2012年、親爺の絵日記(写真日記)の春編です。
今日から3月になったので、項を改めました。例によって内容は変わりません・・・。
2012/03/01 親爺
5/30
雲海で、剱御前小舎は晴れているとのことだが、山里は高曇りで肌寒い日だ。
昨日一昨日と雪で、7〜8cmも新雪が来て、小屋の前はもう真っ白。剱も白く装って聳えている。
5/28
親爺は生まれて初めての船旅から帰った。船旅と言っても僅か6泊7日の日程で、ちょっと船になれたと思った昨夜はもう最終夜。
今朝7時に、船は横浜港に戻った。で、親爺は爺様たちが今を去ること56年前、僅か2700tの宗谷で南極を目指したことに再び
瞠目したのだ・・・。親爺が乗った船はなんと70000t・・・。宗谷の約20倍以上の排水量なのに、軽い船酔い状態でちょっと閉口した
親爺だったのだから。
結論。親爺にはやっぱり陸が良い。剱御前小舎の親爺部屋の方が良い・・・・・。
で、その剱御前小舎は今朝から吹雪いて、雪が数センチ積もったようだ。ウエ〜さむそうだな・・・。
5/26
船旅というのはホテルが動いて旅ができると言った不思議な旅だ。
まぁ、これはこれで面白い。が、親爺は日常とかけ離れた船上の日々にちょっと疲れている。どうにも人間は年を重ねるにつけ
変化に対応し辛くなるようだ・・・。
長崎沖航行中の現在、データー通信カードが立派に作動。心平からのメールを受け取った。
剱御前小舎で山菜を料理する心平。そうこれが親爺の日常風景だ・・・・・。
雷鳥が一羽石垣の上にいるが、ずいぶん夏色に変わってきた。
5/25
このビルディングのようなのが船。70000トン有り、かの戦艦大和と同じほどのサイズだそうだ・・・。
今朝は小雨の済州島に上陸。でもすぐに天気が回復し、気ままなタクシー観光に出た。
すごくきれいな済州島に驚き、あちこち回ってもらって、疲れ果てた。
昼食は運転手のキムさん推薦のイカのチジミ。うまかったのなんのって・・・船の食事に辟易しているから・・・。
明日は鹿児島。ラーメンを食いたくて・・・・・。
5/24
しばらく更新をサボって、親爺はオカカと船に乗った・・・。生まれて初めての船旅というわけで、横浜を22日に出て、今朝釜山に着いた。
明日は済州島、明後日は鹿児島で、28日の早朝には横浜へ帰る。
何というか、山家の猿が船に乗って、やはりどうにもまだ慣れぬので・・・・・。
まぁ、寝ながらにして旅ができるなどと考えればこれもまたおもしろいのだろう・・・。
親爺はもう少し修行し直さねば・・・。
陸の上の方がやはり良・・・。
5/20
山里も暖かくなって、二階にある親爺部屋は東向き(立山向き)なので朝日が差し込み、温室のように暖かい・・・いや暑い。
ずぼら親爺はTシャツの上に薄いフリースを羽織っている・・・。剱御前小舎での普段着より長袖のラガーシャツが一枚少ない
だけで、昨日まではこれでちょうどだったが、今日はもう暑くなって着ていられない。当たり前だ五月も二〇日なのだから・・・。
新緑が眩しく目にしみる、そんな季節なのだ。
山里もいつの間にか青々として雪など全くなくなった。
5/19
快晴の朝だ。ようやく空輸作業も行え、職人さん達も入山できそうだ。
昨日は国見HPで3〜40cmも雪が吹きだまり、天狗の賢輔に頼んで、除雪部隊の親方にヘリポートの除雪をお願いした。
心平と職人さん四人で剱御前小舎の車は満席。当然戦力外の親爺が山里に残る・・・。
剱御前小舎も快晴との情報に安堵する。
昨夕は剱も顔を見せた。
5/18
恨みの天気。
空輸が遅れても今は剱御前小舎のお客様が居ないからあまり焦らぬが、トイレ改修工事で入山する職人さんが居る
ため一寸棟梁は焦っている。
午後からの回復を祈ろう・・・。
山里の親爺部屋からは不動山も見えない。
5/17
空輸作業ならず・・・。風が強くガスもかかって、ヘリポートまで運んだ仮設トイレも飛ばぬようコンテナに縛り付けた。
心平を手伝ってくれているのは、剱御前小舎の資材輸送を一手に引き受けてくれている佐伯石油のタカヨシ君。
子供の頃我が家へ、「おっちゃんあそぼ〜」と遊びに来てくれた無邪気な少年ももう30歳、3児のパパだそうだ・・・・・。
5/16
除雪は山小屋の宿命。とは言えそれはそれは大変な作業だ。心平とヒデが新雪で埋まった小屋の裏側をまた除雪した。
「ああ〜地面だ〜」と、歓喜の涙にむせぶヒデ!!!!!本当にご苦労さんでした。
心平もこのスタイルが一番似合う!!!!!
