてはとても暖かい。
 何と隣の謙ちゃん宅の桃の木が花を開いている。何時もより1ヵ月半前後早い。


 我が家のにはも雪はほとんど無くなった。


2/19
 2月も半ばを過ぎると、冬も終盤という感じになってくるが、今年は雪があまりにも少なく、冬がなかったような気がする。
 オカカがお雛様を飾った。長女の初節句にオカカの実家から贈られた七段飾りのお雛様は座敷床の間を払って、ほぼ
半日ほどもかけて飾り付けたもので、その後次女、三女と生まれるたびに、それぞれの市松人形が贈られて、この三人
の娘がずいぶん大きくなるまで、毎年毎年飾り続けた。
 末娘が大学生になり、家を出た年まで飾り続けたはずだ・・・。が、いよいよ親爺とオカカだけの生活になって、気付くと
雛飾りは手抜きになって、ここ数年はこんな手抜き飾りで済ませている。
 やがて孫でもできればまた頑張って飾るつもりだ・・・。


 雛飾りをしたので、ストーブの場所も移動した。ストーブの前には自家製一味を作るための鷹の爪を干して、名古屋の
トシ君ヒーちゃんからもらった八朔の皮の砂糖漬け(オレンジピール)を仕込んだ鍋がかかっている。
  


2/18
 新雪の積もった後の晴天で、何とも眩しい冬の朝だ。
 今日はちょっと外出の予定だが、道路の凍結がほぼ緩む、10時を過ぎて出たほうが良いだろう。
 最近は車のスノータイヤという言葉が使われなくなったようで、スタッドレスと呼ぶのだそうだ。
 スタッドレスとはスパイク無しの意味で、今は使用禁止されたスノータイヤにスパイク(鋲)を打ち込んだタイヤをスパイク
タイヤと呼んで、冬季には重宝していたものだが、アスファルトの路面を削り、粉じんもまき散らすとかで、使用が禁止され
たのだ。で、これに代わるものとして、スパイク無し(スタッドレス)でもスパイクタイヤ並みの制動力を持ったタイヤとして出
て来たのがスタッドレスタイヤで、いつの間にかこれがスノータイヤという呼び名を駆逐し、スノータイヤイコールスタッドレス
となったらしい・・・・・。
 が、そんな注釈がいるようなタイヤより、スノータイヤの方が冬季の雪道に用いるタイヤとしては、判りが良い。だから親爺
は、今でもスタッドレスなどとは言わず、親爺がスノータイヤというと、”ああ、スタッドレスのことですね”などという相手は、若
葉マークのスノータイヤも知らぬ初心者と見下すようにしている・・・。
 まあ、どうでもよい話ではあるが・・・。
 


2/17
 今日は雪が戻ってきた。実際はそんなに気温が下がっているわけではないが、目に入ってくる戸外の景色は体感温度
を2〜3度下げるようだ・・・。
 旧立山道から閻魔堂へ上る石段が、この時期に出ていることはなく、今年は雪が異常に少ないのがよくわかるが、まる
で雪の降り始め、12月のようなこの景色は、真冬の景色よりも寒々としている。


 石段わきの二つの祠も、寒々と佇む。


 そんな寒々とした山里に、名古屋の旧友からまた八朔が大量に届いた。
 この夫婦は名古屋市内に親から受け継いだ土地があり、そこで趣味の菜園をしている。趣味と、固定資産税対策を兼
ねてのことだが、野菜も季節ごとに栽培し、とても頑張っている。で、数年前に八朔も植えたらしいが、ここ数年収穫はゼロ。
が、今年からいよいよ収穫できるようになったとのことで、ちょっと前にも八朔を送ってくれたが、何と更に200個も収穫した
とのことで、追加で送ってくれたのだ。
 いやいやありがたい話である。親爺は柑橘類が大好きだし、この手作りの八朔はおかしなワックス処理などもしてないは
ずだから、一つ調べて皮の砂糖漬けなどにもトライしてみることにしようと、親爺は張り切っている。
 雪降りの山里に届いた、八朔、お便り付き。暖かい部屋でありがたくいただこう。外はふぶいてきた。
     


2/16
 寒い朝だが雪は止み、青空が広がり始めた。
 今の時期を考えると30cmほどの積雪は愛嬌にもならぬ細やかなもの、生活に影響はない。
 親爺は冬の間はほとんどフリースばかり着ているし、山に入ってもほぼフリース着て日々を過ごしている。
 サイズの問題もあり、パタゴニアのアメリカンサイズを愛用しているが、現用は5着で、その日の気温で、選んでいる。
 今日のように寒気が入り寒い日は、ヤッケ式の頭からすっぽりかぶるタイプ。普段はジッパーの前開きで、比較的薄い
ものと、やや厚めのもの。昨年購入したのはニットタイプのフリースだが、これはオカカに言われ、まだよそ行き?用にし
ている・・・。極めつけはもさもさの裏付きのかなり重いフリースだが、これはとにかく暖かく、冬の外出用にはもってこいで、
下手なダウンよりズ〜ッと暖かい。
 考えてみるとこんなに着やすいものはない。軽く、柔らかく、暖かく、動きやすいのだから、寒い時期の常着として、これ
以上のものはないかもしれぬ・・・。(因みに暖かい時期の常着としては作務衣が最高だと思う。)
 が、これに慣れてしまうと困るのが改まった席のスーツやネクタイ・・・わざと着にくく窮屈に作ってあるとしか思えぬ様に
なってしまう事だ。
 昔、永六輔氏が、どんな席にも作務衣で全て通すと宣言し、なるほど作務衣ならと親爺も納得した。が、氏はこれを実行
したことでかなり顰蹙を買ったとも述べている・・・。
 となれば、常着をフリースや作務衣として生活するには、相応の覚悟がいるかもしれぬ・・・・・。
 暇だから、朝から雪景色を眺め、こんなことを考えている。


