新年明けましておめでとうございます。 
                                 年が改まったと云うことで、項を改めましたが、零によって内容は一切変わりません。
                                 本年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。 平成二十六年 元旦 親爺拝



3/31
 弥生3月ももう終わりだ。そんな今日、先輩である佐伯靖彦さんの訃報を受けた。
 長い間、我が村代表の町会議員を勤め、引退直前は町議会議長として活躍していた人で、親爺達がネパールとの
友好提携に走り回っていた時の、リーダー的存在であった。
 若い頃はアルペンスキーの名手として鳴らし、国体選手としても活躍したスポーツマンでもあった。親爺達にとって
は兄貴分で、全く飾り気のない気さくな人柄に加え、親分肌の人でもあったから面倒見も良く、いろいろなアドバイスも
してもらえてものだ。
 2,3年前から体調を崩し、”ネパール友好提携調査団”時代の記録確認したいからと呼び出され、氏の自宅を訪ね、
談笑したのが最期となったが、これとてもう2年ほど前のことだ・・・。ご冥福を祈るのみ・・・合掌。
 今朝散歩中、村はずれの野原の雪が溶けたところからふきのとうが三つ四つと顔を出していた。


3/30
 曇天で雨も降っているが、暖かい。
 一昨日から始めた散歩も、この雨では中止・・・・・。ズボラ親爺は居間で自転車漕ぎをしてお茶を濁す。
 明後日から一週間ほどオカカと旅に出るつもりなので、今日はその支度をする。
 親爺など支度と云っても簡単だが、オカカはそうも行かぬらしい・・・。
 電子書籍端末はこういう時には実に有益である。昔なら読みたい本を現物で持ち歩くしか無く、ネパールへの出張時な
ど10冊以上を持って行ったもので、これが結構荷物になった。今、親爺の電子書籍端末には、未読でほぼ50冊の本が
入っており、それでも180g足らずの端末重量は増えることはない。しかも旅先でWi-Fiが使えれば随時電子本を購入出
来ると云うのだから、本もえらく進歩したものだ。ただし、漫画本や写真集などは画面サイズの都合で、如何ともしがたい。
重量もサイズも、週刊誌程度の端末でも出来ればまた話も違ってこようが・・・・・。
 親爺の散歩道途上の「布橋」も雪が殆ど溶けた。


3/29
 親爺とオカカの散歩道がようやく開いた。
 冬眠明けで、なまりきった親爺には僅か1km余りの散歩でも、心地よさを通り越して「ツカレ」が残る・・・。我ながら情け
ないとは思うが如何ともしがたい。
 オカカが軽やかに歩む後から、とぼとぼよろよろ、時にはゼーゼーと息切れしながら親爺がついて行くと云う図だ。
 それでも雪化粧をした立山を眺めながら、未だ残雪多い村外れを歩いていると清々しい気分になる。
 祖父宗作の石碑脇に、我が家の墓も並び建っているが、碑も墓も未だ半分ほどは雪の下だ。家からここまでがちょうど
500m余りで、アップダウンも僅かなのだが親爺など、目には定かならぬ上り下りが息切れで解る・・・・・。
 今朝も大日が目の前に聳えて、きれいだった。


      ヤエンコ(野猿)軍団が目に付く。あちらに1匹、こちらに1匹とご本尊は隠れているつもり・・・・・・・
 

    カメラを向けるといやがって、のそのそ逃げ出し、静かに見ているとこちらを伺いながら立ち止まる・・・・・
 

         山の子供達は激減して要るが、ヤエンコの子供達は数を増やし雪野原を遊び回る。
       


3/28
 昨日は何やらモタモタしていて、午後は東邦航空主催のヘリコプター空輸作業安全講習会があって、その後は懇親会も
あったので、HP更新をサボってしまった・・・。
 この講習会は恒例で毎年やっているが、今や我々山小屋親爺達には小屋開けを知らせる年中行事となっている。
 昨日は、小松所長、荒川さん、清水さんの3人が松本からお見えになり、荒川さん手製のミニチュアモッコ(モッコのスケ
ールモデル)に同スケールとおぼしきドラム缶、ガスボンベなどのミニチュアを用いた、空輸品荷造りのノウハウは非常に
解りやすく、大好評だった。


 我々、立山山荘組合東邦航空組は7軒(剱沢小屋、早月小屋、内蔵助山、荘仙人ヒュッテ、奥黒部ヒュッテ、大日平山荘、
剱御前小舎)だが、大日平の直樹は松本で受講したので6軒7人が参加。
 講習会の後は、富山市内へ繰り出して、剱沢の新平の手配してくれた和食割烹で懇親会。6時から始めてわいわいがや
がやと和気藹々に盛り上がり、下戸の親爺すら楽しくてあっと言う間の3時間・・・。
 気付けば、隣にいた早月の謙親爺は完全に出来上がり、歩行困難?向かいにいた内蔵助の常親爺も下戸どころか結構
飲んで、それでもにこやかで楽しそう。その隣の小松所長は謙親爺と差しつ差されつ乍ら、頗る意気軒昂・・・。ややや、これ
は謙親爺が小松所長に撃沈されたようだ・・・・・と、4人のロートルテーブルの向こうには、若手6人が陣取り、ここも盛り上が
ったようで、結局、全く飲めぬ親爺の車で山里に帰還したのは、親爺(無傷)、常親爺(無傷)、謙親爺(大破状態)、の3人だ
け。後は、小松所長も若手グループに同行し、もちろん午前様・・・朝帰りとなった様子・・・。
 いやいや、ご苦労様でした。
 東邦航空さん今シーズンも宜しく。
   


3/26
 今日も暖かい日だがどんよりとしている。
 オカカと2人今朝からマヨネーズ作りで大騒ぎ。過日親爺が適当にやったときは難なく出来た手作りマヨネーズが、新品の
ブレンダー(ハンドミキサー?)を使ってやろうとしたら出来ず、何だかシャバシャバしたものになってしまう・・・そこへ親爺が
参加して、2人でああだこうだはてはインターネット検索も駆使してやるがこれと云った決め手がない・・・・・。
 この前親爺がやった時のレシピも元より無く、記憶もサラになく、結局冷蔵庫で分離させ再度挑戦することにした。
 こんな事で大騒ぎの似たもの夫婦、まあ今日も長閑に時が過ぎて行く。


3/25
 暖かい朝だ。6時前からストーブも付けず、夜具の中から手を出して本を読んでいたが寒さを感じず、本を読みながら
またうとうとと寝てしまった様で、目覚めると7時半になっていた。夜具から殆ど半身を出したままだったが寒さは全く感じ
なかったのだ。もう1週間もせぬ間に4月となるのだから、と、改めてそう思った。
 オカカと2人買い物に出て、近道のつもりで熊野川沿いに大沢野に出、いつも行くパン屋で、お目当てのカツサンドを買
い込んだ。これが今日の親爺とオカカの昼飯となる。
 帰路、白く咲き始めた梅の木を見つけ、嬉しくなって写真を撮ってきた。いよいよ北国にも春が姿を見せ始めたのだ。
 曇天ながら暖かく長閑な春日、何やらけだるくまた眠くなってきた・・・・・。


       ストレートイラムティーを添えた、”パンダパンダ”のカツサンドが今日の親爺の昼食。
     


3/24
 イラムティーの甘い香りと、薄い色に似合わぬ、濃い引き締まった味ですっきり目が覚めた今朝だ。
 親爺にはネパール人の弟が居る。もちろん血のつながりはないが、20数年前に我が芦峅寺とネパールはソルクンブー
州にあるクムジュン村(エベレスト街道のシェルパ村)の友好提携を実現するのに駆け回っていた頃の、ネパール側の窓
口となったのがこのハクパ(Lhakpa・G・Sherpa)であり、その時日本側の窓口だった親爺とは義兄弟の中となり、現在もも
ちろん家族ぐるみの付き合いが続いている。
 親爺は嘗て地元建設会社に勤務し、このネパールとの交流の中で生まれた丸新志鷹建設ネパール支店の立ち上げに
当初から関わった経緯がある。現社長で、当時専務だった志鷹氏と2人で、ネパールに乗り込み、ほぼ暗中模索の中で、
支店開設をした日々。初めてネパール南東部のイタハリでもらったポリストレーニングセンター新設の仕事、当時ネパール
最長の吊り橋を架けた日々・・・・・。志鷹氏と2人で、ネパールの隅から隅までを右往左往し、全く利益の上がらぬ仕事に
もかかわらず、懲りず次々と仕事を進めた日々・・・・・。
 今から思えば、よく頑張ったものだと思うが、これはやはり志鷹氏の「ネパールをの発展に寄与したい」という強い意志が
あったから出来たことなのだ。
 親爺は8年前に退社するまで、この支店を10数年にわたり担当し、日本本社へネパールからの延べ100名近い研修生
も十年にわたり受け入れてきた・・・・・。そんな中で常にネパール側の窓口にいたのがこのハクパであり、未だに親爺の弟
のままだが大きく成長を遂げ、ネパールのみならずブータンからの仕事の受注までしている、現丸新志鷹建設ネパール支
店のボスなのである。
 イラムは、ネパール東部の高原地帯であり、インド領ダージリンとは地続きのエリアである。この地も嘗て志鷹氏やハクパ
と一緒に何度か足を運んだ地である。確かアルン谷水力発電プロジェクトに参加したときのことだった。朝、宿舎代わりの
バッティー(茶店)の食事が薫り高いイラムティーと、目の前の炉端で焼いてくれるパンケーキで、その美味さは今でも鮮明
に記憶に残っている・・・。で、今朝のハクパが志鷹社長にゆだね送ってくれたイラムティーは、あの頃の記憶をより鮮明に
引き起こしてくれるのだ・・・。


      茶葉はかすかに緑色を残している。            ポットに少し多めに葉を入れ熱湯を注し1〜2分蒸らし
 

        親爺好みのチャイニーズボーンのカップに注ぎ頂く・・・・・。素晴らしい香りだ。
      


3/23
 所用で外出。標高の低い平野部は雪がなかった。山里は未だたっぷり雪があるのに・・・。
 世の中は三連休最終日で、スキー場へ向かう車がかなり多い。雪質はもうかなり悪かろうが、今シーズン最後の滑りを
楽しもうと出かて来るのだろう。
 過日の雪は山雪だったようだ。富山平野には雪が全くなく、田の面は青々と、農作業ももう始まっていた。
 未だ真っ白な山々を遠望し、野を焼く煙が流れる。はるだな・・・・・。