5/15
夕日を浴びる剱御前小舎と御前山と剱岳
5/14
新雪でお色直しした剱岳と後立の山々。
これは心平だろうか?ヒデだろうか?たぶん心平だなぁ・・・。で、こっちのヒタブルニウラガナシイ後ろ姿はヒデか?
5/13
寒気の流れ込みで30cmの新雪の来た剱御前小舎だが、昨日午後からは晴れ、今日もよい天気に恵まれている。
剱御前小舎は5月半ばの新雪で、すっかりお色直し、GW中には5月末の景色となっていたのが今はGW以前の景色だ。
お客様が20名以上も来て、心平もヒデも大わらわ・・・。
5/12
山菜の時期だが親爺はこれを採るのも、喰うのも余り好まない・・・。
だがものには例外があって、”エラ”と我が山里で呼び習わす山菜があり、こればかりはなぜか親爺は大好きなのだ。
エラはミヤマイラクサの新芽で、東北地方ではアイコなどと呼び、山菜の王様などともいわれているらしい。さわやかな香気
で、これに根曲がり竹のタケノコを笹がきにしたものをあわせ味噌汁に仕立てると、味噌汁もほとんど口にせぬ親爺が、お代
わりをする。
叔母がオカカにこのエラをくれて、オカカが今朝のおつけにした。
ほぼ一年ぶりに味わう、親爺の好物エラのおつけ。
5/11
新雪が30cmは来てしまった。小屋開けからの異常な暖かさに気が緩んでいたのか、この寒さが応える・・・。
5/10
GWの賑わいが去り人影もない雷鳥沢。
お客様の居ない日は、食堂がシアタールーム・・・。NHKの名作ドキュメント「人間は何を食べてきたか」を見ているようだ。
勉強会だな・・・。
5/9
山から下りて二日目の朝。昨晩は夜更かしして10:30?まで起きていたのに、今朝はやはり5:00前に目覚めた。
昨日はHP更新しながら要のアップロード失念・・・。
一緒に下山した前田さんが撮った親爺の写真をfacebook上で拾ったのでここに掲載・・・。前田さん宜しく・・・。
雷鳥沢は少し新雪が積もりクラスト、所謂モナカの状態だったが、子供用の橇を使えば快適な滑走?可能・・・。
これでも親爺は息切れし、途中で一息つかないと・・・・・。
前田さんには子供のような笑顔と表現して頂いた親爺の顔だが、半分はゼーゼーと息切れの顔?????
顔は見えぬほど完全装備の根岸さん。親爺の荷物まで持って頂いて有難う・・・。
5/8(アップロードし忘れた幻の日・・・)
朝早く目覚めるのは山小屋時間後遺症・・・・。
おかげで大日から昇る朝日が眺められる。
何時もの事ながら、足下に見ていた大日が今朝は遙か彼方に聳え見える我が山里の朝。
5/7
昨夜はグ〜ンと人数が減り、お客様は3名様のみ。内輪も親爺以下心平、ヒデ、ミッチャン、森さん、根岸さんに
前田さんとショウ君だけ。
前回警備隊の猛然とした食欲の前に親爺の「鶏飯」を喰い損ねたヒデと、食い足りなかった心平から再リクエストで
親爺の「鶏飯」再現となった。
幸か不幸か、折角ショウ君と一緒に遊びに来ていた前田さんもこのまかない飯・・・。でも美味しいと言ってくれて親爺は
面目躍如・・・。前田さん有難う。
ちなみに心平もヒデもどんぶり三杯ずつたいらげた・・・・・。スゲ〜!!!
5/6
GWも終わった。後半は天候見恵まれず、寂しいGWとなった。
今朝は強風で、ガスが巻いていて恐らくお客さまも殆ど、早い時間に下山してゆくことだろう。
剱御前小舎はもちろん、立山もこれから寂しくなる・・・。親爺も今日下山予定だが、天気が悪いので
一日延ばそうかとも考えている・・・。
警備隊も今日下山、昨夜はささやかな打ち上げをした。
5/5
昼過ぎになってガスが切れ、青空が広がった。それでも風は強く、20m近く吹き殴っている。
登山者には早い下山を勧めている。この後天気はまだ不安定名様相だから・・・。
剱御前小舎の中から外が見えるのは食堂だけ。
剱御前小舎の前は今こんな様子・・・。
実質GW最終日の今日。小屋開け以来久しくなかった、凍てついた朝を迎えた。雨戸も窓も凍りつき、開かない。
実はこんな事はこの時期当たり前なのだが、今シーズンは4月半ばからGW終わりの今日まで、異例とも言える
暖かい日が続いたのだ。
朝は雨戸も凍りついて開かない。これが普通の”剱御前小舎GWころ”なのだ。
5/4
とうとう白いものが舞いだした。今は風も出て地吹雪状態だ。降雪量は微々たるものだが、ちょっと寒いな・・・。
今日は祖父の祥月命日。77年前の今日、この小屋を出た祖父は地獄谷で不慮の事故に遭遇し、友人を救助
中、自ら散華した。僅か38歳だった。そして又この日は、高岡の義母の祥月命日でもある。親爺が54歳で山小
屋経営のみに専念する事を決め入山していたその時、下界の妻から義母急逝の知らせを受け慌てて下山した
事が思い起こされる・・・。だから今日は、親爺にとっては想いの深い日なのだ。
そんな朝、もう祖父の生きた年齢を遙かに超え、還暦となった親爺(孫)が、祖父が最期の宿りとした剱御前小舎
