今シーズンも剱御前小舎を閉め、これからは半年間、山里での生活が始まる。
 還暦を一つ過ぎた親爺と還暦に未だちょっとあるオカカの、長閑なずぼら生活はある意味で、「人生の楽園」と言う生活なのかも知れないが、こ
れも一つ間違え怠惰にのみ流れてしまうと、寝たきり老人生活への近道となる恐れがある事を忘れてはならぬ・・・。
 で、その惚け防止ではないが、せめてホームページの更新くらいは、剱御前小舎営業時に準ずるほどはやろうと、今年もこんなページを立ち上
げた次第。
 思いつきのふらり旅、日々の時間を過ごす趣味の模型や料理、とにかく気ままにのんびり、これがずぼらの極意なのだ。
 と、まあこんな趣旨のページなので、それこそご用とお急ぎでない我がお仲間の皆様、どうぞお付き合いの程・・・・・。   
                                                              平成25年10月23日 剱御前小舎 親爺 拝



12/31
 今年もあと僅か、大歳の朝を迎えている。
 親爺もオカカも気が短くなったのだろうか、正月準備も前倒しで、もう殆ど終わっている。後はお節の重詰めだけで、今夜
の年越し蕎麦の掛け汁を仕立てれば、親爺の出番も終わりとなる。
 今年も色々なことがあったが、我が家には大きな変化もなかった。年頃の娘3人にも変化無しというのは少し寂しいが、
まあ、昨今の若い人達の生き方にはあまり干渉するまい・・・。
 親爺とオカカも年相応に老いたとは云え、未だ未だ元気で、旅行が楽しみで、喰うことが楽しみで、好奇心も旺盛で、楽し
める中に楽しんでおこうと思い極め、それを実行している。
 元気で過ごせた平成25年に感謝し、来るべき平成26年に良き年たれと想いを馳せる、この大歳の日である。
 正月飾りの終わった、我が家座敷床の間には祖父母の掛け軸が並ぶ。


       ぶりを焼き、田作りを煎り                         鮭の粕漬けも取りそろえ
 

                      手鞠麩、蓬麩、粟麩も煮上げた。
                  


12/30
 大歳前日、年もいよいよ押し詰まってきた。
 もう、すっかり1m近い雪に埋もれた山里だから、かえってあきらめが付いて雪はあまり気にならなくなった。
 例年通りの、年末年始となるだろう。
 オカカは朝から鬼神の働きで、重箱や屠蘇器、雑煮椀などを取りだし、煮物を煮・・・、親爺も途中参戦で、座敷の床の
間の軸を掛け替え、出汁を引き・・・と、ちょっとお手伝いをした。
 三女は昨夕帰宅し、次女と長女も今晩中には帰宅の予定だ。
 この娘らに食べさせるお節も、明日は午前中に正月を迎える支度が調うだろう・・・。


 お説に詰める料理も、蛸柔らか煮、鴨ロース、焼き豚、黒豆、里芋煮などなどは4℃までしか温度の上がらない縁側の
天然冷蔵庫に、もちや蜜柑や他の食材と一緒にスタンバイしている。


12/29
 朝から青空が広がり、日の光が新雪に当たり、弾け、まぶしくはしゃぎ廻り、雪に覆われた山里は、凍り付きながらも
華やいでいる。
 山里の積雪は90cm程だろうか、いよいよあと三日で今年も終わる。
 今日は三女、明日は長女と次女も家に戻ってくる。我が家も久々に賑わうだろう。
 オカカと親爺は明日から、お節の準備に取りかかるつもりだが、オカカが主導権を持つので、親爺の割り当ては、鴨
ロース、蛸の柔らか煮、生麩の煮物、田作りなどの数品と、雑煮用の出汁引きだ。ぶりの幽庵焼き、鮭の粕漬けなど
の焼き物と、筑前煮、黒豆などはオカカの独壇場で、今年は叔母の手作りの黒豆を沢山もらってので、黒豆については
例年以上に気合いが入っているようだ。
 まあ、これも美味いと食べてくれる者がいての話で、帰省する娘らの食べっぷりを眺めながら、親爺もオカカも喜んで
いるのである・・・。
 今日は天気予報の大外れ、晴天の山里だ。


12/28
 今朝「永遠のゼロ」を読み終えた。
 そしてこの本の題名の”ゼロ”が零式艦上戦闘機(れいしきかんじょうせんとうき)=ゼロ戦を指している事は判っていた
が、そこにさらに”特攻”の本質を言い表した本文中の「十死零生」と云う「九死一生」をもじった言葉の、零を重ね合わせ
て、零の意味の二重性を見た様な気がした。
 フィクションではあるが、先の大戦と言う史実を元にしており、その描写はリアルで、嘗て戦記物を読みあさった親爺に
は多くの場面で、デジャブ(既視感)を感じる様な記載内容も多かったのだが、特攻隊員が現在のテロリストと同じだと強
弁して止まぬ、某全国紙の新聞記者(新聞社名は記されていないが、朝日新聞のことかも知れぬと親爺は感じた)には、
驚きを超えて,呆れ、怒りがこみ上げてきたりもした処を見ると、親爺も知らず知らず物語にのめり込んでいたらしい・・・。
 正直に言うと、内容的にはそれほど大きな感動も覚えなかったが、この作品がベストセラーになり、映画化されたことに
ついては大きな感動を覚えた。
 若い人達には是非是非読んで頂きたい一冊である。
 この本は、70年近く前の、戦時下の日本の若者の生き様を描いた作品であることは間違いない。そしてその生き様が、
如何に現代に続いているのかを振り返らせる力を持つ作品だと思った。
 「ゼロ戦」と云う、日本人が生み出した、当時の世界レベルを超える艦上戦闘機の、誇り高く血湧き肉躍る活躍と、その
名に由来するような、切なく哀しく、しかし気高く尊い終焉を、平成の年末の今、改めてこの本で再認識させてもらった。
 九死一生ならぬ、十死零生・・・・・何と重く辛い言葉だろう。
 山里は昨晩からの雪が今も降り続いている。


12/27
 昨夜寝しなは暖かい雨が降っており、ベッドに入って手を出したまま本を読んでいてもあまり寒くはなかったが、今朝は雪
に変わっており、オカカが7時前に融雪装置のスイッチを入れた。
 さほど酷い降り方でもないが、小雪がちらつく以上の降り方だ。それでも断続的な降り方で、こう云う雪はたいした積雪に
はならぬ。
 親爺もオカカも帰省する娘達を迎える準備に忙しい。まあ、それが我が家の正月支度だから、結構楽しみながら買い出し
や、お節料理作りを楽しんではいるのだが。
 今朝の山里は雪が舞っている。


12/26
 今朝も朝日がまぶしい。
 山里も雪がずいぶん溶けて、それでも未だ20cm程はあるので、明日、明後日雪マークの予報だし、ひょっとするとこれ
は根雪か・・・。
 昨日はヨータローを半日ほど預かった。オカカにも親爺にもすっかり懐いて、ヨチヨチと歩いて抱きついてくる。孫が可愛
いと言う事をヨータローで味わっている。
 年もずいぶん押し詰まり、後5日で終わる。今年も何とか無事に過ごせたことを感謝しながら、心静かな年の瀬を過ごし
ている親爺とオカカだ。
 今日はこれから外出し、所用を済ませ買い物をしてくる予定。
 こんな朝が続けばいいのだが・・・・・。


12/25
 クリスマスだ。
 山里は見事なホワイトクリスマス・・・・・まあ、9割の確率でそうなるのだが。
 別にクリスチャンではないが、クリスマスは子供の頃から馴染みがある。
 戦後日本では、終戦から昭和27年までの米軍占領下の、いわゆるオキュパイドオブジャパン時代が影響しているのか、
とにかく親爺達が物心ついて小学生になった頃には、このへんぴな山里でも、クリスマスというお祭り日があった。
 バタークリームという、今ならもたれてとても頂けぬクリームでデコレーションされたケーキは、子供心には華やかなクリス
マスならではの贅沢菓子であり、2週間の冬休みの始まり日がクリスマスと重なったこともあって、サンタクロースのプレゼ
ントなどは殆ど期待できなかったが、それでもクリスマスは特別な日だった様な気がする。
 親爺の3人の娘達が子供の頃は、大きなクリスマスケーキに、プレゼントのおもちゃ、大きなクリスマスツリーに窓にはタ
ペストリーまで飾り付け、子供中心の華やかなクリスマスを祝った物だが、オカカと二人の生活になった昨今のクリスマスは
平日に格下げされてしまっている・・・・・・。


12/24
 映画「武士の献立」を観て来た。興味深い料理のシーンもあったし、西田敏行や、上戸彩の好演で、面白かった。
 映画の舞台が加賀藩で金沢や能登。我が山里も一応加賀藩天領だったとのことで、幾分近親感もあるし、以前観た武
士の家計簿も同じ加賀藩で、その姉妹編と云った武士の献立だったようだ。
 上戸彩と言えば良くテレビでも観る顔で、アイドルなのだろう位の認識しか無かったのだが、素晴らしい演技が出来る女
優さんなのだと見直した。
 気の強い、けれど可愛げのある新妻といった役を見事にこなしていたし、あの西田敏行の強烈な存在感に喰われない、
華やぎを内に秘めた女優さんだと感じた。
 クリスマスイブの今日、我が家唯一のクリスマスデコレーションが壁に掛かる・・・・・。


12/23
 去年の終わり頃からだったろうか、電子書籍端末を愛用するようになった。それ以降,最近は読書のほぼ90パーセント
はこの電子書籍ですませ、いわゆる文庫本などは殆ど購入していない。読みたいと思う本がなかったと言う事もあろうが
殆どの本は電子書籍で購入できるからだ。
 が、今話題になっていて、昨日映画が封切りされた「永遠のゼロ」は映画を観る前に読みたいと思った。が、電子書籍
では出ていない。で、しばらくぶりに文庫本を購入した。
 親爺は非常にミーハーなようだ・・・。
 昨夕から読み始め、未だ1/5ほど読んだだけだが、親爺には少し小うるさいと感じる、軍隊や飛行機や当時の社会状況
の説明が目に付いた。
 80代半ばの戦争体験者が、20代の現在の若者に当時を説明する・・・と言う設定の件を読んでいるためかも知れぬが、
今の若い人達にはこのくらい詳細に説明しなければ、先の大戦とは言え六十年以上前の事なのだから、解るわけがない
と気付き、納得した。
 とにかく読み終えねば・・・・・。
 明日は久々にオカカと映画を観に行こうと思っている。でも、観ようと思っている映画は「武士の献立」だ。「永遠のゼロ」
は、原作を読み切ってから、DVDででも見る事になるだろう・・・。