3/22
 山里は昨晩まで降り続いた雪で真っ白。7時頃は青空が広がって大日が眩しく神々しく聳えていた。
 今はもう雲が広がって、青空は僅かに見えるほどだが、この後の週間予行に雪マークは見当たらず、最高気温も15度以
下が無い・・・。恐らくまとまった雪は今回が、この冬最後となりそうな気がする。
 人間など勝手なもので、そんな風に考えてみると今朝の雪景色が、名残惜しいような、愛おしいような気になるのが可笑し
い。まあ、今朝の山里の雪景色は、確かにきれいで、清々しい・・・・・。


 以前、人気テレビ番組「ケンミンショー」で放送していた”子供洋食”を再現して食べて見た・・・・・。
 ふかしたジャガイモを一口大に切り、干した桜エビと長ネギを加えて油炒めし、ウスターソースのみで味を付けたものだ。
 何じゃそれはと侮る無かれ、いやいや美味かった。青のりと紅ショウガを散らし、マヨネーズも好みでかければいい。何と
限りなく、お好み焼きや、たこ焼きに近い味ながら、群馬県の桐生市辺りのソウルフードらしい・・・。
 「ソースで味付けするから洋食ダンベ。」との地元の方のコメントにその通りと納得。その説得力あるコメントが嬉しくてトラ
イしてみたのだ。
 無条件美味い!親爺のノンアルコールビールの晩酌にピッタリ!!子供洋食と言うネーミングがまた素晴らしい!!!
     


3/21
 今朝は新雪が10センチ余り降り積もって明けた。雪は今なお降り続いている。
 今日は春分の日。春分、秋分の日を中日と定め、その前後3日を彼岸というのだそうで、とにかく今日は春の彼岸の中日
で、「お中日」とも云い、世間ではこの彼岸の間にご先祖様の法要を行ったり、お墓参りに出かけたりするが、山里ではこの
お彼岸の墓参は余り記憶にない。春の彼岸の中日は、山里では各戸の墓も未だ雪の下なので、墓参は難しい。で、その代
わりと言うのでも無かろうが、この春分の日つまり春の彼岸の中日には、閻魔堂で仏事が執り行われる。「すどうきょう」など
と云われ、受け継がれているが、これは永代経、もしくは永代祠堂経と呼ばれる法要のことらしく、真宗王国の北陸では「祠
堂経」と呼ばれて居るという。決して「すどうきょう」ではなく「しどうきょう」と言うべきらしいが、我が親愛なるご先祖様たちにと
って「し」の発音は「す」とさして厳密に区別する必要のない音であったから、「すどうきょう」となってこれが受け継がれてきた
と言うことだろう。立山中宮寺は天台宗の寺だったが、真宗王国北陸にあって、真宗の影響も受け、この祠堂経も我が山里
に受け継がれているのだ。とにかく、もう殆ど滅び去った天台宗立山中宮寺の一同宇に過ぎなかった閻魔堂で、今日はその
「すどうきょう」が行われ、午後からは数珠繰りも行われるのだ。
 因みに秋分の日、つまり秋のお彼岸の中日も閻魔堂で仏事が執り行われ、昔は改めて墓参する習慣は余り無かったよう
だが、最近はこの時期の墓参は可能なので、各戸でそれぞれ、墓参する人達も増えたようだ。
 山里の春の彼岸の中日は、真冬に戻ってしまった・・・。


3/20
 五里霧中と云うが、当に今日の山里はそんな状況で、薬もらいの帰路はフォグランプ点灯で安全運転・・・。村外れの民
家の無い処は真っ白にガスっており、家々が立ち並ぶ村中は辛うじて運転に差し支えない程度には見通せた。
 雪解けの頃には必ずこんな天気の日が有って、その後には急速に春めいてくるのだ。
 村外れには未だ雪が残るが、辺りの木立すらぼんやり翳む今日の山里である。
 完全なモノクロームの世界・・・。


3/19
 朝一番でヘリが飛んでいた。県警ヘリでも防災ヘリでもない民間機のようだが、こんな天気では立山には入れまい・・・。
 で、フッとヘリコプターでの偵察を思い出して、早速剱沢の友邦兄と相談、東邦航空の小松所長にお願いの電話を入れた。
 この27日に安全講習会があるので、その時に詳細は打ち合わせるとして、4月も10日頃までには偵察して、各山小屋の
状況を確認しておかねばならぬ。
 いよいよ小屋開けへ向けての準備が始まる・・・。
 こんな天気に機首は立山方向を向いている、どこのヘリだろう・・・。


3/18
 暖かくなった。今朝も七時前から目覚め、夜具の中から手を出して本を読んでいたが、ストーブなしでも寒さは感じなかっ
た。いよいよ春だ。小屋開けの支度もボチボチと始まるし、入山前にヘリでの偵察も是非やっておかねばならない・・・。
 今年も4/17には心平をリーダーに小屋開け第1陣の入山を予定している。今シーズンはヒデが下界で新展開することに
なって寂しくなるが、3年目のクミチャン、新人の翔也、タケチャン、ミッチャンの大ベテランに更に仙人の若大将マー君にも
助っ人をお願いしている。
 剱御前小舎の営業は例年通り4月25日からを予定しており、10月の19日まで休まず営業を続ける予定だ。
 親爺もGW開けに入山する予定・・・。
 本当に一気に雪解けが進んだ。


     昨晩美味かった、菜花とホタルイカのパスタ。富山の春を告げるホタルイカと菜の花の相性は抜群。
     
 


3/16
 ヤマテンの猪熊さんは、気象予報士で、特に山岳気象にかけては第一人者だろう。
 先頃、テレビ番組でイモト女史が素晴らしい登山家ぶりを発揮し、滅多にこんな番組は見ない親爺ですら、事が山なもの
だから、このスーパーウーマンのマッターホルン、キリマンジャロ、マナスルなどの登山の様子を垣間見て、唸った・・・・・。
いやいや、たいした根性、たいした体力、そして何より自分の登山を誇るようなそぶりもなく、軽く流して、笑い飛ばし、深刻
ぶらず、登山という行為に執着しないところが何とも清々しい。この人にとっての登山なんて、仕事の一環に過ぎないのだろ
う・・・。それが堪らなく良いのだ。
 で、もちろんこれらの登山には、多くの登山ガイドや専門家のサポーターがついて、このスーパーウーマンをサミットに導く
わけだが、その気象観測を猪熊さんがやっていたのだとは、うかつにも気付かなかった親爺だ。むしろオカカの方がよく知
っていて、「この前の、テレビで出てたよ猪熊さんは・・・」と親爺に教えてくれた。
 で、その辺の話は、今回猪熊さんの出した本に詳しいので、どうぞ書店で。
 猪熊さんは、四月からのエベレストに向けて?走り込んで一回り締まった様で、親爺のたるみ方が更に良く分かる・・・。
 閑な親爺のバカ話に、一時間余りも付き合わされたのに、終始にこやかな猪熊さんは、心平と同い年、男盛りだ。


  本当に興味深く面白い。親爺などもう半分以上読んでしまった・・・。


3/15
 眩しい陽射しの朝だが、辺りは一面の冬景色だ。
 昨日の雪が、ちらりほらりではあったが夜半まで降り続いたから、山里は春の足音も、春の気配も全部雪の下に押さえ
込まれてしまったのだ。
 気温は少しずつ上がっているようで、また屋根からド〜ンド〜ンと音を立てて雪が落ちだした。
 大日がようやく見え始めた。


      昨夜美味かった、揚げ出し豆腐鶏餡かけと、茹で豌豆の自家製マヨネーズかけ。
   


3/14
 昨日の雨は昨夜遅くから雪に変わり、山里は又新雪に覆われた。観測地点の積雪は92cmとのこと。
 親爺の愛車は4WDのマニュアル車で、オカカのプリウスが最先端の電子制御された車種であるその対局にいるような
車だが、雪道にはこれが良い。強い勾配の下りなら2速、緩ければ3速と、ギアを手動で細かく使い、運転手の思い通り
に制動できるのが強みだ。オートマチックでもこれは出来る操作だが、その効き方がマニュアルの方が直接的で、少なく
とも親爺にはこの方が運転しやすい。
 でもこの雪は山雪、岩峅寺を過ぎる辺りから雪は少なくなり、富山市内には全く雪はなかった。
 芦峅寺の山里は又こんもりと雪に覆われてしまった・・・。


               外出の帰路、千垣隧道を過ぎた辺りで事故処理中の現場に遭遇・・・・・。
       

 大型車がスリップして側溝に突っ込んで対向車が巻き添え???のように見えたが・・・。寒い中、警察官は大変だ・・・。
       


3/13
 山里にも雨が降りしきり、雪が溶けている。昨日のような暖かさはなく、肌寒いのだが辺りはぼんやりと霞におおわれ、
閻魔堂の木立さえぼんやりと霞の中だ。
 如何にも春先の、雪解けの頃と言った趣ではあるが、この肌寒さは、雨を氷雨にそして霙に変えるかも知れない・・・。


3/12
 朝目覚めて、未だ7時前なので例によって本を読み出し、とうとう8時半まで本を読んでいた。
 暖かいので、夜具から手を出して本を読んでいてもヒーターは要らなかった。
 早起きをする必要のない生活だが、若い頃の休日はともかく8時過ぎまで夜具の中から出ないと云うのは何やら少し後
ろめたい気がする。
 山に入って、剱御前小舎での生活となればいつも4時頃には目覚め、5時頃には起き出してしまって居て、そんな癖が、
下山後も11月頃までは抜けぬのだが、流石にこの時期になるとズボラの極みとでも言う生活が日常となっているので、こ
んな体たらくとなってしまうのだ。
 一寸反省・・・。
 それにしても暖かい。気温がグングン上がっているようで、床暖を停め、トレーナーを一枚脱ぎ捨てた。


 今年も剱御前小舎の常連Yさんの奥様から、丁寧で達筆なお便りを添えて、手作りのイカナゴ釘煮を頂いた。
 親爺もオカカも大喜び、親爺など今朝はこれを中に入れたおにぎりに大満足し、布袋様のような腹をなでさすっている・・・。
       ”さび釘に 似たる姿の 春を告ぐ いかなご美味し 雪解けの頃” 
     