2/15
 明け方から雪で、気温はぐんぐん下がっている。寒気が入ってきているのだろう。
 二日ほど暖かい馬鹿陽気が続いたおかげで、山里の雪がすっかり解けて、村はずれの田んぼや畑が地肌を出してい
る。今が2月半ばだということを忘れそうな景色の山里だったが、またうっすらと雪化粧し、かろうじて今が冬だということ
を顕示している。
 昨日は午後から、剱沢小屋の友邦兄の受賞祝賀会に出席した。過日行われた、山岳警備隊発足50周年祝賀会に集
まった面々とほぼ同じ顔ぶれだったが、およそ150人の人々が集まり、兄の受賞を祝った。
 友邦兄の山岳救助貢献の功績はもちろん、それを支えた奥方、里子姉の功績もまた絶大だった事だろう。
 昨夜半からの雪で、山里は又冬景色。


  友邦兄も二人の孫に恵まれ、その孫の前ではすっかり好々爺。祝賀会の一コマ。
 

  名古屋の古い友人、トシ君とヒーちゃんが丹精したハッサクや野菜を送ってくれた。
 ハッサクには驚くほど優れモノの皮むきが添えられていて、親爺はとても感心し、一気に2個をいただいた。
  昨日は亡き叔父の15年祭。その神前にもお供えさせてもらった。トシ君、ヒーちゃんありがとう。
   


2/14
 暖かい雨の朝だ。雪がすっかり解けて辺りは4月初めの風景だ。
 今日は今から、亡き叔父の15年祭。神道だから5年ごとの区切りとなり、仏教でいえばおおよそ13回忌といったところ。
 叔父とはいえ、この人は親爺にとっては父も同然。わが父宗弘の2歳下の宗信叔父には、親爺は実に世話になった。
 銃猟や、岩魚釣りはこの叔父にほとんど教えてもらったし、それこそありとあらゆる面で世話になり、アドバイスも受けた。
 とにかく優しく穏やかな人だったが、山へ入るやその大胆さは群を抜き、山スキー、岩登りなども天才的な人だった。
 すっかり雪が解けた山里。暖かい雨が降っている。


2./12
 今朝はオカカと二人ちょっと早く家を出て、映画館に向かった。春一番と思われる風が強く吹いていた。
 二人で映画館に向かうのはおそらく1年以上ぶり。前回、加賀藩の賄い方をテーマにした「包丁侍」を見に行ったことは
覚えているが、其れがいつだったかは記憶にない。
 で、今回は「オデッセイ」と云う映画がお目当て。いわゆるSF映画で、事故で死亡と判断され、火星に置き去りにされた
宇宙飛行士が、懸命の努力で生き延び、やがて救助されるというストーリーで、原題がThe Martian(火星の人)というらしい。
 親爺オカカはもちろんシニア料金で、2人で2200円、地方都市の平日の映画館はせいぜい20パーセントの入り。すこぶる
快適な環境で、アイスコーヒーとポップコーンを買い込みゆったりと映画を見てきた。
 いやいや火星の描写のみならず全てが素晴らしく描かれ、やや耳の遠い親父にも十分な音量で、更に洋画は字幕という
のもまた良い。しっかり堪能してきた
 見終わって外へ出ると、眩しいほどの晴天で、気温は18度もある。風が吹き荒れ、これは春一番だと思った。立山に目を
やると、鍬崎山方向には、笠のような雲がかかっていた。ピンボケ写真だが・・・。
 

 オデッセイはこんな映画。いい映画だから皆さんも是非・・・。


 火星というのはこんなところかと思った。風が吹くというのはどんな大気か知らぬが、あることはあるのだなぁ・・・。
     


2/11
 依然と雪が少ない山里ではあるが、冷え込んだ快晴の今朝はしっかりと冬景色だ。
 新雪での快適な滑走を楽しもうと、スキー場に向かう車が絶えない。これも例年通りの冬の情景だ。
 でも今朝は冷え込んだが、新雪は水気の多いベタ雪。快適なパウダーースノーという訳には行かぬだろう・・・。
 屋根の雪下ろしを全くしなくてもよい冬は、わが山里では何年ぶり、いや、何十年ぶりのことだろうか、少なくともオカカ
が嫁いできてからは初めてのことだと、親爺よりはまだ記憶力が確かなオカカが言っており、それ以前のこととなると親爺
の記憶はあいまいなのだが、たぶんなかった様な気がする。
 とにかく今朝は建国記念の日で、晴れはしたがひどく寒かった・・・。