を若い皆に助けられながら、今も経営して行けるのは有難いことだと、しみじみ思う。
そして今シーズンも何とか元気で、剱御前小舎親爺で頑張りたいものだ・・・。
ガスで、天敵の猛禽類に襲われる心配のない今朝、雷鳥が親爺部屋の目の前まで来た。
山岳警備隊の高瀬隊長がひょっこりと、パトロールを兼ね、剱御前小舎まで隊員の激励に現れた。
56歳になるも、まだまだ元気・・・。 高瀬隊長は我が家の本家の婿殿となる・・・。
5/3
GW後半は雨で明けた。昨夜ほど強くはないが風も吹いている。視界はまだ利いているが・・・
今朝の親爺部屋からの眺め。GW中だが、5月終わりの景色だ。
一昨日、GW後半の守りにつく山岳警備隊員も到着。
昨日も雨中のパトロールと、訓練に・・・。ご苦労さん。
5/2
GWの中休みで剱御前小舎は静かなものだ。通過する登山客は結構いるが、宿泊は殆どいない。
ヒデのリクエストで、この中休みの昼食は親爺が”ちゃんこ番”、鶏飯(ケイハン)を作った。
例によって、小難しい作業は殆どヒデ任せ、いいとこ取りの親爺は味付けていど・・・・・・
親爺が盛りつけ指導・・・・・心平に先ずは教えて・・・
後は心平が親爺直伝の盛り方、喰い方の指導をして後は各自セルフサービス、警備隊、管理所のサシも来て・・・・・
「喰い方掛かれ!」でかぶりつく。親爺が後ろで「美味かろう?どうじゃ?」とにらむので・・・
「美味いです。」と無理にもかっ込む。ヒデはお代わりの薬味補給に喰う暇無し・・・。結構美味かったのかな?
かくて食後。親爺の料理に当たること無く警備隊前半部隊は下山した。ご苦労様。
5/1
月が変わって5月。剱御前小舎は快晴の穏やかな朝を迎えている。
警備隊が昨日剱沢筋を偵察して、黒田隊員から写真を提供してもらった。この連休後半に平蔵、長治郎あたり
を考えている方は参考にして頂きたい。以下2枚4/30日情報だ。
平蔵谷出会いには本谷にまでデブリが出ている。スキー滑走はかなり困難か・・・。
長治郎谷も大きなデブリが見られる。スキー滑走は困難・・・。
4/30
小屋開け、入山、GWと親爺にとってもこの一週間は、のらりくらりと過ごした半年の冬ごもり生活から、
一挙に剱御前小舎の親爺業に舞い戻ると云う、大きな変化の中での生活だった・・・かな?
で、そのちょっと変化の大きな4月も本日まで。GWも中休み。
正直なもので予約も今日、明日、明後日は殆どなくて、5月3日と4日に30人ほどだけだ・・・。
天気も今日は高曇り。視界は利き暖かい朝で、ほぼ無風。
お茶の時間、肩が重いと思ったら背後に二人の陰・・・。ヒデと竹か・・・ミッチャンも元気。
4/29
久々の帳場仕事。心平支配人の笑顔がお客さまを迎える。
親爺は裏で電話番(ストーブ番?)・・・・・。
剱御前小舎は今日も良い天気。
4/28
今朝も快晴。雪はかなり融けて、ルート上の雪が少しもぐる様だ。
警備隊も入山して来て、剱御前小舎のGWが始まった。
朝日に別山が輝く
もちろん剱も後立も顔を出している。
大日岳がすっきりと眼下に見えるGW連休初日。
昨夕は見事な落日だった。
4/27
青空が見え隠れする今朝だ。雨も風も収まり天気は回復基調。剱御前小舎の前も随分雪が融けた。
4/26
えらい雨風だ。雪を減らす条件が2つそろった今朝だ。でも少し寒いかな・・・。
早朝は青空が見えたが、今は見えない。
4/25
今日から剱御前小舎は営業に入る。心平、ヒデ以下皆のお陰で小屋開けも順調に進み今日を迎えた。
戦力外だが、親爺も入山して、又こんな写真を撮っている。
親爺部屋からの御前山と富山平野(うっすら)。本日は快晴。
半年ぶりに剱御前小舎に戻った親爺。むくんでる・・・いや又太ったな・・・。
4/24
朝、東邦航空のヘリが晴れ間を縫って飛び、悪い気流の中無事、親爺も入山できた。
早月の謙一親爺と相乗りで、半年ぶりに剱御前小舎に着いた親爺を、先発の心平、ヒデ、森さんが出迎えてくれた。
運良く剱御前小舎の前の雪田に降り、標高の高さを、息切れで感じつつ親爺は剱御前小舎に入った。
空輸物資も無事に到着し、剱御前小舎はいよいよ明日から営業。
4/23
雨の朝だ。GW前の小屋開け時期に雨なんて余り記憶にない・・・。天候が崩れれば雪、吹雪というのが
この時期の相場だ。
しかし小屋開け作業は捗り、入山後実働4日目にして一階厨房まで大凡片付いた。
ヒデは今シーズン副支配人と厨房主任兼務。ミッチャンと二人でピカピカに厨房を磨き上げた。
4/22
昨日は天気に恵まれ、小屋開け作業が捗った。2階の部屋はほぼ完成し、畳も入ったと連絡を受けた。
昨日から1階の乾燥片づけ作業に入っている。今朝は高曇り、風やや強い状況。
昨日は心平が良い写真を送ってくれた。剱を背に、左よりミッチャン、ヒデ、森さん。皆元気だ。
雷鳥沢も雪は今のところ例年並み。比較的落ち着いている。
4/21