3/11
 今日という日は忘れられぬ日だ。
 大好きな東北の地での大震災。しかもテレビでその様子が実況放送されて、大きな津波により拡大して行く被害を目の
当たりにして、自らの否、人間の無力なことを思い知らされた日だった・・・。
 もう三年の歳月が流れたと言うが、復興もなかなか進まぬ。被災された方々の悲しみと無念は、決して癒されることは
ないだろうが、それでも時の流れは全てを過去という彼方へ遠ざける。そしてその過去は、東北の大地に深くしみこんで
行く様だ。何も出来ぬ我が身ながら、せめてこの日を忘れず心に刻んでおこう。
 山里は晴れて青空が広がって来たが、昨日の雪が30cm程降り積もり、融雪装置を停めた我が家は雪に包まれた。

 


3/10
 昨夜寝しなに外を見ると吹雪いていた。これは少し積もるかなと思いながら寝たが、案の定今朝は20cm余りの新雪が
降り積もり、今も未だ降り続いている。
 山里は一挙に真冬に逆戻り、今日が山の神様の祭り明けの3月10日だとは思えぬ窓外の景色だ。
 まあこんな事は当たり前で、今更驚く程のことではないのだが・・・。
 隣の謙ちゃん宅も又雪に埋もれた。


3/9
 山の神様の祭りの触れ太鼓を夜具の中で聞いたが、そのまま又寝込んだらしい。
 結局今年も参拝せず・・・・・。
 それでもその後届いた山の神様のお供え餅を、我が家の神棚に捧げ今シーズンの山の安全を祈った。


 その後久しぶりに、友邦兄がぶらりと訪ねてきた。登山研修所の二月のヘリコプター立山偵察に兄が同行した時の、
剱御前小舎周辺の写真を届けて暮れたのだ。
 ひとしきりコーヒーを飲んでの四方山話で、親爺もオカカも一緒に楽しい時を過ごした。
 友邦兄が現役では今、立山に関する第一人者であることは誰もが認めるところだが、そう考えると山の神様に一番近い
山人が兄なのかも知れぬ。
 山の神様の祭りに、そんな兄の訪問を受けるなど、何やらもったいないような気がしてきた親爺である・・・・・。
 オカカも一緒に四方山話が弾んだ。


3/8
 寒い朝だ。雪が20cmほど積もっていた。除雪車が来たらしいがそれには気がつかなかった。それでも五時半には目が
覚めてしまって、薄明るくなった6時過ぎには夜具の中で本を読んでいた。
 今読んでいるのは一九〇〇年代に流行した架空戦記・・・。それが電子書籍で読めるようになったので、恐らく再読にな
るのだろうが、かなり忘れてしまっている部分も多く、「ラバウル烈風空戦録」の番外編とでも言う、「翼に日の丸」と言う、上
中下巻三部構成の架空空戦記・・・。単純に面白いし、時に痛快、時に悲惨・・・・・。子供時代に馴染んだ戦記漫画の延長
線上にある物語だろう。我ながら、精神的には全く成長の跡が観られぬ自分に驚く。
 先に起きて、食事の用意をして待っていたオカカが、何時までも寝床で本を読みふけっている親爺にしびれを切らし、起
こしに来た。慌てて起きると、もう8時になっていて驚いたが、本を読みふけっていたようだ。
 今日もまた長閑な一日が始まった。さて今日は何をして過ごそうか・・・・・。
 未だ雪がちらついている我が山里だ・・・。


 昨夜美味かった、揚げ物、煮物、焼き物。豪華版の食卓。これにキャベツの千切りでも添えれば2,3日は食いつなげる・・・・・。
牛すじコロッケ(牛すじの肉じゃが再利用)  オーブンで焼いたタンドリーチキンと醤油麹チキン   マイタケとシメジの炒め煮
  


3/7
 大日が顔を出しているが、新雪が少し降って、寒い朝だ。今は青空も覗きたまに陽が射す穏やかな天気になって来た。
 オカカと親爺の生活は平穏そのもの。ほぼ毎日判で押したような繰り返しの中に時が過ぎて行く・・・。
 こたつに入り渋茶をすすりながら、頂いたお干菓子をつまむ。この一時の穏やかな心持ちもまた過ぎ去ってゆく一コマ、
嫌なミュースの多い世の中だが、それも又無限の時の流れの一コマに過ぎぬのかと、今朝の親爺は何やら哲人めいてい
るが、そんな想いの直ぐ後に、今作っているプラモのことを思い出しているのだから、頗るいい加減な親爺である・・・。
 さて、今日も平穏に過ごしたいものだ・・・・・。


3/6
 朝目覚めると、もうすっかり夜は明けていた。6時過ぎまで寝込んだ様だ。窓外は真っ白、新雪に覆われていたが、寒さ
は殆ど感じなかった。
 昨日の午後はヨータローと過ごした。
 もう山のジジババにはすっかり懐いていて、飛びついてくる。「まんま」のありかもすっかり覚えていて、ボーロやえびせん
を自分でサイドボードまでヨチヨチと取りに行く。だから我が家のサイドボードにはヨータローコーナーがあって、常に食べ
させても良い、ヨータローノお菓子がおいてあり、手の届く範囲に危ないものは一切置いてない・・・。流石ジジババ子育て
経験が豊富であるから、目配りが行き届いている・・・と、自負している。
 ともかく可愛くて・・・。
 「父さんはヨータローと居ると凄いフットワークが良いから、ダイエットにもってこいだね。」と三人の娘達が言っていたらし
いが、その通り、ヨータローと遊んだ日は、身体の節々がやや痛むがよく眠れるのだから・・・・・。
 新雪に覆われた今朝の山里は、余り寒くはなかった。


山のジジババはヨータローと遊ぶのが一番の楽しみ。ヨチヨチとそこいらを歩き回り、疲れるとジジババにダッコして一休み。
 


3/5
 今山里は花霞に覆われ、窓の外2〜30mの閻魔堂の木立さえも烟っている。
 明け方に、何と40年以上昔の学生時代を過ごした、本駒込の下宿で寝ている夢を見た。かなりリアルな夢で、4畳半の
部屋の押し入れの前で寝ていて、窓の外に駒込第九中学の建物が見えていたし、窓には青いカーテンが掛かっていたし、
その中で自分は「飯を用意するのが面倒だな・・・でも今日は何も喰ってないし・・・」と思っていて、学生時代の自分に全く
違和感が無かったような気もする・・・。
 夢とはたわいないものだが、東京で過ごした学生時代の夢は、年に一度くらいは見る事がある。自分の60年を超えた
人生の中の僅か四年間だが、何とも懐かしいのがこの学生時代だからだろうか・・・。
 昨日のドライブ途中の熊野川中流。ここは若い頃の親爺の鮎の投網漁場だった。型は小さいがかなりの数の鮎が捕
れたものだ・・・・・。


 八尾の小林さんが戦車のプラモ完成写真を送ってくれた。流石の出来映え。小林さんは親爺と違い、プラモ上級者なの
で、塗装もエアブラシで丁寧だし、親爺のよく知らぬ上級テクニックを使い、素晴らしい模型を仕上げる。
 これは朝霞駐屯地でも展示されている、一〇式戦車とのこと。凄く細かい・・・・・。 
     


3/4
 昨日とは打って変わって、快晴に恵まれた山里だ。朝は未だそこここ凍り付いて居たが、9時頃には暖かくなってきて、
親爺とオカカと二人でドライブに出た。
 たまにしかハンドルを握らぬからか、如何にも運転しがけの数分間は車も親爺もぎこちないような気がするので、十分
注意しながら運転するが、その内に身体と車に一体感が出て、いつも通りの運転となる・・・。こんな事を意識しだしたの
も老いだろうか?まあ、しかしこんな事も考えながら運転する方が良いだろう。何につけもう無理は禁物だ。
 玄関先から大日を望む。


 昨日はひな祭り。我が家のズボラひな壇にオカカお手製の桜餅・・・。



3/3
 今日、雛の節句は雪が舞っている我が山里だ。
 数日続いた暖日に身も心も緩んでいたからか、やけに寒く、親爺など鼻水が止まらぬ。
 折角溶けた雪もまた少し降り積み、戸外は雪景色になっている。
 三月末になっても一晩に数十aの雪が降る事さえもある山里だから、別に驚くこともないのだが・・・・・。
 モノクロームの世界に逆戻りの今朝の山里。


        親爺の大好きな零戦カレンダーも間違いなく三月なのだが、外は雪だ・・・。
   


3/2
 昨日までは穏やかな暖かい日が続いたが、今朝の山里は僅かながら新雪が来て、また少し寒々とした景色になった。
 それでも気温は低くなく、積もった雪がもう屋根からずり落ちてくる。
 昨日、堺市にお住まいのNさんから雛菓子を頂戴した。娘三人の親爺とオカカにとって、ひな祭りは娘らの成長を祝い、
健やかな未来を願う祭りで、今なお全員独身貴族を謳歌する娘らの健やかの未来を引き受けてくれる伴侶が現れぬので、
親たる身の二人で、ささやかなひな壇を飾り主役不在ながらひな祭りを続けている次第・・・。
 Nさんのお心遣いが暖かく心にしみる。


  新雪の戸外とは二重サッシで隔てられた我が家の居間の窓際には、シクラメンとデンドロビウムが花を付けている。
 


3/1
 今日より弥生。続く暖かさで、すっかり雪が溶けた山里は、今日も不動山が花霞に煙っている。
 オカカが朝から爺様の見舞いに出かけ、買い物も済ませてくるとのことで、親爺は一人留守番である。
 最近の親爺はかなり出不精にもなって居り、山小屋関係の会合も必要最小限?の出席に止めているが、これも老化現
象の一つだろうか?
 もうしばらくして、山里にも春の足音がはっきり聞こえ出せば、親爺もまた旅にでも出ようと思っているのだが・・・。