2/10
 山里は30cmを越す雪に覆われた。今の時期の積雪30cmなど珍しくもない。
 それでも写真でこうやってみると、立派な雪景色だ。結構寒い。
 


2/9
 雪の降る朝。
 起きだしたときは寒いとは思わなかったが、だんだん寒さを感じるようになってくる。気温が下がっているのかも・・・。
 雪の降る薄暗い窓外をぼんやり眺めていると、ますますぞくぞくして寒さを感じる。で、室内に赤々と燃えるストーブに
目をやると、いくらか暖かい様な気がしてくる。
 今から半世紀以上も昔、わが山里では囲炉裏に薪が燃えていて、それが暖房だったのだが、ブリキ製のいわゆるルン
ペンストーブがあっという間に普及して、囲炉裏で赤々と燃える火はそのストーブの中に閉じ込められた。
 その頃の冬、隣に住んでいた曾祖母が我が家に遊びに来ると、必ず暖かい囲炉裏そばに座り込み、ストーブの焚口を
開け、中の火を眺めるのが常だった。
 曾祖母には娘である祖母が、「ストーブの戸を開けたら煙が出て、だめだチャ、バアバ(お婆さん)や。」と云うと曾祖母
は「年寄りには火が見えんとアイソムナイ(寂しい)し、寒い。」と笑いながら答えて、決してストーブの焚口を閉めようとは
しなかった。
 今そんなことをふっと思い出して、薪ストーブならぬ反射式石油ストーブの赤々と燃える火を眺めていると、あの頃の曾
祖母の姿がぼんやりと目に浮かんでくる。
 積雪の心配はないが、名残り雪のような雪が降っている山里だ。


2/8
 今日はオカカの誕生日。何歳になるのかは知らない事にしておこう・・・・・。
 快晴の山里だ。早朝は放射冷却で凍てついていたあちこちも、ぼちぼちと明るい陽光に溶けて来た。
 さて今日はこれからオカカと食料の買い出しに出かける。誕生日だから尾頭付きでも買うか?とオカカに聞いたら
尾頭付きならたい焼きが良いとのこと。なるほど、それなら誕生ケーキ代わりにも・・・・・。
 まばゆい朝日だが、まだ太陽の位置は低い。僅かに残っている雪もすぐに解けるだろう。
 

 大日もすっきり見える快晴の朝、振り向いて目をやったカレンダーには冷戦21型が飛んでいた・・・。
 


2/7
 今朝も雪。
 今、「国民保護に関する情報」というものがテレビ画面に現れ、北朝鮮のミサイル発射を伝えた。
 なるほど、こういうシステムがあるのだ・・・と、先ずはこれに驚いた。
 さて、なんとも迷惑な話である。核実験、ミサイル発射実験・・・核保有国で、核搭載可能なミサイル発射技術も持って
いるということを、外交の切り札と認識している北朝鮮・・・・・。
 懐の拳銃を取り出して、それを見せびらかしながら時には発砲して見せながら、交渉を進めようとする相手など、危なく
て誰もまともに相手にはできない・・・。
 わが日本には、なんとも厄介な隣国ばかり。
 大国風を吹かせ強引な侵略的野望むき出しの国、イチャモンをつけ、たかりを得意とする国、そしてついには凶器を手
に脅しまくる国・・・・・。
 これでは日本も、自らを無力化している法律を合理的なものに変え、防衛態勢を整え、いつでも適当な対抗手段を執る
ことができるようしておかねばなるまい。これは国家の義務であり権利でもあるはずだ。
 雪降る山里の一隅で、親爺はPCのキーボードに向かい、蟷螂の斧を振るいまくる・・・。
 


2/6
 寒くはないのだが、明け方からボタン雪が降り、数センチ積もった。
 辺りは雪景色でずいぶん寒々として来たが、そんなに寒くはないのだ。今までの積雪はほぼゼロだから、この程度の
雪は、大都会ならいざ知らず、雪への備えが万全な雪国の山里では、全く生活に影響がない。
 だから、親爺でもかえってこの雪景色には、柄にもなく風流を感じる余裕がある。
 いつもの年なら、雪降りを見て思い出すのは”これがまあ 終の棲家か 雪五尺”という一茶の句だが、今年のこの雪
ならば”雪見とは あまりりこうの さたでなし”と云う江戸川柳を思い浮かべるくらいで済む・・・。
 今朝の山里の雪降りだ。まだまだ余裕・・・・・・。


2/5
 明け方雪が少し降ったようだが、今朝も少し青空が顔を出し、陽も時折射して穏やか。
 とにかく雪がない。こんな2月など親爺も初めてのことでは無かろうか・・・。雪が無くて助かると喜んではいるが、こうなる
と一寸薄気味悪くもある・・・。
 今朝はオカカにあられを揚げてもらった。昆布の小片も一緒に揚げて塩を振って出来上がりだが、とにかく美味い。
 どんな高級な御菓子よりも、親爺にはこれが嬉しい。子供の頃から慣れ親しんだ味だからなのか・・・?
 で、それをつまみながら今HP更新のキーボードをたたいているのだが長閑なものだ。


 二月立春翌日の芦峅寺。この雪の少なさはどう云う訳だろうか・・・・・・・


2/4
 若い頃に読んだ本は良く覚えているものだ。今は殆ど電子書籍で読書をしている親爺だが、たまたま昔の本を手にする
事もある。で、最近驚いたことだが、今を去ること40以上前の学生時代に読んでいた、所謂文庫本の活字の小さい事にで
ある・・・・・。思わず我が目を疑う様な、細かい文字がびっちり・・・・・。
 今も筋金入りの近眼である親爺には読めぬ事はないが、非常に疲れる。
 しかし当時は確かにこんなサイズの活字ばかりだった。久々に何冊かの古い文庫本を取り出してみたが、学生時代に読
んだ本は全てこのサイズの活字である・・・。と云う事は現在の文庫本はかなりも字が大きくなっているから、昔の本の方が
同じ項数だった場合、情報量が多いと言うことになる。
 これは最近のコンピューターをはじめとする電子機器の進歩と逆行する現象だ。電子機器の方はどんどん小型化しつつ
もそれが有する情報量は圧倒的に増えているが、本はそうはいかず、情報量はそのサイズに正比例するばかりか、読みや
すく活字を大きくすれば自ずと情報量は減る理屈だ。
 だから、親爺も最近は読書は殆ど電子書籍となっているし、漫画などもタブレットで思う存分楽しめる。だから、旅先に本を
持ちあるく習慣は消え、文庫本サイズの電子書籍端末一つを持ち歩く。しかしその100gあまりの端末には、優に100冊以上
の本が入っているのだ・・・・・。本当に世の中は便利になった。
 向かいの家の屋根越しに見える来拝山も雪が殆ど無い。