着々と小屋開け作業は進んで、昨夕からはテレビが視られるようになった。
今朝は快晴。窓を開け放って剱御前小舎の湿気を飛ばしているとのこと。
天気回りで、1日延びたが親爺も24日入山する。
4/20
小屋開け作業は順調に進む。
窓を開け風を通し、壁や天井の霜を落とし、最期には石油ストーブで乾燥し、一部屋ずつ部屋を確保してゆく。
恐らく今日中には二階部を分七割方乾燥できるだろう。
お手伝いの連中が四人下山した。ちょっと寂しくなる・・・。
4/19
小屋開け第一陣入山。剱御前小舎は入り口「御拝」部分のトタンが僅かにめくられていただけで、他に
全く被害はなかった。昨年10月末の小屋閉め以来6ヶ月ぶりに雨戸を開け風を通した。
4月25日の営業再開に向け、小屋開け作業が始まった。
赤旗を背負い室堂を出発 雷鳥平に下る
雷鳥沢斜面に取り付きぐんぐん高度を上げる、ルート状態は安定している。5cmほどの新雪の下は固く凍結。
全行程アイゼン、ピッケル必要)
剱御前小舎が目前に見えた。今シーズンがいよいよ始動した。
4/18
昨日開通したばかりの立山アルペンルートの立山駅から、今朝第一陣が剱御前小舎へ向かった。
心平をリーダーに、今日昼過ぎには小屋へ着く予定だ。天候に恵まれ最高の入山日和だ。
昔より軽くなったとは言え、小屋開けの荷物は一人30kg程はある。それに加え装備も・・・。
4/17
薄日が射したりもしているが、雨が降る不安定な天気。ここで無理をしても仕方がない。明日は晴れるとの
予報だから第一陣の入山を1日のばした。
大日も山裾だけが明るい。明日は晴れるから・・・。
待機状態のまだ色白の(薄汚れる前の)ヒデ
4/16
明日、立山アルペンルート全線開通で、剱御前小舎も第一陣が入山予定だ。
室堂周辺の六軒の山小屋or山荘or温泉はすでに入山しており恐らく明日から営業開始するのだろうが、
剱御前小舎は4/25からの営業再開となる。
除雪の進むアルペンルート。
4/15
約4ヶ月ぶりに座敷の縁側の雨戸を開けた。快晴の朝の春光が飛び込み、冬の間中暗かった座敷を照らし、
そこいら中にはじけて膨らんで、縁側から玄関に飛び込み、玄関正面の廊下の奥の板壁まで照らし出している。
縁側の引き戸を開けると、もう少し温もりを持った朝の大気が家に流れ込む。よどんだ冬の名残闇が一挙に
払われ、清々しい春の気が家内を満たす。
二昔ほど前なら、これは雪囲いを外したときの想いだったが、屋根の融雪装置のお陰で雪囲いが不要の物と
なり、雨戸の開け閉てだけで春の気に満ちた家の嬉しさを感じる事が出来るようになったのだな・・・。
茣蓙を敷いた暖かい縁側は昼寝に持ってこい・・・でももう1週間で親爺も又吹雪の世界へ・・・。
4/14
残雪もまだ多い山里。霞が立ち小雨も交じる。立山は雪だろうか・・・。
4/13
昨日から用事で岐阜に来ている。
飛騨古川まで車で1時間半、そこから清見インターまで30分、後は一時間ほどでもう岐阜市だ。わずか3時間
車で走ると、桜が満開で暑い、いわゆる表日本の気候になるのだ・・・・・。
まぁ、例年だと富山もとっくに桜が満開になっている頃なのだが、昨日出てきたときの我が山里は田畑一面まだ
30cmの残雪に覆われていたのだ・・・。
岐阜公園の日中友好庭園は桜が満開。
4/11
朝から暖かく、床暖房を止めた。流石にストーブは焚いているが、14畳に中型反射式ストーブ1基だ。
曇天でざわざわと風が吹き、雨までポツポツ混じって、寂しいような、賑やかなような、おかしな空だ。
閻魔堂の木立の杉は黄色く花粉をつけて風に揺れる・・・昔は何とも思わなかったが、今はオカカが花粉症で
悲鳴ををあげているし、親爺まで鼻水が出て閉口気味だ・・・。
4/10
一昨日の偵察で剱御前小舎が無事なのを確認して、少なからずホッとしている。
写真で山や剱御前小舎を見ると、「さて今年も山に入るか。」と、親爺のメタボボディーにさえもアドレナリンが
分泌されて、心身共にシャキンとしてくるのが不思議だ。
今朝は珍しい、本家の栄治叔父が訪ねてきた。栄治叔父は爺様の従弟で、一緒に南極観測に参加したり、
遭難救助に出動したりという生粋の山男だ。穏やかな人柄で、山は天才肌の超人クラスなので、立山の山人
からは常に一目おかれる、伝説の人と言っても過言では無かろう。
晩年はネパールヒマラヤ、韓国山岳会との交流、北朝鮮白頭山への登山等々、我が家の爺様や、叔父達、
山中間達と一緒にあちこちを歩き回ったものだ。(そのたびに親爺が駆り出され世話をさせられ・・・否、させて
いただきました。)
今年85歳になるが元気で、無雪期は徒歩で、積雪期でも山スキーで、一日2時間以上も野山を歩き回る。
先年奥さんに先立たれ一人暮らしだが、近所の「見守り隊」を逆に手助けするほどの元気ぶりで、流石に
立山に「栄治在り」と言われただけの事はある。
優しく穏やかな人柄で酒も飲まない、静かな栄治爺様だ。満85歳健在!!