12/21
 雪が止んでいるが、今朝も相変わらずの暗い空。それでも昨夕は珍しく青空が広がった。
 ちょうど外出中で帰宅途中だったが、冬特有の澄んだ青空が美しく、オカカがシャッターを切った。


 夕日を浴びた、彼方の鍬崎山も真っ白に新雪を被っていた。


12/20
 「永遠のゼロ」という映画が明日から上映されるらしい。しかしこのタイトルのゼロが、零戦のゼロだと気付いたのはつい
最近で、零戦を取り上げた映画作品のタイトルだと気付いたのはもっと最近、一昨日あたりの事だ。
 そう言えば、プラモデルのネット検索をしていて「永遠のゼロ」というタイトルを冠した商品を見た記憶はあるが、これもプ
ラモデル商品の新シリーズ名位に思っていたのだ。
 今朝、テレビでこの映画を取り上げているのを見て、内容はともかく(未だ観ていないので)、その画像のすばらしさに驚
いた。今やコンピューターグラフィックという新手法で、嘗て「円谷プロ」の独壇場だった特撮シーンがその何層倍も素晴ら
しくきれいに再現されるからだろう。
 無条件で観たくなった。早速調べたら、富山の劇場でもやっている。明日封切りだが、土日は避けて、来週の平日にでも
観に行ってこようとオカカに相談している。
 今年はゼロ戦(親爺はこの呼称に少し違和感を覚えるが、レイセン等と言ってもなかなか通じない・・・)が当たり年のよう
で、アニメ「風さりぬ」で堀越二郎氏が取り上げられ、九六式艦戦までが登場したらしい(親爺は観ていないから)し、NHKの
スペシャルだか特集だかでも「特攻」が取り上げられ零戦の飛ぶシーンがずいぶん放送されていた。そしてここに来て「永
遠のゼロ」という映画の封切りである。
 親爺達の年代も、零式艦上戦闘機が飛んだ先の大戦は知らない。ましてや現在に生きる若い人達も知る由もなく、世代
が若くなるに連れ、その記憶も薄くなる。
 しかし人間は言葉を持ち、文字を持ち、今や映像や音声までもしっかりそのまま後生に送り伝える事の出来る技術も持っ
ている。
 だがまがい物は行けない。某局が作製した南極観測隊を取り上げた映像など当に噴飯物だった。あんな物が史実と誤認
されては堪らない。
 素晴らしい技術によって作製された、史実を元にしたフィクション作品でも、史実を元にする以上、出来る限りの考証を必
要とする。
 「永遠のゼロ」どんな出来上がりなのだろうか。早く観たいものだ。そして観終わって帰ってきて、もう一機プラモの零戦を
作ろうと言う気にさせてくれるような作品になっていることを願う親爺だ・・・。
 山里は又雪降りだ。


 昨日は約二時間で陸自の戦車を組み立てた。何と紐付きコントロールボックスのリモコン戦車だ・・・・・。
 

 オカカが装甲車両や、戦車が好きで(おかしな趣味だが???)プレゼントしようと思ったら、「要りません。」・・・・・。
 未だヨータローにやっても解らぬし、捨てるのももったいないし・・・・・。
 


12/19
 山里の雪は一段落したものの、残雪が解け切る程には気温も上がらぬ。
 杉木立はすっかり雪を落とし、屋根の雪も解けてずり落ちそうになって、家の軒先で丸まって屋根にしがみついている。
 ヨータローと遊んだり、料理をしたりで親爺はここ数日プラモと遠ざかっているが、今日は又何か始めたい。でも椎茸の
佃煮も是非今日中に煮あげたい・・・・・。
 これはちょっと忙しくなりそうだ。
 何とも親爺には「人生の楽園」の日々。


12/18
 雪も一段落、ちょっと早い時期の積雪だが、その分クリスマス寒波やら年末年始の寒波は来ないだろう。
 山里の積雪も一時は70cmになんなんとしたが、現在は50cm以下となって、今も更に嵩を減らしている。
 昨日は夕刻までヨータローの子守で、楽しい時間を過ごしたが、今日はそろそろ買い物に行かねばならぬ。何しろオカカ
との二人暮らしなので、食糧もさほど要らないのだ。
 親爺とオカカの生活は、自由気ままな時の流れのみ。世の中のしがらみもないではないが、極力そういうしがらみとは距
離を置き、自分の時間を大切にしている。世捨て人というちょっと斜に世の中を眺めて、鼻で笑っているような気分とはほど
遠く、ただ自分が煩わしいと思うことには事は関わりたくないと言うだけ。要はズボラなのだ。
 ズボラズボラでゆったり流れているはずの時間だが、それが早く過ぎ去ってしまうのは何故だろうか・・・・・。


 大分のぽん友青井から、自家栽培の椎茸を頂いた。素晴らしい肉厚の椎茸だ。オカカが色々調べ、真空パックにして・・・


 こんな状態で冷凍保存した。親爺は今夜焼き椎茸の茶漬けをやる予定・・・。


12/17
 弱いささやかな陽射しだが、それでも久しぶりだ。外が雪に覆われる時期には、こんな陽射しでもずいぶん暖かく感じら
れるものだ。
 電子書籍端末を愛用して、そろそろ一年になろうか、どんな本でも気軽に読み返せるのが良い。
 恐らく一千冊をはるかに超える親爺の愛読書が、車庫裏の親爺隠居部屋(元、爺様の隠居所)の壁面一面にしつらえら
れた本棚に並んでいるが、そこへ足を運んで本を探し、再読する事が億劫になって、最近はネット上で検索して本を探し、
読書することが多くなってきたが、当然本棚にあることが解っていても、あえて電子書籍として購入再読する事も・・・。
 購入には4〜500円ほどかかるが、その本一冊で数日の読書が出来ると思えば、喫茶店のコーヒー1杯を飲んだつもりで
購入する事にしている。保存スペースは取らぬし、どこへでも持ち運べる。
 で、久々に「怪盗ジバコ」を読み返し驚いた・・・・・。何と刺激的な差別用語、表現が羅列されていることか。それでもそれ
で嫌悪感を覚えることはまるでない。むしろ現代のカンゴシ、チャドウ等という新造語に嫌悪感を覚えている親爺である・・・。
 まあ、それだけ自分自身が時の流れに取り残されているのだろうが、こんなアホらしい世相を見ると、取り残されてこそ有
り難いと考えてしまう・・・・・。
 薄日の射す居間で、昔の本でも読んで過ごそう。


12/16
 雪は未だちらついてはいるが、もう止みそうだ。この時期にしては70cm程の雪は多い方だろう。
 今日は山荘組合の会合が午後からある。いつも全員が立山を仕舞い落ち着いたこの師走の半ばに顔合わせをする
のだが、一応それらしい議題も並べ、会議のまねごとみたいなこともする。世の中が師走で忙しい時期に山小屋の親爺
達は暇になるのだから、そんなことでもして体裁を繕っておかねば世の中に申し訳ないのだ・・・。
 今、突然陽が射してきた山里だが天気は快方に向かっているに相違ない。
 でもこの雪景色はちょっと早すぎる・・・・・・・。


 プラモも数を作りすぎて、並べるところが無くなってきた。そろそろ納屋へ運ぼうか・・・・・。でもお気に入りの幾つかは
手元に残して眺めて居たいし・・・・・。二式戦「鍾馗」も親爺の好きな機体だ。
     


12/15
 昨日も午後になってヨータローをしばらく預かって、ジジババは楽しい午後を過ごした。
 我が家にはすっかり慣れて、どこに何があるかもほぼ覚えているので、ヨチヨチとサイドボードの前まで行って、ガラス戸
をたたき、「アン、アン」と、買い置きしてあるヨータロー用のボーロやウエハースをせがむ。これが又可愛いのだ・・・。
 食欲も旺盛だし、よく遊びよく眠る。かなり腕白の片鱗も出てきたが、とにかく健康なので育てやすい子だ。
 今日も雪が降ったり止んだり、山里は既に60cmを超える積雪だ。
 親爺とオカカの二人だけの生活だから、全く気楽なものだ。冷蔵庫にある食材で二日三日はまかなえるから、買い物も
不要。無理な外出はなるべく避けて、じっと冬ごもりに限る・・・。何せ、窓の外はこんな景色なのだから。


 何でも遊び道具にするヨータロー。ついにはサイドボード横の踏み台まで引っ張り出して・・・。目が離せなくなって来たな。
      


12/14
 山里は真冬の装いとなった。
 一晩で3〜40cm降ったようで、積雪は5〜60cmになっている。
 床暖に、ストーブの居間だが尚寒い、そろそろこたつが欲しくなってきた親爺だ・・・・・。
 外はこんな雪景色。


 で、親爺はオカカに頼んでこたつをしてもらった。床暖の上にこたつ櫓を据え、布団をかぶせるだけで完成。
 やはり温々と暖かい。
        


12/13
 東邦航空の小松所長が挨拶にお見えになり、しばし歓談した。小松さんとこのシーズンの話をしていると、色んな事々
が思い出され、このシーズンも無事終わったのだと、しみじみと感じる。
 今日は買い物日で、オカカと二人町へ出た。道路が凍結していそうなので、親爺の4WDバンで、二人とも長靴を履い
て出かけたが、町場は全く雪が無く、スーパーマーケットでも長靴は二人だけだった・・・。親爺などパタゴニアのごつい
フリース(クラシック)を着込んでおり、何やら場違いな感じ


 でも帰路、標高が上がるに連れ雪が目立ち、横江、千垣と来るともうすっかり雪景色で、我が山里、芦峅寺などはもう
すっかり雪に覆われている。


 昨日、和歌山の蜜柑農家でバイトをしている山のアルバイトS君からは蜜柑を、学生時代の友人天野からは紅東(甘藷)が送
られて来た。親爺とオカカには有り難い越冬物資である・・・・・・。S君、天野有り難う。
  


12/12
 昨晩は寝しなの窓外に月が見えた・・・のに、今朝目覚めると窓外は、弱々しい朝日に真っ白に浮かび上がる雪景色。
 まあ、親爺もオカカも雪に降り込められて過ごす準備はもうオールOK。オカカの車もスノータイヤを履いたし、親爺の
4WDバンは通年してスノータイヤ履きだし、長女は勤務地に近い富山市内中心部に引っ越し済みだし、屋根の融雪装
置も問題なく稼働するのを確認したし、玄関には大きな長靴(防寒長靴)が並んでいるから・・・・・。
 親爺も今朝は冬バージョン。パタゴニアのヤッケ式フリースを薄いセーターの上に着込み、防寒用作務衣のズボンを
着用。これで、床暖の利いた居間で、ゴロゴロしていても寒くはない。
 床暖の他にも、冬の居間にはちろん石油ストーブが欠かせない。暖房だけではなく、湯を沸かしたり、煮豆を煮たり、
大活躍の反射式ストーブだ。親爺など赤い火の色が見えるだけでも有り難いような気がし、剱御前小舎の親爺部屋で
も反射式ストーブを愛用しているのだ。
 いよいよこんな雪景色の師走半ばにさしかかった、山里だ。あ〜あ、やだやだ・・・・・。