 


2/3
 朝から快晴。日がまぶしいが気温は中々上がらず、杉木立はまだ雪衣を落とさない。
 青空の下に大日岳が真っ白にそびえている。これだけすっきりと山里から立山が望めるのは久しぶりだ。
 考えてみればもう2か月余りで小屋開けなのだ・・・・・。
 あまりにも雪の少ない今冬なので、すっかり除雪や雪下ろしなどということを忘れているが、立山はまだまだ雪が降る。
3月の降雪量で、4月の小屋開けの状況が大きく変わるだろうが、昨年は記録的に雪の少ない小屋開けだったことを思う
と、今年はさらに少ないかもしれないなどと思う・・・。が、これは実際に見るまで誰にもわからぬ事だ・・・。


2/2
 今朝も寒い。あちこちが凍り付いている。
 雪が少なく、今の時期でもほとん無いので、何やら冬のような気がせぬ今年だが、明日は節分、明後日には立春・・・。
 どうにも不思議なくらいの雪のない冬、降れば降ったでぼやきたくなるし、こうも降らぬとまた心配になる・・・・・。
 毎日毎日同じような写真ばかり。これがもし昔の宿題絵日記ならば、「同じ絵ばかりじゃなくて、もっと他の絵も描きなさ
い。」などと先生に怒られたかも知れないが、まあ、これは親爺の暇つぶし、あるいはボケ防止のようなものだから、別に
叱られることはあるまい。
 山里の冬の暮らしや、あたりの景色など、さほど変化もないのだろうし、無い方が日々平和と云うことだ。
 で、今朝も昨日と変わらぬ、寒いが穏やかな朝を迎えた山里だ。


2/1
 寒い朝だ。
 起き出すまではそんなにも思わなかったのだが、気温が下がっているのだろう、だんだん寒くなって来る・・・。
 今朝はもう2月。あっという間である。どうにも時の流れが加速度的に早まっているように感じてしまう。毎日が変化
もあまりない穏やかな繰り返しだからか?未来が残り少なくなって先が見えだしたからか・・・?
 まあ、朔日からあまり悲観的な繰り言はならべまい。
 僅かながら雪景色が戻った、”着更着”の今朝である。


 今冬の不動山の斜面には雪崩を起こすほどの雪もない・・・。


1/31
 一月も最終日。未だ寒の中であるにもかかわらずこの雪の少なさはどうだ・・・・・。
 昨日は山岳警備隊の発足50周年記念式典に出た。大凡180人の出席で、式典前の会場には懐かしい映像が流され
往年の我が山里の名物男Kさんの生き生きとした動画に驚いたり、元気ではあるがかなり歳を重ね、名札を見て驚く程
様変わりした懐かしい人たちにもお目に掛かることが出来た・・・。かく言う親爺も往年の面影は無くなっていたのかも知
れない、10年ぶりくらいで会った連中には「相撲部屋の親方かと思ったぞ」と、散々からかわれた・・・。
 今の若い警備隊員達は優秀な人たちばかりだ。遭難発生時の我が身を捨てた懸命な救助作業のみならず、本番を常
に想定したたゆまぬ訓練にも頭が下がる。今の日本にも、世界に誇るべきこんな素晴らしい若者達がいるのだ。
 かなり口の悪い親爺で、本人達の前では滅多にこんなことは言わぬが、本当はいつもそう思っているのだ・・・。
 今日は座敷の雨戸を開けた。
 明るい、春のような陽光が真っ暗だった部屋に弾けた。実に気持ちがよい朝だ。


1/30
 富山県警山岳警備隊の発足50周年記念式だ。
 親爺の父である、爺様たち、いわゆる最後の立山ガイドたちがその黎明期を支えた山岳警備隊も、今や押しも押され
もせぬ山岳救助チームとして勇名をはせている。
 半世紀の時の流れは無常である。初期の警備隊を支えた最後の立山ガイドたちも、ほとんどが去ってしまった。
 その懐かしい姿や顔や声は、まだ親爺の記憶にはっきり残っているが、こんな機会でもないとめったに思い出さなくな
ってしまった。
 今日は又、親爺の世代の懐かしい連中にも会うだろう。久しぶりに懐かしい山仲間の思い出話に花を咲かせてこよう。
 新雪で木立は又白くなった。


