今日、平成二十五年四月一日からは新年度が始まりました。
                                 別に剱御前小舎に年度など有りませんが、それでも四月というと小屋開けです。
                                 つまり剱御前小舎の営業開始月ですので、一応項を改めました。
                                 親爺のずぼら絵日記(春)バージョン幕開けです。
                                 本シーズンも剱御前小舎をどうぞ宜しくお願いいたします。
                                                                    H25/04/01 親爺 拝


5/31
 12:00クミチャンからの写真が届いた。
 本日の剱、快晴だ。


 昨日は一日中雨。しかも濃いガスに包まれ、予約のお客様もキャンセルで、ゼロ。
 が、今日は快晴の五月最終日となった。この写真は昨日の剱御前小舎前・・・・・。


 お客様が居ないので夕食はクミチャンの作ったちゃんこ鍋・・・?
 談話室で、ゆっくり頂く。


5/30
 雨で、お客様も居ない剱御前小舎。少し休めはするが、いよいよ寂しい山小屋生活の日々へと入る・・・。


 雨は剱御前小舎にとっては水源である。飲料水も何も水は全て天水に頼っている稜線の山小屋なのだ。
 雨樋に集められた水は、パイプで貯水槽に送られ、生活用水となる。もちろん貯水タンクの水は薬剤で滅菌され、保健所の
水質検査を毎年受け、更に沸かした上で用いられる。稜線上の山小屋では、水はまさしく命の親、極めて貴重品なのである。貯水タンクが並ぶ剱御前小舎裏。
  


5/29
 剱御前小舎も天気がくずれ、昨夕は雨。
 しかしある意味で剱御前小舎には恵みの雨で、何せ飲料水も何も水は天水頼みなのだから。
 小学生2名が学校の主催する、課外学習としての登山で、行方不明となった・・・。
 一晩の後には無事救助され事なきを得たが、このニュースが流れた時、親爺は我が耳を疑った。
 詳細は知らぬが、80名の生徒を引率するのに9名のガイドが付いていたと言うではないか、もちろん引率の責任を負った
先生方も付いていたはずだ。天候も安定しており、コースも比較的安全なコースだったというのに何故?点呼で全員居るこ
とを確認し、その1時間後の点呼で2名がいないことに気付いたとは・・・。すると、その1時間は子供達に自由行動をさせてい
たとでも言うのか?
 救助後の話になるが、4人が道を誤り、2人は引き返すも最期の2人が更にその間違えた道を進んだという状況だったと
言うではないか。
 信じられぬ事だが、山道の行動中に、引率者の目が届かぬ程、ばらばらになってしまっているのだ。
 これは生徒の責任ではない。団体行動をさせ、引率を行うべき大人の側の問題なのだ。
 例え身近な整備された山域であっても、ルートを迷えば天然自然の容赦無い世界に分け入り、そんな世界で活動するには、
特別な知識と、体力と、技術が要求される事を、そもそも大人が認識していない。
 そんな大自然の驚異も認識せぬ、半丁前の大人もどきが、いたいけない子供を山に連れて行く事が、間違えているのだ。
 久々に、この愚かな無責任且つ無能な引率者どもに対し腹が立った。おまえらに子供を山に連れて行く資格はない!!
 この難事故の問題は、後々のためにもしっかりと責任を明確にすべきである。
 この文章を書きながら、また頭から湯気を立てて散る親爺だ・・・。
 剱もむっつり機嫌が悪そうだ。


5/27
 親爺はもう可成り良くなり、疱疹が乾いてかさぶたになりそれが少しずつ取れだした。
 痒い。でも掻くと痛いので、摩るようにするのだが、それでさえ痛い・・・。左脚の太もも裏と膝裏の関節部分が患部なの
で、比較的身動きも成り、生活は殆ど普段の通りとなっていて、まあ、医師の診断通り丸3週間から1月と云う事になってし
まいそうだ。友人や知人にもこの病気の経験者が多く、疱疹が顔にまで出て50日入院したと言う大先輩からもわざわざ電
話を頂き、「大事に養生せいよ〜。」と有り難い言葉を頂いたりもした・・・。日本人の6人に一人がかかるのだそうだ・・・。
 剱御前小舎から別山北尾根を望む。背後の入道雲が夏山のようだ・・・・・。


5/26
 ここ10日余りの好天気で、剱御前小舎前の雪もすっかり無くなってしまった。
 今朝は心平からの電話で、剱御前小舎内部の電気設備について相談があり、親爺も久々の仕事モードになった・・・。
 五月もそろそろ終わる。
 これからしばらく、剱御前小舎はシーズン中でも一番寂しい六月になる。
 それでも次々と剱御前小舎の繕いや整備で追いまくられ、七月半ばからの最盛期に向かう準備期間として、この六月は
非常に重要な意味合いを持つ・・・・・。


5/25
 剱御前小舎は今日も晴天。良く晴れ間が続く。
 昨日は山荘組合の総会で、親爺も久々に仲間の顔を見てきたが、総会後の直会は遠慮、早々に帰ってきた。
 帯状疱疹は回復期、今は痒くて、でも掻くとかなり痛みがあって、いやいや閉口。
 岩陰に雷鳥が・・・。


5/24
 剱御前小舎は今日も快晴。
 毎日お一人、お二人と、お客様もゼロにならない・・・。
 昨日は心平が剱御前小舎に入った。代わりにヒデが下山し、しばらく休暇である。
 今朝の新聞で、エベレストに80歳で、ご自身には三度目となる登頂を果たした三浦雄一郎さんのコメントが載っていた。
 「人生でこれ以上ないと言う気分。80歳まだまだ行ける。人生これ以上ないと言うほど疲れている。」親爺はこれに感動
したのだ・・・。三浦さんには何度かお目にかかり、挨拶程度の会話を交わしたことがあるばかりだが、その僅かな会話の
中にも暖かいお人柄が偲ばれる方で、とにかく構えたところが微塵もない自然体の方だと感じたものだ。
 80歳で迎えたこれ以上ない気分は、これ以上ない疲労を残し、それでもまだまだ行けると感じられたその素晴らしい気
力に脱帽し、限りない憧憬の念を抱く、未だ還暦過ぎたばかりの親爺である・・・・・・。