12/11
 昨日がヨータローの1歳の誕生日で、親爺とオカカはお祝いのお茶会に招かれた。
 よちよち歩きのヨータロー対策で、殆ど砦のような安全柵で護られた心平宅は、父親の愛情があふれる、壮観な眺め。
薪ストーブの廻りの柵など、熊檻(クマオリ)の様だ。これならいくら腕白でも安全だ・・・。
 見事なジジババぶりを自認する親爺とオカカも、どうしてもと頼み込んで、非常にコンパクトなブランコ、滑り台、ジャン
グルジムがセットになった遊具をプレゼントさせてもらった。改装工事で職人さんが入って居る坂本家に、こんな場所を
食う遊具は等と思わぬではなかったが、喜ぶヨータローの姿が全てに優先、心平夫婦の迷惑も顧みぬジジババである。
 沖縄でオカカが買って来たシーサーが玄関の飾り棚に並んだ。
 何とも愛嬌のあるシーサーではないか・・・。


          山のジジ(親爺)に抱っこされて、誕生ケーキを狙うヨータロー・・・。1歳になった。
    


12/10
 昨日も半日ヨウタローを預かる。冬支度に忙しい心平と緑で、冬中のストーブの薪を作り積む作業にかかっている
らしい。親爺もオカカもヨータローを預かるのは大歓迎。半日を楽しく遊んだ・・・。
 午前中は食糧の買い出しに出かけたが、結局自分たちの食糧よりもヨータローのバナナや幼児用ジュース、ボーロ
やゼリー、プリン、ついには幼児用かっぱえびせんまで買い込んで帰宅。
 帰宅を電話すると、親爺達の帰宅を待ちかねていた緑が、ヨータローを連れて直ぐに来た。11時頃。
 全く緑の後追いをすることもなく、今や勝手知ったる我が家で早速ジジババと遊び始めるヨータローだった。
 いつものように、元気で、食欲も旺盛で、ヨチトチと歩き廻り、腕白の片鱗もそろそろも発揮し、ジジババに抱きついて
甘えることも覚え、それはそれは可愛いヨータローで、ジジもババもメロメロである・・・・・。
 夕刻17:00頃まで、たっぷりと遊び、迎えに来た緑に抱っこされて帰った。
 去年は雪があったが、今年は未だ雪のない立山町外れ。


12/8
 Yさんが生牡蠣を送って下さった。赤穂産の美味そうな殻付きの生蠣だ。
 芦峅寺の山里で、殻付きの未だ生きている新鮮な蠣が頂けるとは、何とも便利な世の中になったものだ。
 親爺も、オカカもYさんに感謝しつつ、嬉々としてその調理法を調べたりして楽しんでいる。
 山国生まれの親爺には、こんな生牡蠣の姿が先ず珍しい。
 オカカが張り切って、今日はバター焼きにすると言っている。楽しみだ。


 でも待ちきれぬ親爺は早速、昆布船を作り、新鮮な蠣をむいて身を入れ火にかけ、味見。 熱々を頂いた。美味い。
       
 


12/7
 テレビを楽しみに見るなどと云うことは余りない。でも、スポーツ番組などはやはり楽しみで、大相撲中継、ボクシング、
柔道等の格闘技は大好きだし、日本勢が強いフィギュアスケートや、五輪競技などはかなり力が入る。いわゆるミーハー
なのだが、プロ野球や、プロサッカー、プロレス(力道山、馬場、猪木の時代は夢中。それ以降のプロレス)は殆ど見ない。
 別に野球、サッカー、レスリングが嫌いなのではない。全日本チームで外国勢と競う世界大会やワールドカップなどと云
うのは力が入るのだから・・・・・。
 昨日はフィギュアスケートの羽生の活躍に大喜びしたし、我が母校出身のボクシングミドル級、村田のプロ転向2戦目も
楽しく観戦した・・・。両選手共に、最高の素晴らしい結果を残した。
 雪国の山里で、ライブでスポーツ観戦が出来るのだから、しかも生の映像を特等席で、なんとまあ幸せな世の中だろう。
 師走も早や7日。親爺部屋の師走のカレンダーは零戦である・・・。


12/6
 出不精な親爺だが、それでも週に3〜4回は車で20分ほど平野に下った、富山市や立山町の町場へ買い物や、用事
に出る。その行き帰りの風景は山里とは又異なり、広々と水田が広がりその中に、小さな集落が点在する。
 その在の景色も親爺には見慣れたものだが、いや、見慣れたものだからこそ、山里の風景とはまた異なる季節の移ろ
いを感じる。
 芦峅寺の山里にも柿の木はあるが、余り甘くは育たない。標高を300m以上下げた在郷の柿は甘く果実も大きい。
 収穫した後の木に、一つだけ実が残る。
 木守柿だ。この辺りも豪雪地帯の在だが、雪下ろしなどは滅多にすることはない。


12/5
 朝起きて洗面後に食卓に着き軽い朝飯(飯椀6〜7分目)を摂り、緑茶を一杯飲んだ後、自転車漕ぎのトレーニングで
息を上げ、それからおもむろに居間の定席に座り込み、新聞を読んだりHPの更新をしたり・・・で、大方11時になってしま
う。もちろん日によってはオカカと買い物に出たり、たまには所用もあったりと、それなりの変化もあるが、午前中の過ごし
方というのは、家にいる限り殆ど変わらない。
 午後も親爺は好きなように過ごしているので、プラモを作ったり、本を読んだり、オカカとテレビを見て過ごしたりと、およ
そ非生産的なご隠居様的生活なのだ。でも、これが親爺にとっては『楽園』である。
 もちろん未だ山小屋の親爺は現役なのでシーズン中はそんな訳には行かぬが、約半年のオフシーズンはこんな楽園に
居るわけで、若い中の無我夢中の二足わらじ生活のおかげで今の楽園があるのだと、後ろめたさを振り払い、その楽園
生活を享受している・・・。
 尤も、これでもっと自由になる金でもあれば、もっと楽園は広がるだろうに、と思うことも無いわけではないが、まあ親爺
の器ではそんな金があれば人間がバカになり、エライことになるだろうと目に見える様だ・・・。
 だから、身の丈に合った、何とか人並みに喰っては行ける、と云う今の生活が最良で、これが親爺の楽園なのである。
 今日も、オカカがストーブにかけている「煮豆の番」をして半日が過ぎようとしている・・・・・。


 叔母の作った黒豆をストーブでコトコト煮る。煮豆の臭い漂う居間のあちこちには、オカカの鉢植えの草花があるが・・・
 

                  親爺はこの鉢植えの植物の名を、一つも知らない・・・・・。
 

                   


12/4
 長女が冬に備え、通勤に便利な富山市内のアパートに引っ越しする。去年は官舎を割り当ててもらえたが、そうそう巧く
空きもないようで、今度はしばらくそのアパートで暮らすという。
 転勤が多い勤務がらやむを得ぬのだが、今回の引っ越しで7回目。勤務して7年目で7回は、冬期の一時転居も含めて
だが、それにしても多い。そしてその度に親爺とオカカとかり出され、手伝わされる・・・。
 昨日も午後いっぱい、家具の組み立てやら、テレビ、ビデオの配線やらと、「女はメカに弱い」を地で行く長女のため、親
爺とオカカは一生懸命・・・・・。
 帰宅が遅くなり、帰路途中の中華料理屋で夕食となってしまった。
 雲と青空の比率が5:5程の天気だが、山里の師走の空としては上等。穏やかな朝と云わずばなるまい・・・。


 親爺の次の「お・た・の・し・み?」はこれで、旧帝国陸軍の最後の複葉戦闘機だ。これの後継機が九七式戦闘機となる。
 キット下部に見える電子部品は、壊れた小型電動ヘリの中身・・・これを使ってペラを回す仕掛けをバッテリーごと内蔵出来
ないかと模索中・・・・・・・。相変わらず脳天気親爺だ。
    


12/3
 昨日は7時間余りヨータローと遊んだが面白くて、可愛くて、時間の経つのもあっと言う間だった。が、緑がヨータロー
を連れ帰って、ちょっと寂しくなってくる頃に、腕や、首筋がちょっと痛いのに気付いた。「ハテナ?」と思ったが、何のこと
はない、よちよち歩きで抱きついてくるヨータローを、抱き留めては「タカイタカイ」とやったツケがでたのだ・・・・・。
 愕然として、自分の体力のなさを痛感する・・・・・。たかだか10kg程のヨータローと遊んだだけで、筋肉痛の出る自分
の肉体に情けなくなる・・・。老体とは言ったものだ。
 堺市在住のNさんが、今年も素晴らしいカレンダーを送って下さった。Nさん二はいつも頂くばかりで、先だっても造形
村製のムスタングP51-Dのプラモを頂いたばかりなのに。いやいや本当に有り難うございます。
 筋肉痛の今日は、頂いたカレンダーを眺めながら、今度は何を作ろうかなどと模型の世界に遊ぶ親爺だ。
 大物のムスタングはこの冬の楽しみに、未だ手を出さない・・・・・。


 よちよち歩きを始めて、あちこち動き回るので一時も目を離せないヨータロー・・・。この笑顔がくせ者だ・・・・・。
 


12/2
 長閑な日々を過ごしている親爺とオカカだが、昨日は緑がヨウタローを連れて遊びに来た。
 ヨータローの訪問は無条件で大歓迎の親爺とオカカの、見事なジジババぶりは自分でもおかしい。とにかくヨ
ータローの一挙手一投足に感歎の声が漏れるジジバババカぶりなのだ。
 最近は誕生日を目前にヨタヨタと歩くのが可愛いし、山のジジババにすっかり慣れて、抱きついてくるのも可
愛いくてたまらぬ。
 悪さもずいぶん激しくなったが、それが又可愛くて、「いないいないばー」を撮り貯めて、テレビで見せると踊り
だし、テレビ台の下まで歩いて、テレビ画面を触り、たたきまくるので、画面の下部にべっとり付いたヨータロー
の手の跡も可愛くて、拭き取らず眺めて居るくらいだ・・・。
 今日も11時過ぎから、冬支度に忙しい心平緑夫婦から、ヨータローを預かる予定で、親爺は朝から機嫌が
良い。
 冬枯れですっかりモノクロに色あせていた不動山に夕日が射して、又紅葉したかのように赤く染まった、昨夕。