1/29
 ガソリンや灯油の価格が随分下がった。何年前だったか定かには覚えてないが、レギュラーガソリンが1リッター100円
を超えるとマスコミが大騒ぎしていたが、今度は100円を切るGS(販売所)が出現したと騒いでいる。
 確かに今は140円代などというGSは無く、殆どが110円代だ。灯油価格も右倣え、50円台なのでは無かろうか・・・・・。
 原因は原油価格の下落なのだそうだが、この原油価格も当然需要と供給のバランスでのみ決定されるものではない。
立派な投資対象で、マネーゲームの渦中で高下するものだ・・・。
 前世紀終わり頃には、どこかの無責任な学者が、世界の石油は間もなく枯渇するとやら・・・・・・。2016年の今になって
も石油が枯渇することはなく、どんどん供給され続けているところを見るとこれはどうやらはずれ学説だった様だが、一寸
うがって考えるとウソだったのかも知れない・・・。
 世の中学者先生の云うことを無条件で信じる傾向がある。特に日本においてはその傾向が強く、何かと云えば学識経験
者の意見のみが正論とされる・・・。
 で、その反動で、ある学者が唱えた学説が間違えていたとなると、そのバッシングは目を覆いたくなる程酷い。最近なら例
の理研の何とか細胞の事件・・・。未だ若い優れた学者が一つの間違いで嘘つきとして葬られた・・・。若気の至りで、功を
焦ってしまった結果ではあろうが、それが間違えていれば、しっかりとそれを証明し、新たなステップに引き上げてやる先生
はいなかったのか・・・・・。
 親爺はしたり顔の学者があまり好きではなく、学問などという七面倒なものははもっと好きではない。だから親爺には無縁
の世界なのだが、学者の世界などキットとてつもなくごちゃごちゃしていて理解不能な複雑な、早い話がキタナイ世界なのだ
ろうなぁ、と予感しそんなところへは決して近づかないだけの猿知恵はあるのだ・・・・・。
 さて、ガソリンも安くなったし、雪も少ないし、その内に一寸遠出でもして見るかな。


1/27
 今日も山里は、やや雲がちではあるが青空も見えている。
 昨日久々にお籠もりを中断、オカカと一緒に町まで買い物に行ってきた。数日分の食料を買い込むためだ。
 雪のない時期なら、町のスーパーなど車で20分もかからないのでオカカは毎日出かけるが、雪に覆われた冬はそうも
いかない・・・。今年の冬の雪程度でも、寒くて道路も凍結するし、冬は出不精になるのはしかたあるまい。しかもこの雪
は山里よりも町に降ったので、下るにつれ道が悪くなり、町場の裏道などいい加減な除雪しかしてないので圧雪でデコ
ボコで走り難い・・・。
 まあ、そんな状態ではあったが食料を買い込み、帰宅した頃から立山がきれいに見え始め、午後は平野部から素晴
らしい立山が見えたようだ。
 親爺達も隣村の千垣にさしかかる頃、こんなきれいな立山が見えた。


1/26
 青空が出始め、陽も射してきた。
 積雪は40cmで、この時期の山里としては極めて少ない。オカカの実家のある高岡市の町中より少ないし、海沿いの
黒部、入善、魚津の町場の方が標高420mの我が山里より積雪が多いとは、かつて記憶にない。


 雪は少ないが、山里の寒さは厳しい。親爺の制服?フリースはトップグレードの防寒タイプ。春の剱御前小舎でも滅多
にこれは着ないが、今朝はこんな風に着ぶくれている・・・・・。中途半端に融雪装置を切ったら雪が落ちきらず雪庇に・・・。
 


1/25
 昨日もヨータローが遊びに来て、午前中の2時間あまりを我が屋で大はしゃぎで過ごした。
 保育園でいろんな事を覚えてくる。語彙が驚くほど増え、驚くような言葉が返ってくる。
 オカカ手作りのドライカレーを食べさせていて、「ヨーちゃんおいしい?」と聞くと「良い感じ!」とくるし、最中を一かじりし
て「このチョコ(黒餡をチョコと思っている。)美味しくないから、ジーにあげる。」と親爺の口に押し込むし、とどめはスイッチ
が回転式で、ヨータローには点灯が難しい蛍光灯スタンドをいじりながら、「ジイ、セッショクワルイんだよこれは。」・・・・・。
 山里の雪はとうとう52cmとなったが、この時期としては無いも同然だ。ほぼ新雪の雪は太陽の一照りで、半減する。
 雪下ろしも未だ誰もしないし、雪下ろしをしないから各戸の庭先や道にも雪は少ないまま・・・それにしてもおかしな事も
あるものだ。入善だとか黒部だとか魚津や氷見などと行った海岸沿いの町場の積雪が、我が山里より多いのだ・・・・・。
 普段はあまり降らぬ沖縄に雪が降ったとか、やはり異常気象と云わざるを得まい。
 クワバラクワバラである。
 見慣れた雪景色になってきた。


 飛行機大好きのヨータロー。未だ3歳児のかわいらしさはたっぷりだが、腕白小僧の片鱗も出てきたようだ・・・。
        
 


1/24
 夕べは20cm余りも降ったようだ。屋根の融雪装置も一晩中動いていた様だ・・・・・。
 朝は凄い勢いで吹雪いていて、これは一下ろし(屋根の雪下ろしが必要になり一回雪下ろしをせねばならぬ量の降雪)
来るかなと思っていたが、10:00現在青空が広がってきた。
 恐らく今日も降ったり止んだりなのだろう。明日午後からはもう天気は回復するそうだ。
 昨日午後ヨータローが来て遊んでいったが、今朝も又我が屋へ遊びに来るそうだ。
 すっかり保育園児らしくなったヨータローはとても面白く、可愛い。


1/23
 昨日は、ほんの一時的にだが吹雪いた。
 窓外には、見慣れた寒の中の、我が山里芦峅寺の情景が広がった。
 殆どモノクロの、寒々とした情景は見飽きているはずだが、いよいよ暖冬で雪が降らぬ冬の日々が続いてみると、
少し寂しい気がするからおかしなものだ。
 こんなことをほざくと、それではとばかり、ドカ雪にでもなると怖いので、これ以上は云わぬ。
 今夜から雪が降るとの事。親爺もオカカも備えはしてある。だからゆっくり冬ごもりを決め込むことにしよう・・・。