5/23
 今朝も快晴だ。すっかり御前山も雪が少なくなり、剱御前小舎の後ろもかなり出た。
 日中は暖かいが、もちろん朝晩は未だ冷え込む剱御前小舎ではある。


5/22
 昨日は警備隊が訓練に入った。若手も交え、真剣そのものの訓練。この積み重ねが富山県警山岳警備隊の実力を
養う。
 ベテラン隊員に引率された若手や新人達。大きな声で気合いを入れられ、もたもたしていると容赦なく怒鳴られる。
 皆、そうやって育ってきたのだ。
 この訓練の苦しみを耐え、何度も苦しい経験を積み、一人前になって行くのだ。
 何とも清々しい、日本の将来を担う若者達の力強くたくましい姿の一端を、彼らの中に見るのである。
 頑張れワカゾウ!!
 御前山の雪もずいぶん少なくなった。


5/21
 だいぶ調子を取り戻した親爺で、今日は久々に外出した。
 オカカと二人眼鏡店に行き、親爺は長年使い込んだ読書用の眼鏡の新調、オカカは遠近両用眼鏡の新調をしてきた。
 昔と比べると、半額にも満たぬ料金で眼鏡が新調できる。オカカは初めてなので検眼から、親爺は持参した古い眼鏡と
そっくり同じ度数で新調という訳だが、眼科医に良くあるレンズを取り替えできる眼鏡状の器具で、最も見やすいレンズの
位置なども確認して作ってくれるので、有り難い。(当たり前の事なのだが、手抜きをする店もある・・・)
 出来上がりには十日程かかるようだが、急ぐ事も無いのでそれでよい。
 下界は気温が高く、山も霞んでよく見えぬが、剱御前小舎は晴れているようだ。
 ヒデが送ってくれた写真を見ると、ずいぶん雪解けも進んでいるようだ。


5/20
 良い天気が続く剱御前小舎からは、ヒデ副支配人が毎日親爺に写真を送ってくれる。たまにはタケちゃんやクミチャンの
写真も来るが、皆それぞれに良い写真を撮ってくれるので親爺は喜んでいる。
 剱御前小舎は今朝ガスに包まれていたが、9:00頃からすっきりと晴れ、今日も穏やかな春山日和だ。


5/19
 ヘリの荷揚げが無事終わり、国見HPに出向いた心平も数日下山する。
 親爺も可成り回復し、少しずつだがうろうろと動き始めていて、それでも調子に乗るとオカカにしかられるので、そこは怒
られぬ程度にやっている・・・。
 空輸作業が終わったからもう良いのだが、山里はもう雲がちで、朝の青空はすっかり見えなくなってしまった。
 昨日の剱はきれいだった。(ヒデ副支配人撮影)


 今朝はオカカが、蓬を使った「やきつけ」を作った。「やきつけ」は我が山里に古くからある焼き草餅のようなものだが、味
噌や醤油を、うるち米粉と餅米の粉を混ぜ合わせた粉に、蓬と一緒に練り込んで、油を引いた平鍋で焼いて作る。
 何分山里の事とて、名物料理などと云うおこがましいものはない我が山里だが、昨今は村おこしやら何やらで、名物料理
をでっち上げる事が必要らしく、「やきつけ」が我が山里の名物に祭り上げられてしまった・・・・・。
 「やきつけ」は恐らく、くず米を引いて粉にし、その中に蓬と、味噌を加え練り、囲炉裏の熾火に渡し網を載せ、その上で焼
いて作ったのであろう。昔は油自体が貴重品で、平鍋に油を引いて焼くなどかなり贅沢な調理法なので、油で焼くのは最近
の調理法だと思うのだが、それにしても親爺達が子供の頃はもう油で焼いた「やきつけ」ではあった。しかしとても子供の口
に合う様な代物ではなかった。今のように餅米の粉だけで、あるいは餅粉に僅かな米粉を混ぜた粉で作る事はまれで殆ど
「団子の粉」と云われた、くず米などの質の悪い米粉で作ったので、美味くなかった。
 まあ、それでも新しい蓬を取ってくると、いつの間に習っていたものか知らぬが、オカカは見事焼き付けを作った。
 親爺も還暦を過ぎて、口が変わっているし、美味いと思いながらそれを頂いた。
 素朴な蓬の香りが鼻腔をぬけ、油の甘みの中から、かすかな味噌の旨味と塩気が舌に余韻を残し、柔らかな餅がのどを
通って胃袋に収まって行く・・・。まことに結構なスナックである。


5/18
 帯状疱疹はほぼ快方に向かっているのだが、イヤな痛みが抜けず閉口している親爺である。
 毎度こんな事を書くものだから、皆様にご心配を掛け、何通もの励ましのメールを頂いてしまった・・・。
 でも、この帯状疱疹は、完治に3週間から1月もかかるのだそうで、とにかく薬を飲んで安静にするしかないと医師にも言
われて、納得し、その指示に素直に従う積もりになっていたのだが、僅か数日でむしゃくしゃとして、安静の難しさが意識さ
れるようになってきた・・・・・。
 本日も良い天気である。剱御前小舎も快晴の模様。
 新緑燃える山里から、雪の大日が望まれる。


 我が猫額庭にも新緑が萌え、                        オカカの鉢植えも元気に葉を拡げ、
 

 バラの垣根も青々と新芽を持ち始めているが、           親爺一人はさえないまま、神経痛をこらえている・・・?
 


5/16
 山里は夕べずいぶん雨が降ったが、今朝は高曇りの比較的穏やかな天気だ。
 剱御前小舎は晴れているとのことで、雲海が2000間たりに広がっているようだ。
 帯状疱疹の治療薬の一つで、末梢神経に働くというビタミン剤を服用していたら、耳鳴りが止んでいることに気付いた。
親爺の耳鳴りはもう古くからで、大して気にしても居なかったのだが、ハタと意識すると何時もキーンというような音がして
居た。それが昨夕くらいから止んでいることに気付いた。娘が親爺の薬を見て「あれ、父さん、これ私が耳鼻科でもらった
薬と一緒だね。私耳鳴りがして耳鼻科に行ったんだけど。」とのことで、おぼろげながら納得がいった。
 未だにいやらしい痛みが引かず、安静療養を守っている親爺だが、ちょっとは良いこともあった?この帯状疱疹騒ぎで
あった・・・・・。
 今日は心平とクミチャンが入山する。
 心平は親爺に変わり、19日の空輸作業に又下山せねばならず、ちょっと大変だ。
 ヒデが撮った写真。ヒデは最近パノラマ写真に凝っているのかな・・・・・。