 大人の持つ物は片っ端から興味の対象・・・。     やがては親爺のプラモもヨータローノ餌食となるかも知れない・・・。
 


12/1
 いよいよ師走に入った。
 大叔父の50年祭で、墓参もしたがその時の立山が実に神々しかった。大叔父も又山里に生まれ、立山で
山小屋経営などをして一代を過ごした山男であったので、その50年祭に立山がくっきりと姿を現してくれた様
な気がした。
 初冬の晴れ間、我が山里のご先祖様たちが眠る墓は、村の上手外れにあり、立山がよく見える。


11/30
 いよいよ白い物があちこちを覆いだした。流石に寒い。
 今日は隣の宝伝坊(剣山荘)の法事があって、親爺にすれば大叔父にあたる佐伯友治の50年祭(神道なので)である。
 神道なのに法事とはおかしいかも知れぬが、他の言葉で言うとそのニュアンスが伝わらぬ、何せ神仏混淆(神仏習合)
の立山信仰の村だから、その辺りはおおらかだ・・・。
 友治は親爺の祖母ヒデの実弟で、五色山荘の経営をしていた。晩年は体調を崩し、60歳で逝ってしまったが、当時小
学5年生だった親爺の記憶に残る友治大叔父は、隣の爺ちゃんで、ずいぶん老けて見えたものだ。
 温和だが無口で、子供には少し近寄りがたい爺ちゃんだったが、最晩年は山へ登れなくなり、我が家へちょくちょく顔を
出したものだ。
 その大叔父の年を越えた親爺だが、今日は50年前の大叔父の面影を偲ぼう。
 未だ根雪には遠い、冬の前触れの雪だ。
 


11/29
 いよいよ霜月も今日明日を余すばかり。
 我が山里も冬支度に忙しい、と言っても昔とは大違いで、冬支度の最たる物の「雪囲い」もする家と、せぬ家に分かれて
きた。屋根に融雪装置を上げている家では、雪下ろしをせぬので、雪囲いも不要となるからだ。
 我が家はせぬ家派で、隣の剣山荘も同じだが、もう一つの隣、早月小屋はする家派で、この前謙ちゃんが半日がかりで
雪囲いをした。
 しかしその雪囲いも昔とは大違い、半透明の樹脂製トタンを使い、雪囲いをしていても屋内に光が入るようになっている。
一冬をあなぐらのような暗闇で暮らした昔とは大違いだ。
 これはオカカが一昨日撮った写真だ。


11/28
 昨日は午後から青空が広がったが、今日は寒くなって雪が降るとのこと・・・。
 鉛色の薄暗い朝だが親爺は下山後毎朝、自転車のトレーニングマシンを漕ぐことを日課にしている。
 これは立山カルデラ博物館のIさんに勧めてもらったトレーニングで、Iさんは以前心臓の疾患で重篤な状態になったこと
があるが、見事立ち直り、今でも剱御前小舎にも来るし、ある程度の制限はあるが4000mくらいの軽度のヒマラヤトレッキ
ングも楽しんでいる。親爺も軽い肺の疾患があるのですっかりズボラを決め込んで、山歩きもほぼ諦めていたのだが・・・。
 「これなら外が雨でも風でも雪でも、できるから。」とIさんに言われ、「こんな物でも良いかね?」と聞いたが、目の前の元
気なIさんがそれを証明している・・・。
 で、シンプルな頭脳構造の親爺、下山後は毎朝このトレーニングを続けている。
 いくらか息切れしにくくなったような気もするし、体調も悪くはないので、やはり効果はあるのだろう。
 いつまで続くか解らぬが、毎朝かなり息があがり少し汗ばむ程度の状態までに、たるんだ身体と、心臓に負荷をかける
程度の事だ。還暦過ぎのトレーニング余り過ぎると返って体調を崩すらしいから・・・。
 テレビを見ながら、10分あまり、暑くなってフリースをぬぎ捨てて・・・・・これでも親爺には結構こたえる・・・。


11/27
 鉛色の冬空だが、割と暖かい霜月の末だ。
 山里もいよいよ冬の気配が強まり、あちこちで雪囲いの槌音がし、落ち葉を焼く煙の臭いが漂う。
 今朝はオカカが実家の高岡へ出かけ、親爺は留守番。このHPの更新が終われば、プラモでもやろうか、床屋へでも行
ってこようかと、ぼんやりと考えている。
 長閑な親爺の山里の日々、こんな毎日ではぼけるのも早いかも知れぬ・・・・・。
 閻魔堂の前庭の落ち葉焚き。


11/26
 我が家の庭につむじ風が立つような、凄まじい風の吹き荒れる昨日だった。
 今朝は風もなく、穏やかな朝だがこれから寒くなってくるとの予報で、オカカのプリウスもスノータイヤに足固めを換えた。
 新聞を見ていて、ちょっと驚き、そして苦々しく納得した記事がある。真砂の大雪崩の翌日も、注意を呼びかける山岳警
備隊員を尻目に、多くのスキーヤー登山者がそこここの斜面で初滑りを楽しんでいた、のだそうだ・・・・・。
 「無神経、言語道断。」と、親爺は思う。しかしスキーヤー、登山者は「折角楽しみに,ここまで来たのだから。」と言うらし
い。確かにそれには一理も二理もあるだろう。
 公共の交通機関が稼働し、室堂という標高2400mの積雪2mを超える場所まで、切符さえ買えば誰でも行けるのだから。
 そして、その交通機関の守備範囲にとどまってさえ居れば、さほど危険なことはなく雪の立山を目の当たりにして、下界の
雪の無い,安全地帯に帰ることが出来るのだから。
 しかし、くどいようだが室堂ターミナルを出て、雪の立山に足を踏み出せばそこには雪山と云う、大自然の過酷な掟に支配
された世界が広がり、いくらベテラン、上級者、プロ級などと云ったところでそんなことは全く通用せぬ、強大な自然の力があ
る事を思い知らされるのだ。
 大自然と付き合い、うまく生き延びて行くために、人類はありとあらゆる知恵を出し、時には尊い命と引き換えにして知恵を
得、蓄積してきた。
 そこに現在の我々の暮らしが成り立っている。しかし情報や物があふれる現代に生きる人々が、そんな悠長なことを一々
考えて行動しているとはとても思えない。極めて刹那的に目の前の時間のみを見て、今が楽しければよい、今さえ良ければ
・・・・・であろう。
 だから、大雪崩で7人が犠牲になった翌日でも、スキーの初滑りを楽しもうという神経は、決して否定されないのだ。個人の
自由意思で、個人の責任ですることだから・・・。
 世の中狂っている。昨日の天気等問題にならぬ位、現代の我々の心の方が狂っている。
 大きな雪崩で7人も亡くなった翌日に、同じ山域で初滑りを楽しむなど、正常な人間の心が有るなら出来る事ではない。
 冬の山では、どんなベテラン、プロ級であっても常に事故と隣り合わせであることを忘れるな。大自然の力の前では、人間
など全く無力なのだ。
 山を恐れろ!山を怖いと思え!
 親爺の叫びは、それこそ大自然の前の人間のごとく無力であろうが、それでも息のある中は言い続けずにはおかぬ・・・。
 息切れしながらではあるが、言い続ける!

 で、ちょっと血圧の上がり気味?な親爺だが、オカカが今朝から金つばを作って,濃いお茶を入れてくれた。
 揚げアラレ(オカカ作)と、生姜糖(親爺作)も並べて、まるきり手作りのおやつばかりのささやかな親爺の贅沢だ・・・・・。


11/25
 昨日は「エンマサマノマイリゴト」と呼ばれる、閻魔堂の仏事の日だった。この仏事は月に一度の定例仏事で、村内の
女衆の持ち回りで、親爺などが生まれるはるか以前から行われている。親爺が物心ついた頃は祖母が、やがて母が、
そして今はオカカがこれを引き継いでいる・・・。
 かつての立山信仰の中では、七堂伽藍を持つ立山中宮寺の姥尊堂(ウバドウ)と並ぶ重要な堂の一つであった、閻魔
堂だが、戦国末期の戦火で廃れ、明治の廃仏毀釈で立山中宮寺自体が雄山神社に姿を変え、事実上消滅してしまった
ので、現在は立山中宮寺を偲ぶ唯一の遺産でもある。
 閻魔堂は我が家の直ぐ近所にある。
 ちょうど昨日のマイリゴト(仏事)は、我が七組の当番日。
 オカカは朝から、近所のオカカ達と誘い合わせて閻魔堂に向かった。
 ちょうど前日立山では大きな雪崩事故、七名の尊い命が奪われたばかり。そのご冥福も祈っただろう。


 閻魔堂内部には閻魔様や、お堂を失った姥尊様が同居する。


 何やら不気味な仏像群だが、鎌倉時代のものなのだそうだ、子供の頃は本当に怖かった・・・・・。
 


11/24
 昨朝、室堂山荘の親爺である千尋に電話した。千尋とこの親爺は同級生で、別に用があったわけでもないが、たまに
声を聞きたくなる。いつもの通り馬鹿話で、内容はさほど無いが「和起、剱御前小舎の下の雷鳥沢あたり雪崩が出るか
も知れんなぁ、ヤマテンの猪熊さんも警報出しとるじゃ・・・。」「おう、そうじゃな、この雪と天気ならどこで雪崩が出ても不
思議じゃないちゃ・・・。」と、今から思えば二人で、何か予感が有ったのではと思われるような会話をしていたのだ。
 その電話から僅か後、テレビのニュースで真砂岳直下の雪崩の発生を知り、何人かが巻き込まれていると云う事も知
った。その刹那思ったことは、「やっぱり何人かやられたか・・・・・。助からんな。」であった。
 不謹慎かも知れぬが、それは率直な想いであった。
 立山アルペンルートという、大がかりに機械化された入山ルートを持つのが立山である。このルートは標高2400m以上
までをバス、ケーブルあるいはロープウェイなどを駆使して、一般の人々を恐らく安全に運ぶ、公共の交通機関である。
が、その終点、あるいは最高到達点の室堂で、このアルペンルートの守備範囲を外れ、ターミナルを一歩外に出れば、
そこには立山の大自然が広がるばかりで、決して一般大衆向けではない、特異な山岳地帯の掟が支配する世界がある。
 夏場の晴天に恵まれた、穏やかな立山も立山。冬場の吹雪吹き荒れる恐ろしい立山も立山なのだが、昨今は穏やか
な立山、遊びの場の立山、気軽に行ける立山などなどが大々的にアピールされるばかりで、恐ろしく厳しい立山について
は、おまけの注意書きのように触れられる程度でしかない。
 だから親爺は心配なのだ。いつも心配しているのだ。立山の山小屋を生業としている以上、大きなお世話と言われよう
が煩がられようが、「山を恐れろ、山は怖いぞ。山をなめていたら必ずし損なうぞ。」と言い続けるつもりの親爺だが、ここ
数年の登山者の無謀ぶりは目に余るのだ。
 いくら晴れたからと行って、新雪の積もった斜面の下に入るなど、少なくとも豪雪地帯の山里で育った親爺には考えられ
ぬ。そんなときの雪崩の怖さは常識なのだ。
 そんなことも知らぬまま、この時期の立山でスキーを楽しもうとは・・・。それは止めようとしても止められぬ事だったのか
も知れないが、それならこの時期の立山の入山を、せめて天気を見ながらストップできなかったものなのか?室堂まで入
れない状況なら、起きなかった事故だと思えるのだ。そして起こるべくして起きた事故だと思えるのだ・・・。
 山並みは何ら変わることなく聳えている。今はもう、遭難された皆さんの冥福を祈るばかり・・・・・合掌。


