2013親爺のずぼら絵日記 (冬)
                                            皆様新年明けましておめでとうございます。
                                            旧のずぼら絵日記に、何ら代わり映えもございませんが、
                                            年も改まり2013年、平成25年となりましたので項を改めま
                                           した。本年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。
                                                           2013年(平成25年) 元旦 
                                                                剱御前小舎 親爺 拝



3/31
 3/28に東邦航空の空輸安全講習会を終え、富山市内で懇親会。飲めぬ親爺も引っ張り出され
運転手・・・。で、翌日は末娘の引っ越しにもつの荷受けで、オカカと二人駆り出され上京。あれこ
れとこき使われて、すかっり消耗・・・。昨夕ようやく片付けを終え、オカカと二人東京を発ち、群馬
の館林に立ち寄り一泊し、さっき、午後3時過ぎに山里へ帰り着いた。
 桜が散り花吹雪が舞う東京だったが寒く、又その桜を眺め楽しむ余裕もなく、薄着で出かけた
親爺はすっかり閉口・・・。車中にあったダウンを着込んだものだ。
 まあ、とにかく無事帰ってきて、我が家の居間でノビている・・・・・。
 この荷物には参った・・・。親爺の学生時代の引っ越しなど布団袋一つだったものだが、それを
言うと「40何年も前の話でしょ!」とやられてしまう・・・・・・。世の中変わったものだ・・・。


3/27
 一日が過ぎる毎に小屋開けが近づいてくる。当たり前のことだがこの時期になるとそのことが実感を伴ってくる。
 室堂周辺の小屋は来月早々に入山らしい。剱御前小舎は稜線の山小屋では先陣を切って、4月17日に入山、小
屋開け作業に取りかかる。剱御前小舎の営業再開は4月25日からの予定だ。
 親爺はどうせ第一陣で入山はしないが、その後のヘリコプターの荷揚げなど、親爺なりに結構忙しくなる・・・。
 明日は早速、そのヘリコプター輸送に関する安全講習会で、明後日からは又3日ほど上京の予定。以前ならこの
位の日程は当たり前の事だったのだが、10月末からの冬眠生活で、すっかり身も心もなまりきっているので、一寸
今の時期は辛いのであろう・・・。まぁ、又慣れるだろうが。
 我が芦峅寺の隣村、千垣の村はずれから望む立山連峰。
 芦峅寺から僅か2km余の千垣だが標高差では100m余りも低い。


3/26
 昨年の雪景色を引き合いに出して、今年は我が山里に雪が無いとほざいていたら、それが未だ立ち去りかねて
いた冬の神様の耳に入ったのだろう。
 昨日の午後松本から帰宅し、降り始めた雨がいつの間にか雪に変わり、夜半まで断続的に降り続いた。とても気
の良い今年の冬の神様なので、雪が無くて寂しがっているのだと勘違いしたらしい・・・。もう要らないよ神様・・・。
 で、今朝は又見事な銀世界。至る所凍てついて、暖かさに緩んだ身体が驚いている。鼻水が出る・・・。
 大日の彼方から、日が昇り、凍てついた山里の朝が明ける。


3/25
 昨日はたっぷり夕刻まで、娘のアパートで荷造りの手伝いをさせられた。今朝もその荷物を運送屋さんに引き渡
すのに立ち会いさせられたが、親切な運送屋さんで、10時前に運び出しを初め、11時過ぎには車への積み込み
が完了してしまった。親爺もオカカも普段が普段なので、すっかり疲れ切り、這々の体で山里に引き上げてきたが、
大町経由で、途中、白馬でそばを食べ、3時には家にたどり着いた。
 今年の山里はもう全く雪がないと言っても良い状態で、幾らか寒くはなってきたものの、去年の今日の写真を見つ
けて比べてみても穏やかな雪の少ない冬だったような気がする。
 去年の今日はこんなに雪があり、未だ雪が降る寒い日だったのだ・・・・・。


3/24
 今日は松本市で朝を迎えた。三女の引っ越し荷造りの応援だ。
 甘い親で、子離れが出来ぬのか、社会人の娘達の引っ越しの度に引っ張り出されている、と言うよりこちらから
のこのこ応援に出かけてしまうのだ。
 親爺ばかりが甘いのではなく、オカカもこんな時には非常に甘くなる。本人は気付いていなくて、全部親爺が甘
いせいにしたがるが、オカカもかなり甘い方だと思う・・・。
 で、今日は荷造り万端終えて、明日の午前中に運送屋さんが集荷に来る予定。三女は勤務があり、親爺とオカカ
が立ち会う予定で、松本にはもう一泊する。
 まあ、親爺も自由時間が多いので応援してやれるのだろう。
 松本は快晴の朝だ。


3/22
 朝から快晴だ。今日は長女が冬期間世話になった官舎を引き払うので、オカカと二人引っ越しの手伝い、と言う
よりは立ち会いか・・・まぁそんなことで駆り出され、午前中が潰れた。明日は三女の転勤で、松本まで引っ越しの
お手伝いである。公務員も悪くはないが、結構頻繁に転勤で、引っ越しが大変だ。次女だけが転勤無しの内示で、
「転任希望出してたのに残念!」と連絡があって、残念がる本人を尻目に親爺とオカカは少しホッとしている・・・こ
れ以上引っ越し手伝い動員されたら堪らない。各々早く伴侶を見つけ親に頼らず、引っ越しくらい自力でやれるよう
になって欲しいものだ・・・・・。
 酷い黄砂で、せっかく昨日新雪が来た立山だが、やはり少し黄ばんでしまった。

 


3/21
 今日は閻魔堂で、恒例の還暦祝いがある。去年は親爺達が還暦で祝ってもらい、今年はその一つ年下の
連中か・・・等と、ごく当たり前の事を考えている。
 今朝は新雪が10cmも来た。それでもすっかり雪解けして、地表に十分蓄熱された後の雪だから直ぐに融け
てしまうだろう。そう言えば去年親爺達が閻魔堂に集まったときは、全員長靴で未だうずたかく積もっていた雪
の上を、かなり着ぶくれて集まったのだから、この程度の雪なら雪の中には入るまい。今年の還暦連中は雪が
少ない年に巡り会って良かったなぁ、と、又どうでも良いようなことを思ってみたりしている。
 すっかり雪景色が戻った3月21日の我が山里である。


3/20
 春分の日だ。例年より雪が少なく、日陰には未だ幾分融け残りが散見されるものの、概ね雪のない3月20日で
ある。
 小屋開けまで後1月を切って、流石の親爺もこれからは一寸忙しくなって来る。
 毎年のことなので余り慌てることもないのだが、今までの4ヶ月余りの日々が余りにも長閑で有ったため、僅か
な用事ですら大儀に思える様になっており、つまり、頭も身体もかなり怠け癖がついているので、社会復帰する為
には、親爺には、それなりの努力が要るのである・・・。
 芦峅寺の山里は暖かく、花粉か黄砂か知らぬが、かなりほこりっぽい朝を迎えている。


 親爺部屋のNさんから頂いたカレンダー。毎日見ているが見飽きない。


3/18
 三月も、あっという間に18日か・・・。
 朝目覚めてから夜寝に着くまでの時間は、極めて気ままに流れ、ある時は本を読みふけり、ある時はオカカと
一緒にDVDの映画を見たり、更に気が向けば模型作りに没頭したりと、大凡自分の好きなことばかりをして過ご
す時間は、その経過すら意識されず流れ去る。この感覚は、過去を省みて「光陰矢の如し」などと時の流れの速
さを計り感ずる高尚な感覚ではなく、もっと身近な、我を忘れて遊びほうけていて気付くとあたりが真っ暗になって
いて驚いた子供の頃の感覚の様だ。
 さもありなん、親爺は還暦を過ぎて、肉体のみは老いて行くだろうが精神は日々子供に還って行くのだ・・・。
 やがて更に若返り、赤子のような無垢な心で最期を迎えられるとすれば、来るべき時もさほど悲観するほどのこ
ともないように思う。人間というのは実に上手くできている・・・。
 屋根の上にはすっかり雪が無くなった我が山里。


3/17
 暖かく良い天気が続いて山里もすっかり春めいて来た、と言っても未だ村はずれの田んぼには雪が残っているし家の巡りの
日陰には少しずつ雪がへばりついている。
 しかしこの僅か1週間ほどの間に、本当に暖かくなった。居間は床暖房を切り、ストーブだけで十分だし、親爺の衣装も薄くな
り、室内なら半袖のTシャツに薄いセーター1枚で十分になって来た。
 戸外も春の暖かい光に包まれているが、これがくせ者で、オカカなどマスク無しではとても外へは出られない。目に見えぬ杉
花粉が・・・・・。
 雪の融けきった田んぼの彼方に立山が霞み聳える。


 山里の村はずれの田んぼには未だ雪が残っている。立山は未だ純白だ。


3/16
 暖かい日だ。一寸動くと暑くなって居間は床暖を止め、ストーブも消した。それでも未だ暑いくらいだと思っていたら
親爺はフリースを着たままだったので、それも脱ぎ薄いセーター一枚になった。
 数日前まで朝は凍りついていたのに、動くと汗ばむような朝になったのだから驚く。
 一冬中閉め切っていた座敷縁側の雨戸を明けた。
 真っ暗だった座敷は障子を閉めないと眩しすぎるほどで、冬の冷たい暗闇が解れて行くような暖かみがじわじわと
広がって、居心地の良い和室となった・・・。