5/15 
 今日は真夏日になるだろう。午前中に立山町の皮膚科に出かけ、帯状疱疹の経過を診てもらい、薬をもらって帰る
車中は、クーラーが要り、外気温は10:30で27度を記録していた。
 この帯状疱疹、やっかいな代物だ・・・。疱疹が広がる事は止んで、それがかさぶたになり突っ張って来て、疱疹その
ものによる痛みはさほど無くなったが、肋間神経痛のような嫌らしい痛みが体中にあり、しっかりと治療養生せねば、
これが残るとのこと・・・。さすがのずぼら親爺も腹をくくり、医師の指示に従い治療に専念中である・・・・・。
 平野部から、立山の峰峰もよく見えたが、剱など可成り雪解けが進んでいるように見えた。
 剱御前小舎はもちろん未だ雪に覆われ、朝晩の気温もどうかすると氷点下だ。
 ヒデが撮って送ってくれた雷鳥の写真も、繁殖期に入った雄のとさか(肉冠)が真赤になり、立山の春も間違いなく来
ていることを想わせる。
 剱御前山の雷鳥のペア。


5/14
 天気の良い日が続くが、帯状疱疹のせいで家の中で安静にしている。
 本当はオカカを蓬摘みに連れ出し、親爺もどこか傍らの川面に毛針でも打ち込んで、野遊びをしたいところなのだが
未だ何やらいやらしい神経痛のような痛みが、身体のあちこちにあり、疱疹も黒ずんで突っ張って来たからか、立ったり
座ったりする度に、いや、疱疹の出た左脚を動かす度に不快な痛みがある・・・・・。やっかいな病だ・・・。
 今心平が下山中で、剱御前小舎はヒデとミッチャンが頑張っている。
 心平はほぼ一月ぶりにヨウタローを見て、目尻を下げている。今の時期は1月足らずとは言え目立って大きくなるので、
我が子の発育ぶりに心平も喜んでいるはずだ。
 今朝、ヒデが送ってくれた写真。親爺が「凍える朝」とタイトルをつけてみたが・・・・・。


5/12
 帯状疱疹はやはり酷く痛いものだと、夕べ痛感した。
 安静にしていろとの医師の忠告に背き、昨日一昨日は京都に出かけていた。前々方は行っていた予定だったので、
別段考えもせず出かけ、一寸歩きづらく、幾分辛かったがさしたる事も無いと高をくくり、夕べ帰宅してからが大変だった。
 天罰覿面である。痛いの何のって・・・等々我慢しきれず寝る前に痛み止めを飲飲んだ。
 が、夕べが疱疹の出盛りだったのか、今朝はさほど痛まず、真っ赤になって広がっていた疱疹が黒ずみ、いくつかは破
れている・・・。夕べで懲りた。しっかり薬を飲んで、しばらく安静にしていよう・・・。

 GW開けは心平とヒデだけで小屋守をしているが、いよいよ警備隊も帰ったその晩、心平とヒデは寂しく夕食の膳を囲む
はずだったのだが・・・・・・・・・・・・・・・・・こんな風に・・・。


 しかしその晩は、根岸さんとマモルさんの二人が来た。しかも二人はしこたまごちそうをしょってきたのだ・・・。
 警備隊のみんなが帰って行ったその晩の夕食・・・・・・・・・・・・・・・や、や、や・・・・・なんじゃこれは。
 

 「ウマイモンハコゼイデ=美味いものは小勢で」と云う言葉が体現された一瞬・・・・・。
 
  
  ヒデのこの嬉しげな顔。 心平とマサルさんの酒宴も始まった。警備隊のみんなゴメンナサイ!!
      


5/9
 左太股が何やら妙に痛む。筋肉痛のようでもあるが思い当たるようなトレーニングも仕事もしていない。
 おかしな痛みで、表面がぴりぴりするような、ズキッとするような・・・いよいよ神経痛かなどと思っていたら
4,5日後に何やら疱疹状のものが出来て、オカカに見てもらったら水ぶくれみたいになっているとのこと。
 オカカは直ぐに「帯状疱疹」じゃあないのと言う。
 で、インターネットを駆使して調べてみると親爺の症状が全てマッチする・・・・・。速やかに皮膚科を受診
する様にとも書いてある・・・。
 オカカが直ぐに近くの皮膚科に問い合わせしてくれ、直ぐにいらっしゃいとのことで、午後3時過ぎだったが
押っ取り刀で駆けつけ受診。やはり帯状疱疹の診断を受け、若い先生の丁寧な説明や、看護婦さんの説明
で、納得し帰ってきた。頂いたブックレットによると、60代の発症が一番多く、ストレスや過労によるとのこと。
 先生も曰く「安静にして居て下さい。」・・・・・ずぼらな親爺の日々、これ以上安静はないのだけれど・・・。
 幸い痛みはさほど酷くはなく、頂いた飲み薬と塗り薬を真面目に飲み、塗りしている。
 剱御前小舎から心平とヒデが撮った素晴らしい夕景が届いた。


5/7
 雪の廊下がアルペンルートの目玉だが、こんな景観が延々と続く。これは一番高い大谷の吹きだまりを掘り割った雪の
大谷の遙か下方、天狗平の手前辺りの写真だ。この辺りでさえ3m以上の高さだが、今年の雪の大谷は18mほど。


5/6
 昨日の快晴は今日も続き、立山は穏やかに晴れている。
 剱御前小舎も昨夕は宿泊のお客さんは少なくなり、10名余りで、いよいよGWも終わったと実感された。
 気温が上がらず、雪解けが遅い今シーズンだが、朝の剱御前小舎は未だこんなに凍てついている。


 親爺も昨日はオカカと、国見HPの偵察をかねて立山に行って来た。いやいや凄まじい人出であった・・・・・。
 とても大谷の「雪の廊下」まで行く気になれず、直前の国見HPの偵察を終え、早々に引き返した。
 

 今年の立山は親爺達が4月初旬に、ヘリコプター偵察に入った時より雪が多くなっている。偵察後に降った雪が多く、気温も上がらないのだろう。
 この時期の雷鳥沢とは思えぬ積雪量だ。剱御前小舎まで人の列が続いている・・・。



5/5
 昨日は余り天候が良くなかったにもかかわらず、多くのお客様が剱御前小舎へお越し下さった。恐らくこのGWのピーク
だったのだろう。
 しかし残念なことに、心配していた雄山稜線上の富士の折立で滑落事故が発生した。夏ならば快適な尾根歩きの出来
るこのコースも、今の時期は全く違う。雄山山頂から大汝へのトラバース、富士の折立の急峻な岩尾根。この2カ所が凍結
により思わぬスリップ事故を招き、毎年のように事故が起きているのだ。
 問い合わせのお客様には必ずこのコースの危険性をお知らせし、コース変更をして頂いたことも多々有るし、このHPでも
その危険性を何度か取り上げていたはずだが・・・。残念である。
 折角楽しみに休暇を山で過ごそうとお越し下さる皆さんには、素晴らしい山を堪能して頂きたい。そして何より元気でそれ
ぞれのご家族の元に帰って頂きたい。
 天気予報に見入るお客様たち。 