1/22
 今年は、これが精一杯の大寒の冬景色。
 雪は降り続いているが、積雪量は一向に増えない。
 それでも寒さは大寒の厳しさ、朝晩は凍結して至るところバリバリ・・・・・。
 今日はオカカと一緒に久々に外出し、買出をしてきた。帰宅したらネパールから昨日帰国下森爺さんが訪ねてきた。
 親爺はもう十年ネパールにご無沙汰しているが、震災後のネパール情報をたっぷり仕入れた。


 保育園児となったヨータローが、初めて形のある絵を描いたと、心平が写真に撮って送ってくれた。
新幹線だ。パンタグラフや窓もあり、後部の赤はランプの様だ・・・。ジイジもバアバも感心してしまった・・・・・。


1/21
 今日は大寒の入りだが、山里の積雪は20cm余りと、記録的な少なさだ。
 親爺も物心ついてからの半世紀以上、こんな雪の少ない芦峅寺の情景は、記憶にない。
 例えチラリホラリと長閑な雪降りでも、それが二日も続けば飽いてくる。今度の雪は4〜5日続いたと思うが、もちろん
もう雪には飽いている・・・・・が、久々に青空が見える今日になった・・・・・・。
 さて、スキー場には折角の雪だったのだが、これでは焼け石に水だったろう。あちらを立てればこちらが立たず、いや
親爺も喜んでばかりはいられない・・・・・・。
五 


1/20
 我が山里は、豪雪地帯の呼称を返上せねばなるまい。
 この雪で、富山市内のど真ん中と同じ積雪量だし、他の市町村よりも少なくとも多くはない積雪量で、雪かきも殆ど無く、
屋根の雪下ろしなど思いもせぬ状況だ。
 いやいや、雪に降り込められての籠城を覚悟していた親爺とオカカはすっかり気抜けしつつも、喜んでいる。
 融雪装置も例年と比べると殆ど稼働せず、燃料費も随分安く上がり、正直言うとこんな過ごしやすい冬はない。
 玄関先の飾り棚には雪靴が飾られているが、今年の冬はこの程度の「お飾り」のようなもの・・・・。明日から大寒だが・・・。


       今朝の我が山里芦峅寺。本当に印ばかりの雪である。
     


1/19
 天気予報では大雪との今日だが、9:30現在の山里は積雪1cm、高曇りで時折陽が射している。
 親爺とオカカはこの予報を聞いて、昨日中に数日間こもれる様に食料の買出をし、寝る前には屋根の融雪装置もオン
にして今朝を迎えたのだが・・・。
 この天気予報を指して「降る降るサギ」とはよく言ったものだ。
 天気予報の外れは今更珍しくもないが、良い方に外れてくれる分には一向にかまわぬ。
 が、今夜辺りから明日かけては多分、親爺とオカカの備えが役に立つ様な大雪になるかも知れない。
 ああ、もうちらちらと雪が舞いだした。覚悟はしておこう・・・。


 オカカは蜜柑の空き箱を使って小型のこたつを作成中。これを夜具に突っ込み、温風ヒーターから出る暖気を、ホーム
センターなどで販売しているフレキシブル専用ダクトでこの中に取り込み、夜具を温める計画だそうな・・・はたしてして役に
立つか・・・・・。
     


1/18
 花のお江戸に雪が降って、今朝から大騒ぎだ。
 我々雪国に暮らすものから見れば、高々10cmほどの雪で・・・と心底疑問に思うのだが、とにかく雪に対する備えなど
何にもないし、地方の閑古鳥が鳴く過疎状態の対極に、超過密都市として人々がひしめく東京ならではの、渋滞が至る
ところで、いたる局面で起こり、ほんのささやかな降雪にさえも、全く対処できぬ様になる。こんな事で大地震などの天変
地異に対処できるとは考えられない。とにかく過密なのだ。人が多すぎるのだ。全てが東京にばかり集中しすぎるのだ。
 我が山里には子供の声が絶え、若者の姿も絶え、爺婆と猿、カモシカ、イノシシそして空き家ばかりが増えている・・・・・。
 爺婆はそのうち自然に少なくなるだろうが、野生動物と、空き家は更に増え続けそうだ・・・・・。
 この過疎と、過密を何とか中和させる方法はないものだろうか・・・。
 限界集落の我が山里は、東京の雪を尻目に雨に煙り、雪は殆ど無い。
 
 


1/17
 久々に良い天気になった。
 例年なら雪で開けられぬ、座敷縁側の戸を開けて見上げると大日がよく見える。気持ちの良い天気だ。
 でもこの天気も今日だけの様で、明後日は大雪になるとの予報である・・・。さて、どのくらいの大雪となるのだろうか。
 
 
 現在の積雪はほぼ0センチメートルだ。          わが家の居間にも久しぶりに明るい朝日が差し込んでいる。
 


1/16
 雪マークが連日続く天気予報だが、積雪は僅かだ。
 我が山里でも、雪の少ない冬は確かにあって、屋根の雪下ろしを一度もせずに済ませたこともあったかも知れないし、
スキーを履いての銃猟が出来ず、藪こぎをしての銃猟に閉口した冬もあったかも知れないが、1月半ばに積雪が10cm
にも満たない今冬はやはりキロクテキナ冬なのだろう・・・・・。
 朝、木立は凍てついて白い氷の花が咲いているが、積雪はほんの僅か。閻魔堂の石段も未だ黒々としている・・・。
 