         ズボラひな壇の極み・・・それでも何とか今年もおひな様が並んだ・・・・・。
      


2/28
 暖かい、花霞立つ今朝、中学時代の友人の訃報を受けた。
 それほど深い付き合いではなかったが、歴史や俳句が好きで、自らの故郷”大山町史”の編纂に関わったり、自らの句を
まとめ出版したりと、多才な楽しい男だった。
 たまにしか会う機会もなかったが、会えば大山町史に関わる薬師岳信仰等、お互いの好きな分野について時を忘れ語り
合い、別れ際には「おい、一度ゆっくり話をしよう。語り明かしたいな。」「暇になったら連絡し合おう。」と、どちらからともなく
言い合って分かれたものだ。
 彼が出版した句集が今も手元にあり、親爺はもうとっくに暇な時間を持てる身になっていたのだが、如何せん彼の方が忙
しく、終に夜明かしで語り明かす約束は果たせなかった。それも唐突な彼の死によってである・・・。
 明後日が通夜だとか、友人誘い合わせ最後の別れに行って来よう。
 山里は花霞が立ってようやく暖かくなってきたのに・・・。

 


2/27
 雪がずいぶん少なくなって、今朝はオカカと一緒に外出した。
 旧大山町上滝にある銀行に用事があったのでこちらへ寄り、そこから割と近い旧大沢野町にある美味しいパン屋へ出
かけ、いろいろ買い込み、例によって食糧の買い出しもして、帰ってきた。
 山里にも雨が降り、雪解けも更に進むだろうが、それでも春には未だ遠く、もう一度くらいは大雪に見舞われるかも知れ
ないな等と、長い冬ごもりの所為だろうか、悲観的な観測ばかりが先に立つ・・・。
 だが、二月も今日明日を余すばかり、明後日からは何ともう弥生三月なのだ・・・・・。時の流れの速さに改めて瞠目する。
 雪が落ち着くのを待って、ふらりと車で旅に出たいと思うようになって来た。これは親爺だけではなくオカカも一緒の想い
な様で、近頃の話題は「何処かへのドライブ旅行」なのだ。
 まあ、オキラクな似たもの夫婦だが、そろそろ冬ごもりにも飽いて来る頃なのだろう・・・。


 我が猫額庭の雪もかなり減った。


2/26
 オカカがおひな様を箪笥から取り出した。今は未だ、取り出した雛箪笥の上に、虫干し程度に並べて有るだけだが、それ
でも何となく、おひな様が並んでいると、殺風景な部屋も幾分華やぐ様だ。
 まあ、後日もう少し様になるよう飾り直すつもりだが、とりあえず日の目を見たおひな様に、季節を感じている。


2/25
 昨日は午後から、ヨータローを預かることになった。心平と緑の夫婦で家の周りの除雪作業をしたいとのこと。親爺は
大喜びで、ヨータローと遊んだが、何ともはや可愛いものだ。
 今でもう、誰が自分に一番甘いかを良く理解しているらしく、山ジーチャンの膝によじ登ったり山バーチャンが台所へ行
くと必ず後を追いかけて、冷蔵庫を指さし「まんま、まんま、じゅー」と抱っこを要求する。冷蔵庫にヨータロー大好物のお
子様ジュースの入って居ることをちゃんと知っているのだ・・・。
 そのヨータローのジュースなどを買いに出かけた立山町の平野部にも、こんなに雪が残っていた。


   食欲が旺盛で、本当に元気なヨータロー。親爺とオカカはこの可愛い天使に、いつも心いやされている。
 


2/24
 3日ほどの好天にもかかわらず、雪が余り減らない。寒いのだろう。
 それでも今朝、素晴らしい青空に誘われ窓を開けると大きな氷柱が下がっていた・・・と云うことはやはり少しずつ雪は溶
けているのだ。朝日を受け光る氷柱から滴が垂れ、その彼方に大日や、来拝山、目の前には不動山と60年間以上見続け
てきた景色が、今日は青空の下に明るく輝いている。
 2月も僅か、山里にも三寒四温の兆しがようやく見え始めた。
 さて、ソチ五輪も終わったし、今日はオカカと食糧の買い出しに出かけよう。これが今日の親爺の仕事で、後は好きなよう
に又プラモでも作って過ごそうか・・・。


2/22
 今も温かい居間で、PCのキーボードをたたきながら、五輪の録画中継を見ている。スピードスケートの女子団体パシュート
と云う余り馴染みのない競技だが、日本代表の選手の中の田畑選手が、富山の企業の職員だと云うことで、富山県内ではず
いぶん話題になっていて、ミーハーな親爺がこれを見逃すわけがない・・・。
 国別トーナメントで、韓国に勝って準決勝進出を決めた。たいした物だ。ただ次の対戦国が世界レコードをたたき出している
オランダ、この国は素晴らしく強い。胸を借りるつもりで戦えば結果は後から付いてくる。
 それにしても今日は、嬉しい陽射しが部屋の中まで入ってきて、気持ちまで明るくなる。親爺の鼻風邪も殆ど抜けた様だ。


2/21
 もう見たくないと思いながら、真央ちゃんが気になって五時前から眠れず、とうとう枕元のタブレットPCを開いた。
 結果は6位と10人も一気にぬいて、FSの得点は、真央ちゃんの過去最高得点だった。そして自分自身の力を出し切った
ことに、本人も満足している様子だった・・・。それで十分。真央ちゃんが世界最高峰のフィギュアスケーターであることは揺
るぎない事実だし、たまたまその選手生活の中の五輪ゲームではやや不調だったと云うに過ぎない・・・。
 元日本国首相たる人でも、元来身体の大きさに比して重厚さに欠ける人の、取り立てて悪意もない失言なんぞ取り上げる
のもおろか。そんな重箱の隅をつつくような神経質な、国を挙げての大騒ぎが、この若い選手の足かせになっているのでは
無かろうか・・・・・。
 各国選手本当に良くこの平和の祭典の中で、各々の国を背負って戦っている。でもその競技を離れれば皆、普通の若者
達、国境も越え相互に触れあい、理解を深めあう・・・・・。
 そんな五輪の原点を見つめ直し、観戦する側、応援する側も競技を離れれば冷静になって、勝敗をぬきに先ずは相手を
たたえる程度のマナーは持つべきだろう・・・。誹謗中傷など愚かなことだ。
 深い雪に埋もれた山里で、親爺とオカカもたまにはこんな高尚な話をすることもある・・・。
 閻魔堂はこの冬二度目の雪下ろしを始めた。


2/20
 朝から掛かり付けの内科病院に薬をもらいに行った。帰路思いついてやはり掛かり付けの眼科医院へも寄り、目薬も
もらってきた。
 昨日から風邪気味で、何だか今ひとつすっきりしないが、食欲もまあまああるし、午後からは本でも読みながらうたた寝
を決め込もう。
 本というと、最近は殆ど電子書籍ばかり読んでいるが、我が愛用の機種でも読める本が素晴らしい勢いで増えていて、
1900年代に一時流行した架空戦記なるジャンルが充実してきた。
 親爺もその頃、途中まで読んで忘れていた「ラバウル烈風空戦録」を数日前にネット上で見つけ、電子書籍として購入
再読を始めた。
 これは大きく好みの分かれるところだが、親爺にはまあ面白い・・・。で、風邪気味ですっきりしないし、真央ちゃんがか
わいそうで五輪の放送もテレビも見たくないし、今日の午後は、風邪薬を飲んで、暖かくし、この架空の世界に入り込み、
うたた寝をしたりしながら過ごそうと思っている・・・・・。


 オカカが最近凝っている湯豆腐・・・何の変哲もない湯豆腐だが、昆布を一枚引いた土鍋で加熱、豆腐がぐらりと来たところで
鍋からすくい上げて、昆布だしで割った生醤油に削り節をぱらりの七味もぱらりの付け汁にくぐらせいただく。
 熱からずぬるからずの絶妙の温度の豆腐と、付け汁のシンプルな旨味のコラボは、冬の食卓の華となる・・・。
     


2/19
 車庫の屋根の雪下ろしがきれいに終わって、この冬はもう心配はせずとも良くなった。
 今日も青空が見えたりしているが、すっきりとした晴れではない。それでも空から白いものが落ちてこないだけで十分だ。
 鼻風邪だろうが、如何にもすっきりせぬ。まあ隠居同然の冬ごもりの日々、こんな日は寝て過ごそう・・・・・。


 昨夜、刺身用の甘エビを唐揚げにして喰った。塩をサット振って、熱々で頂く。これは美味かった・・・。


2/18
 陽が射し暖かくなってきそうな今日だが、朝の冷え込みはきつかった。
 今日は車庫の雪下ろしをガッパ社長にお願いした。縁廻りだけなのだが降ろしておかぬと次に降った時に雪庇になり、
電線を引っ張る可能性もあるし、下を歩いているときに落ちたら大変だから・・・・・。まあ、車庫自体は耐雪構造なので
全く問題はないのだが・・・。
 山岳工事の専門家集団、雪には強い。春先の剱御前小舎に泊まり込んで、剱沢のキャンプ場のトイレを掘り出したり、秋
口に溶けて割れ、危険になった剱沢雪渓を通行可能にする登山道補修工事など、活躍の場は広いガーズクリエイティブだ。
 恐らく半日で後片付けまで終わってくれるだろう・・・。


 手際が良くやることが早い。降ろした雪はトラックで雪捨て場に運び捨てる。ここまでものの1時間・・・・・。


2/17
 寒い冬の真ん中、立春なんて云ったところで、この雪だ。
 ああ寒い寒い・・・。
 親爺はさっさと用事を済ませ、午後からはふて寝でもしよう・・・。


2/16
 山里もようやく雪が一段落したが、積雪は172cmを記録している。
 我が家の車庫の積雪を見ると、そろそろ雪下ろしをしておいた方が良いようだ。で、今朝一番でガーズクリエイティブの
ガッパ社長に電話してお願いしておいた。ガーズクリエイティブは山岳工事の得意な建設会社で、立山奥地の山小屋は登
山道工事などでいつもお世話になっていて、親爺は雪下ろしや、爺様の作業後や解体などでいろいろ助けてもらっている。
 親爺宅の居間の窓から見て車庫の屋根の雪が、後ろの倉庫2階部分の窓を隠すようになると、おろし頃・・・。耐雪構造
なので、3mの雪にも耐えるのだが、そうも行くまい・・・・・。