 昨朝は雨戸の隙間からこんなに雪が吹雪き混んでいた。   受付で奮闘するトモチャン後ろ姿が(も)きれいだ・・・・・。
 


5/3
 GW公判開始日。今日は天候に恵まれ、剱御前小舎も少し賑わうだろう。
 前半GWはすっかり天気に見放され、大量のキャンセルで予定がくずれた剱御前小舎だったが、剱御前小舎では今日と
明日がピークになりそうだ。
 きのうの剱御前小舎は常駐する警備隊とスタッフだけ。昼飯にヒデ釜長が親爺直伝のケイハン(鶏飯)を作った。去年は
親爺が作ったが、今年親爺の入山はGW開けの5月半ば過ぎで、ヒデ釜長の作るケイハンとなったのだが、早い話がご飯
に具を載せて、鶏スープをぶっかけて喰うと云う汁掛け飯だから、そんなに難しい料理ではない。
 でもこの汁掛け飯は可成り人気の高い「まかない食」で、特に若い連中には好まれるようだ。
 相変わらずの見慣れた面々が、ニコニコとセルフサービスの列に付いている、何とホッとするような山小屋の一コマでは
ないか・・・・・。


5/2
 山里はどんより曇って気温も低いのでストーブを焚いていないと寒い。でも見えぬ立山方面が明るく、室堂辺りでは
青空が出たりしている様だ。
 剱御前小舎もようやく今朝になって天気が落ち着いて来て8:50現在青空が広がってきた。
 昨日は酷い地吹雪。お客さんもゼロ。
 今日から少しずつ、お客さんも来るだろう。3日から5日にかけてがこのGWのピークだろう。天気も良さそうなので剱
御前小舎も少し賑やかになるかも知れない。
 宿泊客ゼロの夕べ・・・。


 この時期、臨時派出所となる小屋には警備隊員が6名ほど常駐する。
 

 美女連も客待ち顔だが、・・・・・・・。         今日もお客さんが来なかった・・・・・・・・。
 


5/1
 いよいよ五月。
 GWの後半はどうだろうか?
 ヒデが良いカメラで、腕を上げ、御前山に登って撮った剱御前小舎。
 いや、良い写真だ。
 そろそろヒデ先生と呼ばなくては・・・・・。


4/30
 GWの前半が終わったが、例年のような入れ込みはなかった。天気も悪かったし、休みも続かぬからかも知れぬ。
 後半は5/2から数日の休日となるが、こちらは天気にも恵まれそうな予報が出ている・・・。
 さて、いよいよ4月も今日で終わり。時の巡るのがますます早く感じられる親爺だ。ついこの間正月を迎えて様な気がして
いるのに・・・。
 剱御前小舎からの落日は素晴らしい。


4/28
 11:30現在、剱がくっきり顔を出しました。素晴らしい景観です・・・・・。


 立山は新雪にすっぽりと覆われてしまった。昨日はGW口開けにもかかわらず酷い荒天で、アルペンルートも除雪が追い
つかず運休となって、入山できないお客様が多かったようだ。剱御前小舎も90パーセントがキャンセル。宿泊2名様だった。
 今朝8時を過ぎてようやく青空が広がり初めた。足下に広がる雷鳥沢は入山時とは地形が変わってしまうほどの積雪・・・。
 新室堂乗越側に辛うじてトレースが残っており、登ってくる人影も見えるが、くれぐれも沢筋には入らぬよう願いたい。
 凍結した斜面に霰が降り、その上に重めの新雪がかぶっているので、沢すじでは何時雪崩が出てもおかしくない状態だ。
 まるで、親爺若かりし頃の昭和50年代の小屋開け時のように辺り一面がバージンスノーに覆われている。
 あの頃はGWの終わる頃にようやくバスが天狗まで来たか来ないかという時代だったので、剱御前小舎にお越しになる様
な登山客はかなりハイレベルな方ばかりだったし、その前の小屋開け時などは大町から未だ開通前のアルペンルートを、
特別に利用させてもらって山小屋関係者だけが入山していたのだから、親爺は小屋開けの立山が一番好きだった・・・。


 お客様の受け入れ体制が整った剱御前小舎の窓から、ようやく日光が指し込んできた。
 でも掛かってくるのはキャンセル電話ばかり・・・・・。


4/27
 連休口開けの土曜日だが、生憎の荒天で、早月の謙ちゃんとも話したが雪が降りしきっているそうだ。
 剱御前小舎も寒くはないが10mほどの風が断続的に吹き、視界も悪く、風降雪量は解らぬが、雪が降ってはいる・・・。
 天気予報では明日から天気も回復とのことだが・・・・・。
 とても外へ出てみようという気にならぬ天気だが、ガッパ社長率いるガーズ軍団は今日も剱沢野営場のトイレ掘り出し
に出かける積もりのようだ。


  凄まじい猛者揃いのガーズ軍団、率いるガッパ社長には仙人ヒュッテの若大将マー君も世話になっている・・・。
 


4/26
 昨日はオカカと親爺がしばらくヨウタロウを子守した。
 完全なジジババ気分で、緑が所用で出かけても、ちっともむずかったり、暴れたりせず、愛嬌を振りまくので二人ともメロメロである。
 お話も出来、笑うし、ミルクもしっかり飲んでお昼寝もすんなり・・・そして目覚めた後は大笑いをするご機嫌ぶりだった。


   このご機嫌ぶりを見てくれ・・・・・。父ちゃんは山、母ちゃんはお出かけ、でもジジババがいるのだ・・・。
 

 