 床の間に飾られた宗谷の模型の前の石は、第1次観測隊がオングル島を離岸する前日、南極大陸に足跡を残した
爺様と、何人かの仲間が記念に持ち帰った南極大陸の石で、後ろはオングル島の石である。今やこの二つの石は、
若かりし日の爺様の栄光の記念として我が家の床の間に鎮座する。
 


3/15
 昨晩寝る前に、一寸調べ物をしようとPCを立ち上げようとしたら、電源ランプはつくが全くディスプレーに
反応が無い・・・。いやな予感・・・。1時間ばかり操作マニュアルと首っ引きでジタバタしたが、最期の方の
ページに電源ランプがつき、ディスプレーに何も出ない場合は直ぐにサポート電話にお電話下さいとあった。
 朝になり、9:00の受け付け開始を待って直ぐ電話、結局修理に出すこととなった・・・・・・。
 昨年5月に買った台湾メーカー製のPCだが、1年間の保証期間内なので修理は恐らく無償だろうが、デ
ーターが復旧できないと一寸困る。少なくとも冬に撮った写真データーなんかは全滅だ・・・・・。
 なんだいもPCは使ってきたが今回のような症状は初めて・・・。
 で、やむを得ず剱御前小舎で使っている、調子の悪いPCを騙し騙し使うことにした。
 そのPCにHP上のデーターや、Webメールのデータ等々を移し替える作業に今日はほぼ1日かかってしま
い、ようやく今になってHPの更新をしている始末。
 メインのラップトップは現在殆ど使っていない。二階の親爺部屋が寒いからで、冬は床暖のある居間で
過ごすことが多いからだ・・・。もう少し暖かくなればストレス無く快適に使えるのだが・・・。
 それにしてもバックアップってやはり大切なのだなと、反省した親爺だ・・・・・。
 一寸怪しいながら、剱御前小舎から下ろしてきたPCが活躍中。



3/14
 親爺より遅く寝に付いたオカカが、「外は雪が降っているよ」と言ったのを親爺は寝しなに聞いたような気がしていたが、
朝起きて外を見るとうっすらと白く、細かい雪がちらほらと降っている。
 今更の雪だが決して珍しいことでもない。年によっては一降ろし降ることさえあるのだから・・・・・。
 とにかく去年と比べると山里の雪解けも早い。
 オカカがまた老眼鏡を掛け、刺繍を始めた。親爺も負けじとプラモに手を出したいのだが、どうにも根気が無くしばらくプ
ラモはほうりだしたままである。まあ、何時もこんな具合で、あるとき何気なく始めて夢中になるので、そのあるときが未だ
来ないのだろうと思っている。
 今は電子書籍の方に気を取られ、四〇数年前に読み親しんだ、今や古典とも言われる明治、大正、昭和の時代の名作
を読み返している。
 下村湖人の次郎物語、第三部までは記憶にあるが、第四部まで読み進んで殆ど記憶が無く、ひょっとすると初めて読む
のかしらん等と、心細い限りであるが、還暦を過ぎて読むとまたひと味異なる味わいがあるような気がする。
 で、今日も床暖の聞いた居間にごろりと寝転んで、電子端末を読みふける・・・・・。


3/13
 昨日は山も比較的すっきり見えて、5月の晴天のような日だった。
 今朝は朝からどんよりした、生暖かい天気で風も少し吹いている。
 花粉症のオカカには、待ち焦がれた雪解けだが受難の時期でもあり、外へ出るときにマスクが手放せない様だ。親爺は
花粉症には未だ無縁のようだが、オカカがくしゃみをしたり目をしばしばさせているのを見ていると何だか自分もあちこち
むずむずしてくる様な気分になる。
 我が山里は杉の木の多いところ、春になれば辺りの杉木立が黄色み、僅かの風にもきなこのような花粉が舞い、オカカ
の花粉症もGW明けくらいまで続く・・・・・。


3/12
 青空が広がり気温がグングン上がっている。
 春の足音が着実に近づいている山里だが、村はずれの田んぼは未だ雪に覆われている。


 村から車で10分も下った熊野川上流部は、もう水も温み、水面に毛針を打てば岩魚が走って来そうな気配だ。
 


3/11
 昨日は昼ちょっと前から雨が雪に変わり、酷く降った。で、今朝はまたこんな景色で明けたが、陽射しが強くこの程度
の雪なら半日もすればすっかり融けてしまうだろう。
 でも今朝は辺り一面凍り付いていた。
 あの日から丸2年の時間が流れた。言葉はない。
 ただ、心で手を合わせ祈るのみ。


3/10
 強い雨に風が付いて、山里の雪解けが瞬く間に進む。
 我が家の「猫額庭」の雪もみるみる減って、山里は春の足音が聞こえ始めた。


 春と言えば、山の友人であるYさんの奥様が今年もまた、季節を告げる奥様手作りの「いかなごの釘煮」を達筆なお便りを
添え送って下さった。この釘煮は親爺もオカカも大好物。
 これを頂く時期が山里の山の神様の祭りの頃と重なるので、なお一層、季節をも共に味わう事となり、春未だ浅い山里で
瀬戸内の味を堪能できる幸せに親爺の顔がまた緩む・・・。
 季節と言えば新玉ねぎ、親爺はこれを大量に刻み豚の骨付きあばら肉と一緒に煮込んだ。マーマレードと塩コショウだけ
で、ただ煮込んだだけだが、これもまた美味い。
 親爺はもう冬眠の熊以上に太っている・・・・・。
 


3/8
 上着を脱がないと暑い東京を出て、立山の山里にたどり着いたのは昨日の16時を回っていたが、山里でも上着が欲しく
なるような寒さは無く、雪も半分ほどに少なくなっていた。
 今朝も暖かで、親爺も長袖のTシャツの上に薄いフリースを羽織るだけで、ちっとも寒くない。すっかり雪を落とした辺りの杉
木立は、やや黄色くなって花粉が散り始めたらしく、オカカは朝からくしゃみに閉口している。
 隣の謙ちゃんから連絡があって、来月の七,八日くらいにヘリコプターで偵察に入ろうと言ってきた。一昨日は北アルプス山
小屋協会(三県協)の総会が飛騨高山であって、親爺は欠席していたのだが謙ちゃんが出て居て、その場で東邦航空と打ち
合わせて来てくれたようだ。そうか、もう一月で山小屋稼業が始動するのだな・・・・・。剱御前小舎も来月一七日には第一陣の
若い衆が乗り込み、四月二五日には営業再開するのだから。
 まぁ、でも未だ一ヶ月後の話だから、親爺もなまりきった身体をそろそろ慣らさないと・・・。などと考えながら今日もずぼらを
決め込んで居る親爺だ。
 親爺部屋からの眺めも、春先の眺めになってきた。


3/7
 昨夕は東京での所用を全て片付けて、午後遅くホテルの部屋に帰ってきた。
 もう少し若いときなら元気で、さて歌舞伎でも観に行くか、寄席を覗くかなどと夜も動き回ったものだが、ぐったり疲れ夕食
もルームサービスで済ませ、オカカと二人早々とベッドに伸びてしまった・・・。
 おかげでぐっすり寝て、今朝は六時前にすっきり目覚めた。
 山の上ホテルは老舗ホテルで、その分設備もやや古くなってきているが、古き良き時代のもてなしの心が受け継がれた
親爺の大好きなホテルだ。場所も神田駿河台で何処へ行くのも便利だし、立体駐車場もあるので車で来ても安心だ。
 そんなに大きくもないホテルだが、レストランが六カ所もあって和洋中と何でも一通り食べることが出来るし、ルームサービ
スでも可成りレベルの高い食事が出来るのが又良い。
 オカカと二人で今ルームサービスの朝食を終わったところだが、一人前だけ注文し二人で食べて丁度無駄なく喰える量だ。
決して量が多いというわけではなく、普段から朝はせいぜいコーヒーとトースト半分の親爺達にはこれがピッタリの量なのだ。
それでもポットサービスのコーヒーなど残してしまう・・・。
 今日は又山里に帰る。
 中央道経由にしようか、長野道を回ろうかと未だ考えている。
 東京の真ん中にありながら、静かで落ち着いたたたずまいの山の上ホテル。


3/5
 三女が新年度から一年間だけ、文科省出向となるため東京に引っ越しとなるが、官舎はお話にならぬ程老朽化して、
遠隔地であるので、手前でアパートを探さなければならぬと、泣きが入った。
 親爺とオカカは時間があるので、それではと上京、明日一日アパート探しである。まあ、めぼしいところをいくつかピック
アップおいたので早く決めてしまわなければ・・・。
 東京での宿探し・・・四十年前に経験があるが今やあんな悠長な時代ではない。本駒込3丁目の駒込吉祥寺付近の四畳
半で、8500円/月だったなあ・・・。
 上京する途上、春の富士山がよく見えた。


3/3
 ひな祭りだ。
 親爺は三人の娘が居るので、昔は雛飾りもしっかりし、ケーキなども買ってきて可成り賑やかに祝っていたが、今はもう
娘達もほぼ独立し、それぞれの勤務地にいるので、親爺とオカカの二人で可成り簡略にした雛飾りをし、ちらし寿司と蛤吸
の夕食を頂くくらいのことだ。今日たまたまは日曜日で、長女が帰宅しているので夕食だけは三人で、ちょっと賑やかになる
だろうが・・・・・。
 昨日は雪がほぼ一日中降り、10cmばかり積もり辺りは又雪景色。今朝は穏やかな日になって軒先の氷柱が陽に溶け
て、滴をしたたらせている。