4/9
昨日は天気に恵まれ、午後2時過ぎから約1時間、ヘリコプターによる立山偵察を行った。
まだ雪深い芦峅寺ヘリポート・・・。
剱沢から剱御前小舎方面を望む。例年並みの積雪・・・。
別山乗越上空、剱御前小舎健在を確認。
先だっての暴風雪にも被害はなかった様だ。有難い。去年より雪は少ない・・・。
剱御前小舎と御前山そして剱。
雷鳥沢(写真右斜面)の状況。新雪直後で、黄砂がまだなので純白だ・・・。
4/8
晴れて、ようやくヘリコプター偵察が出来そうだ。
この前の風で小屋に被害がないかも少し気になるし、雪の状態も入山前に見ておかねば心許ない・・・。
昼過ぎにはヘリが芦峅寺のヘリポートに入ってくる予定で、親爺に代わって心平に視てきてもらおう。
4/7
今朝も雪。と言うより吹雪・・・。まだ入山前で、ここが山里だと忘れそうな天気が続く。
4月に入り、一週間の今日だが、中3日は雪だとは・・・。余り記憶にない。
これが4月7日の様子だとは・・・。表日本の桜の開花を聞くにつれ「遠国」という言葉を思い出す。
4/6
今朝は雪が5cm程積もり、まだチラチラ降っている。
今年は立山の雪が少ないと言っていたが、ここへ来て上は吹雪で、アルペンルートの除雪も追いつかず、
室堂周辺の山小屋も入山を一日延ばし、明後日とした。
剱御前小舎も新雪に覆われているだろうが、稜線上の山小屋とて、雪に完全に埋まることは無い。それで
もやはり雪の多い少ないで、小屋開けの作業難易度は大きく左右される・・・。
これが4月6日の我が山里だ。
4/5
寒い雨の朝。昨日伯母の野辺の送りを終えた。
我が身内の一族も長老達が一人一人と旅立って気付くと我が爺様が最長老となっている。
親爺が最長老になるのはまだまだ先だろうが、なんの変哲もない春の朝に、フッとそんなことを想う。
4/4
山里ではたまにあることだが、雪の朝だ。
昨日の春台風?よりは良いが、やはり寒い。
暖かかったり、寒かったりで、体調が定まらぬ・・・こともないが、今朝はとにかく寒い・・・。
4/3
日本中が春の嵐に見舞われているようだ。
親爺はその風も知らず眠りこけ、朝、オカカに起こされて気付いたのだがいやいや酷い・・・。
でもこの風は雪も融かす暖かい風だ。
旧立山街道沿いに佇む石仏2体。背後の積雪はまだ深い・・・。
4/2
今朝は暖かく幾分靄ってはいるが大日や大辻山が見えている。
早朝に伯母が逝ったと連絡が入った。医師の言うとおり昨日朝頃から意識が遠のき、そのまま眠るような最期
で、娘や孫、曾孫達に看取られた安らかな大往生だった様だ。先ほど顔を見てきたが穏やかな静かな顔だった。
六十三代日光坊当主の妻として立山信仰の教えの中に慎ましく生きた伯母の旅立ちを、今日の立山は穏やか
に見守っているようだ。
4/1
今年ももう4月突入だ。今は余り言わないようだが、エイプリルフール、直訳で「四月馬鹿」などとよく言ったもので、
子供の頃、この日は嘘をつかなければ損だとばかりに友達同士でたらめを言い合った物だが・・・・・。
我が山里にしても四月一日に新雪で雪化粧というのは一寸珍しいかも知れぬ・・・と去年の四月一日のページを見
て見たら家の庭に雪がいっぱいある写真だった。まあ、例年通りの新年度か。
小屋開け月となった我が山里は新雪が薄く積もっている。
3/31
今年は残雪が多く、3月も今日で終わるというのに田んぼの雪は1mちかくも残っている。
朝から凄い雨風で、しかも暖かいから雪はぐんぐん融けるだろうが、近間の山々では底雪崩れも恐い・・・。
昔はこの時期に「狩山」と云って、熊狩りに山へ入ったものだが、狩猟法やら銃刀法やらがやたらタイトになって、
全く融通の利かない(融通は利かないくせに良識が無くなり、非常識が日常になったのもこの頃。)世の中になって
きた昭和40年代末には消滅した。
我が家の庭、「猫額庭」は雪がすっかり融けた。
昨日の旧芦峅寺スキー場もまだこんなに雪がある。今はヘリポートとしても使っているが、この雪では離着陸も難しい・・・。
3/30
剱御前小舎のヘリコプター偵察に入りたいのだが、天気が今ひとつ・・・。明日明後日に晴れ間が出れば・・・。
三月末の剱岳。
3/29
穏やかな朝に目覚め、今日もオカカと二人の長閑な日常が始まった。
年々時間の流れが速くなる。
歳を重ねるごとに、未来が過去よりもだんだん短くなって来る。親爺の未来などもう、過去の長さの1/3も無い・・・。
その残り少ない時を惜しむ気持ちが、時の流れを早く感じさせるのだろうか。