                寝てしまった。天使の如きヨウタロウである。可愛いものだ・・・・・。
                 


4/25
 剱御前小舎は本日より営業再開。親爺には昭和53年から数えて36回目の営業再開となる・・・。
 本シーズンも無事に小屋開けが終わり、営業を再開できるのはごく当たり前の事のようだが、ある年は屋根が傷んでいた
り、ある年は雨戸ごと烈風に吹き破られ、雪が吹き込んでいたり等々、そんな大変な年も幾度もあったし、ずいぶん昔の話
だが、昭和56年夏に小屋が焼失し、小屋開けする剱御前小舎がなかった昭和57年(この年は再建した剱御前小舎で、7月
20日に営業再開出来た。)のことなどを想うと、すんなりと小屋開け、営業再開できる今日を非常に有り難く想うのである・・・。
 立山の神仏に感謝し、剱御前小舎の若い衆一同に感謝し、剱御前小舎にも感謝しながら親爺はこの日を嬉しく感謝に満ち
て迎えている。もちろんこの剱御前小舎に来て下さるお客様の皆々様にも感謝しながら・・・。
 無事営業再開を迎えた剱御前小舎。
 

         客室も準備が整い                       談話室もストーブに火が入った。
 

  昨年改築のバイオトイレも順調に稼働し             厨房も磨き立てられ、準備は整った。
 

 これも心平、ヒデ、ミッチャン、クミチャン、そして森じいさんやタケちゃん、根岸さん・・・・・みんなのおかげ。
 昨夜は強風の下、剱御前小舎営業再開の前夜祭だった・・・・・。

 


4/24
 空輸作業が終わってホッとしたが、昨夕から天候が悪くなり、剱御前小舎は夕べ大荒れの天気となった。
 明日の営業再開に向け小屋の中はほぼ片付いて、食糧も700kgほど上がったし、先ずは一安心で、明日からの天候回復
を祈るのみ。
 剱御前小舎の帳場横の踊り場も未だ雑然としているが、蛍光灯も灯りフロアもすっかり乾いた。


 厨房もようやく片付き、水は当分(剱御前小舎の場合は万年)不自由だが、きれいに磨き立てられた。


 生鮮食糧も芦峅寺HPからラマで空輸されてきた。明日から営業再開だ。


4/23
 今朝は山小屋並みに、久々に早起きをした。午前5時に目覚ましを合わせていたが、その前に目が覚めており、何の苦も
なく起床。年を取ると早起きだけは平気になる・・・。
 洗面を済ませストーブに火をつけ、湯をかけと、普段ならオカカが6時半頃にする事を今日は親爺がやって居ると、隣の早
月の謙ちゃんから電話が入り、二人で芦峅寺のHP(ヘリポート)に向かった。既に立山山岳フーズの保冷車が来ており、直ぐ
に荷造りに取りかかる。空輸用モッコが凍り付いて居て広がらず閉口するも、どうにか荷造りが終わる頃、上空にヘリコプタ
ーの音がして、ラマがHPに到着した。
 剱御前小舎の食糧が約700kg、早月小屋が400kgと別便で謙ちゃんと、助人氏の2名の人送。都合3便だけで、ラマは飛行
速度が早いので、芦峅寺から剱御前小舎までの一往復に約20分、早月小屋も大凡そのくらいで、7時には無事作業終了し
てしまった。今年初の荷揚げだ。
 残雪の芦峅寺HPからの荷揚げは非常に珍しい・・・。今年は寒い。


 昨日日中はガスで空輸作業が中止になったが、夕刻には天気が落ち着いて、こんな夕焼けが広がった。
  


4/22
 毎年アルペンルートの開通が早まっている。それに伴い室堂周辺の山小屋は営業開始を早めたが、我々奥地の山小屋
が小屋開けを早め、営業開始を繰り上げるのは極めて困難である。
 機械力が導入できる、大資本の組織のやることを我々個人に業の山小屋に真似出来るわけがない。だから我々は時期
と相談し、4月の半ば過ぎに入山し、GW前の4月25日から営業開始というのが精一杯だ。これ以上小屋開けを早めることは
出来ないし、するつもりもない。
 アルペンルートは公共交通機関であるので、不特定多数の人が入山可能になり、それに伴い不心得な登山者や無謀な
登山経験のない人たちが増加するのは事実である。
 そのしわ寄せが、小屋開け作業中の山小屋に来る。
 未だ無人だと思ってか、早朝に剱御前小舎前を通過するアイゼンの足音がしたと思ったら、雨戸をドンドンとたたき出し
たり、小屋と石垣の隙間に入り込んで用便をしたりと、狼藉が絶えない。ドンドンと雨戸をたたいたとおぼしき当たりを朝に
なって見回れば、雨戸を外からこじ開けようとした痕跡があったとのことで、これなど歴残とした小屋破り、住居不法侵入で
ある・・・・・。
 アルペンルート開通時期が、GW直前であった頃には無かったトラブルである・・・・・。
 山も人も変わるのだろうが、これでアルペンルート通年営業などと云う事にでもなれば、更に不測の事態が続発しそうな気
がする。せめて冬期間だけは立山を太古の姿にもどし、休ませてやっても良いのでは無かろうか・・・。
 今日予定していた、芦峅寺ヘリポートからの資材輸送が天候不順で明日に繰り越しとなった。
 今の時期雪が降った我が山里の、雪化粧した中に咲くしだれ桜をご覧じろ。


4/21
 昨日午後から、雨が霙になり、とうとう夕刻には雪になった・・・。
 これは剱御前小舎の話ではない。桜が八分咲き満開間近の我が山里、芦峅寺での話だ。
 まあ、4月の雪というのはさほど珍しくはないのだが、さすがに桜が花開いて空の雪というのは余り記憶にない。
 戸外は真っ白。雪は10cmもつもり、今未だちらちら降り続いている・・・。
 4月21日の芦峅寺の雪景色をご覧じろ。
 いやはや、我が住処乍ら、”えらいところ”である。

 
         折角咲いた水仙が又雪の下になってしまって我が猫額庭も又雪景色。
 

   剱御前小舎も昨日は1日ブリザード状態・・・・・・・・・・・・・・ でも小屋内部の除霜作業は順調に進み食堂の電気も付いた。
 


4/20
 昨日は根岸さんと、タケちゃんが下山した。剱御前小舎は現在5名だけ。それでも心平曰く「熟練労働者ばかりですから。」
 小屋開け作業は順調に進み、機能の報告では、二階部分はほぼ乾燥作業が終わり全室使えるようになったそうだ。
 根岸さんもタケちゃんも写真が撮りたかっただろうに、昨夕剱が顔を出した時はもうこんな薄暮の中・・・。