11/23
 寒い朝。今日は六時前に目覚めたが、夜具から腕を出すのもためらわれる位寒かった。それでも癖で、起床には早す
ぎる朝の時間を本を読み過ごし、七時過ぎに起床した。
 外は久々の晴天。
 九時を回った頃、オカカと二人食糧の買い出しに出かけた。マーケットまでは20分余りで、9:30には付いてしまったが
土曜日は開店時間が少し早廻るとかで、既に開店していた。近所に大型スーパーが新規開店したので、可成り価格を抑
えて頑張っているらしく、現金なお客は、もう可成り駐車場を埋めている・・・と、まあ親爺とオカカもその現金なお客の仲間
なのだが・・・。
 今日、明日の二日分の食糧を仕入れ、早々に帰宅。途中の山の景色が素晴らしいので、所々寄り道をして写真を撮って
きた。カメラはパナソニックの超小型ルーミックス・・・親爺に「安物買いの銭失い」を思い知らせた一品ながら、携帯電話よ
り小型で、いつもオカカのバックに入って居るそれは、極めて都合がよい。都合が問いというのは、つまり、いつも外出の時
はカメラを手にするのだが、最近の親爺は物忘れが酷く、いつも忘れてしまう・・・が、オカカのバックに入りっぱなしのカメラ
は、入りっぱなしであることも大体忘れているので、フッと、「ああ、きれいだ、しまったカメラ忘れた・・・」と運転しながら外の
情景を見やる親爺の気まぐれに、「ああ、小型のカメラなら有るよ。」と、オカカにカメラの存在を思い出させ、それで、一応
携帯写真よりはよい写真が撮れるカメラではあるから、それで写真を撮ることが出来、都合がよい・・・と、まあ、そんな訳だ。 
 何やらくだくだしい話だが、つまりカメラの携帯性と言うのは、その利用頻度が高いほど重要で、画質や機能だけでカメラを
選ぶのは考え物だな・・・と、言いたかっただけだ。
 その余り画質の良い写真は撮れぬが、携帯性の良い小型カメラで撮った今日の行き衣を纏った立山・・・・・。


 


11/22
 今朝も寒い。でも寒いおかげで熟睡できる。23時頃夜具に潜り込み、間もなく寝込んで、今朝はオカカが起き出したのも
知らず、7時頃まで一息に寝てしまったようだ。
 もう生活は山里の生活パターンで、剱御前小舎の生活パターンは身体から抜けた。
 昨日、沖縄のJSSから電話が入り、頗る丁寧な謝罪があった。これは空港での無礼なボディチェックのあり方の非を認め
た極めて率直な謝罪で、親爺もそれではと快くその謝罪を受け止め、蟷螂の斧にも及ばぬ様な矛を収めることとした・・・。
 で、昨日は九六式艦戦の仕上げにかかり、仕上げ、オカカと遅くまで「馬医」と言う韓ドラを見て夜更かしをした。
 すっかりズボラ冬眠生活のパターンにはまってきた親爺とオカカの日々、まだこれからが本番なのだが。
 芦峅寺では村の立山依りはカマテ(上手)、富山平野よりはシモ(下手)と呼び、大凡村の中心は雄山神社とする。
 シモの村はずれから来拝山を見上げる。


 カマテ村はずれは不動の山の山裾となる。



11/21
 寒い朝だ。堪らず床暖房を入れた。今シーズン初めての床暖稼働だ。
 今日の山里はすっかり初冬の景色、川向こう(常願寺側対岸の旧大山町)のスキー場上部はすっかり白くなった。
 昨夜降ったのだろう。
 親爺とオカカが沖縄をうろついている時に、我が山里も初雪に見舞われている・・・。
 沖縄と言えば、11/15の日記に書いた空港での不快な出来事、沖縄県警本部からの丁寧な電話を頂いた。それに依れ
ば、件のボディーチェックは県警の関知しない、民間のJSSと言うセキュリティ会社が空港の依頼を受けてやっていること
が解った。
 これは親爺の大勘違い、沖縄県警本部の親切な担当官氏に「無礼なメール申し訳ない。」と素直に詫びたが、「いやい
や、こんな事は沖縄のイメージに関わりますから。」とあくまでも謙虚に対応してくれた。
 で、件のJSS。県警担当官氏が電話番号を教えてくれたのだが、親爺の怒りも可成り収まっているので、メールでの抗
議に止めておいた。
 それにしても民間のセキュリーティ会社ならなおさら、社員教育を徹底して欲しいものだ。JSSはJALグループを表看板
にしている会社のようだが、JALの鼻持ちならぬ親方日の丸慇懃無礼体質を共有しているのだろう。
 JALは親爺の一番嫌いな会社。よほどのことがない限りJALは利用しない・・・・・。
 沖縄県警からの電話で、沖縄への好感度が一挙に上がった親爺だが、これは3月頃にもう一度出かけてみるかな・・・。
 この今朝の写真はオカカの撮影。


11/20
 今日はヨータロを預かった。緑が所用でお出かけで、心平も冬支度で手が回らず、山のジジババの出番となったのだ。
 本当に健康なヨータロで、よく食べ、よく眠り、とても機嫌良く10時から16時過ぎまで、ジジババを楽しませてくれた。
 去年は未だ生まれていなかったのに、こんなに大きくなったヨータロ・・・。山のジジに抱かれてご機嫌さん・・・。


 山のババも負けられぬ、掃除機のおもちゃを引っ張り出してきてヨータロと遊んだ。


11/19
 オカカが向かいの車庫2階から、懐かしいものを取り出してきた。
 3人の娘達が幼かった頃、家にあふれていたカラフルなおもちゃだ。
 明日、久々にヨータロを預かる。この間まで、心平の実家(松江)のご両親がこちらへ来ていて、ヨータロの世話に明け暮
れておられたので、山のジジババは出る幕が無く、沖縄の旅などに出ていたのだが、松江にお帰りになったので、ようやく
山のジジババに子守のおはちが回ってきたのだ。
 いやいや嬉しいものだ。決して実の孫ではないが、いつも身近にいて成長を眺め、たまに子守をさせてもらいジジババ気
分を味合わせてもらっているので、そしてヨータロがなついてくれるので、これはもう可愛くて堪らぬ・・・・・。
 掃除機が好きで、緑の掃除の後をはいはいして追いかけ、口で掃除機の音のまねをしながら遊んだり、携帯電話で、何
語でかは不明だが、話すマネをしたりと、松江の本当のジジババが何日か来て、心ゆくまで遊んでやった後は、格段に知恵
が付いている様だ。赤ん坊でも話しかけ、一緒に遊んでやればそれが刺激になって知恵が付くのだろう。
 よしよし、松江の本ジジババ様ご不在の時は、山のジジババが引き受けた。
 たまたま見つけた掃除機のおもちゃ。これを見ると我が家の3人の娘達も、こんなものに興味を持ってよちよち歩いていた
頃があったのだと、顔がほころんでくる・・・。


11/17
 今朝も晴れている。
 一昨日帰宅して、旅の疲れが今日ピーク・・・。
 昨日大分の大親友、青井から久々の電話があった。学生時代の同期なので彼の声を聞くや親爺も一挙に学生時代の
「おれ、おまえ」に戻り、互いの近況報告。
 「サエキ、おれグリーンツーリズ始めてよ・・・」「ああ、なんだおまえ今になって旅行代理店か?」「いや、ちがう、家に子供
達を泊めてよ・・・」「おお、民宿か?」「まあ、そんなもんだけどな・・・」とにかく穏やかでゆったりした青井に比べて、親爺は
慌て者で、早とちり、話が良く分からないが、昔からこんな感じで、南国的鷹揚さに満ちた青井と、ずぼら大ざっぱな親爺の
話はいつもこんなものだ。
 取り留めのない話を延々と続け、「じゃあ又な。」「おお、元気でな。」と電話を切って、さて何を話していたのかよく覚えて
いない。まぁ大したことも話していないのだが、何やらグリーンツーリズムという言葉だけが頭に残っていた。
 夜、オカカとその話になって、オカカが得意のアイパッドで調べたところ、農水省の主導する地域活性化の一環らしく、都
市部と農山漁村を結ぶネットワーク作りで、人的交流、物流を通して地域の発展に資すると言うような、良く分からぬが、ま
あそんなことのようで、青井も、中学生の女子限定で数人ずつを受け入れ、宿泊させ、農漁村の生活体験をさせているの
らしい。「もう7回も受け入れた。」と言っていた。
 青井も我が家と同様、子供達も片付いて、奥さんとの二人暮らしで、今は長閑な半農半漁の生活らしいから、こんな事を
始めたのだろうが、いやいやたいしたものだ。ちゃんと社会貢献しているところが凄い・・・。
 これは親爺も少し見習わなくてはならぬと、ちょっと思った・・・。
 