2/15
 東京や甲府辺りが大変なことになっている。大雪だ。降雪量では全く問題にならぬ山里の冬だが、備えが違う。
 現在の山里の積雪は128cmで、尚40cm程の新たな降雪が24時間以内にあると云うが、鬱陶しいだけで生活に支障
はない。
 普段雪の降らない、雪に無防備なエリアだから、いよいよ雪に見舞われると僅かの雪でもうろたえパニックを起こす・・・。
これが雪だから未だたいした被害も無いだろうが、よくよく備えの重要性を認識しなくてはならぬだろう。予測される震災や
津波、火災などへの備えは如何なのか・・・・・。
 余り難しいことを考え始めると、親爺は体調を崩す。だからそんなことはエライ政治家やお役人に任せておくに限る。
 雪の降りしきる山里で親爺とオカカは今日も、テレビ桟敷を離れられない。


2/14
 昨日は朝から一寸忙しかった。午前中にお世話になっている税理士事務所に出かけ、確定申告を済ませたし、午後か
らは、森林管理所(旧営林署)の会合で、久々に仲間の顔を眺めた。夕刻まで時間が無く、帰宅してからも一寸書類作製
があって、何やら珍しく忙しかった・・・・・。
 今朝は小雪が舞う朝だが、比較的暖かい。早朝に夜具の中で目覚め、枕元においているタブレットPCで、オリンピック
速報を見ると、フィギュアの羽生選手がSPで世界最高得点獲得、さい先良い1位発進したとあり、嬉しくて、隣のオカカを起
こしてこのニュースを伝えた。オカカも大喜びだったことは言うまでもない。オカカ自身も愛用のアイパッドを枕元において
居るのだから・・・。
 雪が少し強くなって来た。
 先週同様、首都圏や表日本の雪の備えのないエリアが又雪に見舞われそうだ。
 雪国の山里は、雪が少ないとは云え、1mを超す積雪がある。


                 昨夜美味かった、鯛のあら煮と熱々の海老蒸し餃子
 


2/12
 快晴の朝だ。オカカが美容院に行き、親爺も散髪に床屋へ向かった。
 その床屋へ車で向かう時の事、大型の生コン車とすれ違った時にフロントガラスが汚れたので、親爺はうっかりウインドウ
ウオッシャーでフロントガラスに水を吹き付けてしまった・・・。外は氷点下、未だ車内も暖まっておらず、デフロスターも全く利
いていない状態だったので、ウオッシャーの水は汚れ落とすどころか、瞬時に凍結、シャーベット状にフロントガラスにへばり
つき、前が見えなくなってしまった。フロントガラス上部の、辛うじて視界の利く隙間から視界を確保しつつ路肩に緊急停車、
掌の体温でシャーベットを溶かしてから再発進・・・。
 いやはや何ともお粗末な、そして危ない北国ならではのミスである・・・。
 床屋ですっきりし、帰り道に見上げた立山の美しさは圧巻だった。


2/11
 昨夜はスピードスケートでのメダルを期待して夜更かし。残念ながらかなわず。
 そのおかげで今朝目覚めたのは、8時過ぎ・・・・・。でも世の中も建国記念日で休日だから・・・・・。
 青空の広がる良い天気だが、気温が上がらないので雪が融けない。
 さて今日も又五輪で熱くなろう・・・。スケボーのハーフパイプが面白そうだし、スピードスケートも・・・いや、期待はするまい
全力で戦っている選手への応援のみだ・・・。


2/10
 ソチ五輪に一喜一憂・・・と云うより今のところガッカリ続き。でもまだまだ始まったばかりだから・・・・・。
 今朝はやっと晴れたが、首都圏の雪や太平洋側の雪で大騒ぎで、気付かぬ間に我が山里は積雪が130cmを超えて
いた・・・が、まあ気温が上がり、陽も射しているからあっと言う間に嵩を減らすことだろう。
 


2/9
 雪は未だチラチラ舞い落ちていて、新たな積雪は約40cm。山里は又1mを超す雪に覆われてしまった。
 昨日から親爺とオカカはソチ五輪競技の観戦にテレビの前を動けない。ミーハーだからライブ中継のあるBSで観る事が
多い。観たくもないCMを無理に耐えてそれと引き換えに見せてもらっている民放とは違い、CMが無いのも良い。
 が、いくら冬ごもり中とは云え、流石に家に閉じこもってばかりもおられず、今日はオカカと食糧の買い出しに出かけた。
 雪は降ってはいるがベタ雪で、たどり着いた町場の在は殆ど霙あるいは雨・・・。
 帰り来た山里には、もちろん重い雪が又降り始めている。
 東京の次女が、オカカの誕生日に毎年贈ってくれる花束からは、北陸の冬には決して嗅ぐことの無かった甘い花の香が
漂い、窓外の雪景色を和らげてくれる・・・・・。


2/8
 昨夜から太平洋側に大雪が来ると大騒ぎ。東京では今日の午後まで2〜30cmの雪が積もると、かしましい。
 雪国の本場住人である親爺などから見ると、何故その程度の雪が怖いのかと、ある意味可笑しいが、まああれだけ人口
密度の高い大都市に、雪の備えがないのだから・・・。
 雪と言えば、冬季五輪がいよいよ幕開けだ。今もオカカと二人テレビ桟敷で開会式の録画中継を見ている。
 今日はオカカの誕生日でもあるが、娘達が色々プレゼントを贈ってくれるのが嬉しそうだ。でも一つ加わる年齢は必ずしも
歓迎してはおらぬようだ・・・・・。
 親爺のプラモ道楽の成果?の置き場所として、今は親爺のプラモ部屋になっている爺様の隠居部屋の片隅に、コレクショ
ンケースと云うハイカラな棚を置いた。組み立て式の安いものだが・・・。
 1/72スケール限定で飾れば、まだまだ余裕がある。せいぜい頑張って作ろう・・・。


2/7
 青空が広がるも寒い。
 昨日所用で外出したオカカは、車が一台道脇に落ちていたと言っていた。。オカカのプリウスも2,3度軽くスリップしたそう
だが、飛ばさず何とか目的地には着いたそうだ・・・。数年前ならこんな時は親爺が運転してやったものだが、最近はオカカ
の運転も、親爺の運転も大差なく、これはおかかが運転上手になったと云うより、親爺の運転が怪しくなったと云う事かも知
れない。還暦も過ぎればやはり運転能力も低下するだろう。個人差はあろうがそう思って慎重に運転するに越したことはな
い、「転ばぬ先の杖」である・・・・・。
 それにしても、昨日今日と寒い。


2/5
 折角雪が減って迎えた立春の昨日から山里は雪が断続的に降り続いて、今日はすっかり雪景色に逆戻りした山里だ。
 昨日からの新たな降雪は約60cm。軽い雪だから直ぐに嵩を減らすだろうが、わずか数センチの雪で大騒ぎをしている
表日本の大都市がうらやましくなる。
 まあ、毎年のことで、いくら愚痴ってもこればかりはどうしようもない。
 ものは考えよう。今の世の中で、冬ごもりなどと云う悠長な生活を送れる事が幸せなのだ・・・・・。


2/4
 流石に立春の朝、さして寒いとも思わず目覚め、カーテンを開けて外を見たら真っ白・・・・・。新雪が2〜3cmだが積もっ
ている。とたんに何だか寒くなり、慌てて温風ヒーターのスイッチを入れて又夜具に潜り込んだ。
 山里に本当の春が来るのは、早くても四月の初旬。まだまだ二ヶ月は雪の中の生活だろう。
 朝から気温が上がるどころか、グングン下がっている。立春寒波と云う訳の分からぬ寒波の襲来だそうだ。
 せっかく雪を落としきっていた杉木立も、又真っ白になって行く・・・。
                         ”立春の 朝も吹雪の おらが里”


      昨日はヨータローを半日預かって、親爺とオカカはジジババ三昧。ヨータローはジジババ大好き。
      ご機嫌で、よく食べ、よく遊び、ちょっぴりお昼寝もして愛嬌を振りまいた。
      


2/3
 もう節分だ。時の流れの速さをひしひしと感じる。
 暖かい日が続いているので雪もめっきり減って、これは非常に有り難いことなのだが、どうもこのまま冬が終わるとは考
えられない。予報も午後から雪が降るなどとふざけたことをぬかしやがる・・・・・。
 まあ、節分過ぎの雪は大したことはないと思うが、それでも我が山里のこと一晩に5〜60cmの雪は珍しくもない。
 因みに我が家の猫額庭の今朝の雪はこんなものだ・・・・・。例年と見ると無いようなものだが堅く凍みている。


 今朝は久しぶりにホットケーキに手造りベーコンを載せ、メープルシロップで頂いた。
 砂糖を入れぬ熱い紅茶がピタリと合う。非常に美味かった・・・。
    


2/2
 昨日、例によってプラモを作っているところへ、「九試単座戦闘機」のプラモが届いた。
 昨年話題になった、スタヂオジブリのアニメ映画「風立ちぬ」の中に出てきて話題になった飛行機だが、今までプラモ化
されたことはないだろう。つまりそれほどマイナーな、試作飛行機なのだ。
 親爺もこの機体については、96式艦戦の試作機・・・・・と云う程度の認識しかなかったが、話題になってプラモ化されると
云う話を聞いたのは剱御前小舎でだった。
 ミーハー名親爺がこれを逃すわけがない、早速剱御前小舎からPCを使って注文しておいたのだが、当初一二月には発
売予定だったのが、遅れ、二月昨日まで約二ヶ月遅れていたのだ・・・。
 ファインモールドと云う、比較的マニアックなメーカーからの発売でかなり期待していたのだが、今は1/72に入れあげてい
るので、やたら大きく見えて・・・。
 でもやはり子供と一緒、と云うか三つ子の魂百までで、嬉しくて箱写真を眺め悦に入っている・・・・・。
 久しぶりに買い物に町まで出かけたが、雪はすっかり無かった。