 それでもようやく食堂で飯が食えるようになり、テレビも入るようになって、視界が利くようになった夕暮れはみんなで外へ飛び出した・・・。
 


4/19
 小屋開けは順調に作業が進んでおり、心平からの連絡を受けた親爺も安心している。
 毎年毎年同じ事を繰り返し、親爺には36回目の小屋開けである・・・。まぁ、我が立山では山小屋親爺業40年以上の
大先輩がまだ数人残っているが、思えば親爺も古顔の仲間入りをしてしまっている・・・・・。
 小屋開けの作業はある意味でサバイバル?半年ものあいだ雪の下にあった山小屋を掘り出して、その山小屋としての
機能を目覚めさせるまでには、非常に骨が折れる。
 そんな小屋開けのささやかな食事風景。カメラマンはヒデのようだ。


 雨戸を閉ざし、半分は雪の下にある剱御前小舎内部は昼でも暗い。何とか雨戸が開いた部屋から乾燥作業に掛かる。
 


4/18
 昨日14:00過ぎに入山第一陣が剱御前小舎に到着したと連絡が入った。先ずは一安心し、夕刻心平からの定時報告で
剱御前小舎の状態、雪の状態等々詳細な報告があった。
 剱御前小舎は雪の下の部分はともかく、出ている部分の外側部分に損傷はなく、内部もやや着氷や霜が多めながら、悪
い状態では無い旨報告を受けた。
 昨日の作業はじめは発電機を回し、ジェットヒーターや、ストーブで部屋の着氷、霜を落とし、自分たちの居住空間を作る
ところからである。しばらくは小屋内部で水滴がぽたぽた落ちる状況が続く。
 思いがけず今日午前中の天気が良く、小屋の雨戸を開け、窓を開けて風を通す事が出来そうだ。これをやると一気に小
屋内部が乾く。
 とにかくしばらくは皆大変だ・・・。
 左から、ヒデ、ミッチャン、クミちゃん、根岸さん、タケちゃん、立山カルデラ博物館の後藤君、福井君(この二人は日帰り)
心平がカメラマンだったようだ。森じいさんも見えないが・・・。
 背後は雷鳥沢の斜面らくだのこぶのように見える稜線のコル(別山乗越)に剱御前小舎がある。


      雷鳥沢に取り付き高度を上げる                    斜面中間部で一息入れて
 

                     最期の尾根に出れば剱御前小舎まではあと一息
                   


4/17
 毎年同じ事を繰り返しているが、今年も同じような繰り返しの出来る今日を、感謝して迎えた。
 いよいよ小屋開け第一陣の入山である。夕べは約半年ぶりの顔合わせで、心平、ヒデ、ミッチャン、クミちゃん等と近くの
食堂で夕食を一緒にした。緑は陽太郎が居るのお留守番・・・。来年は食事会くらい一緒できるだろう。
 皆元気そうで、今年もこのスタッフに、今朝立山駅で合流したタケちゃんや、森じいさんで小屋開けだ。

 
 天気が今ひとつ心配だが、無理はせぬよう心平やヒデに良く言って置いた。今は便利な携帯電話があるので、常にライブ
で剱御前小舎までの区間は通信が利く。親爺の若い頃の事を思えば雲泥の差がある・・・・・・。ライブの情報が刻々と入って
くるだろう。


 心平にとっては陽太郎を下に置いての初めての小屋開け入山・・・。緑の子育て奮戦記が今日から始まる。
                 

 親爺は下界でオカカと一緒に陽太郎の子守を・・・・・・陽太郎のおかげでジジババ気分を楽しませてもらっている。
 オカカはさすがに上手に抱っこしているが、親爺は肩に力が入って・・・こもりも余り役に立たない・・・。
 


4/16
 昨日見えた剱は新たな雪衣を纏っていた。
 恐らく、一昨日の夜の凄まじい雷雨が、立山では雪だったのだろう。大日も真っ白に見えた。
 今日、剱御前小舎のスタッフが集合する。明日入山予定で、小屋開け作業に当たり、4月25日の営業再開を目指す。
 ヒデは我が家へ泊まり、ミッチャンとクミちゃんは心平宅に泊まる予定。森じいさんやタケちゃんも明日立山駅集合で
来るし、根岸さんや立山カルデラ博物館の福井君、後藤君も同行の予定で、結構大人数なので心丈夫だ。
 天気が少し気に掛かるが、今日の暖気で新雪は落ち着くだろう・・・。


4/15
 昨日、オカカが陽太郎を乗せるつもりで、昔我が家の娘達が使っていた乳母車を取り出そうと車庫の二階の物置に入り
込んで、棚にしまってあった古いトランクを見つけ、家に持ち込んできた。
 「これは爺ちゃんが南極に行ったときのトランクじゃないかな・・・。」と言う訳だ。確かに見覚えがあるトランクで、中を確認
し整理することにした。
 トランクには当時宗谷で発行されていたガリ版刷りの船内新聞「南極新聞」や、懐かしい母や、祖母や叔父、叔母や、親戚
知人一同の爺様(父)宛の便り、設営訓練中のノート、当時の新聞記事、アサヒグラフ、等々が詰まっていた。
 十数年前、車庫を建て変えた時、未だしっかりしていた爺様が「たいしたものでもないが、故人の手跡がいっぱいあるから
どこかにしまって置いてくれ。」と言っていたもので、物置棚の奥に仕舞い込まれたままになっていたのだ。
 爺様宛の個人的な手紙とはいえ、半世紀以上前のもので、親爺にとっても懐かしい人たちの手紙である。大半に目を通し
た。鼻水と涙が交互に出てきて、いや、参ってしまった・・・・・。
 特にその頃四歳の腕白盛りの自分の普段の生活が書かれている、母の父に宛てた手紙など、絶句!!!
 まぁ、手紙の諸々は可成りプライベートなものだから、余りここには書かぬが、親戚一同が集まる機会には少し披露しよう
と思っている・・・。
 で、親爺とオカカが見つけたのはこんな映画のポスター。試写会の招待状も一緒だった。
 雑に保存されていた割には保存状態も悪くはない。「お宝かも知れんぞ〜。」と言う親爺に、「そうだね、きちっと取っておこ
う。」とうなずくオカカ。ノウテンキでミーハーな夫婦である。
 この映画は昭和32年6月に封切りされたと、東宝のHPに有る。「東宝大衆館」と言う映画館は富山市内にあったのだろう。


4/14
 緑が良い天気に誘われたかして、陽太郎をだっこしての散歩がてら我が家を訪れてくれた。
 雪もすっかり溶けて、今日は暖かいし4ヶ月になった陽太郎の顔を見せに連れてきてくれたのだ。
 親爺もオカカも陽太郎が可愛くて仕方ない。親爺はこの前顔を見せたときにちょっと泣かれているので、恐る恐る抱っこした
が、いやいや感心、泣かず機嫌良くしている。オカカと二人陽太郎をやったり取ったり、しばしジジババ気分を味わった。
 天使のごとく邪気のない4ヶ月の陽太郎。もう無条件で可愛い。