残り少ない時間なら、せめて穏やかにゆったりと過ごせばよい。そんな気持ちになって来た親爺だが、これを達観と
見るか、老いと見るか・・・それが問題だ・・・???
立山連峰が白く聳える我が山里の早春。
3/28
寒い朝、雷の音で目覚めた。
昨日の春日が嘘だったような天気だが、母の実家の伯母が体調を崩し手入院したと知らせを受け、顔を見に行っ
て来た。今年90歳になる伯母で、母の義姉に当たる人だから血のつながりはないが、家が近所だったので子供の
頃から何時も好く可愛がってもらった。優しい人で、親爺のことを昔から「和ちゃん」とちゃん付けで呼んでいて、今日
も「おばちゃん」と耳元で呼ぶと、目を開けて「和ちゃんかい。」と、親爺を見ながら言葉を返してくれた。
親爺をちゃん付けで呼んでくれる人は、この伯母が最後だ。親爺は涙腺のゆるみを如何ともし難かった・・・。
上市町の外れから見上げた、昨日の剱。
3/27
明るい陽が射す朝だ。昨日降った雪はすっかり嵩を減らし、春のにおいがしてきた。
考えれば、第一陣の小屋開け入山まで後二十日、親爺の入山も一月を切った・・・。シーズン開始だ。
昨年の今頃はあの大災害直後で、世の中はひっくり返っていた。それを思うと今年は穏やかに日々を過ごして
いられるのに感謝しなくてはなるまい。今シーズンはどんな人たちと巡り会い、どんな出来事があるのだろうか。
還暦親爺もみんなの足を引っ張らぬよう、せいぜい体に気をつけて又今シーズンも山に入り、山の気に抱かれ
穏やかな山を過ごしたい・・・。まぁまだしばらく後の話だが・・・。
昨朝とは打って変わった、朝日の眩しい山里の朝・・・。
3/26
昨日に引き続き雪で明けた。外はもう2〜30cmも積もりすっかり冬だが、寒くないところが違う。季節外れの雪
は直ぐに溶けるから気にはならない・・・と言っていたら陽が射してきた・・・。
親爺も小屋開けが近くなり、身辺がやや慌ただしくなってきた。朝から電話(我が家は携帯のみ)が鳴り、問い
合わせやら、荷揚げの打ち合わせやら、資材調達やらと親爺もほぼ一人前に口と頭を働かせている。
雪景色。名残雪というよりイタチのサイゴッペ・・・・・。
3/25
雪が降ったり止んだりしている。降ってみたとて、せいぜい2〜30aの雪だから我が山里ではこの時期の雪は
余り気にしない。気にしないにはしないなりの備えがあるからだ。それよりも今となれば立山の雪が気にかかる。
こちらでは雨でも、山は雪・・・。小屋開けまで後一月どんな天気が続くやら。
3/24
結婚式、還暦祝い、同級会と続いてバタバタしていたのが昨日からオカカと二人の日常に戻った。
親爺は朝食を終えるや炬燵に入って先ずはPCをいじり始め、オカカは片づけを終え、珈琲を入れ、ソファーに陣取り
刺繍を始める。この後は時間を見計らって日々の用事、買い物やら、雑用やらと自分のペースで済ませれば、またの
んびりと過ごすばかりで、とにかく時間に縛られることが殆ど無い。
山小屋が営業再開を始めるまで後一月、こんな日々が続く。
わが家の車庫の屋根も、雪がめっきり少なくなった。
3/23
還暦祝いを終えた親爺。オカカは親爺より5歳若いからまだしばらく時間があるが、昨日が今日になっただけで
さほどの感慨もない・・・訳でもない。
まあ、人生終盤の入り口に立ったと言うことだろうと考えているが、子供に還る頃とも言うしせいぜい子供の純真
さを取り戻し、無心に近い最終盤に至りたいものだ。だから、とにかくまだゴールまでは幾らかありそうだから、その
間に心の汚れをセッセと落とし、無垢に枯れ果てたいものだなぁ・・・・・。
3/22
頭が朦朧としている。幼友達の卓也や千尋(室堂山荘親爺)と枕を並べて寝て、朝まで語り明かしたし、その前に
は飲めや歌えの還暦同級会で大盛り上がりだったのだ・・・。宴会嫌いの親爺がこればかりは嬉しくて懐かしくて、楽
しかった、楽しかった、もう一つ楽しかったのだ・・・。
英基(源次朗孫)、経彦、清仁、範一、好也、一彦、多美子、ひな子、史江(早月小屋親爺の妹)、和代(旧房治荘娘)、
里美、京子・・・幼い頃から呼び親しんだこの名前のこの連中、何とみんな還暦なのだ。
もう逝ってしまった慌て者も3人いるが、この連中も昨夜はこっそりあの集まりに出席していたかも知れない・・・。
いやいや、すっかり感傷的になる。
村総代信春大先輩と天台宗光昭和尚(一の越山荘親爺)を囲む我が同い年。あっぱれ爺婆!