 我が屋の庭のバラが狂い咲き。雪に降られながらも花を開いた・・・・・。


1/15
 ここ一年ほどは枕元にタブレットをおいている親爺で、寝付く前の読書、寝起きの新聞代わりも全てこれだ。
 今朝も目覚め、朝一番に見たニュースは大きなバスの事故だった。
 ほぼ満員のスキー客を乗せ、長野のスキー場に向かう途中だった様だが、事故現場は碓氷バイパスとのことで、親爺は
てっきり路面凍結によるスリップ事故かと思ったが、当時路面凍結はなかったそうだ・・・。
 この碓氷峠を初めて親爺が通ったのはもう四〇年以上も前の話だが、当時は今の碓氷バイパスも未だ無く、酷いつづら
折れの難所だった。その最初の時に大型車の事故を見て、当時は運転初心者の親爺はかなり怖じけ付いた記憶がある。
 「碓氷嶺の南おもてとなりにけり下りつつ思う春の深きを」と、確か白秋の短歌だったとおもうが、この歌が好きで碓氷峠
と云うとこの歌を思い出したものだが、何やら今朝(未明二時ころとか)の事故はかなり犠牲者も出ているようで、小規模な
ツアー会社の企画による、格安スキーツアー途上の事故であるようだ・・・・・。
 事故の実態が明らかになる前だが、まさか又運転手の居眠りや、失神、はては危険薬物利用による・・・・・・と悪い方に考
えてしまう親爺である。
 実に怖い話だ。犠牲になられた方々の冥福を祈るしかない。
 山沿いの多いところでは50cmの降雪との予報は外れ、山里の今朝の雪は数センチ・・・・・。
 我が屋の庭の雪も未だ未だ僅かな量だ。


 窓の外の雪はこんな風に見えているが・・・・・・・実はこの程度の雪なのだ。
 


1/14
 今朝から雪が降り出した。
 親爺は一月ぶりに富山市内のT病院へ”お薬もらい”・・・。山里では雪だったが標高が下がると霙になり、富山市内で
もうっすらと雪が積もっていた。
 ”お薬もらい”だけなら直ぐ済むが、診察も受けると半日がつぶれる。それでもやはりたまには受診もせねば・・・で、半
日がつぶれた。
 帰宅したらもう昼。山里の雪は今朝からせいぜい3cmも積もっただろうか。
 庭の隅のつげの一群にも雪が積もった。


1/13
 寒くはあれど雪がないから、冬ではあれど冬ではない・・・様な毎日だ。
 雪はちらちら降るし、そこここ白いものも見えるが、明け方の除雪車の音も聞かぬし、屋根から雪が落ちる音もせぬ。
 いわば、十二月の始め頃、つまり冬の初め頃という感じで、とても寒の中なのだとは思えぬ。
 木々は白く凍えているが、屋根には僅かな雪がへばりついているだけだし、道路など黒々としている。
 こんな冬なら、親爺もオカカも雪のない他所をうらやましく思うこともない。


1/11
 冬景色ではあるが、雪がこんなに降らぬのも珍しい。
 今朝も降ってはいるが、積もることはない降り方だ。
 まあ、営業できぬスキー場には気の毒ながら、親爺やオカカには快適な雪の心配をせぬ冬である。


 因みに左の写真は今朝の我が屋の庭、右のオカカが除雪している写真は去年の明日(1/12)のものだ。
 


1/9
 山里の積雪は10cm程だろう。辺りの杉木立は真っ白になったし、家々の屋根もほぼ真っ白だが、この時期としては
異例で、雪は非常に少ない。その上今朝は青空が顔を出し始め、明るい陽射しが漏れてきている。陽射しに照らされる
と先ず、電線の雪が落ち始め、やがて木立も雪を落とし始める。半日も日が照れば、白く輝いていた景色は黒勝ちにな
り、かなり薄汚くなってしまう・・・。
 昨日はオカカが正月の鏡餅を切った。これであられを作る。わが家で一番寒い座敷縁側にこれを広げ、気長に乾し上
げると、一年以上も保存が利くあられが出来あがり、思い出したように油で揚げ、軽く塩を振れば何とも美味い揚げあら
れが出来上がるのだ。


 専用の「押し切り」を使い切ると包丁より遙かに楽だ。切れ端をストーブで焼いて醤油をつけ海苔で巻き、磯辺巻き・・・。
 

 今朝はこんな冬景色が広がり、朝の居間の気温も4℃と、この冬一番の冷え込みだった・・・・・。雪は少なく10cmほど。


1/8
 雪は相変わらず降っても積もらない。どうやら「キロクテキナダントウ」の様だ。
 この暖冬は親爺もオカカも大歓迎だが、いよいよスキー場が営業できなくてかなり深刻な状態となっていると云う。
 こうなると、川向かい(常願寺川対岸の旧大山町)のスキー場には友人知人も多いし、一寸気の毒で、雪の少ないの
を喜んでばかりもいられないような気分になってくる。せめてスキーが出来るくらいには雪も降って欲しいなどと随分虫
の良いことを思ったりもする・・・。
 これが一月八日の川向かいのゲレンデだ・・・。最上部で僅かに滑られるらしいが、商売にはならないだろう。
 スキー場関係の友人の一人が昔、親爺に言ったことがある。「いや〜、年末年始に滑られんで、商売にならん冬はそ
の後いくら雪が降って滑られる様になっても、取り返せんもんだちゃぁ。もう、この冬はあきらめた。」その冬も雪が少な
かったのだろう・・・・・。