 身体をのけぞらせ立たせろ余の要求・・・抱っこしてもあちこち歩き回れば機嫌が良い・・・・・。


4/13
 快晴の朝。少し晴れ間に続いてもらわないと立山に来た新雪が落ち着かない。剱御前小舎も17日には心平以下の小屋
開け第一陣が入山するので、山の天気ばかりが気に掛かる。
 一昨日、高山を訪れたとき、しばらくぶりに老舗の菓子店「とらや」へ立ち寄って名物の蓬まんじゅうを買って来た。親爺は
この蓬まんじゅうと言うと何時も、これが大好きだった、親爺の又従兄弟で友人でもあった”まさ”を思い出す。
 ”まさ”は親爺以上の大男で「おる(俺)も太ったが、わぁ(おまえは)、今何キロ有る?」などと聞くと、まん丸で愛嬌たっぷり
の顔をほころばせて、「0.1トン」と答えた。子供が大好きで、信心深く、優しく、力持ちで・・・・とにかく、とても良い男だった。
 その”まさ”が嘘をついたようにフッと、逝ってしまってもう何年になるだろうか。
 親爺と一緒で酒が一滴も飲めず甘いものが好きだったが、特に飛騨高山とらやのこの、蓬まんじゅうがお気に入りだった
ようで、いつか「おらぁ、これが好きなんよ。」と、親自宅に土産に持ってきてくれたことがあった・・・。
 僅か52歳で旅立ってしまった”まさ”は親爺より三歳若かった。だから今生きていれば57歳か、良い奴ほど慌てて逝って
しまう。
 親爺とオカカは蓬まんじゅうを”まさ”の分も買い込んで、”まさ”の仏前に供えてもらった・・・。
 渋い煎茶と一緒に蓬まんじゅうを頂けば、”まさ”の暖かいまん丸い笑顔が目に浮かんでくる。


4/11
 今日は名古屋の古くからの友人、トシ君とヒーちゃん夫婦と示し合わせ、飛騨高山で昼食会と相成った。
 親爺にしてもオカカにしてもずいぶん久しぶりの洋食で、7,8年前までは富山市にも良い店があって月に2回は通ったもの
だが、その店が営業を止めてからこちら、気に入った洋食の店が見つからなかったので、最近は出不精とも相まってとんと
美味しい洋食には縁がなかった・・・。
 遠慮の要らない友人との食事が楽しいのは当たり前で、今日の洋食屋は親爺達が大好きな飛騨古川の老舗旅館の経営
になるものだったから、期待を裏切られることは無かったが、未だ少し荒削りで、ご本家のお宿の洗練には遠い気がした。
 恐らく若女将がメインでやっているのだろうが、この店は自ら満足さえしなければ、料理も客あしらいも未だ未だ洗練されて
来る可能性が高く、親爺は楽しみにしている。ご本家のお宿が文句なしの100点満点だとすれば、この新しいレストランは未だ
60点に満たないかも知れないが、それで良いのだ。試行錯誤しながらの継続で、工夫と経験を蓄積して行けば良い。
 で、今夜はその後本家のお宿にまたお邪魔した。明治時代の、重要文化財となっているお部屋に今夜は泊まって、冬眠開け
の身体をリフレッシュしよう・・・。
 明治時代の商家の作り込みをした部屋は、ゆっくりとくつろげる。


   親爺もオカカものんびりゆったり・・・・・まぁ、何時ものんびりはしているのだが・・・・・。
 

 飛騨高山の老舗菓子店とらやは名前が先ず良い・・・。ここのヨモギまんじゅうは絶品でっせ!


4/10
 ここ何日か、晴れても陽射しの弱い日が続き、今日などは肌寒い。
 家の中にいるとどうしても暖房が必要になって、我が家の居間は今日も赤々と石油ストーブが燃えている。戸外は高曇りで
たまに薄日も射すのだが、気温は一向に上がらず、10度を下回っている。
 さすがの親爺も小屋開け入山が近づくと、自分は未だ入山せぬが結構あれこれと仕事が増えて、うろうろよろよろとそれな
りの支度に取りかかっている。
 二階の親爺部屋で、書類の整理に追われていたが、午前中一杯も頑張ると居間のストーブが恋しくなる。
 親爺部屋にも温風ヒーターはあるが、赤く燃える火が恋しくなるのだ・・・。
 さて、温かいお茶でも飲もう・・・・・。


4/9
 一冬ずぼらを決め込んで、頭がぼさぼさになってきたので、今朝は床屋へ行って来た。
 頭頂部が薄くなり、前額部も後退してきて全体的に可成りまばらな頭髪となってきたが、同年代の連中から見れば未だマシ
な方だろう、若い頃は可成り頭髪の多い方だったから・・・。白髪も可成り多く1/3ほどは白髪かなと思っていたら、オカカが半
分は白髪だと言うので、ちょっとくさっている。まあ、還暦過ぎの人生終盤に突入しているのだからそんなものかも知れぬ・・・。
 花便りが里の方から聞こえてきて、昨日は屋根に新雪を頂く我が山里から里の集落へと下りてみた。
 いや、車でわずか10分、標高を250m下げただけで桜の花が7分咲きである。
 車中からせわしなく桜の花を愛でてきた。
 


4/8
 昨日は板倉祭だった。例年夏に行われ、剱御前小舎にいるため参加できなかったのだが、今年からは4月に開催される
ことになって、我々芦峅寺の山小屋親爺達も参列しやすくなった。
 一昨日の記念講演会も、昨日の雨の中の板倉祭も非常に大勢の人たちが参加された。
 それにしても、この板倉祭の準備で、つい先頃まで奔走されていた山桜会の檜垣さんが、突然の病で入院されて、参列
することが出来なかったことは、この板倉祭については当初より中心人物として活躍され、板倉祭を何年にも渡り引っ張っ
てこられた方だけに無念なことで有っただろうと拝察する。(檜垣さんの一刻も早い回復をお祈りします。)
 板倉祭も雨の中で行われたが、この雨は夕刻には霙になり、夜半には雪となって、雪景色の朝となった今日だ。
 昨年の今頃も同じように雪景色だったが、桜の咲き誇る富山市から僅か20kmの我が山里は今日も雪の花が咲いている。