 が、親爺は今日も、こんな写真を見つけ見入ったり、プラモの九六式艦戦に手を出したりしながら、日を送っている・・・。
  


11/16
 僅か数日家を空けただけだが、帰り着いて落ち着くとやはり何やらホッとする。
 快晴の青空に、真っ白な大日が聳えている。ぼんやりと見慣れた景色を見ていて、フッと啄木の望郷の短歌を思い出す。
 ”ふるさとのやまにむかひていふことなしふるさとのやまはありがたきかな”である。
 親爺は芦峅寺の山里の生まれで育ちだから、恐らく啄木の育った渋民村(啄木の生まれは日戸村と言われる)も山が身
近な村だったのだろうかと、想いを重ねる事が出来るのだ。
 考えてみれば山国日本だから、多分日本の何処へ行っても山は身近で、だから、故郷の山は殆どの日本人が持ってい
るはずで、日本人にとって山は極めて身近かな事に改めて思い至った。海を見た事のない日本人はいただろうが、山を見
た事のない日本人はいないだろう・・・・・。
 と、こんなのどかな事を薄ぼんやりと考えていられるのも、山里の我が家ならではのこと。
 親爺は早速ずぼらな日常に戻った。
 ”見慣れても見慣れても飽きない故郷の山”うん?何か種田山頭火風では無かろうか???あくまで長閑な親爺である。


   さて、惚け防止のHP更新が終われば、今度はプラモデルでも組み立てようかな・・・。又、九六式艦戦だ・・・・・。
 


11/15
 夕刻、山里の我が家に帰着した。
 僅かの沖縄滞在だったが、親爺にもオカカにも初めての沖縄だったのでそれぞれの想いを持っての帰宅となった。が、
最後の最後、那覇空港のセキュリティーチェックで一悶着、親爺は極めて立腹した。
 いわゆるボディーチェックである。金属探知ゲートで、いつもと同じ服装で、ポケットの携帯や財布も出し通過したが何故
か反応があって、ハンディー金属探知機でのボディーチェックと、まあ、ここまではありがちのこと・・・・・
 しかし後が異常なほどしつこく厳しい。足下から股間、背中、更に着用していたベストのジッパーも下ろされ、サスペンダー
で着用しているゆるめのズボンの腹部を引っ張り中まで目視・・・この辺りでムッと来る。更に暑いので折り曲げていたシャ
ツの袖まで下ろされ何か異物がないかと、手袋をつけた手でまさぐる・・・。「いい加減にしろよ。ちょっとしつこすぎないか?」
と親爺の声も荒くなるが、担当官は、これが何とこしゃくな小娘、老いたりといえど親爺には異性である、こんなしつこい、明
らかに容疑者扱いの取り調べのようなことを、衆人環視の中で受けたのである。先に進んでいたオカカも心配そうに振り返
って見ている・・・。親爺は恐らく青筋が浮いていただろう。
 「不愉快だ。なんだこの扱いは!」と大きな声が出てしまう。が、このこしゃくな小娘(担当官)「失礼しました。」の一言も無
いどころか白い目をむいて親爺を一にらみしてそっぽを向いた。
 こんな無礼なボディチェックがあえて必要なら、もう少し人生経験の豊富な、せめて同性の検査官が当たるべきではない
のか?腹の虫が治まらぬ親爺、昨晩は沖縄県警のホームページを探し当て、苦言メールを呈しておいた。もちろん親爺の
住所氏名も電話番号も明記してである。
 何らかの返答があるものだろうか?黙殺で終わりだろうか?
 余りにも腹が立つものだから、その立腹の余韻が残っている中に、せめて我がHPには記載して残しておこう。
 折角の沖縄の印象が極めて不愉快なものとなった出来事である。


11/14
 沖縄も今日で終わり。しかし親爺には未だどうしても行きたいところがあった。
 先の大戦時に、戦闘要員ではない一般人を、老若男女無差別に巻き込んだ激戦があったと言う沖縄だから、
その事実をしっかりと事実として自分の中に取り込んでおくために、「ひめゆりの塔」だけでも参拝しておきたか
ったのだ。
 青い珊瑚礁の海、南国の色鮮やかな彩り、素朴で穏やかな人々が暮らし、島唄を奏でる南国リゾート地、沖縄。
何のことはない、親爺もそんな気分で訪れた沖縄で、その期待通りの沖縄を堪能したのだが・・・・・。
 ひめゆりの塔の前に立つと、厳かな気分になってしまった。単なる感傷なのかも知れない。しかし戦争を知らぬ
世代とは言え、ひめゆりの塔の背後にある戦争の無残な事実を受け継いで行かねば、又同じ事が繰り返される
かも知れない・・・。
 せめて、献花し頭を垂れ祈らねば、親爺は自らの矜持を保てなくなる様な気がしたのだ・・・・・。


   オカカと二人、ひめゆりの塔をお参りし、空港へ向かった。           ちょうど昼時、沖縄そばに名残を惜しみ・・・・・
 

 ようやく晴れ間が出だした沖縄を後にしたのだ。 オカカは平気だがこのシートのサイズは、メタボ親爺には拷問・・・・・。
 

  狭い飛行機のシートに疲れ果て、たどり着いた大阪のホテルで、親爺はようやくホッとした。これで明日から観光地を歩き回らなくて良い・・・・・。
             


11/13
 沖縄三日目。今朝も雨・・・。それでもめげずに親爺とオカカは珊瑚礁を見に行ったり、美ら海水族館に行ったり、古宇利大橋を渡って古宇利島に
も行ったりして、何とか那覇に戻ってきた。
 一応ホテルに投宿し、タクシーで国際通りへ・・・。明日のジョーの人形の横で、丹下ダンペイになって写真を撮った・・・。
 明朝、ひめゆりの塔にお参りしたら、親爺とオカカの沖縄旅行は終わる・・・。
 親爺可成り疲れた。
 沖縄は観光に飛び回る場所ではないことを学習。沖縄はどこか気に入った宿で、じっくり滞在してずぼらを決め込んでこそ最高の場所だと思った。
   

  

  

  


11/12
 沖縄二日目。今日も天気には見放された。でも先ずは首里城へ。そろそろ空模様が怪しくなって、雨が降り出した・・・
 

                               58号線を北上して琉球村へ行き・・・・・
 

                                万座毛は雨風の中・・・。
               

                          それでも頑張って、最北端の辺戸岬まで足を伸ばした。
              

    昼はソーキそばとジューシーという混ぜご飯                夕食はアグーの骨付きステーキを食べた。
 

             アグーのステーキはとても堅かった・・・・・でも、おかかの食べた石垣牛のハンバーグは美味しかった。
              


11/11
 還暦過ぎの「初沖縄」。昼過ぎに那覇空港へ降り立ち、レンタカーの手続きをゆっくり時間をかけて、まるでここはKTM
かと思わせられるような、久々のビスタリズムを味わいながら終え、張り切って那覇の町に飛び出した・・・と、何とここは、
KTMを超えるビスタリズムの地、車が時速30kmで、制限速度以下で、ゆりゆると走る、いやのたくる・・・・・・・・・・・・・・・。
親爺絶句!こう言う車が一台だけならさして珍しくもないが、ほぼ3〜40パーセント、いや50パーセントの車がそういう感
じに見える・・・。
 郷に入りては郷に従え、めくるめくカルチュアーショックには免疫のある親爺・・・のはずだが・・・。
 とにかく我慢してゆっくりゆっくり、親爺も僅か十数キロを30分以上かけて・・・引きつりながら、青筋が額に浮かばぬよ
う深呼吸を繰り返しながら・・・。と、まあ、こんな第一印象の沖縄であった。
   沖縄ワールドに到着した親爺は機嫌が悪く、引きつっていた・・・が、玉泉堂に入り、そのすばらしさに度肝を抜かれた。
 

                         暑かったが、とにかく玉泉洞の鍾乳石は圧巻だった。
              

                     齋場御嶽(せーふぁあうたき)。ここは世界遺産に指定されている。
 

                夜は沖縄料理の「いろは庭」で。雰囲気のある離れで、ゆっくり頂いた沖縄料理は美味だった。
 

                    いろは庭の大女将は優しくて、親爺やオカカと意気投合。
 

                 流石にはしゃぎすぎて親爺はダウン。沖縄の夜はかくて更けていった
                      


11/10
 5時間ほどかかって、車で関空の側のホテルにたどり着いた。午後3時を少し回ったところ。
 雨風の中の高速道路ドライブは可成り疲れた。オカカが1時間半くらい交代してくれたので、何とかたどり着けたと云った
ところ・・・。
 今日は関空の側の、りんくうタウンにあるホテルに投宿。親爺がネパールに仕事で通っていた頃の定宿?だったホテル
で、名前も経営者も変わったが、1週間以内なら無料で車を預かってくれると言うサービスがある。そのサービスは余り使
ったことはなかったが、今回は3泊4日の沖縄の旅で、関空発着だから助かる。それで一泊素泊まり10000円はリーズナブ
ルだ。
 沖縄の往復航空券は、ANAのマイレージサービスの特典航空券だから無料(サーチャージかな二人で3000円ほどはか
かるが)。この旅行の全行程で使うホテルも比較的安価なホテルばかり。親爺とオカカの得意の「ビンボー旅行」で、沖縄
を回る足は、レンタカー・・・。
 さてどうなることやら、今日は流石に疲れて、ホテルの近所のフードセンターで鮨などを買い込んで、夕食とする予定。
 部屋で寝転んでテレビを入れた。久々に見るブラウン管テレビにちょっと郷愁を覚えた・・・。


11/9
 今日はよい天気だ。窓の外には秋の景色が広がっている。
 明日からオカカと一緒に小旅行。数日で帰ってくるのだが家を空けるとなると、親爺はともかくオカカは主婦だから色々
大変なのだそうで、今朝からゴミ捨てやら掃除やらと大活躍、その合間に荷造り・・・・・。いや、さすがである・・・。
 例によってモバイルPCは持参するから、HPの更新くらいは出来るつもりでいるが、旅先でもずぼらはずぼらのままなの
で、どうなるかは本人にも解らない。
 明日から山里は天気が崩れると云う事だが・・・。


11/8
 我が山里では、わらぶき屋根の家を「くずや」と呼んだ。高岡の町場生まれのオカカにはこの呼び方が通じなくて、長い
間「くずや」を屑屋だと思っていたという・・・。かといってこの「くずや」は方言ではないようだ。大辞林では「葛屋」と書き、
藁や茅で葺いた屋根、またはその家、と記している。
 私が子供の頃、昭和30年代には我が山里にも数件の葛屋が残り、何となく薄暗いイメージがあったが、何人かの友人
の家も葛屋だったから、中で遊んだ記憶もある。
 山里最後の葛屋が取り壊されたのは、昭和40年代に入ってからだったろう。近所の家だったから記憶にある。
 一昨日、有峰林道から、飛越林道に入り岐阜神岡の山中にある、山の村で一軒だけ残る葛屋を見た。
 秋の色に包まれた山の村の葛屋・・・。私たちの年代には郷愁を誘われる佇まいだ。