 解けて嵩を減らした雪に又新雪がかぶった。


 ひな祭りの定番、ちらし寿司に蛤の吸い物・・・。オカカ心づくしの夕食だ。


3/1
 山里の空はどんよりと曇っているが、今日から三月で暖かい。
 雪がずいぶん溶け、閻魔堂の杉木立もすっかり雪を落としてしまった。
 大日岳も薄い霞にぼんやりと見えるばかりだ。
 後9日すれば山の神様の祭り、その後は山へ入る事が許され、昔なら小屋開けに立山へ入ったと言う。
 剱御前小舎のオープンは未だ一月半以上後である・・・。


2/28
 二月も今日で終わる。暖かい快晴の日で、気温は十五℃にも上がるとのことだが、山里でも十℃は超しそうだ。
 寒くなったり暖かくなったりで、親爺は又風邪気味だ。どうにも弱くなった。
 まあ、無理をして何かせねばならぬ立場ではないので、ゆっくり休んでいればよいのだから気が楽だ。
 それでも今日はオカカとドライブがてら富山市内まで買い物に出た。富山市内と云っても旧大沢野町で、我が家からは
安全運転でも、ものの2〜30分である。ここには美味しいパン屋があり、そこのパンは親爺もオカカも好むところなので
先ずパン屋へ立ち寄ってパンを買い、その後付近のスーパーで買い物をしてきた。
 この辺りは富山市内の平野部ながら、高い構造物が少なく、立山を眺めるのに丁度良いポイントがいくつもある。
 で、間の掛かった暖かい日の立山を撮ってきた。
 この距離から見る立山は高く聳え、可成り靄って見える・・・・・。


2/27
 小雨模様で、雪が溶けて良い。しかも予報では午後から青空が広がるという。
 木立はすっかり雪衣を脱ぎ、身軽になった。親爺も一枚脱いでみようかと思ったがやはり未だ寒い。
 若い頃は真冬でも、夜具に潜り込むときには半袖のTシャツ1枚だったが、最近は長袖のシャツに厚めのトレーナーパジ
ャマを着て、どうかするとその間に極薄いニットセーターを着込むことすら有る。非常に寒がりになった・・・。剱御前小舎に
いても、積雪期はフリースパジャマを着込むが、夏は半袖Tシャツに薄いラガーシャツ程度だから、山里の厳冬期の寒さは
剱御前小舎の小屋開け頃に近いのかも知れない。
 昨日の朝までの寒さは影を潜めて、今朝はぼんやりと、暖かい朝だ・・・。


2/26
 ようやく長い雪降りトンネルを抜けた。久々に陽光が射し青空が広がる。
 明日からはしばらく気温の高い日が続くとの予報で、これでようやく雪も落ち着くと、ホッとしている。
 二月も後2日、いよいよ三月で、山の神様の祭りが9日に終われば小屋開けまで1月余りと迫り、さすがの親爺の身辺も
少し慌ただしくなってくる。
 毎年同じ事だが、冬眠の眠りが幾分浅くなってくる頃だろう。
 まあ、三月に雪が落ち着けば今年こそ少しまとまった時間(せいぜい1週間だが)、車であちこちをうろついてくる予定だ。
 往年の「寅さん」よろしく、未だ寒いから南の方へでも流れてみようかと思っている・・・が何時も思っているばかりで、なか
なか実現しない。でも今年こそは・・・・・。


2/25
 思ったほどつもりはしなかったが良く降った。二月も末の雪だと高をくくっていたが、一おろしは降ったようだ。
 家も融雪装置を止めていたので、5〜60cm屋根に雪が積もったようだが、それでもこの程度なら全く問題ない。古くとも
立山杉の太い材料を使った雪国の建物だから2mくらいの積雪には耐える。
 我が車庫の積雪は1.5m足らず。これも耐雪構造の重量鉄骨造りで、圧雪3m以上の重量に耐える構造だそうだから全く
心配ない。
 ようやく今朝になって雪は収まったようで、明日から10日ほどは気温も高く、お日様も照りそうな日が続く予報だから、普段
は余り予報を信用せぬ親爺も、これは信じたい。
 まるで定点写真のような、単なるずぼら写真だが、昨日と今日を見比べると、雪の嵩にさほど差がない。


2/24
 今日は村の総会。のこのこ出かけていったら議長を振られてしまった。まあ、どれもこれも嫌になるほど知った顔、さほど
緊張もせず、無事議事を進行、閉会にこぎ着けた。が、親爺はこの後の直会が苦手。さっさと引き上げてきた。酒の出ぬ席
なら幾らも話し込みたい連中ばかりだが、酒の席というのはどうにも馴染めず、どんな会合だろうが早々に脱出するのが常
の親爺なのだ。
 それにしても良く降る。一昨日の夕刻から降り始め、断続的に降り続いた雪は既に60cm・・・。オカカが友達と誘い合わせ
て一泊温泉の旅(湯治?)に出たが、折角楽しみにしていた日がこの雪降りではちょっと残念だったろう。が、富山市内は雪
が降ってないから大丈夫とのメールが届いていた・・・。
 で、親爺は一晩独身で、いや、独居老人でと言うべきか、相変わらずプラモでもいじって過ごそうと思っている。
 外は雪、いつまで続くのやら・・・・・。


2/22
 起き出した頃は雪がちらちらしていたが、8時半を回った頃から突然部屋に陽が射してきた。
 夕べはさほど寒くはなく、一昨日、昨日と比べれば朝の気温も幾分高かったような気がする。それでも道路などは未だ
凍てついている。でも季節はゆっくり春に向いて進んでいるようだ。
 雪の降る日は道が悪くなり、急ぎの用事のない限り親爺もオカカも外出を控えている。”君子危うきに近寄らず”と言う
わけで、親爺は君子ではないが、還暦も過ぎればその運転技術も、反射神経もそれ相応に鈍くなっていると考えて、事故
など起こしても詰まらぬと考えているわけで、”転ばぬ先の杖”と自重しているのである。
 もちろんそんなことばかり考えていては引きこもりになってしまって、老化に拍車がかかってしまうので、季候さえ良くなれ
ば、又オカカと二人の弥次喜多道中で、時間を余り気にせずともよい、自由度の高い車での旅に出る予定だ・・・。
 二月末は、雪景色には飽いて、最も陽の光が恋しくなる頃だ・・・・・。


 制作に着手しようとしている1/48疾風に搭載予定のモーターが届いた。
 思ったより小さいが、このサイズなら簡単なドリルの作業だけで、どのタイプにも搭載可能だ。
 今度もペラが回る飛行姿勢モデルで仕上げよう・・・。


2/21
 昨日午後から降り始めた雪は、予想以上に降り積もって、50cmも積もってしまった。
 折角嵩を減らした雪なのに・・・。まあ、この時期は毎年こんな具合なのだ。
 それでも今年は未だ何処の家も屋根の雪を「一おろし」しただけで、「二おろし、三おろし」も当たり前の山里では雪の多
い年ではない。多い年だと「四おろし」などと云うこともあるのだから、この時期まで一おろしで済んでいる今年に、二おろし
はあるまい。
 朝早く、オカカが車庫前の除雪をする。親爺は例によって役立たず・・・・・。


2/20
 気付けばもう20日。二月はあと1週間あまりしかない。
 親爺のプラモ作りも、ずいぶんペースが遅くなった・・・と、云うより根気、集中力が無くなったと言うことだろう。
 それでも作り始めると面白くて、ついつい夢中になっているし、塗装などはいくらか丁寧になったような気もし、それなりに
手が上がってきたか、などとうぬぼれたりもしている。
 で、今度は1/48ハセガワの4式戦「疾風」をやることにしたのだが、この機体は、旧日本陸軍の最期の機体である。
 五式戦というのは三式戦「飛燕」の液冷エンジンを空冷エンジンに換装した機体なので、実質的にはこの疾風が前大戦時
における最新鋭機であった訳で、敗戦後、米軍に接収され機体性能テストを受けた、旧日本陸海軍戦闘機中、総合性能最
高と云う評価を受けた機体だったと言われている。
 いわゆる重戦闘機と云う範疇に入る機体で、エンジンは二〇〇〇馬力級で、オクタン価の高い燃料を使った場合、当時の
米軍新鋭機であるP-51ムスタングなどとも対等以上に戦えたと云う・・・こんな事を頭の中でとりとめもなく考えながら、機体を
少しずつ組み上げ、塗装して行く楽しさは、親爺にとっては堪らない・・・・・。
 こんなプラモの箱絵も親爺には素晴らしいゲージツサクヒンだが、それを理解してくれる人は少ない。極めて少ない・・・。

 


2/19
 2/15で猟期も終わったが、心平もこの日ばかりは出猟した様で、今期最後の獲物の写真を送ってきた。
 暮れに長男が生まれ、一児の父となった心平で、緑と二人での子育てでなかなか出猟出来なかったらしいが、親爺も
30年ほど前に同じ経験をしている・・・。
 なかなか良い白ウサギで、毛皮は長男陽太郎のちゃんちゃんこにでもしてやれば良い・・・・・。
 これからは猟期も終わり、心平も小屋開けまでの二ヶ月ほどは子育てに励むだろう。