みんな見事なジジババぶりだな〜!!!!!
3/21
山岳ガイドはずいぶん増えたが、地元山岳ガイドが絶滅寸前となった。
そんな中、平蔵谷に名を残す佐伯平蔵の曾孫、知彦が山岳ガイドを目指し頑張っている。
知彦は親爺の友人でもある、三代目平蔵こと元信さんの息子で、剱御前小舎へもガイドの度に立ち寄ってくれる
好青年だが、その腕白時代も知る親爺達にとってはやはり子供の世代で、顔を見ると何時も「しっかりせいよー。」
「お客さん大事にせんにゃー。」「がんばらんにゃー。」等々大きなお世話を言ってしまう。それでも知彦は素直に父
親譲りのハスキーボイスで、笑顔を絶やさず「はい。」と答えてくれる。四代目平蔵である。
その彼の結婚式に招かれ、久々に白いネクタイで礼服を着た・・・。
父親元信も嬉しかったのだろう。自慢の空手の型の演舞を披露した。心臓を悪くし生死をさまよった彼がこんなに
元気になったことがたまらなく嬉しかった。
今日はこの慶事に続き親爺達の還暦祝い。結婚式、還暦祝いと人生の縮図の様な二日間を過ごす親爺である。
おめでとう知彦。
おめでとうモト。
天狗の親爺賢輔(間左衛門三代目)に酒を注ぐ元信(平蔵三代目)。立山の山人の系譜はまだ健在である。
3/20
時間さえあればプラモで遊んでいる親爺だ。
昨日今作っている隼のエンジンを組み立てていて、ラジエター部分の色が銅色なのだが、既製品の塗料で銅色が
あってそれを使ってみたら、実に見事に銅の色に仕上がった・・・。
この世界も、パーツの精度一つをみても進歩しているし、塗料も何色かを混ぜて用いることが不要になったようだ。
3/19
雪が降る三月半ば過ぎの朝・・・。春めいては冬に戻り、又春めく。そんな繰り返しが幾度か無ければ春は来ない。
昨日心平が来て、春の小屋開けの打ち合わせをした。今シーズンも第一陣は4月17日に入山し、営業再開は例
年通り4月25日から。
15cmほど積もった雪だが、溶けるのもあっという間だ。午後から天気は回復するらしい。明日明後日は予定が入
っているから、今日は好きなようにプラモを作ろう・・・・・。
芦峅寺の山里は新雪に覆われた。
3/18
昨夕帰宅して、一夜を家で過ごし朝目覚めれば、親爺もオカカもすっかり日常に戻っている。
で、しみじみ外を眺めて、僅か三,四日家を離れただけで雪が随分少なくなっているのに気付いた。
もちろん南国伊予に桃や梅が花咲いているのを見た後だけに、我が山里の雪景色は寒々としているが、この位
の雪なら生活のさわりには全くならぬ。
明後日は四代目”平蔵”のトモヒコの結婚式、明々後日はいよいよ還暦祝い・・・親爺も一寸忙しい。
3/17
伊予松山に来て、道後で泊まり、昨日は子規博物館を訪ねた。子規が50日間居候をしたという、漱石の下宿、
愚陀仏庵が再現されていた。立ち入り許可とのことで早速入り込む。昔の人は背が低かったのが良くわかる・・・。
昨夕には神戸に戻り、南京町をうろついた。ここは十数年ぶり・・・。
飲茶を楽しみ南京町の夜は更けていった・・・。
3/16
神戸に用事があって、オカカと一緒に出たついで、或いは勢いを駆って、伊予松山まで脚を伸ばした。
松山城を見て、道後に投宿した。神戸では暑いと思わなかったダウンだが、しまなみ海道を通り、愛媛に入るや
陽が射してきて、暑くてとても着ていられない。夜、作務衣に宿の袖無し羽織をはおっただけで温泉街をぶらぶらし
たが寒さは感じなかった。
今日は淡路島経由で神戸に戻り、明日には帰宅の予定。今夜は南京町でもぶらつくか・・・。
「坊ちゃん」でいえばさしずめ「狸」と言った役所の親爺だ。
3/14
昨日はオンバサマのお召し替えで、オカカ達婦人会役員は閻魔堂でこの行事のお世話をさせていただいた。
我が芦峅寺は立山信仰の村で、女人禁制の立山にあって、女人救済のための姥尊信仰も連綿と伝承されて
いる。オンバサマ(姥尊象)は閻魔堂に数体安置され、それは不気味なお姿だが、年に一度衣を作りお召し替え
