親爺もとうとう還暦です。
そしてオカカと結婚してちょうど30年の節目の年です。
親爺は剱御前小舎の経営を25歳からてがけまして、今年は35年目ですが、この35年間のうち30年間は下界での会社勤めもしておりましたので
自分で言うのもおかしなものですが、他人の倍とは言わずとも、1.5倍くらいは働いて来たと思っております。
もちろんこんな芸当ができたのは、親爺の勤務の会社経営者の「ご理解とご助力」や、剱御前小舎の歴代従業員の「助け」があったからです。
会長、社長、そして仲間の社員の皆さん本当に有り難うございました。剱御前小舎OBのみんな有り難う・・・。
で、これだけで終わるとエライコトになります。
剱御前小舎の火事で借金だらけになった親爺(当時29歳)に、それと知りながら嫁ぎ、今日まで親爺を支えてくれたオカカを忘れるわけには参りま
せん。でもオカカに礼を言うのは未だちょっと早すぎます。これからの老後にどれだけ世話になるか未だ未定ですから・・・・・。
で、このたび親爺としては大奮発で、オカカと一緒に6泊7日の船旅(クルージング)に出たのであります。
まぁ、親爺も典型的昭和の日本人ですので、バカンス(すでに死語かも・・・)を楽しむと言うようなことに一抹の後ろめたさを覚えるのでありまして、で、
こんな良いわけめいた事を言っているのですが、とにかく今流行の船旅に出かけたのであります。
で、ここにその船旅の顛末を掲載いたしますが、親爺は船に弱いことが判明し、ちょっとショックでもありました・・・。
5/22
前日夕方に出港地の横浜に着き、一泊。11時頃ホテルを出、横浜大桟橋に行き乗船。
船はリジェントオブザシーズと云うバハマ船籍の70000トンクラスの船。ロイヤルカリビアン社というアメリカ企業の所有船。
ちなみにかの船艦大和が68000トンだから同等クラスで、爺様が乗って南極に行った宗谷は2800トン・・・。
船内の8デッキホールに展示されている模型
出国審査を終え乗船。まずは9デッキにあるビュッフェレストランでランチ。親爺は持ち込んだPCでデーター通信カードを使ってメールチェック
船旅に関する説明会をじっくり聞いて、船室に入った。14:00頃。部屋はバルコニー付きのスーペリアツインで7デッキ。
トイレとシャワーがついているが、バスタブはない。広さはビジネスホテルのデラックスツインほど。比較的快適・・・。
5/23
今日は終日航海。朝目覚めると外は海・・・ 一晩ちょっと揺れて、親爺は眠れず・・・。船酔いでもないのだが・・・。
朝食はルームサービスのアメリカンBF。 食後は運動不足にならぬよう、9デッキで朝の散歩。
オカカはすこぶる元気
5/24
今朝は釜山へ入港。陸が見えるとなにやらほっとする親爺・・・。
上陸後はOPツアーに参加しバスであちこち・・・。団体行動が苦手な親爺はこりごり、ピザ屋に飛び込み一服・・・・・。
釜山の国際ターミナルポートに係留された船
5/25
今日は済州島に上陸。団体行動に懲り、個人でタクシー移動。 親切なキム運転手の案内でいろいろ見せてもらう。
どこかの海岸で・・・。 船内食に飽きた親爺にはイカのチジミがとても美味しかった。
まるでビルディングのような船に戻る・・・。 このドレスコードというやつがなければもっと快適なはずなのだが・・・。
5/26
船は鹿児島に戻った。 この日は灰が降り、天気も良くなかった。
船内でくつろぎ、部屋に戻ると、スタッフの心遣い・・・ウサギのタオルが出迎えた。
5/27
この日は終日航海。明日朝には横浜に着く。
夜はショーを見たり、カジノで寄付をしたりして遊ぶ惚けるが、終日航海日の日中は部屋でごろごろしたり、図書室で本を読んだり。
ネパール食になじみ深い親爺には昼食のはインド料理がうまかった・・・。ダルスープと羊のカレーが美味。
最終日は夕食もカジュアルコード。親爺もようやく船に慣れたが明日が下船だ。 太平洋上の落日。初めて見たのかもしれない。
5/28
目覚めた直後船は横浜港に着いた。親爺とオカカの船旅はかくして終わった・・・。
と、以上旅のダイジェストレポートでありました。
夜のショーとか、カジノは撮影ができなかった訳でもないのですが、余り撮りませんでした。どうにも親爺は窮屈な服装が苦手であります。
また船にも余り強くないこともよくわかりました。オカカは強かったですが。
船旅は結構なものです。
ホテルと食事と交通費が全部込み込みですから、そんなことを考えるとかえって安上がりです。
時間がかかりますので、周りのお客様は親爺と同年代か、それ以上。
周りを見渡せば海、そしてじじばばばかりの良い旅でありました・・・・・。