 平野部に出ると春みたい景色だが、我が山里は未だこんな様子だ。


2/18
 雨で、周りの山々は花霞に烟っている。暖かい日だ。
 高岡の義父が明日米寿を迎えると言うことで、今日オカカと二人で高岡を訪ねた。義父は未だしっかりしており、毎晩一合
の晩酌を楽しみにしていると言う。義母に先立たれ、一人暮らしなので、様々なケアサービスを利用しており、食事も昼と夜
は、宅配サービスを受けている。その宅配の食事も現在は非常に改善され、一号の晩酌を楽しむときの肴ともなるとのこと。
 普段無沙汰の詫びにと、蔵出しの特選吟醸酒を一升用意して、米寿のお祝いとしたが、喜んでくれた。
 たまたま義兄(オカカの兄)も神奈川から帰省していたが、一ヶ月に最低一度は様子を見に帰省している様で、その孝心に
は親爺も頭が下がる。
 そう言えば我が家の爺様も九月には米寿だなと、余り孝心の厚くない親爺は、今気がついた・・・。尤も我が家の爺様に至っ
ては、ご本人もそんな浮き世の事には縁遠くなっているので、親爺が親不孝者としかられる心配は、もう無いが・・・。
 雪がかさを減らした山里だ。でも未だこれだけある。


2/17
 朝方寒くて目が覚めたら、夜具の足下から冷気が入ってきている。寝相が余りよろしくないので、いつの間にか掛け布団
がずれたのだろう。それにしても冷え込んだようだ。
 青空が広がってはいるが、何処もここも凍り付いて、2階の窓ガラスにはペアガラスなのに内側の結露が氷結している。
まるで、小屋開けの剱御前小舎にいるような気分になった。もちろん剱御前小舎ならこんな朝に簡単に窓は開かぬが、や
はりここは山里、窓は軽く開いて外の青空が目に飛び込んできた。立春過ぎの新雪に覆われた真冬の光景が広がる。
 写真を2,3枚撮って、慌てて窓を閉めた。凄まじい冷気が流れ込んで来て、寝起きの身体には堪らないからだ。
 あ〜寒い!


 一昨日から棒鱈をもどし、昨日半日かけて煮込んでみた。本物の棒鱈なら戻しに1週間はかかるだろうが、安い助宗鱈
の棒乾しとか言うものらしく、一晩で戻り、半日で煮上がって、まあ、それなりの棒鱈に煮上がった。
 もちろんかつて母が煮た棒鱈にはその素材からして違い、味も及ばぬが・・・。
  

 それにしても妙なものが喰いたくなるものだ、年を取ると嗜好が変わると言うが、最近それをとみに感じている・・・。
           


2/15
 親爺はこの冬ごもりの期間、自由になる時間が極めて多く、まことに気ままに好き放題な時を過ごしている。
 だが親爺は、23歳から勤め人と山小屋経営の2足のわらじで54歳までがんばった。この間の31年間は、やはり2人分
とは言わぬが、1.5人分くらいは働いたと思っている。で、54歳で退社し山小屋親事業専に専念する事として現在に至る
のだが、今年で足かけ7年、満6年も経ってしまって、今やずぼら親爺の生活がすっかり定着してしまったのだ・・・。
 以上は親爺の、現在のずぼら生活に対する言い訳なのだが、事実は事実なのだ・・・・・。
 で、プラモを作ったり、本を読んだり、料理をしたりと好きなことしかしない生活なのだが、それはそれで未だ生きているし、
一応個人事業者?も現役な訳で、世の中のしがらみからは解放されては居ない。
 とか何とか言いながら、今日も又長閑に時間が過ぎて行く。
 さて、これからオカカと一緒に久々に買い出しに行ってこよう・・・食糧確保も大切な仕事・・・・・。
 こんな写真を作って喜んでいる親爺は、ノーテンキではあるが、人畜無害でもある。
 

 学習院の山岳部OB会、山桜会の檜垣さんがひょっこり訪ねて下さって、横川の峠の釜飯をいただいた。この釜飯には
親爺は学生時代の思い出がたっぷりある。オカカとその晩に美味しくいただいた・・・。                                   


オカカの揚げかき餅も親爺の好物。ますます太る親爺だ・・・・・。


2/14
 バレンタインチョコをもらった。オカカと娘からで、親爺でもやはりもらえば嬉しい。
 今やすっかり市民権を得たバレンタインデーで、これはキリスト教の聖者バレンタインに由来するなど、そんなことはさて
おいて、女性が好きな男性にチョコを送る日として定着している。この日のお返しがホワイトデーで、3月14日?とかと云う
に及んでは、やはりこれは製菓業者の陰謀か・・・・・と思ってしまうが、別段そんな日が有っても、障りはない。楽しめれば
良いのだ。
 外国人から、日本人は宗教観が希薄で節奏がないなどと云われることがあるようだが、それは確かだ。
 信ずる神々も八百万の神々だし、仏様も日本に渡って来て大歓迎され、元々居たあまたの神々と一緒くたにまつられ拝
まれて来た。キリストも渡海して来て歓迎を受けたのだが、これはやや自己主張が過ぎ、俺だけを信じろ、他は全て悪魔だ
などと漏らしてしまったものだから、時の権力者ににらまれ、地下に封じ込まれてしまうことになった・・・・・。
 神道には元々教義など無いし、仏教も非常に寛容な教えであるから神道と仏教は何の問題もなく共存し、日本の豊かな
風土の中で、寛大にフレキシブルに適当に信心されて現代に至る。が、有る刹那、この信心が強まりすぎると、おかしな事
が起こって、世間を騒がせる事件に至った事も数え切れない。ましてや時の権力にこれが結びつくや「神国日本」などという
狂信的妄想で、国の存亡を揺るがす悲劇に至ったこともあった。
 しかし日本人のいかなる宗教に対してもほどほどの信心しかせぬと云う、大きな特質(希有な美質と言っても良い)はその
国難も乗り越え、現在の反映の基となっている。
 いい加減、でたらめ、無節操となじられても良いではないか。
 何事にも固執せぬ度量の大きさ、何でも受け入れイイトコドリをし得る能力、常に我が身を省み検証し何時でも方向を変
え得る潔さと言い換えれば、まさしくそれが我が日本人の良さなのだ。
 親爺チョコを食い過ぎて、朝から少々のぼせ気味である・・・・・。


2/13
 簡略な飾り方だが、人形だけは全て出してオカカが雛飾りをした。
 我が家の座敷は数年前のリフォームで、仏間と一緒にした、我が家唯一の日本間だ。
 正月から初代の爺様婆様の軸をかけたままの床の間なので、何時もならその軸を納め、床の間を背に飾るひな壇だが、
簡略な飾り方では貧相だし、今年は雛飾りの向きを変え、初代の掛け軸もそのままに、仏壇も開けたまま、賑やかに飾り
付けてみた。
 ご先祖様にも雛飾りを楽しんでもらおうという思いつきで、当分は座敷(客間)としての機能は無くなるが、座敷に通って
いただくような来客も先ず無いだろうから、何ら問題はあるまい。
 いや結構な華やぎで、普段はひんやりした座敷も何やら心楽しい座敷となった・・・。


 オカカが孤軍奮闘・・・親爺は人形に触らせてもらえない。  普段はひんやりと静かなばかりの座敷も、かなり華やいだ。
 


2/12
 この三日ほどの雪降りで、積雪は又50cm余りも増えたようだ。積雪もさることながら、寒い日が続く。
 我が家の居間には石油ストーブが燃えていて、床暖房とこのストーブで十四畳足らずの居間を暖めている。床暖房は
LPGで、10段階の温度設定で通常は1で運転しているが、ストーブも焚きっぱなしでほぼこれで十分だ。床暖を2にする
と室温は2度ほど上がり、21〜2度となり、少々暑く感じるのだが、これは身体が寒さに慣れきってしまっているからだろ
うか・・・。石油ストーブは5リッターの灯油で、約24時間炊けるが、1日に16時間炊くので、1日半分あり、今灯油価格が
かなり高くなっていても、500円足らずで一日半分の暖房をまかなえるのだからさほど割高とは思えない。しかも親爺と
オカカの生活では、このストーブは単なる暖房器具ではなく、大昔の囲炉裏のように、煮炊きや湯沸かしにも利用されて
おり、煮豆を煮、スープを煮、肉も煮込み、やかんで沸かした湯はコーヒーや茶を入れるばかりでなく、湯たんぽにも詰め
られ、その湯たんぽは親爺のこたつを暖め、オカカの夜具を暖め、これでもかとばかりに利用され尽くしているのだ・・・。
 床暖房は非常に効率的で、最高の暖房システムではあるが、如何せん、煮炊きも湯沸かしも出来ぬ処に難がある。
 だから、親爺やオカカの様な世代の人間には、このストーブが一番有り難い暖房器具であるかも知れない・・・。
 やかんの湯はたぎり、鍋にはコトコトと小豆が煮えている・・・。