 昨夕には雨が霙に変わって・・・・・。


4/6
 明日は「板倉祭」が行われる。これは大正12年1月の立山松尾峠での、立山初と言われる山岳遭難事故で立山に逝った
板倉勝宣氏の慰霊祭で、今年は丁度90年に当たるところから、例年7月に行っていたのを芦峅寺の山関係者が参加しや
すい4月に変更し行うことになったものだ。
 今日はその記念講演が行われるが、この板倉さんの遭難事故は何分にも時の彼方へ埋没しそうになって居り、村外れに
有る石碑も7,8年前に、板倉氏の母校、学習院の山桜会(山岳部OB会)により再整備されたばかりなのだ。
 この山桜会の皆さんと、我が家の爺様との出会いにはちょっとしたエピソードがあり、それを機に私も山桜会の皆様とお付
き合いさせていただくようになったのだが、立山に生きるものとして、悲しい遭難の歴史も時の彼方に埋没させぬよう語り継
がねばならぬ・・・。
 別山尾根上空からの剱御前小舎と剱岳。


 板倉祭(90年祭)のポスター


4/5
 東邦航空のヘリで今日は立山の偵察に入った。剱沢の新平と仙人のマサヒロの両若手の都合が付かず、親爺と、早月の
謙ちゃんのロートル二人に、心平を引っ張り出してようやく若い主力偵察員とし、ヘリに乗り込んだ。
 快晴で、視界はオールクリアー。但し少し風があるので僅かに機体が振られるような気がした・・・。
 11:30芦峅寺HPを離陸し、常願寺川に添って東進し高度を上げる。右手に鍬崎山が見え、美女平上空を過ぎ、正面に
称名滝が見えてくる。称名滝を越すとそこからは浄土川となり左手に大日平が見えてくる。大日平山荘は未だ7割り方雪に
埋まっているが、屋根全面がでている。
 大日平からは浄土川上流へと向かい、地獄谷を右に見ながら室堂乗越越えで立山川上流に出、早月尾根を偵察。早月
小屋も半分は雪から出ており、小屋開けも楽そうだった。
 ヘリは剱岳の北に延びる、いわゆる北方稜線を越え、仙人上空に至る。仙人ヒュッテは去年より雪が谷や多め、棟が僅か
に見えるばかり。剱沢上空からヘリは沢に添って高度を上げ、剱沢小屋を偵察。小屋の屋根が半分ほど出ており、昨年と変
わらない状態。剱沢上空を2旋回し写真を撮り、剱御前に向け更に高度を上げる。剱御前小舎も昨年と同程度の雪だが、小
屋の前に越冬させたドラム缶が見えている。
 いずれの山小屋も大きな被害は無いようで、山も概ね例年並みと云った状態だった。
  

 久々に見る剱御前小舎。おかげさまで被害は全くない。


 例年通り剱沢側は雪が屋根近くまで積もっている。


4/4
 カマジが来た。旧姓は上原、今は菅野になっている。
 元々がプロスキーヤーで、山小屋シーズン中は剱御前小舎で支配人を勤め、冬は北志賀のスキー場でスキー学校の校長
を勤めていた。
 親爺よりは三歳ほど若いが、二人とも独身時代からの仲間なので、互いに裏も表も知り尽くしている・・・。
 今回はカマジのお嬢さんが富大医学部に合格したためその入学式に富山に来て、我が家を訪ねてくれた訳だが、実はここ
二,三年彼は大病を患いあの世とこの世を行ったり来たりというような状況だったのだ。
 しかしタフな男だ。病を克服し、昨年には社会復帰、今は全く普通の社会生活を送っている。しかも「飲んべえ」まで復活させ
やがって、いや、親爺は実に嬉しいのだ。
 ツーと云えばカー、年も近いせいで話が盛り上がる。どうせ話題はろくなものではないが、それがおかしくてまた盛り上がる。
 オカカもよく知っているカマジなので、三人でわいわいと楽しい一夜を過ごしたのだ。


4/3
 今日はカマジが家に来て泊まる予定。カマジが支配人になったのは、剱御前小舎が火災で焼失し、再建した昭和57年だ
ったな・・・。親爺も若くて、カマジも若くて元気だった。それからずいぶん長くカマジが支配人を勤めてくれたな・・・10数年も。
山を下りて、子供が出来て子供が小さな中はちょいちょい我が家へも来てたけど、近年体調を崩し大変な時期もあった・・・。
でも明るく、常に前向きな男だからがんばって、身体も良くなったし、今度は長女のKちゃんが富大の医学部に合格した。
 辛いことも重なるが、良いことだって重なるものだ。カマジもこれからますますがんばれ・・・。今夜は昔語りに花を咲かそう。
 花と云えば、隣の早月小屋謙ちゃん宅の桃の木にようやく少し花が開いた。山里は未だ春浅く、雨が降りしきる。


4/2
 雪がすっかり溶けた。不動山も来拝山も地肌をだして、杉木立も元気に花粉をまき散らす。
 この時期はオカカには受難の時期で、一日中鼻がグソグスし、目はシバシバし、果てはくしゃみの連続発作・・・・・。
 親爺さえも何だか鼻水が垂れたり、目がかゆいような気分になって来る。
 待ちわびた春だが、春には春の憂いがある様だ・・・。
 室堂周辺の山小屋(と言うより山荘or旅館)の連中は明日には入山するらしいが、我が剱御前小舎は第1陣が17日入山
で未だ少し余裕があるので、準備はボチボチ進めている・・・・


4/1
 暖かい晴天の朝を迎えた。大日も、鍬崎もくっきり見えている。
 昨夕、修理に出していたPCが届いた。嬉しいことにデーターは殆ど無事だった。マザーボードの不具合とのことで、パーツ
取り替えで修復したらしい。
 調子は完璧。保証期間中なので修理費も無料である。ASUS(エースースとか、アースースと呼ぶらしい)という台湾製の
PCだが親爺が使うにはこれで十分だし、アフターケアもしっかりしているので本当に助かる。
 冬中使っていたPCなので、使い慣れ、剱御前小舎で使っているDELLと並び親爺には使い易いPCだ・・・・・。
 今日は快晴。
 昨夕までの留守中に空になっていた冷蔵庫に食糧を補給するため、オカカと二人で町へ買い物に出た。その途中で出く
わした景色がこれ。春の空に聳え、もうそろそろ来いよと、立山が声をかけてくれている気がした・・・・・。


 朝の親爺部屋からは、真っ白な大日が見えた。

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