 九試単座戦闘機プラモデルの箱絵。スタヂオジブリにさほど馴染みはないが・・・・・。



2/1
 今日から二月。今年は卯月というより親爺とオカカには”五輪月”。
 冬期ソチ五輪が間もなく開催される。テレビ桟敷に腰を据え、手に汗握って競技を観る日々が始まる・・・・・。
 ミーハーな親爺とオカカのことだから、マオちゃん、サラちゃんの活躍や、大ベテラン葛西選手の活躍に大きな期待を寄
せているのだが、自分自身が子供時分から馴染んだスキーはもちろん、経験の無いスノーボードのスリリングな滑走競技
や、スケート競技も楽しみで、ただ時差が大きくあることでライブの観戦が難しいのが残念だ・・・・・。
 プラモの1/72スケールの搭乗員フィギュアを、前に作った96式艦戦に乗せてみた。なかなか良い・・・・・・・。


 昨夜美味かった、辛子酢醤油で喰ったオカカ特製の大きな春巻きと、大根おろしをたっぷり載せて喰った揚げ出し豆腐。
 


1/31
 一月も最終日。暖かいが鉛色の空が重たく、辺りの山々がガスで見えぬ。暖かいのに小雪がちらつく・・・・・。
 昨夜はこの時期には珍しい雨で、雷混じりにザァザァと音を立てて降っていた。おかげで雪はすっかり嵩を減らしたが、
堅く凍り付いたようになって来た。
 オカカがミシンを持ち出して何やら縫い物を始めた。もともと高校で家庭科の教師を勤めた事もあったのだから、専門
分野と云っても良いのかも知れぬが、実に器用なものだ・・・。刺繍はずいぶん中休みだが、ぼちぼち気の向いた時にや
ればよい。まあ親爺もプラモにはまり込んでいることだし・・・。
 未だ大寒の中なのだが、まるで節分過ぎの景色が窓外に広がる。


 縁側の乾燥した冬の寒気の中で塩鮭の片身を乾す。こうやって乾しておくと味が濃縮され旨味が増す・・・。
    


1/30
 昨日とは打って変わって、空は「裏日本の鉛色の冬空」である。それでも暖かく、雪はドンドン溶けて嵩を減らしている。
 閻魔堂の石段も半分以上出ている。その脇に立つ2本の測量用ポールは除雪車の作業時の目印。大寒中の今の時期
はこのポールの頭だけが出ている事が多いのだ・・・。今年はやはり雪が少ない・・・今のところは・・・・・。


1/29
 気温はなかなか上がらぬが、雪は余り降らず、少なくとも何日も降り続いて、ドカ雪になる事は未だ無いこの冬だ。
 今朝も青空が広がっている。朝日を浴びて先ず電線に凍り付いた雪が落ち始め、屋根からも滴が落ち始める。木立の
雪は未だ落ちぬが、夕方までには全て落ちてしまうだろう。
 小屋閉め冬眠中の、山小屋通り(自称)の親爺達もこの寒さで、しかも雪も少ないので、家にお籠もりを決め込んで滅多
に外に出ないようで、青空が広がっても通りには人影もない・・・・・。
 向かって左より、早月小屋、剱御前小舎、剣山荘の親爺達の自宅が建ち並ぶ。大寒の中と云うのに雪は少ない。


 日本海ガスの高田さんに、剱御前小舎で使ってと、大量の健康サラダ油を頂いた。そのサラダ油でオカカが又アラレを
揚げてくれた。親爺大喜びで、揚げ昆布とアラレをこたつでつまんで・・・・・ダイエットは考え無い!!
      


1/28
 今日は高曇りで寒い朝だ。この後気温は上がるとのことで、親爺はフリースを脱いで、ベストに替えた。が、未だ寒いの
で鼻水が垂れてくる・・・・・。
 昨日オカカと買い物に行ったので、今日は外出の予定も無し。
 起きがけに夜具の中で読んでいた本が面白いので、この本を読んで午前中を過ごそう。
 午後は未定、気の向くまま・・・。
 雪の花が満開の、富山地鉄立山線千垣駅前の桜。


1/27
 山里には昨日からの雪が、新たに10cm余りも降り積もったが、今朝からは快晴だ。
 気温は上がらず木立の雪も落ちないが、山里は新雪に映えて目もくらむような明るさである。


 そんな天気に釣られ、親爺とオカカは重い腰を上げて外出。
 千垣を過ぎ、横江、岩峅を過ぎると雪が目に見えて減ってきて、五百石に入る手前で殆ど無くなった・・・常願川を渡り、
富山市内へ入ると,雪など見たくてもない・・・・・。
 何となく、後ろを振り向くと、立山の山並みが雪をかぶって見える。
 親爺はそれで一寸ホッとした・・・・・。


1/26
 今日は又、雨から雪になって、折角嵩を減らした雪が又降り積もり始めた。
 辺りの木々も、雪衣を脱ぎすて軽々としていたのに、もう薄らと白い衣を纏ってしまった・・・・・。

 朝は雨が降っていて、我が猫額庭も積雪を減らしていたし、家の前の旧立山道も路面が雨に濡れていたのだが・・・
  

  その雨はたちまち白さを増し、気がつくともう雪に変わって、木々は又雪衣をまといはじめた。山里、まだ大寒である。
  

   昨夜美味かった、海老蒸し餃子と野菜炒め。残念ながら親爺とオカカ二人では、とても喰いきれなかった・・・・・。
  


1/25
 今日は曇り空だが,突然思い出したように太陽がでたりしている、暖かい日だ。気温も10度くらいまで上がるとのこと。
 めっきり嵩を減らした雪だが、今日の暖気で未だ未だ溶ける事だろう。屋根からの滴がぽたぽたと賑やか。
 まるで春先のような昨日の山里、雄山神社前。


1/24
 冬の陽射しでも、まともに受けると頗る暖かい。暖かい分には大歓迎だが、まぶしくて堪らぬので、遮光カーテンを閉め
たが、それでも暖かみは十分感じる。
 冬晴れ二日目。このあと数日は気温の高い日が続くそうだから、雪もかなり減るだろう。
 相変わらず、親爺とオカカの冬ごもりの日々は過ぎていく。親爺など判で押したような規則正しい、でもずぼらな毎日だ。
 6〜7:00に目覚め、夜具の中で読書。8:00前後にのそのそ起き出し、朝食後には10分間あまり自転車こぎで息を
切らす。深呼吸や軽いストレッチで息を整え、PCの前に腰を下ろすや、HPの更新に取り掛かる。これが終わればもう10
:30〜11:00になっており、親爺は一服して河岸を変え、プラモに取りかかる・・・・・。で、昼食、またプラモか読書かで時
を過ごし、15:30〜16:30頃には居間にもどり、オカカと撮り貯めてあるテレビ番組などを、うるさいCMを全て飛び越して
見て過ごす。現在は大相撲観戦も欠かさぬ。そして早い夕食をゆっくり楽しみ、プラモをやることもあれば本を読みふける
こともあり、PCに取り付いたりと、とにかく気ままな時を過ごし22:30過ぎには夜具に潜り込み、眠るまで本を読む・・・。
 もちろんたまには来客もあるし、寒いので風呂嫌いな親爺でも、1日おきに午後早くの昼風呂に浸る事が楽しみだし、買
物に出かけたり、楽しみながら料理したりと云うこともある。
 まあいずれにせよ、勤め人兼務時代の、8年前までの生活と比べると、長閑で気ままで、親爺の性にぴったり合っている。
 親爺が子供だった、半世紀前の山里の冬の情景を思わせる、雪下ろし中の閻魔堂・・・・・。


1/23
 ようやく青空が広がった。
 辺りは新雪に覆われているから、日の光があちこちにぶつかり、跳ね返り、賑やかに跳び回り、戸外を眺めていると目
がチカチカしてきそうだ。
 親爺部屋に、久々の日の光を入れようとして窓を開けたら、大屋根のひさしに大きな雪庇がオッ被さっている・・・。
 融雪装置でずり落ちきらなかった雪が溜まったのだろうが、この陽射しなら間もなくこれも落ちてしまうだろう。
 廻りの木立も今日中には、すっかり雪衣を脱ぎさるだろう。
 さて、この天気はどのくらい続くだろうか・・・・・。


 雪の舞う寒い昨夜だったから、我が家の夕食は親爺のリクエストで鍋焼きうどん、市販の天ぷらが一寸胃にもたれたが熱いのがご馳走・・・。
 


1/22
 今日も雪が降ったり止んだり。流石に我が山里の大寒のことではある・・・。
 この冬はたいした雪ではないと、ヘコキムシの少なさのみを根拠にほざいていた親爺であるが、現在の積雪110cm前後。
 が、大寒でこの程度の積雪なのだから、寒くはあったが大雪に降り込められたと云う印象は今までない。だからやはりあの
ヘコキムシ予報は間違えているとは言い難い。その結論は今後に持ち越されることだろう・・・。
 とまあ、そんなような訳で、雪の下でもノウテンキで、全く除雪には役立たない親爺を尻目に、オカカは朝から玄関先だけは
開けておかねばと、除雪に忙しい。


 昨夜、美味かった豚挽肉入りの蓮根団子葱あんかけ・・・・・熱々で、とにかく身体が温まる。


1/21
 寒いとよく眠れる・・・。昨夜は11時半頃、本を読みながら寝込んでしまって、眼鏡は外して寝たらしいが読んでいた電子端
末は、今朝目覚めた時、枕の横に落ちていた・・・。で、その目覚めた時と云うのが、7:45だから自分で驚いている。ほぼ
8時間近くを熟睡したのだから。
 どんなものか、親爺は夜中に小用に起きると言う事が非常に少なく、夜中に目が覚めても手洗いに行くことは余りない。剱
御前小舎でもこれは一緒で、21:00〜4:00頃までは眠っていなくても夜具の中で、別段寝る前の飲み物を加減したりする
こともないのだから、これは体質なのだろうか・・・・・。
 昨日は午後いっぱい、ヨータローの子守で過ごした。もうすっかり山のジジババに懐いて、おいでと手を出すと飛びついて
来る。我が家もすっかり知り尽くし、どこに何があるかも覚えているので、サイドボードにしまってあるボーロや、ビスケットが
欲しくなると、ヨチヨチとそこまで行き、「ア〜ン、ア〜ン」と声を出して催促する。
 食べっぷりの良さを見ていると「腹が減ってるのかな」と思う、で、ほんの少し、軟らかめのご飯にふりかけを混ぜて食べさ
せると大喜び。「マンマ、マンマ」と矢の催促・・・。なんともたくましい男の子だ・・・。
 我が家の猫額庭もすっかり雪に埋まった。