 そのストーブの前ではオカカが餅をアラレに切っている・・・何とも長閑なオカカと親爺の冬ごもりの日々である。
 


2/11
 建国記念の日だが、そろそろ建国記念日として良いのでは無かろうか・・・。「の」が一文字入るか入らぬかには恐らく
戦前の紀元節を是とするか非とするかというような、論争があってその窮余の一策がこの「の」という字だったのだと記
憶する・・・。
 親爺も戦後教育で育っており、今更「紀元節」などと言う国民の祭日にはいささか抵抗があるが、建国記念日で何の
問題があろうか。
 おおよそ千年以上も続く国の建国記念日など、歴史的真実とは次元が違う神話や伝説に由来させておくべきなのだ。
生々しい歴史的事実の、ある日を特定するなど大きく意見が分かれてまとまるものではない。
 だから、日本神話に基づくこの日を、堂々と建国記念日として良いと、親爺は思うのだが・・・・・。
 天皇誕生日を国民の祭日とする国の、何故「建国記念日」を国民の祭日とできず、「建国記念の日」と言うのか?親爺
のアタマでは何とも理解できない。
 すっかり市民権を得たクリスマス、その上バレンタインデーや、感謝祭まで・・・・・何でも御座れの世界に冠たる広い心と
順応性を持つ日本人が、どうして靖国神社や建国記念日をすんなりと受け入れられぬのか・・・・・
 親爺如きの回らぬ頭では、何とも理解しがたい建国記念の日の朝は、山里ではまだ雪が降っている。


2/10
 居間のこたつに潜り込んで、ずぼらを決め込んでいる親爺だがふと窓外に目をやると凄まじい雪降り模様が・・・・・
いやいや、目からも寒気が飛び込んできて、折角のこたつの温もりも消し飛んでしまいそうだ。
 それでも立春を過ぎた後の雪だから、タカは知れている。ひとばんでせいぜい3〜40cmだ。しかもそれが悪続きするこ
とは殆ど無く、三寒四温と云う言葉通りに暖日も徐々に増え、季節が春に向かっていることを実感するのだ。
 が、山里の冬景色は未だ一月半は続くだろう・・・・・。


 2/9
 立春を過ぎ春めいてきて、春一番も吹いたというのに、昨日の吹雪で又雪がかさを増した。けれど今朝は薄日が射す
晴れで、気温は低いものの明るい。
 親爺は今朝からばたばたして、スペアリブのカレー煮込みを仕込み、豆腐ようもどきも仕込み、牛コマをしぐれ煮にした。
 別に三連休の初日だからと張り切ったわけでもなく(剱御前小舎オフシーズンの連休は親爺には関係ない・・・)、他に特
別な理由があったからでもなく、いわば気まぐれで、この料理に関する気まぐれに関してはオカカもかなり好意的であるの
で、一月に一度くらいの割合で、朝食後から休み無くばたばたとやり始めるのだ。
 で、早くもちょっとバテ気味で(情けない話だが家事作業ですら疲れる・・・)、一段落してこたつへ潜り込んで、このHP更新
をしている次第。
 昨夜オカカと二人、久々にDVDで「日輪の遺産」と云う映画を観た。ストーリーそのものはともかく、いたいけない少女達の
国への献身という、今ではとても考えられぬテーマがあって、教育の怖さそして尊さを感じた。今日の教職について居られる
先生方に是非一度理、屈抜きに観ていただきたいものだ。その上で何か感じるものが無く、ただ冷笑に伏すならば、教職を
去っていただきたい・・・・・。
 この劇中の少女達を演じたのは、まごう事なき現代の少女たち。彼女らはどんな気持ちでこの役を演じたのだろうか・・・。
 又かさを増した雪の下で、親爺はそんなことをぼんやり考えている。


2/8
 今日はオカカのXX回目の誕生日。東京の次女からは又きれいな花束が届き、花好きなオカカは嬉しそうだ。
 親爺は朝から脳の検査。過日のめまいで主治医の先生に勧めていただいたからで、酷い雪降りに巡り合わせたが何とか
病院にたどり着き、MRIの検査を済ませた。結果はほぼ良好、今回のめまいは脳とは関係なかった事が解り、一安心。
 吹雪の中を帰宅したが、寒すぎて、フロントガラスに氷が付き視界不良となりデフロスターを最高温度でウインドウに吹き
付けても間に合わぬ・・・。仕方なく安全なところで停車し、氷を落としては進むという状況・・・。今日の吹雪はすごかった。


2/6
 飛騨古川から帰宅したが、我が山里は古川以上の雪だった。それでも立春過ぎの雪、しかもこちらは雪に倦むほど慣れ
て居る時期だから、この程度の雪は屁とも思わぬ・・・。
 が、東京はどうやら大変だ。僅かな雪が降ってもそれにすら、全く対応も出来ぬ異常な超過密都市。華やかさと利便性
に富んだ世界第一級の都市TOKYOで有ることは間違いないが、自然変動には極端に弱い。
 「治にいて乱を忘れず」とは言い尽くされた言葉だが、この大都市は平時でさえ、その過密さ故に想定外の危険を内包す
る。況んや僅かな雪さえも、平時ではない乱に相当するほどの騒ぎを引き起こしてしまうのだ。
 この程度の雪に、何をヒステリックに大騒ぎをするのか?親爺には皆目理解できぬ。
 今は東京に住み暮らす何割かの人も、かつては自分が雪国人であったこともあるだろうに・・・・・。
 閻魔堂に続く石段の下に、小さな祠が二つ並び、薄く雪をかぶっている。


 雷電のペラを回して喜ぶ親爺、飛騨古川の宿で、一風呂浴びてご機嫌な親爺、どっちの親爺もノウテンキ・・・。
 


2/5
 ずぼら親爺の撮る写真だから、昨日の写真と比べるとまるで定点写真のようで撮影場所が殆ど動かない。それでも日々
の様子はかえってこの方が良く分かるから、絵日記にはこれも又良いだろう。
 明け方雪が少し降って、僅か2cm程だが木々が白く寒々となってしまった。
 しばらく遠出をせずに過ごしているので、今日はちょっと飛騨古川のおなじみの宿に転げ込んで、オカカと二人リフレッシュ
してくることにした。12月から、1月にかけて所用外出以外、何処へも出かけず家にいたのだから・・・・・。
 勤め人時代は、時間が自由な身になれば、あちらこちらと気ままに旅に出るつもりで居たのだが、なかなかそうは上手く行
かぬ。いつでも行けると思っている中に、時間だけが経って行く。
 その内に、もう少し暖かくなれば、せめて1週間ほどはオカカと二人の気ままな旅に出てみたい・・・と、思っている。


 雷電を一応仕上げた。最後の段階で、手が滑って脚を折ってしまい、急遽、飛行姿勢のディスプレーとすることにしたの
で、手頃なアイスキャンデーのプラ棒を増槽タンクと機体に差込、エポキシで補強した。
 

 それをスタンド(以前の同機のモデル失敗作から流用)に差込固定、スタンド裏側に電池ボックスを納めた。
 一応それらしく飛行姿勢雷電21型の完成だが、未だ翼端灯など細かいところは手が入って居ない。その内に・・・。
 


2/4
 立春の朝だが、陽射しはない。それでも雪がずいぶん少なくなって、例年の今から見ると心穏やかだ。
 こんな顔をしていても油断できぬのが我が山里、大きな寒波でも来れば一晩に50〜60cmはあっと言う間だから・・・・・。


 昨日ようやくお化粧に取りかかったが、手元が狂って脚を折ってしまい・・・飛行姿勢の仕上げにせざるを得なくなった・・・。
 ペラが回るようにモーターを組み込んで置いたので、飛行姿勢モデルも良いが、スタンドにどうやってディスプレーするか悩むとこ
ろで、ニューム管でも差し込んで固定するか・・・・・と、頭をひねっている・・・。
 

                 同スケールの五式戦と比べてもその胴体の太さ(力強さ)が際立つ。
           


2/3
 庭の雪がここ3日で3分の1に減った。晴、雨、風と、雪に取っては天敵の三つが、交互に続いたからだろう。
 暦は明日立春、この雪の溶け方なら頷ける今日の節分の陽射しである。


2/1
 平成25年も2月となった。山里は暖かい日が今日で3日続き、雪もずいぶん減ってきた。
 今日も青空が出て、親爺の部屋からは大日が真っ白にくっきり見えているが、標高を300m余り下げた平野部からは、や
や霞んで立山連峰が見えている。山の気温もいくらか上がり、雪も緩んでくる。こんな時の山は雪崩が怖い・・・。
 我が山里に関してだけかも知れぬが、今冬は今まで「一おろし」のみ、だから昨冬と比べると半分で、昨冬は今まで「二お
ろし」しており、雪下ろしが少ないと各戸の庭の雪も少なくなるので、村全体の見た目も、昨年とはずいぶん違い、やはり今冬
は、雪が少ない冬なのだ・・・。
 まあ標高400m以上の我が山里、田畑の積雪も未だ1mは下らぬだろう・・・。


1/31
 昨日朝、目覚めて寝返りを打ったら何か目が回った様な気がして、何だろうと想い乍ら又うとうとした。ちょっと気持ち悪
かったので朝食もコーヒー一杯だけで止め、ちょっとかがんだ弾みに又めまい・・・・・。ぐるぐる目が回るというそれだ。何
だか解らぬが、ソファーで座り込んでアタマを仰向けにすると又ふらふら、こんなことは初めて・・・。
 で、半日ほど寝込んだら気分が良くなって、午後からはちょっとPCに向かい、はがきを書いたり、ちょっとした文章を作っ
たりして過ごし、今日は所用で富山市内に出かけられるまで回復。少々疲れたような気はするが、何と言うこともない・・・
まあ今しばし様子を見よう。
 今朝から天気が良く、雪もどんどん溶けている。明日も又良い天気が続くようで、有り難いことだ。
 今日ももう半日、大事を取って寝て過ごそう・・・まあ、体調の如何に関わらず最近はこんな生活だな・・・。
 村はずれからの立山の峰々。


 雷電も大体こんな感じに仕上がってきている。モーターライズでペラが回るようにしたが、飛行姿勢は止め、脚出しにした。
後はデカールを張り、細かい化粧をするばかり・・・・・。親爺にしては汚しが割と巧く行った・・・・・かな?
 