 堺市にお住まいのNさんが、又親爺にプラモを送って下さった。造形村のP-51Dムスタングだ。1/32スケールで、その作り
込みは驚くほど細かい。以前もこのメーカーの震電を頂き、じっくり楽しんだ。
 でもこのクラスのプラモとなると、十分気分の高揚を待って取りかからないと挫折することになる・・・。
 もう二晩、組み立て説明書(52ページ)を読みふけり楽しんで居る。この冬には・・・。Nさん本当に有り難うございます。
 


11/7
 初冬の重苦しい曇天は、これから来る冬の鉛色の空を思い出させる。
 それでもきれいに色付いた不動山が居間の窓から見え、いくらか滅入った気分を吹き払う。
 そんな今朝だ。


 今日は病院へ薬をもらいに行く。月に一度の仕事だ。でも午後からは又自由時間。プラモを組み立てよう・・・。
 今手がけているのは1/72スケールの旧帝国海軍90式艦戦・・・昭和初期の複葉艦載機だ。
 

           スケールがスケールだから部品が細かくて閉口する。でも又それが面白い・・・・・。
         


11/6
 快晴の朝で、今日はオカカと有峰林道を一回りすることにした。すっきりと澄んだ青空に誘われた訳で、プラモ三昧で家
に籠もりがちな親爺には、是非とも必要な気分転換である。
 一昨日辺りから、1/72スケールの旧帝国海軍の90式艦戦にとりかかっていたので、細かい作業が続きちょっと閉口して
いたので、今日の有峰林道ドライブは良い気分転換だった。
 有峰の紅葉はもう終わってはいたが、途中の林道の下部が盛りで十分「錦秋」を堪能した。と、それよりも何よりもこの
林道の素晴らしく整備されて、ほぼ全線二車線となりつつあるのには驚いた。昔は酷い悪路で、崖っぷちを縫うようにくね
くねと、すれ違いに冷や汗をかくような林道だったのだが・・・。
 有峰ダム直下の林道。素晴らしい舗装道路になったものだ。


 風がやや強かったが、紅葉狩りの盛りも終わり、静かな有峰湖。


 親爺の若い頃、この東谷と呼ばれる有峰湖に注ぐ谷で、よく岩魚を釣ったものだ。懐かしい谷である。


11/5
 親爺には昔から、寝床で本を読むという癖がある。だから昔はベッドの廻りに読みかけの本を積んで、オカカに嫌われ
た。でも、最近は電子書籍という便利なものが生まれ、文庫本大の端末1台に数百冊以上の本を詰め込んで持ち歩ける。
しかもこの端末にはフロントライトとか云う照明装置まで付いて、暗闇でも読書が可能だ。端末液晶画面も、紙タイプとか
云って、非常に紙に近いらしく、あまり抵抗なく慣れてしまったし、眼も疲れない。更に一回の充電で、日々数時間読むと
しても、3,4日は持つらしく、今までバッテリー切れで途中で読めなくなった経験はない。
 旅先に重い本を何冊も運ぶ事が不要になり、書店で出向き本を漁る手間もかからず、ネット上で検索し気に入った本を
直ぐに購入し読むことが出来る。
 しかも最近は新刊でも直ぐ電子化されるし、古今の名作は大量に「青空文庫」から無料でダウンロード、無料のソフトで、
縦書きの正しい日本語文章として読める様になっている。
 で、今まであまり縁の無かった作家にも触れ、新たな作品に触れる機会も増え乱読気味だ・・・・・。
 そして、今まで本で読んでいた、古い馴染み深い作家の作品を再購入して読むや、その良さを改めて痛感することも多々
あり、こう言う作家の作品は本で読もうが、電子端末で読もうが、その味わいは全く変わらぬ事を再確認したりしている。
 今朝の日記には何の関係もないが、ようやく完成した、ファインモールドの「大清水一等兵」・・・。
 

    結構細かい作り込みで装備一式を装着した姿は、本体こそデフォルメされているが1/12スケールの装備が凄く良い。
 

   居間に持ってきてオカカに見せびらかすも、反応は冷たい・・・。で、愛用の電子端末で、読書と相成った・・・・・。
 


11/4
 気温が下がり、小雨が降って不動の山が色付いて・・・・・山里の秋は深まって行く。
 親爺も今朝は61歳。六十路に踏み込み尚一年を重ねた。
 身体も至る処にガタが来て、歯や眼などはとっくに駄目になり、最近は耳も怪しくなって体温計の電子音など全く聞こえ
ないし、頭頂部も毛髪が抜け落ち・・・・・と、ガタについては枚挙にいとま無いが、それでも日常の生活には未だ不自由な
事は何にもない。一応車での遠出も苦にならず、好奇心も可成り旺盛で、読書や模型作りも楽しくて、喰い意地と来ては
人並み以上であるから、人生を楽しむ事に関しては「未だこれからだ。」と、考えることにしてている・・・。
 それにしても、過ぎ来し方を振り返れば、実に様々な事が積み重ねられて、そしての今につながっていることを痛感する。
 そんな取り留めのない事を想う、今朝である。


 陸軍一等兵は本体の仕上げにかかっている。38式歩兵銃も出来た・・・・・。


11/3
 親爺はここ2日ばかりを、作務衣で過ごしている。
 手近な外出なら作務衣で十分だと思うが、オカカがいやがるので着替えさせられる。だから、作務衣で過ごしている2日間
は家の庭ぐらいは出入りするが、外出していない。
 作業場にこもってプラモを作ったり、それに疲れれば居間で寝転んで本を読んだり、うたた寝したり、果てはオカカと一緒に
DVD(韓ドラ)を見たり・・・。
 で、今手がけているのが、ちょっと毛色の変わったプラモ。飛行機でもなく車でも船でも戦車でもない、旧帝国陸軍の歩兵
である・・・。いわゆるフィギュアの範疇に入るのだろうが、デフォルメされた歩兵本体に装備一式が1/12と言う正確なスケ
ールで付属する・・・。面白いプラモだが、塗装に思い切り時間がかかる・・・。
 未だばらばらだが、ここまで来るのに2日・・・。


 部品が大きいので、ランナーから部品を外してバリを取るだけでもかなり手間取る。それを塗装し、組み合わせ、パテで隙間を埋め・・・。
 

               本体は手慣れぬので大変だが装備なら・・・コレも面倒そうだなぁ・・・・・。
           


11/2
 非常識があふれる世の中ではあるが、全く驚いたのは、日本国憲法による天皇のお立場を理解して居らぬ参議院議員
の存在である。園遊会と云う浮世を離れた栄光の催しに招かれ、何を血迷ったか、陛下に手紙を手渡した参議院議員が
いる。出自が芸能界というこの参議、その出自故の自己顕示欲によるパフォーマンスかと目を疑った。見苦しいことこの上
ない。政治的権能を一切お持ちでない陛下に何を訴え様としたのか、その行為の意味が全く理解できぬ。
 それにつけても、この無礼な手紙に全く動ぜず、すんなりと受け取り、そしてまことに自然に侍従にそれを手渡し、何事も
なかったかの様ににこやかなまま泰然として居られた陛下のお姿は、まさしく日本国民の象徴であられた。
 こんな非常識な国会議員がいると言う事が、日本の恥である。国会議員の資格など無い。議員辞職は当然である。
 豊葦原瑞穂の国、その片隅の山里の暖かい朝。日本は平和だ。


 こんな小さなリンゴだが、とても甘くて美味い。長閑な晩秋の朝の彩り・・・・・。


11/1
 霜月となったが、今朝は暖かくストーブも焚いていない。外は穏やかな晴れ。
 小屋閉めから10日あまりも経って、親爺の身辺も少し落ち着いてきた。雑務がないわけでもないが、たかが知れている。
で、例によって、自分の好きなことだけをして時間を過ごせば良いわけで、親爺は又プラモ三昧・・・・・。
 未だ元気な頃の爺様が使っていた、隠居部屋が空いている。
 介護レベルが最高まで上がってしまった爺様は今、設備の整ったホームでお世話になっているからで、順番から行くと
次にこの部屋を使うのは親爺である。
 裏庭に面した明るい部屋で、バリアフリー、全自動の洗面台、トイレも付いているので、まことに便利な部屋だ。
 で、ここを有効利用することにし、プラモ制作道具一式を持ち込んだ。
 もちろんオカカの許可も得てあり、条件(これ以上テーブル以外を汚さず、完成したプラモはここに置いては行けない)付
きではあるが、親爺はここでプラモを作っている。


 いろいろなプラモがあって、1/72の96艦戦や、何と旧陸軍の歩兵のプラモまで出たのだ。これは面白そうだ・・・・・。
 


10/31
 下山して二十日あまりも経つが、最近ようやく山里の生活リズムに身体が慣れた。
 朝は四時に起き、夜は九時には寝てしまうと云うのが山小屋生活のリズムだから、大凡3時間の時差がある。この僅か
3時間の時差と云うのが応える・・・。日本とネパールには3時間15分という時差があり、嘗て親爺が勤め人で、仕事で頻
繁に行き来をしていた時には、この僅かの時差にずいぶん苦労したものだ。勤め人を辞し、山小屋親爺業一本に転じ、も
う還暦も過ぎた今になって未だ、この時差に苦労するとは思わなかった・・・。よほど3時間の時差に縁が深いのだろうか?
 と、突然おかしな事を思い出した。日本とネパールの時差、3時間15分と云うのは、アナログ時計の針で時を知るときに
90度の角度で瞬時に、両国いずれの時間も見ることが出来るのだ・・・。例えば今日本にいて9時だとする。この時計を左
に90度傾けて見ると、大凡だが5時45分と云う針の位置になり、ネパール時間が直ぐに解る。逆にネパールにいる時には
時計を右に90度傾けて針の位置を見ればいいわけで、ネパール時間で9時ならば日本は12時15分となっているはずだ。
 朝からおかしな事を思い出したものだが、この時計の見方ずいぶん役立って、両国間の国際電話で、先方の時間を知る
のにずいぶん助かった・・・・・。尤も「e-mail」と言う通信手段がポピュラーになり出した頃から相手国の時間など余り気にせ
ず意思の疎通を図ることが出来るようになって、時計を傾けて見ることも無くなった・・・。今は昔のこと。
 山里から15分も車で下った所にある富山平野外れの集落には、山里芦峅寺では見られぬような、鈴なりに実をつけた柿
の木が沢山ある。芦峅寺は標高が400mあまりもあり、柿の木は貧弱であまり実をつけない。