     山のジジババと遊ぶヨータロー、「イナイナイナイ・・・」と「マンマンマ・・・」がはっきり言えるようになったぞ〜。
  
 


1/20
 今日から大寒に入った。雪は一段落した様だが寒い。
 床暖房を入れ、石油ストーブを焚き、フリースを着込んで居ても寒く、PCのキーをたたいている手は冷たい。
 と、まあ朝から泣き言ばかり並べても、暖かくはならぬだろうから止めた・・・。
 今日は午後からヨータローの子守の予定だ。
 1歳と1ヶ月を過ぎ、よちよち歩きもややすばしっこさを加え、腕白ぶりもかなり発揮するようになって来たヨータローだか
ら、一緒に遊んでいれば直ぐに暖かくなるだろう・・・。
 さてさて、壊されそうなもの、危なそうなものは全部片付けて、午後は「いないいないばー」のビデオの世界にヨータロー
と一緒にはまり込もう・・・・・。
 太陽は低く、弱々しく、山里は凍てついている。我が家の車庫の積雪は大凡1m・・・・・。


1/19
 又雪が降って、昨夜から新たに40cm以上積もった・・・。昨日の陽光で少し雪を落とした木々に、落とした以上の雪が
降り積もっている。
 そんな雪の下で、「北越雪譜」を読み始めた。
 江戸時代末期の著作だが、雪国の暮らしというのは、時や場所は違っても共通する事々が多いだろうと、読む前から興
味はつきない・・・・・。
 未だ巻の上の入り口に至ったばかりだから、これから読み進むに連れてどのような世界が親爺の前に現れてくるのか、
全く判らぬ。が、おおよその雪国の世界は、知り尽くしている積もりの親爺、この後は北越雪譜の世界をしばらく楽しもう。
 

 ブロッコリー、マッシュルームのフライと一口カツをマッサラ塩で・・・   赤魚の煮付けは甘辛く、飯に良く合う。
 マッサラ塩は、ガラムマッサラ(カレー粉でも可)とガーリックパウダーと焼き塩を合わせた塩)
 

   かいわれに削り節とごま油数滴、醤油数滴を落とし混ぜ合わせた一皿は親爺の好物。温飯にも良いし、箸休めにも良い。
           


1/18
 陽が射す穏やかな冬晴れの今日だが、気温はあまり上がらず、外は寒い。
 木立の雪さえ落ちないが、それでもこの日の光で、雪はかなり嵩を減らすことだろう。
 土曜日の晴天で、川向かいのスキー場は少し賑わっているようだが、昔のスキーブームの頃には遠く及ばないようだ。
あちら、こちらに新しいスキー場が生まれはしたがその直後から急激にスキー人口が減り、越後湯沢に代表されるように
スキー場の経営は成り立ちがたくなり、次々と姿を消していった・・・。
 芦峅寺の町営スキー場もその頃に姿を消した・・・。
 新雪をすっぽりかぶった厳冬期の大日岳が、彼方に聳える。


 昨夜美味かった、白菜と豚バラの鍋(うす塩味)と蛸と芋の煮付け、ビールのアテは小皿サイズのピザ・・・・・
 

                 この季節ならではのたらこの煮付けもうまかった・・・・・。
                  


1/17
 「北越雪譜」が届いた。以前からその本の存在は聞いていたが、うっすらとした記憶でしかなかった。今年に入って、ビデ
オ(HD付きDVDデッキと云うべきなのだろうが、ビデオと表記した方が直ぐピント来る・・)に撮り溜めてあった、昨年放送の
NHK新日本風土記の、「雪の夜」とか云うサブタイトルの付いたものを観たとき、その中でこの北越雪譜が取り上げられて
おり、親爺は凄く興味を持ったのだ。で、直ちにネット検索し、アマゾンで即、注文しておいたのだ。昭和56年出版された、
当時の価格700円の古本が、送料込み370円で手に入った。本の状態も頗る良くて、親爺は嬉しくて仕方がない。直ぐに
読むのがもったいないような・・・・・。
 で、結局昨日は前書きと、序章を合わせて半分ほど熟読するに止め、大切に常に手の届く当たりに置いている。ワクワク
しながら読めそうな本を手に入れた喜びは、何とも説明できぬ・・・・・。
 一昨夜の我が家の夕食。我が山里言葉で言うなら、「ダイコと鰯のトントンボチのおつけ」は美味かった。これは大根の短
冊と、鰯のつみれ団子の味噌汁のことで、鰯をまな板でトントンとたたいて、餅(古老は餅をボチと発音した)状に丸めるか
らそんな言い方をしたのだろう。普段味噌汁を好まぬ親爺にとっても何やら郷愁を誘われる味で、恐らく北越雪譜の昔なら
大ご馳走の熱いこの汁に、一味唐辛子を振り込んで一椀半を頂いた。身体がほかほか温まった・・・。


 この日の夕食は海の幸づくし、日本海で取れた鰈の唐揚げを大根おろしで頂く、これは縁側やシッポまでかりかりと香ば
しく美味く、親爺の大好物の一皿。ノンアルコールビールに良く合う。


1/16
 親爺の趣味はいくつもあるが、還暦も過ぎた今、銃猟は止めたし、岩魚釣りも近年は殆ど心平にお株を奪われているし、
鮎の投網漁もとっくに許可を失った・・・いわゆるアウトドア系の趣味はほぼ全滅状態だ。
 その分、身体を使わぬ趣味に割く時間が増えた。
 先ずは読書。最近は電子書籍端末と云う素晴らしい文明の利器に巡り会い、100冊をはるかに超える数の本を僅か30
0gほどの端末で持ち運べ、読みたい本はあっと言う間に、インターネット上で購入できるから、親爺の乱読癖はこの利器を
得て、止むところを知らない・・・。
 そして今ひとつは、模型作り。ある時はラジコン飛行機、あるときは船、そして今楽しんでいるのはプラモデル・・・・・。
 冬の山里で、大好きな旅行にもでられず、お籠もりを決め込む時にはこれが一番・・・。
 親爺は最近、毎日2〜3時間を、専用のプラモ机の前で過ごすのを日課にしている。
 未だ化粧前だが、嘗ての敵機F4Uコルセアも、今は親爺の模型趣味の対称となっている・・・。
 


1/15
 この前オカカと15日は小豆がゆの日だな、と話していたのだが今朝は二人ともそんなことはすっかり忘れ、いつも通り
の朝食を済ませた。HP更新のため、PCの前に座り込んでようやくそれを思い出した親爺だが、オカカはもう実家の高岡
に出かけ家を出た後で、恐らく未だそのことは思い出しても居ないだろう。帰ってきたらそれを「聞いてやろう」と思っている
が、果たしてその時に「聞いてやろう」を親爺が覚えているかどうか、それが心許ない・・・・・。
 天気予報は晴れマークが出ているが、高曇りと云ったところで、気温が全く上がらず、それが証拠に木立の雪が落ちな
い。まあ、未だ寒の中なのだから、雪がさほど多くないのだけでも有り難いのだが。
 甥の新平(剱沢小屋)が助っ人で、隣の謙ちゃん宅はすっかり雪を下ろして、通路も広々開けた。仕事量は9:1で、殆ど
新平が降ろした様な感じだ・・・。


1/14
 昨日は、高校サッカー選手権決勝をテレビで観た。
 富山第一と星陵の北陸勢同士の決戦と云う事で話題になっていたが、その試合内容は当にドラマ・・・・・・。
 前半、やや優勢に試合を運んでいた富一だったが、反則PKで星に一点先取され、後半に一瞬の隙を突かれ更に一点
を加えられ、試合終了数分前まで、2−0と云うスコアで、試合の行方は決まったかと思われたその時に、富一が一点を
返し、更にロスタイムに入ってから、星が反則PKを取られ、富一監督がこのPKを跪き祈るように見つめる中、選手で、監
督の子息の大塚君が見事ゴールにボールを蹴り込み、試合を振り出しに戻したのだ。
 ここまでのテレビ観戦だけで親爺は息が上がってしまった・・・。結局延長戦を制した富一に優勝の凱歌は上がった。
 スポーツで全国一になるなど、富山県には全く珍しい事だ。だから昨日の富山は、山里の果てまで熱く燃えた・・・。
 で、今朝はその反動か?この冬一番の冷え込みに襲われている。全て凍てついてバリバリの山里、木立に雪も落ちぬ。


1/12
 昨日富山第一高校が、全国高校サッカーの準決勝で勝って、決勝進出を決めた。更に隣の石川県の星陵高校が決
勝戦の相手だと言うから驚く。「北陸対決」などと言われているが、地元人としては嬉しく、もうここまで来たらどちらが勝
っても拘り無く嬉しいに違いない。両校の選手達の健闘を祈りつつ、観戦するのが楽しみだ・・・・・。
 山里は雪にすっぽり覆われていて、気温が上がらぬものだから木立の雪も落ちず、屋根の上の雪も嵩を減らさない。
 それでも降雪量自体は例年より少なく、積雪も1m弱である・・・。


 オカカが、昨冬作ったアラレを揚げてくれた。もちろん親爺のリクエスト・・・・・。美味い。


1/11
 昨夕から又雪が降り出したが、今朝までの積雪は10cm程だった。
 オカカとの二人暮らしだが、4日も閉じこもっていたので今日は朝から買い物に出かけた。食料品の買い出しだ。
 雪道だとオカカのプリウスより、親爺の剱御前小舎用4WDのライトバンが良い。一応四輪駆動だから強いし、少しくらい
こすったりしても惜しげがないから・・・。
 行きはかなり降っていたが、スーパーで買い物をして外に出ると青空が広がっていた。数日分の食料を買い込んで帰宅
した。
 オカカは昨日、正月の餅を全部アラレに切った。切ったアラレは、この寒の中の冷たく乾燥した冷気にさらし、乾し上げ
て焼き海苔の空き缶にでも入れて保存すれば、1〜2年は持つ。
 これを油で揚げて塩を振って、一緒に切り昆布も揚げ、菓子器に懐紙を敷いて盛り上げ頂く。美味い美味い。ついつい
食い過ぎて親爺などますます太ってしまう・・・。
 オカカのアラレ切りは我が家の、寒の中の大切な年中行事となっている・・・。