1/29
 ようやく雪も一段落したが、我が山里では大半の家が雪下ろしをした。親爺の家は融雪装置のおかげで雪下ろしからは
解放されているし、芦峅寺の山里では、二十軒以上の家がこの融雪装置を導入している。
 屋根の雪を下ろすと、その雪は家の周りに堆く溜まる。そうなると今度はその雪の処理が又一仕事で、当然家の周りは
雪囲いをして置かなくてはならぬ・・・。だから融雪装置のおかげで、冬支度の雪囲いも不要となり、春先の雪囲い外し等と
いう作業からも解放されることになるのだ。燃料費を考えたり、装置の設置費を考えると全く間尺に合わぬ装置かも知れ
ぬが・・・・・。
 除雪車が車庫前に、道路の雪の塊を置き去りにするので、雪の日の車庫前の除雪が必要になる・・・。役立たずの親爺
を尻目に、オカカがダイエットを兼ねた、筋トレ除雪で一汗をかく。


 ノウテンキ親爺はプラモ三昧・・・・・ 
 一番面倒なキャノピーのマスキングを終え、先ず黒を塗り、機体色を塗る。旧海軍の三菱系の濃緑色なんて既製品である・・・。
  

 搭乗員を乗せ、キャノピーを組むと、ぐっと雷電っぽくなる・・・。キャノピーの接着で大失敗。接着剤で汚してしまった・・・・・。
      


1/28
 二階廊下の小窓の外の小屋根に、大屋根から有せ地装置で融けてずり落ちてきた雪が溜まり、もちろん小屋根にも融雪
装置は付いているのだが、負けてしまって、堆く雪が積もる。
 恐らく今年のMAXだろうと思う今朝の様子がこれだ。例年だと完全に向こうが見えなくなるが、今年は未だ見えている。
 明日辺りからようやく、天気が回復しそうだ。
 比較的雪の少ない冬ではあるが、それでも積雪は1m40cm・・・。雪国とは伊達に言わない。


 雷電の翼を取り付けたら、古い金型のキットだからか、隙間が目立ち、パテで埋めた。モーターライズしたが、元々がモーター
ライズ用のキットと同一金型のモデルなので、ピッタリ収まった。飛行姿勢のモデルにしたかったが難しそうで止めた。
 

      例によってスプレーは一切使わぬ筆塗り。三菱系のダークグリーン・・・・・キャノピーのマスキングが未だ・・・。
         


1/27
 雪がようやく一段落で、青空が広がってきた。が、この青空も一時的で夕刻からは又雪の予報だ。
 親爺宅の居間は、床暖(最低温度に設定)+反射式石油ストーブで暖房しているが、そこに更にこたつをしている。
 オカカはソファー派だが、親爺が床派?なので、親爺のリクエストでのこたつなのだ。
 さて、居間のストーブは暖房のみならず、様々に利用できる。お湯を沸かしたり、何か料理を煮込んだり、たまには洗濯
ものを前に拡げて乾かしたり・・・・・。やはり人類にとって火とは、現代に至っても文明の元であることに違いない・・・。
 で、我が家の居間は何時も何やらにおいが立ちこめていて、醤油くさかったり、玉ねぎくさかったり、たまにはカレーくさか
ったりと、実に賑やかな生活臭にあふれている・・・・・。


 今日もお湯が沸き、親爺特製醤油豆の鍋がかかっていて、更に沸いた湯は湯たんぽに詰めこたつに入れておけば夜なるまで暖かい。
 オカカの大発明?湯たんぽごたつとなるのだ・・・・・。
 


1/26
 大雪だ。昨日はほぼ1日降り続き、今日も休み無く降っている。
 今の時期の積雪量とすれば驚くこともないのだが、今まだ降り続く空の下では、うんざりしてしまう。
 オカカは朝から張り切って、除雪車が堆く車庫の前に置き去りにして行く雪の塊の後始末に一汗をかき、親爺は役立た
ずそのままに、スコップを手にする気もなく、ただカメラを持って雪景色撮影・・・。
 さて、今日も外へは出ぬ方が良かろう。又プラモでもいじるか、本でも読むか。
 親爺とオカカの冬ごもりの最近はといえば・・・・・・・
 ”こともなくただ静かなり雪の下” というところだ。北国の冬はやはり長い。 


機体を組み上げれば見えなくなる部分にこだわる自己満足の世界・・・。親爺など老眼の今までビギナーのままだけど・・・。
 

                   搭乗員の塗装が細かすぎて・・・この辺でギブアップ・・・
                  


1/25
 去年も一昨年も、この大寒過ぎの日々は大雪に埋もれていたかも知れない。一昨々年2010年は今年並みに雪が少な
かったはずだ・・・などと、舞い落ちる雪を見ながら暖かい居間のこたつに潜り込んでいる。
 これからしばらく、雪マークが並ぶ週間予報だが、ころころ変わるので余り当てにもならない。それでもやはり今日のよう
にぴたりと当たることもあって、半信半疑ながら何やら気が滅入る。
 昨日のような暖かく光あふれる日が恋しくて、年と共にこの、穏やかで暖かい日への恋しさは募るばかりだ。
 親爺もすっかり焼きが回って、ナマチャンになってしまったものだ・・・。
 さて今日は何をして過ごそうか(遊ぼうか)、読書か、プラモか、親爺の冬ごもりは未だ未だ続く。
 今朝の窓の外は、こんな雪景色。


 今度手を出すのは雷電21型、タミヤのモデルでモーターライズではないが、かつて失敗したモーターライズのパーツを
再利用して、プロペラを回してやろうと考えている・・・箱絵の飛行姿勢のモデルが良いなと考えているのだが・・・・・。
 


1/24
 掛かり付けの内科病院へ薬をもらいに出た。富山市内まで出かけるのは10日ぶり位だったろうか、ついでに眼科医で
目薬ももらい、更に模型屋で塗料と薄め液などを買って来た。
 何時もはオカカのアッシー君で、一人でうろうろするのは久しぶりだったが、余りの天気の良さに、常願寺川の土手に寄
り道をして、雄大に聳える立山を眺めてきた。富山平野からの立山はほぼ全景が見渡せる。そうか、俺はあの上で生活の
糧を得ているのだと、改めて神々しい山々に感謝した。

 五式戦は割とあっけなく組み上がり、おやじにがての塗装は、相変わらずの筆塗りとデカールの仕上げ・・・・・。
 

 例によって夜目遠目傘の中バージョンの仕上げながら、半年以上のブランクのの地の一作目だ。こんな処だろう・・・。
  

 明野航空隊所属機の塗装で、仕上げたつもりだがちょっと汚しがわざとらしくなったかな・・・・・さて、次は・・・。



1/23
 今朝も穏やかな朝となっている。屋根や、外の木立からは雪解けの滴がぽたぽたと落ちているのだから暖かいのだ。
寒も寒、大寒中にこのように温かい芦峅寺の山里は珍しいような気がするが、最近は記憶能力の低下が目立つ親爺なので、
余り確かな話ではない。
 でも親爺とオカカの冬ごもりは非常に心穏やかである。先ず、融雪装置の燃料消費を気にせずに済む。車庫の雪下ろしな
ども気にかけずに済む。(いよいよとなればガーズクリエイティブのガッパ社長という心強い味方が居るが。)そして何より雪に
降り込められているという圧迫感がない。
 で、この冬の日々はまことに穏やかで、刺繍に取り組むオカカの横で、親爺は又プラモにはまり込んでいる。
 取りかかるまでは結構グズグズとためらうのだが、取り組むやもう夢中で、一気呵成にはまり込む・・・。
 昨日にはもう、一昨日取りかかったばかりの五式戦が、ここまで仕上がってきた・・・・・。


 川崎系グリーンというのがあるのでそれで塗装。相変わらずの筆塗り。  飲みさしのコーヒーカップも機体保持に利用・・・?
 