10/30
 仲間との旅行から、様々な土産話と共にオカカが帰ってきた。僅か二泊三日家を空けただけだが、そこはやはり主婦の
こととて、今朝は洗濯やらゴミ捨てやら掃除やらと大忙しだ。
 オカカは親爺と二人で旅する時にはそんなに土産など買い込まないのだが、年に一度のこの「お仲間」との旅では、全員
が主婦なので、どうやら互いに影響し合い、購買欲も増幅されるようで、可成りのお土産を買い込んでくる。その殆どが、親
爺や娘が喜びそうな、お菓子などで、圧巻はお弁当である・・・。帰宅してからの食事したくなんて疲れてイヤだし、美味しい
弁当は、親爺も娘も大喜びするに決まっているからだ。
 で、昨晩もオカカのお土産の弁当は大好評で、親爺の図体には更に貫禄が付いたのだった・・・・・。
 今朝も穏やかな秋晴れ。オカカの洗濯物も良く乾くだろう。
 大日の雪も少し溶けたようだ。


 オカカのお土産の「京大和」と言う料亭の二段重ねの弁当は、留守中ラーメンやコロッケを主食にしていた親爺には
もったいない程美味しく感じられた・・・。
 


10/29
 良い天気が2日間続く。澄んだ大気の向こうに不動山がずいぶん色付いて来た。
 こんな山肌の変化を見ていて、時の移ろいをしみじみ感じる。親爺もずいぶん風流になったものだ・・・・・。


 さて今の世の中は、食べ物の話題があふれかえり、今度はついに和食が世界無形遺産に登録されると云う・・・。が、食
べ物に関するのはこんな良い話題ばかりではない。どこかの有名ホテルの食材偽装が大きく取り上げられ、何故か大騒ぎ
になっている。
 社長だか、総支配人だかが出てきてマスコミ会見し、どうやって今の地位に就いたかうかがい知れるような恥知らずな鉄
面皮をさらけだしての「国会答弁」・・・・・。
 平和な日本上げてのグルメブーム。マスコミが煽らなくてこんなブーム起きる訳もないのだが、そんなマスコミにも責任の
一端のあるグルメブームの中で、起こるべくして起きた食材偽装騒動であるが、そのマスコミが又正義面を振りかざし、不
必要なまでに、この騒動の最高責任者連中をしつこく追求する・・・・・。
 この騒動の発端はと言えば、無責任なマスコミの影響でミーちゃんやハーちゃんが、大したこともない知識を振りかざして
「食材は本物でなくては真の美味はない。葱はコレ、えびはアレ、肉はソレ・・・・・」等とほざくようになった事なのだ。
 利口な鉄面皮連中がコレを利用して、一儲け企んで、アレよという間に7年だか10年だか経って、今になって、ソレがばれ
ての大騒ぎとなったと云う事なのである。
 では、食材を偽装されつつ、高級ホテルのブランド名にだまされ、有り難がって高い金を払っていたのは誰???
 だまされたと言う事が解るから腹が立つのだろう。
 一流のホテルのレストランは、提供される料理そのものの味も重要だが、そこで提供される全てのサービスも含め楽しむ
もの。豪華なしつらえの食卓で、気配りの行き届いたサービスを受け、提供された料理が美味しければそれで良いと、親爺
は思っている。むしろ安価な食材を使って、同レベルの料理を偽装出来た料理人の腕をほめてやれば良い・・・・・。
 親爺が舞い上がって、HPに開設している「ずぼら料理帳」をご覧じろ。ブランド名のある材料などは使わない、と言うより使
う事を知らないし、そんな面倒なものにこだわる気もない。どこでも気軽に手に入る食材で、美味い一皿を作ってこその料理
なのだ・・・・・。
 親爺の様な庶民の身の上では、一流ホテルのレストランなどまあ、殆ど縁がない。だから食材の偽装もあまり関係はない。
 もちろん、我が剱御前小舎で提供する食事に、食材偽装など有り様はない・・・・・。

 親爺手作りの「蛸の柔らか煮・食材偽装なし」と、どうにか最後の黒たすきがけ塗装でお化粧を終え、完成した赤とんぼ95式中連。
 


10/28
 久々に快晴である。オカカが留守なものだから出勤する娘を見送ってやろうと、6時半には起床して居間のストーブや
台所のストーブにも火を入れた。
 起きてきた娘の方が「父さん何か食べる?」と気を遣うので、何やらおかしな感じだが、「父さんはいいから、何か食べて
気をつけて行けよ。」と、それでも一応娘を送り出した。
 さて親爺、スコーンの残りと面倒だからペットボトルの紅茶で朝飯を済ませたが、あまりの快晴にうずうずするので、カメ
ラを持って近くの林道を車で一回りすることにした。最初は10分ほどもかからぬだろうと出かけたのだが、いよいよ林道に
車を乗り入れると、嘗て銃猟に血道を上げていた頃の気分で、ついつい足が伸びて、気付くと1時間以上も経っている。
 まあ、別に予定もないから何と言うこともないが、冠雪した立山を眺めたり、ひょこひょこ出てきた山鳥のシンコを写真に
撮ったりしながら帰宅した。
 国見峠付近からの立山連峰。剱の見えるところまで行こうと思ったが時間がかかるので止めた・・・。


 山里も紅葉が始まっている。親爺には今年2回目の紅葉・・・・・。


 帰宅してから、飛騨古川で買って来たむかごをバター炒めにした。今回は塩味ではなく、醤油と酒で軽く味付けした。


10/27
 山里の秋は全く天気が好転せず、今朝も雨こそ降ってはいないが高曇りだ。少し天気が良くなり青空でも広がれば、透
明な澄んだ秋景色が広がるのだが・・・。秋は良い季節だが、この山里の秋にかなり迷惑な厄介者が出てくる。クサギカメ
ムシである。別名「ヘコキムシ」、下手に触るとたちまち臭い一発を食らい、この悪臭は中々取れぬ・・・。
 もの干し場にウサギのぬいぐるみがぶら下がっている。これは彼のヘコキムシの一撃を満身で受けたぬいぐるみとの事
で、3,4日前から洗濯されもの干し場にぶら下がっている・・・・・。
 このヘコキムシがどうかするとわんさかと発生し、家にも侵入し可成り酷い迷惑を被るが、今年は妙に少ない。「ヘコキム
シが多い年はどか雪が来る。少ない年は雪が少ない。」・・・と、昔の人たちが言っていたような気がする。
 で、親爺は気象庁の今冬は大雪になるという季節予報を信じない。ヘコキムシが少ないから、今冬は雪が少ないと言う言
い伝えの方を信じる。
 さて結果はどうなることだろう。もの干し場のぬいぐるみが気楽にぶらぶら揺れている・・・・・。


 今朝のスコーンの朝食はとても美味かった。紅茶もイラムティーのファーストリーフを驕った・・・。


  95式中連が何とか組み上がった。が、このキットにはデカールが無く、代用のシールがついているだけ・・・・・。とてもシールでは・・・・・。
 

 で、親爺は頑張って、塗装で日の丸や白線を入れることにしたが、親爺にとって塗装は大の苦手。マスキングテープと面相筆で何とか・・・・・。
 

 着陸した機体に駆け寄り、次の搭乗を申告する練習生と言ったシチュエーションの一番好きなアングルなのだが、実は機首右側面にあるべきオイル
クーラーが付いていない・・・。部品をどこかに無くしてしまったのだ・・・。簡単なパーツだから自作して何とかつけよう。
               


10/26
 今朝も秋雨の煙る朝に目覚めた。親爺など剱御前小舎を閉めてもう今年は終わったつもりなのだが、世の中は未だ10
月、暮れには2ヶ月余りある。多分山から下りてくると季節が幾分戻るからだろう、初雪も見て、下山した親爺には秋雨の
朝なのにその暖かさに違和感を感じる・・・。
 最近は朝、自転車マシンの負荷を最大にして約10分あまりペダルを踏み、意識して適度な息切れ状態を作る様にして
いる。この程度の運動でも、せぬよりはマシで階段の上り下りなど息切れが少なくなった様な気がしないではない・・・・・。
 寒々とした秋雨の朝だが、全く寒くはない我が山里だ。


 で、これがここ二、三日の親爺の仕事で、山で作った「赤とんぼ」93式中連ではなく、同じ赤とんぼだが、陸軍の95式中連なのだ。
 

 ニチモのキットだが古い金型のままで、部品精度はあまり高くない・・・・でもさすがニチモという部品もあり、風防はクリアだ・・・。
 

 親爺は時間があるから何とか組み立てて、つじつまの合わぬ部品も削り曲げ、とにかくだまして・・・・・・・
 

             何とかここまで組み上げた・・・・・。細かい部品の塗装を終え、一服・・・・・。Cont.
           


10/25
 台風の影響なのか、天気はパットせず、それでも小屋閉めの後だから心は穏やかな親爺だ。
 オカカと二人の山里生活に入り、未だ小屋閉め直後なので少し残務整理でばたばたすることもあるが、基本的には毎日
が休日である。
 贅沢は出来ないし元よりしようとも思わぬが、何とか来シーズンまで二人で生活出来る目処が立って、それだけで心豊か
な気分でいられるノーテンキな性格の親爺とオカカはサイワイデアル・・・・・。と、まるで聖書のようだが、まあ、そんなところ
での生活である。
 頂いた柿で干し柿を作ろうと、先ずは縁側に並べてみた・・・が、未だ皮もむいてない・・・。
 それでも縁側には秋の風情が立つ。


 今日の山里は秋雨が煙っている。


10/23
 オカカは一人で買い物に出かけた。小屋閉め後の残務整理で親爺が少し忙しそうだからだ。
 少し肌寒い山里だがストーブを焚くほどではなく、立山もすっきりは見えない。でも現金なもので、剱御前小舎を閉めたら
天気があまり気にならなくなった・・・。
 これから半年は親爺もオカカも殆ど「縛り」が無い生活に入るのだが、12月の半ばともなると雪が降り、3月の半ばまでは
大雪に閉じ込められる事が多い。そして、この雪が北国の山里生活の大きな「縛り」になってしまう・・・。
 と、と、と、これは又直ぐに天気が気になり始めるのではないか・・・。
 エ〜イ!悔しいが親爺は一年中天気を気にしながら暮らさなくてはならぬのか・・・。
 どこか常夏の国にでも移住せぬ限り親爺の観天望気癖は止みそうにもない。いやでも、暑いのは一番苦手だし・・・・・。
 ノウテンキな日々の始まりに相応しい親爺の今朝の想いである。
 剱御前小舎を閉めて、山里から望む立山。


 21日、ヒデは弟のようなミンマを連れて、京都、奈良の旅へ。ミッチャンは可愛い甥っ子のヨータローと分かれて長野の自宅へ。
 

 ミンマはヒデと、旅先の奈良から関空へ向かい帰国、クミチャンも帰り・・・で、寂しくなった親爺はプラモを作り始めた・・・。
 


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