1/7
 寒さは余り感じないが、湿った雪が降っている正月七日だ。
 今日までが松の内、朝には正月のお飾り(鏡餅)を下ろし、七草がゆを頂いた。
 何度か書いている我が山里の七草がゆは春の七草には縁がない。例年この時期は雪の下で、野山に七草など生えよう
はずもない。それどころか野山に分け入ることも困難な積雪だ・・・・・。
 で、我がご先祖様は正月飾りをそのままかゆに炊き込み、越冬野菜の大根か白菜でも僅かにこれに加え、山里流七草がゆ
をこしらえ祝ったようで、その七草がゆは未だにわが家のオカカに受け継がれている。
 山里の正月飾りは餅も数えてほぼ五品、餅、昆布、干し柿、勝栗、蜜柑で、これに黒豆と、大根か白菜でも刻み入れれば何
とか七草になる。
 流石に蜜柑は皮を僅かな香り付け程度に、干し柿も甘くなりすぎるのでごく僅か・・・・・。
 まあ、今はこんな事をせずとも、スーパーにはセリナズナゴキョウハコベラホトケノザスズナスズシロがパックで売られている。
 だから、この由緒正しき?山里の七草がゆは殆ど絶滅状態かも知れないが、わが家では今朝もこの七草がゆを頂いた。
 年に一度の、昔ながらの山里流七草がゆ。懐かしくそれなりにうまいものだ。


1/6
 富山市内に用事が出来て、オカカと外出。
 雪がないので車の運転も楽だし、寒さも全く感じない。
 漸くお節が殻付いたので、普段の食生活に戻る。冷蔵庫も正月の食材がほぼ姿を消したので、帰路行きつけのスーパー
に立ち寄った。オカカと半額のアイスを物色していると誰かに方を多々kれふちかえると、早月小屋の謙ちゃんだ。
 年末年始を今でもかつての古巣である、戸谷か県警の山岳警備隊の要請で、馬場島や早月小屋で過ごしている謙ちゃん
だが、もう下りてきたようだ。
 「おお下りてきたかよ。おめでとう。」「おめでとう。」と互いに挨拶を交わし、家に帰った。
 剱や、大日がよく見えているが、いずれも三月下旬の山の様に見える。今日が未だ正月松の内であるとは思えぬ景色だ。
 山里もそうだが、富山平野外れ在の村々もまるで春間近の頃のようだ。


1/5
 正月五日、雪は無く温かい。それでも空は鉛色で、立山は深いガスの中に殆ど見えない。
 雪が無く嬉しいのだが、これは果たして異常気象の所為なのだろうか?
 我が山里で、今年のように雪の少ない正月は実に珍しい。
 が、珍しいというのは過去にも同じ様な冬があったと云う事であり、しかとした記憶ではないが、我が山里でも一度も屋根
の雪下ろしをしなかった冬が有ったし、小学校のスキー大会が雪不足で出来なかったと云うこともあり、スキーを履いての
猟が出来ず寂しかった冬もあった・・・。
 だから、異常気象かどうかはよく分からないが、雪の少ない冬には間違いないし、それを予測した気象庁もこれは立派な
ものだと、親爺はおかしなところで感心している。
 まあ、親爺やオカカには有り難い冬である。


1/4
 三ヶ日も終わった。長女夫婦に三女は昨日帰り、今日は次女も帰る。
 寂しい様な、ホッとしたような・・・・・。
 これからは又親爺とオカカの二人だけの日々。だがこの冬は雪が少なくて本当に助かる。
 先ず屋根の融雪装置が要らないので燃料は一切喰わない。灯油も一時のバカ高値よりはやや下がっているがこれは
有り難い。更に除雪作業も不要だし、車での外出も気楽である・・・。
 が、そんなことばかりも言っては居られぬ。この雪を当てにしているスキー場関係者、除雪作業に従事する建設関係者
などなど、身近には雪を飯の種にしている人達もちらほらいるのだから・・・・・。
 とにかく今は雪のない正月を過ごしている。


1/3
 正月もはや三日。昨夜は長女夫婦が来て泊まり、娘三人に息子一人、オカカと親爺と六人で食卓を囲んだ。
 夕食後は若い連中が盛り上がるだろうとオカカと親爺は早々に退散・・・・・。
 今朝は又箱根駅伝。
 青学が実に強い。
 親爺はこの観戦で疲れ果て、今年も初詣はパス。オカカが一人で初詣に行ってきた。
 雪が少なく好い初詣だったようだ。


 口町頑張るも、青学が強く六区、小田原中継所でのタイム差は4分15秒・・・。でも三位駒沢とのタイム差も広げたく千町の
走りに拍手・・・・・


1/2
 今年も元気で箱根駅伝をテレビ観戦。
 親爺は自分が走っているつもり。息切れで大変。
 二区でのドラマ・・・・・服部(兄)が明大を抜き三位に・・・・・。


 親爺観戦に夢中・・・・・・・・・・・・・イカ写真をご覧じろ。
 

 


1/1
 平成28年元旦だ。
 久々に雪が少なく、長靴を履かなくとも外出できる正月だが、ここ数年正月は寝正月と決めているので今年も
雑煮を頂いてゴロゴロするつもり。正月元旦、雄山から剱岳への山並を掲げ絵日記の口開けとしよう。


 今年も昨日大晦日一杯頑張ってオカカと親爺が作ったお節。写真に撮っておくと又年末に使える・・・。

      

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