1/22
 今朝も暖かく、何とこの「寒の中」に霧雨が降っている。雪もずいぶん減って、道路もまるっきり出ている。
 有り難い冬だ。が、それでも立山にはかなりの量の雪が振っているだろう。やがてこの雪が穀倉地帯富山平野を潤す事
になるのだから、極めて貴重な水源となる雪でもあって、降る時には降ってもらわないと困るのだ・・・。
 人間とは何と身勝手なものだろう・・・。


 プラモもボチボチ進んでいて、機体下地の銀塗装をし、キャノピーのマスキング(これが一番面倒・・・)を終わらせて
 

        機首部分のカウリングを接着して、眺めれば五式戦のでかいアタマが見えてきて・・・力強い。
      


1/21
 いよいよプラモ病再発だ。
 今回最初に取りかかったのは五式戦。不慣れな水冷エンジンの制作が間に合わず、機首エンジンの搭載が出来ない
いわゆる首無し飛燕(三式戦闘機)に、窮余の一策として手慣れた空冷エンジンを搭載した処、予想外の性能を発揮し
たため、五式戦として、量産されることとなった旧日本陸軍最期の制式番号の五を持つ機体だ。390機ほどが生産され
終戦を迎えている。
 何故かこの機体には縁がなく、これまで作った記憶がない。
 久々のプラモなので、ゆるゆると取りかかる。思いの外老眼が進んでおり、細かい作業は近眼用のめがねを外さないと
全く出来ない。
 とにかく例によって操縦席周りから・・・。  機首エンジンを塗装組み込んで機体部品の左右を貼り合わせ、今日はもう
ギブアップ・・・。
 

 操縦席内部の塗装色が海軍機とはかなり異なる。自己満足の世界だが、写真で拡大する方が良く見える・・・。


1/19
 零戦21型、雷電、疾風の3機の1/48プラモデルを取り寄せた。
 雷電は既に2機作っていたが、以前、タミヤのモデルで不本意なできだったのでハセガワで作り直しそれなりに満足して
いたのだが、不本意だったタミヤのモデルをいじり回していて壊してしまったので、もう一度タミヤで作り直す事にした。
 零戦21型は初期の塗装である、明灰白色のモデルが1/48では無いので、作る事にしたのだし不思議と疾風はこのスケ
ールでは作っていなかったから取り寄せたのだ。
 作っていないと云えば五式戦もそうで、これは既に買い込んでいるので、親爺のプラモの原点である旧日本陸海軍の戦
闘機が、今手元に5機(もう一機、零戦52型のタミヤの超精密モデル?もあるので)の機体キットを保有していることにな
り、後はどれかに着手するばかりだ。
 さて長い冬ごもりも、明日からは大寒に入り、親爺のプラモ作りは・・・・・。
 


1/18
 芦峅寺の積雪も、大寒の入りを目前に大凡80cmとなった。これが1m2〜30cmともなれば雪下ろしも始まるが、未だ
気の早い連中も雪下ろしはしていない。


 親爺のHPは殆ど全てが横書きであるが、これはあくまでPC画面での表示を前提とした横書きだ。しかし日本語はあくま
で縦書きで、右から左に読み進むのが本来である。
 だから、日本語の表記になる本は、今でも殆どこのスタイルを取っており、著作権切れの名作を電子文章化して無制限
に公開する「青空文庫」でも、電子文章としては横書きテキストファイルを基本としながらも、縦書きでこれを読めるようにし
たビュワーの開発提供などをして、日本語の本来の表記で読める様に便宜を図ってくれているし、更にこれを今流行の小
型電子端末で読む時にも、横書きテキストファイルを縦書きに表記させるフリーソフトがいろいろ公開されており、読みやす
く、普通の本を読むごとく読めるのである。
 今回、芥川賞を受賞した七五歳の作家の作品が、横書きであることに驚いた。横書きが悪いというのではないが、個人
的には馴染めないし、横書きの文学作品と云うだけでもう、読もうとも読みたいとも思わない・・・。
 何故カタカナを一切使わぬ横書き表示にせねばならなかったのか?その意図が全く親爺の頑固頭では理解できない・・・。
 親爺にとって日本語で書かれた本とは、縦書きで右から左に読み進むのが当たり前。そんな当たり前を壊してまで何故
横書きにしなくてはならないのか?解らん!恐らくその理由を聞いても「つまらん!おまえのはなしはつまらん!」とどこかの
CMの大滝さんのようになるだろう・・・
 ああ、こんな事を思うとは親爺もいよいよ時流に取り残されつつあるのかと、心細く感じていたら、今朝の読売新聞(2013
/1/18)の「編集手帳」を読んでほっとした・・・。親爺同感であると溜飲を下げたのだ。
 縦書き変換ソフトを利用して、青空文庫から加藤文太郎著「単独行」をダウンロードしたものを読む。
 正しい日本語で綴られた文章は、直ぐに親爺の目から心に飛び込み、親爺を感動させる。
 そこには何の小細工もなく、読み易い縦書き日本語こそが、日本語文章の本来の表記であることを物語っている。
      


1/17
 今朝までに20cmほどの新たな積雪だ。でも現在の芦峅寺の積雪は未だ1m以下で、この寒の中の積雪としたら、少ない。
 しかも、積雪1m程と云うのはあくまで観測点定情報。親爺の車庫の屋根の雪などまだ、70cm程だから、このくらいでは
かなり気の早い村人も未だ誰も雪下ろしはしていない。
 こんな日は外出を避ける親爺とオカカだが、今日はさすがに何か食糧の買い出しにでも出なくては、閉じこもりきりという
のも、精神衛生上余りよろしくない。
 で、この後、親爺の車(山小屋の専用車で、一応4WDのライトバン)で出かけようと思っている。
 まあ、この雪もどか雪ではないと思うから余り気にはしていないが、油断大敵である。二、三日分の生鮮食糧くらいは買い
込んで来よう。


1/16
 正月気分という言葉があるが、今の親爺にはそんな言葉は殆ど意味がない。まぁ、強いて云うなら娘らが帰省して来て、
家が華やぐ数日の気分だろうか。
 今日もまた、オカカと二人の静かな冬ごもりの日々がただ眈々と流れている。春の小屋開けまではこんな日々が続く。
 昨年、堺市にお住まいのNさんから、とても面白いカレンダーをいただいた。旧日本陸海軍の軍用機が天かける天然色
写真のカレンダーで、親爺は嬉しくてため息混じりに眺めながら、「こんな写真が良くあったものだ。恐らくモノクロ写真の彩
色だろうか・・・。」などと、戦前の日本の空に思いをはせていたものだ。
 その内Nさんからお便りがあって、「あのカレンダーを良くご覧なさい。全部プラモデルの合成写真ですよ。ちゃんと明記し
てあるでしょう。」と種明かし・・・。親爺は驚いて再度じっくりと見ると、Base Model by○△□1:48・・・などとちゃんと隅に明記
してあった。(○△□は模型会社名)
 いや実にお見事。辺りの景色と、模型飛行機を巧く合成し、色もかなり退色した感じを出し、わざとフォーカスも甘くしたりし、
年代を出してある・・・・・。
 親爺が又プラモに手を出す日も間近、こんなカレンダーを親爺部屋にかけて毎日見ているのだから・・・。


1/15
 昨日からの雪はせいぜい20cmも積もったかどうか、と言うていどだったので、全く暮らしには影響がない。
 東京でも10cm程の雪だったようだが、これは大事だ。雪国の我々には雪に対する経験と備えとがあるが、東京には経験
も備えもあまり無いのだから・・・。しかしちょっと驚いた。備えがないと言っても一応は最小自治体である区で、除雪車の備
えがないのだそうだ。しかも「何年に一度あるか無いかの事だから、除雪車など無くても仕方がない・・・」と言う馬鹿げた役
人のコメントがあって、ますます驚いた。
 何年に一度かでも、可能性のある降雪に、除雪車一台備えられぬほど区の財政は苦しいのだろうか?
 まあ、苦しくないことはないだろうが、ふざけるなと言いたい。それが甘えであると認識すべきだ。大型の除雪車を何台も持
つ必要もないだろうが、小回りの利く小型除雪車の数台くらいは無駄で結構、持つべきである。そしてそれを運用する体制と
訓練が常になされていれば、それが備えなのである。
 今回はたかだか降雪に対する区の備えの話だから良いが、我が国の備えとなるとどうなのだろうか?
 全軍に臨戦態勢を布告市、隣国を脅そうという前時代的国家に対する備えは・・・ああ、薄ら寒いことだ・・・。
 オカカが居間の窓際で育てている、デンドロビウム(難しい名前であるが、欄科の植物で、これは更にバレーエンゼル・ハ
ルカと云う名が付いているのだそう・・・)が今年初めて花をつけた。


1/14
 わが家の庭にも雪が降る・・・。
 何日ぶりかの雪だが、重い雪で、恐らく町場の方は雨なのかも知れない。連休最終日だが、この天気では家で疲れ直し
と言う人たちが多いのだろうが、それでも結構スキー場を目指すだろう車も通る。
 我が家の庭は狭くて、それでもオカカが割と庭いじりが好きで、竹垣を巡らしたり、それにバラを這わせたり、良く分から
ぬ鉢植えをいくつも育てたりしている。けれど親爺は「猫額庭」と名付けはしても、庭に殆ど興味はないので、せいぜい竹垣
のどの辺りまで雪が積もったかを見る程度だ・・・。
 で、庭の花々は何も覚えていないが、去年の今の時期は、この竹垣を積雪が越えていたことだけは覚えている・・・。


1/13
 良い天気で、雪がかなり減ったようだ。今日も青空が広がり気持ちが良い。
 世の中は三連休で、天気も良いから人出も多いのだろうが、親爺はとにかく人混みが苦手・・・。だからこんな時は何処に
も出ない。(普段もかなり出不精になってきているが・・・。)
 外にはこんな景色が広がっているのだが・・・・・・・・
 


1/12
 芦峅寺の我が家の標高は、412.5mで、剱御前小舎は2755.0mだ。これは国土地理院の「右クリックすると標高の表示さ
れるWeb地図」で表示される数値だから、かなり高い精度のものだろう。
 面白くてあちこちの標高をチェックしてみて改めて驚いた事がある。それは隣村の千垣集落と我が芦峅寺集落の標高差
で、何と予想外の100m以上の開きであった事だ。芦峅寺の中心部、雄山神社前がおよそ405m、千垣のほぼ中心部のお寺
の前が285m、その差は120mもあるのだ。道理で雪の量も違うはずだ・・・。
 その隣村千垣の村の外れからも、立山がこんな風に見えている。
 千垣集落の北面の山が大日をさえぎり、奥の鍬崎山から続く山の端とV字に視界を遮るため、立山がひときわ大きく雄大
に見える。