 アラレはこんなに沢山出来た。


1/10
 ふわふわの柔らかく軽い雪なものだから、あっと言う間に降り積もり芦峅寺の山里は1mを超す雪に覆われた。一番寒い
時特有の雪で、嵩の割にはたわいない。
 怖いのはいわゆるベタ雪で、湿り気を帯びた重い雪は北陸の日本海側特有の雪である。重く固く降り積もり、雪下ろしを
しなければ家が持たぬ事になる。融雪装置設置前の嘗ての我が家も、座敷のふすまや引き戸が開け閉てし辛くなり、雪下
ろしのシグナルとなっていたものだ・・・。
 少し見え隠れしていた青空だが、今は又鉛色の雲に覆われた。今日明日は未だ断続的に雪が降るかも知れない・・・。
 


1/9
 今年一番の寒気が入って来たそうだ。
 日に照らされたり暖かい雨に打たれたりして、一寸暖冬めいていた山里も、瞬く間にこの見慣れた寒の中の雪景色に変
わってしまった
 ここまで書いてきて、窓外に目をやったら「スッポッポ」と云う冬用の蓑のようなものを突然に思い出した。親爺が子供の
頃だから、半世紀ほど前、芦峅寺の山里でもこのスッポッポの愛用者は未だ少しいたようだが、これは茣蓙表をフード付
きの蓑の様に加工した被り物で、雪国の人達の愛用品だった。
 呼び方や形状は地方により少しずつ異なるだろうが、こんな雪降る薄暗い日の表歩きには最適な被り物で、しかも風情
があった・・・・・。多分頭からすっぽりかぶるから、そしてさっと脱げて、ぽんとはたいて雪を落とせるから、スッポッポ等とい
う呼び名が付いたのかも知れない・・・。そんなことを想いながらオカカの入れてくれたコーヒーをすすっている親爺だ・・・。


 オカカが買ったノリタケの福袋に入っていたマグカップ。まことに使い勝手が良くて、親爺の手に馴染む・・・・・。
 いや、今朝のグァテマラは美味い。
   


1/8
 昨日の快晴は素晴らしかった。所用で外出した途上で立山連峰を見たが、そのすばらしさに圧倒された。
 オカカがカメラを持っていたので、何枚か撮ってきたが・・・・・。
 今日は曇天、けれど暖かい。
 雪は少なく、その分ストレスもなく快適だが、今は未だ小寒、20日から大寒に入り、2月の節分までは油断できぬ・・・。
 さて、今日は又プラモでもやって、その合間に昨日買い込んできた”牛すじ”でも煮込もうか・・・。
 長閑な山里の、ノウテンキな親爺とオカカの日々は平時に戻った。平和である・・・・・。
 雪の少ない今年の山里から、真っ白な立山を望む。(昨日撮影)


1/7
 山里の我が家では正月も今日まで。朝、お飾り(鏡餅)を降ろし、七草がゆに炊き込んで頂いた。
 今日は快晴。今年も寒く雪も降ったが、その雪はどか雪にはならず降っては止みを繰り返したばかりだから、雪には悩
まされない正月だった。
 娘らが帰ってしまい、親爺とオカカの二人だけの暮らしに戻った。オカカは朝からお飾りを降ろしたり、粥を炊いたりと忙
しいが、親爺は居間のこたつに潜り込んで未だ寝正月の余韻に浸っている・・・。
 凍てついた道路が緩む頃、所用で外出の予定で、いつものように穏やかな日常へと戻って行く。
 さて、今日は何をして過ごそうか・・・。
 ”モチコンブミカンカチグリツルシガキクロマメハクサイ”と、ちょっと語呂は悪いが山里の我が家の七草粥。


1/6
 例年よりはかなり雪は少ない。とは言え屋根の上には30cmを超える雪が積もっているし、辺り一面雪だらけの山里だ。
 長女は昨日の日曜が出勤日で、一足早く勤務に就き、富山市内のアパートに帰っているが、正月休みで帰省していた
次女、三女も今日揃って東京の任地へと帰っていった。
 オカカと二人で、この娘達を空港まで送り、親爺などかなり寂しい気持ちで山里に戻ってきたが、全く雪のない富山市内
に比べ、山里の雪は・・・・・。ましてや太平洋側の東京に生活拠点を持っている娘らに、山里に帰って生活しろ、などとは
とても言えぬ・・・。
 今や日本全国に過疎集落はどのくらいあるのだろうか?昔は「僻地」と言う言葉があって僻地の子供らに本を贈る活動
等があったが、今や僻地に子供は殆どいないし、若者も殆どいない様だ。日本の人口はあまり減っていないところを見る
と、「少子高齢化」、この一言につきるのだろう。
 ああ、このまま僻地に子供が増える可能性はないのではなかろうか?
 経済政策のアベノミクスやらと言うマジックよりも、この少子高齢化の「少子」を何とかせねば、日本に未来はないと思う
のだが・・・・・。
 何とか融雪装置が利いて、我が家の屋根に積雪は殆どないが、庭には雪がたっぷり。


              富山市内は全く雪はない。町中も町外れの田んぼにも・・・・・。
 


1/5
 太陽の光が降り注ぐ明るい山里だ。
 親爺は昨年12/29日に富山空港まで娘を出迎えてからず〜っと、昨日まで外出せず過ごした。オカカは未だ初詣や郵便
ポストまではがきの投函に出たが、親爺は何と6日ぶりに、今日のこの陽射しに誘われ、外出をした。
 と言ってもオカカや娘の買い物のアッシー君(親爺はアッシー爺だそうだ・・・)で、それでも久々に戸外の空気を吸った。
 途中雲の切れ間から、今年初めての剱もちょっと顔を見せ、早月尾根2200m程まで見えた。山頂は姿を見せぬが、今
年初めての剱だ。
 日の光は届いたが、気温は上がらぬままの山里。桃の木に雪花が咲く。


1/ 4
 昨日とは打って変わって、小雪のちらつく正月四日だ。本来なら今日から御用始め仕事始めとなるが、うまい具合に
土曜日と重なって、明日の五日まで休みとなる。
 親爺の頭の中では正月松の内は七日まで。正月のお飾り(=鏡餅)を下ろし、七草粥を喰う七日が正月の終わりと思
い込んでいる。
 昔親爺達が小学生だった頃の冬休みは、クリスマスから七草がゆまで、つまり12/25〜1/7までの二週間だったか
ら、よけいそんな風に思い込んでいるのかも知れない・・・・・。
 まあ、今や剱御前小舎の閉鎖期間の親爺は、隠居の身の上であるから、そんなことは殆ど関係なく日を重ねているの
だが、それでも親爺の正月は娘達がそれぞれの任地に帰り、オカカと二人七草粥を食べた日に終わる事になる・・・。
 正月四日、山里の今朝は雪が舞っている。


石段を五段登り雪に埋もれた描額庭を眺め二歩半歩むと玄関に至りその玄関戸には投げやりな正月飾りが掛かる我が家。
 


1/ 3
 朝から晴れたが、気温は低くバリバリに凍てついた朝だった。
 きのうの東洋大の活躍にすっかり浮かれた親爺は、今朝も朝から箱根駅伝に釘付け、テレビの前を動かない・・・で、そ
の応援のおかげでは決してないと思うが、とにかく二年ぶりの優勝を勝ち取った。しかも二位の四分以上の大差をつけた
圧勝だったのだ。
 外は凍てついて、木に氷の花が咲いたが、親爺は熱く燃えた正月三日だった・・・・・。


 いやいや母校が勝って良い気持ちである。朝も、昼も何を喰ったかはっきり覚えてい無いほど力が入った・・・。
 ようやく駅伝が終わった頃、伯父と伯母夫婦が年始に来てくれた。
 伯父は母の直ぐ上の兄で、今年87歳。我が家の爺様より1歳若いだけだが未だ元気で、車の運転も現役だ。
 長い間教職にあった人で、退官後は立山博物館の顧問としてつい数年前まで、立山曼荼羅の絵解き等もしていた。ちょ
っと耳が遠くはなったが、元気で、今でも親爺はこの伯父に色々なことを教えてもらっている。親爺の拙著「続・立山夜なべ
」の”十七、大日小屋の夕日”に出てくる”三男泰正”がこの伯父である。
 伯母とは11歳の年の差があるからか、愛妻家で優しく、伯母もそれに負けず劣らずの優しい人で、亡くなった母が一番
気に入っていた義理の姉だったが、年は母よりず〜っと若いので、「ミネチャン」と呼んで妹のように接していた。それ故か
親爺も未だにこの伯母に対しては「ミネコネエチャン」と呼んでおり、違和感は全くない・・・。
 とにかく本当に仲の良いおしどり夫婦で、親爺とオカカもこの伯父と叔母のような夫婦になる事を目標にしている。
 未だ未だ元気でいてくれよ、オッチャン、ネエチャン・・・・・。
      


1/ 2
 元旦の年始客は無かったが、二日ともなると親戚の連中がボチボチと年始にやってくる。
 しかし親爺は箱根駅伝が気になって、年始客の相手もそこそこにテレビ中継にのめり込む。結果、往路は見事東洋大
が優勝。設楽兄弟の頑張りに親爺も若返った・・・。
 駅伝で精力を使い果たしたか、午後はオカカと二人撮り溜めしておいた映画鑑賞のつもりがついつい夕刻まで寝込み
気付くと外は真っ暗・・・。見事な寝正月と相成った・・・。
 正月二日も雑煮を祝う。


 お屠蘇も少し舐め、お節もつまみ、さて駅伝観戦。母校が見事往路優勝。親爺はNさんに頂いたカレンダーを眺めながら
オカカと二人、久々に親爺部屋で過ごした・・・。
 

 いつしかうたた寝し、目覚めたときにはすっかり夜。見事な寝正月を決め込んだのだ・・・・・。
 
 


2014/ 1/ 1
 元旦と云うことで、親爺は相変わらずの寝正月。
 オカカや娘達は,雄山神社へ初詣。
 親爺は初詣無しの留守番で、とにかく人混みへ出るのがあまり好きではない親爺なのだ。
 寝正月は良いものだ。
 今年はどうやって遊んでやろうかと、ぼんやり考えながら過ごす等、還暦過ぎの者にしか許されぬ贅沢だろう。
 とにかく、今年も元気で、楽しもうと思っている・・・。

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