 因みに我が芦峅寺の村はずれからはこんな具合だ。千垣から100mも高い高台の開けたところから見る立山は、かえっ
て遠く離れて見える・・・・・。


1/11
 外は青空が広がるが、我が家の座敷の縁側は、雨戸を閉め切ったままだ。冬は積雪が多く雨戸は開けられないのだ。
 屋根の融雪装置のおかげで、雪下ろしはしなくて良いので、軒先までの雪と云う事はなくなり、雪囲いはしなくても済む
ようにはなったが・・・。
 だから、座敷は外光が一切入らず昼でも真っ暗。ひなたぼっこを楽しむ縁側も当然真っ暗・・・・・。
 親爺が作ったプラモが何点かここに飾ってあるが、親爺同様冬ごもりの様相を呈するその一機一機は、静かに翼を休
め来るべき春の空に舞い立とうととしているかの様で、親爺は寒さも忘れて眺め入るのだった・・・・・などと言いつつ、実は
そろそろ、「五式戦」を手がける気分になってきている親爺なのだ・・・。


1/10
 早い。時の流れがである。
 年末だと思っているうちに娘らが帰省し、賑やかに華やかに正月を迎え、正月が過ぎ、オカカと二人の明け暮れに戻っ
たと思っていると、もう今日は10日だ。
 今のところ雪はさほどでもなく、未だ雪下ろしもすることはない。
 さて、このまま1月は終わるのだろうか・・・。
 不動山に霞が立つ・・・1月10日だ。
 


1/9
 暖かい朝だが雪が降っている。が、雪降りと行ってもさほどのこともない。この雪が本格的に積もることはないだろう。
 親爺の絵日記はHP用として作っているが、これがもう2,3年も続いていて、去年、一昨年のことなら非常につまびらか
に、しかも画像まで張り込んでいるので、手に取るように判る。
 これは思いもかけぬことで、電子データーだからしっかり保存さえしておけば場所も喰わないので、誠に結構なものだ。
 しかも、少々ぼんやりしがちな頭脳のトレーニングにもなっているのでは無かろうか・・・・・???内容はともかく、毎日
続けることに意味がありそうだ。
 がんばろう。ぼけ防止だ・・・。(最近少々気になる自覚症状がある。夕べは晩酌用のノンアルコールビールを、グラス
の横の小鉢に注いでしまうし、今朝は今朝で入れ歯を入れ忘れ食卓に着きそうになったし、人名、品名、言葉などなどが、
とにかく出づらくなっている・・・。しかも本を読み始めるとすぐに寝てしまう・・・ああ、あげつらうと切りがない・・・絶句。)
 今年の冬の神様は親爺並みにずぼらで、雪も余り一所懸命に降らせないから良い。きっと親爺とウマが合うだろう。


1/8
 電子書籍の端末を、ちょっと大きめの7インチ画面のものに換えた。前のリーダーは末娘にやった。前のものはとにかく
電子書籍専用で、それ自体は明るいところで読むか、ブックカバーのLEDランプをつけて読むかという、通常の本に近い紙
質の画面で、それはそれで見やすく、軽量で良いものだったが、白黒画面が何やらもの足りず、googleのNexus7にしたのだ。
 まあ、結果ほぼ満足だが、寝床で本を読む癖のある親爺には、手に少々重たい・・・。
 それでも青空文庫という強い味方があり、岡本綺堂や坂口安吾、島崎藤村、永井荷風、織田作之助等々・・・・・かつての
大人気作家の本を、何とも気軽に好き放題に、しかも無料で読ませていただけるのだから、堪らない。
 中学生時代に初読し、その後幾度か読み返した文豪漱石の「坊ちゃん」や「吾輩は猫である」を還暦を過ぎて読み返せば、
又別の味わいがあるものだと云う事に気付いた。
 最近はPCで青空文庫から落とした本を、縦書きのPDFファイルに返還できるフリーソフト、ChainLPを活用し、文字サイズな
ども自在に調整し、その作業も楽しみながら、本に読みふけっている。
 先人の素晴らしい文化遺産を電子文章化し、一般に無料公開している青空文庫に感謝。NHKよ青空文庫に見習い膨大な
映像、音声を無償配布せよ・・・抱え込んで有償配布など、民間営利会社のやることだぞ。国営放送の名が廃る!


1/7
 次女も三女もそれぞれの任地に帰って、長女も勤務先の官舎に帰った。
 正月も七日、親爺とオカカの二人だけの生活が又戻ってきた。
 で、今朝は七草粥。
 芦峅寺では七日の朝に正月のお供え(お飾りとも言ういわゆる鏡餅)をおろし、この七草がゆに入れて食す。
 何分にも雪深い山里、今はともかく、昔の芦峅寺の1月7日では「セリナズナゴキョウハコベラホトケノザスズナスズシロ」
などそろうわけはない。だから、お供えのもち、蜜柑、干し柿、勝ち栗、昆布で五草、それに越冬野菜の白菜か大根あるい
は、お節のあまりの黒豆なども加え七草とし、粥に炊いたものが芦峅寺の七草粥なのだろう。家によっていくらかの違いは
あろうが、大体はこんなもののはずだ。
 今朝のわが家の七草粥にも、お供え五草、白菜と黒豆がはいっていた。もちろん蜜柑などは皮を少量、干し柿も余り甘く
ならない程度に加減するのは言うまでもないが、昆布からはよいダシが出て、年に一度の味である。


1/5
 あっと言う間に正月が終わった。
 今日は東京に帰る次女をオカカと一緒に富山空港まで見送り、帰りにはマーケットへ寄ったり、図書館へ寄ったりして、
親爺とオカカも二人の日常に戻りつつある。長女と、明日松本に帰るという三女は富山市内へ遊びに出かけた。
 寒かったが今日は青空が広がり、4〜50cm積もった雪も又かさを減らしている。今年の雪はしつこく降り続かないか
ら助かる。一時にかなり降ってもしばし間を置いて、積もった雪がある程度融けてから又降ると言う繰り返しで、こんな年
は雪下ろしをしないでも済むことがある、と、まぁそんな風に期待しているのだが・・・。
 里雪なのだろう、旧大山町上滝の大山図書館でさえこんなに雪に覆われている。今年も又お世話になりますよ・・・。


1/4
 正月三ヶ日が終わり、山里にも青空が戻ってきた。この雪は里雪のようで、久しぶりにオカカと町に出たが、町場も山
里に変わらぬ、否、道路事情などはかなり悪いほどの積雪で驚いた。芦峅寺から千垣村にかけては、県道に融雪装置
がしっかり付いているから、雪を踏まずに走られるのだ。
 長女は今日御用始めで出勤。次女、三女は休みを取ったとかで、今日は未だ家でゆっくりしているが、明日、明後日
には各々の勤務地へと帰らねばならない。
 久々に華やいだわが家も明後日からは又、親爺とオカカの二人所帯へと戻り、七草がゆは又二人だけですすることに
なるだろう・・・。平成二十五年の正月も淡々と、時の流れのままに過ぎて行く。
 その時の流れが、何と速く感じられることだろうか・・・。
 この山里の美しい冬の晴れ間も、待ったなしに過去のものとなって行く。


1/3
 正月3日は雪降りで明けた。2〜30cm積もっている。
 昨日に引き続き親爺は箱根駅伝テレビ観戦。往路優勝5連覇は逃した我が母校ながら、堂々の3位。拍手。そして今日
の復路を制し、総合優勝の栄冠へのチャンスは未だ未だ残っているのだから・・・・・親爺の気は休まらない。
 外を見ると雪。テレビの中は青空の広がる表日本。我が日本海側は裏日本の呼び名こそふさわしい。何処のバカだか
知らないが、裏日本が差別的な響きを持つなどと言い出して、それじゃあチャドウの裏千家なんてどうするんだ?・・・と、あ
まり重要ではないことを考えたりしている・・・。


1/2
 正月二日は例によって箱根駅伝で始まった。親爺は母校学友会から送られてきた母校のプラカードをテレビ台に張りつ
けて、手に汗握りながら観戦している。普段は疎遠になっている学生時代の仲間に電話をかけまくったり、とにかく今日明
日はこれでぐったり疲れるほど、力が入る・・・・・。若い人たちの一所懸命な姿というのは、清々しくて、尊いものだ。
 それにしても、母校がこれだけ強いとやはり何となく誇らしく、心浮き立つ。学友会への寄付も、ちょっとくらいはしなきゃ
な・・・と、思っている親爺だ。がんばれ設楽、ベンジャミンを振り切れ・・・・・。


2013/ 1/ 1
 平成25年元旦も、何時もの通り雪の中で迎えた。
 オカカと三人の娘に囲まれ、雪の中ながら穏やかな満60歳(数えなら62歳)の正月を迎えられたことを嬉しく思い、そし
て感謝している。
 今年も元気で、剱御前小舎の親事業にがんばろうと、さすがのずぼら親爺も清々しい朝には殊勝な気持ちで居る。
 皆様本年もどうぞ宜しくお願いいたします。


     

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