(着せ替え)をするわけで、村中の婆様達や、婦人会の母ちゃん達が閻魔堂に集まりこれを行なった。
オンバサマに新たな衣装を着せる村の女達。
主に婆さま達が衣装を縫う。
衣装は雄山神社の開山堂へ運ばれお祓いを受ける。
神仏合祀の立山信仰である。(雄山神社は明治以前は立山中宮寺)
開山堂には慈興上人(佐伯有頼)が祀られる。
神事と仏事が混在する立山信仰は今も我が村に息づいている。
3/13
昨日から断続的に降った雪で、今朝はこんな朝だった。我が山里には良くあることで、3月といえどもまだ冬は
終わっていないのだ。が、朝9時を回った今、薄い陽射しが射し込み、窓外に目をやると大日上空に僅かに青空
が・・・。まあ、この雪も峠を越したようだ。それにつけても寒い朝だ。
3/11
親爺は炬燵で大好きなプラモを組立て、オカカは傍らのソファーでセッセと刺繍をしている。春めいた暖かい
陽射しがさし込み、部屋も暖かい。
こんな「何気ない日」に、親爺もオカカも今日という日ほど有り難さを感じることはない。
あの忌まわしい大震災は、去年の今日に起きた。オカカと二人石原都知事が知事選挙に再出馬するか、等
と云うニュースを見ていて、突然大地震の報がテレビに流れ、後は津波の凄まじい被害状況をライブで生々しく
見ることになってしまったのだ。あの時のことはもう書くまい。今日は改めてあの災害の犠牲となった老若男女
全ての人々の御霊に「安らかに」と哀悼の意を捧げるのみ。
今朝の山里は暖かい陽射しに包まれている。
親爺のプラモは2作目で、6割方出来、オカカの刺繍は一ヶ月半でまだこれだけ・・・・・。
平和な明け暮れを感謝している親爺とオカカである。
3/10
雪が戻ってきたが、さしたることも無い弥生十日だ。
それでも少し冷え込んで、わが家の居間に床暖とストーブはまだ欠かせぬ。
今シーズンも小屋開けは4/17にする予定だから、後一月余と云ったところだが、時の流れは本当に速い・・・。
長く厳しかったこの冬も間もなく終わり、春の気配がしてきた。山里の春は、親爺達にとって又雪深い立山へ
戻る頃。何とも雪とは縁の深い山人達であることか、想えば因果な商売だがこれが又好きなのだ・・・・・。
3/9
山の神様の祭りの当番だったので、今朝は五時前から隣の謙ちゃんと誘い合わせ、宮に向かったが、親爺達が
一番乗りだった。止せばいいのに、お供えの氷詰めの鯛を山の神様の社殿まで運ぼうとして、ザクザクの雪道に
足を取られ、転びはせぬが息切れ甚だしく、祈願殿前でダウン?・・・後続の仲間に変わってもらい最後尾に回って
ゼーゼー言いながら社にたどり着いた。若い頃は御輿を担いで駆け抜けたこの参道で、雪道で歩きにくいとは言え
こんなに息切れするとは・・・・・情けないものだ。
山の神様の祭りが始まった。参拝者は山人ばかり、心平も御神酒とろうそくを捧げ山の神様を待つ・・・。
立山杉の大木に囲まれた天空から山の神様が社に下り来る。
かがり火を焚き太鼓をたたき山の神様をお迎えし、神事が始まった。
長老の定さんが代表して玉串を捧げ
今年も恙なく山の神様の祭りが終わった。明日からは山に入っても良いのだ・・・。
3/8
朝は6時過ぎに目覚めたが、昨夜遅かったので二度寝してしまい、うかつにも8時半近くまで寝てしまった・・・。
昨夜は間近に迫った還暦祝いの同級会の寄合で、現在村に住む同級生7名でケンケンガクガク楽しかったのだ。
親爺の小学校の同級生は確か27名だったが、3名の慌て者達がもう旅立ってしまっていて、24名ほどが健在だ
が、7名しか村に残っていないと言うこの一事を見るだけでも、現在の日本の地域社会の現状が良くわかる。
因みに今手元にある、我が小学生時代の昭和35年度の文集を見ると、全校児童数143名とある・・・・・。
3年前に全校児童数が10人を切って、休校(実質的には廃校)となった立山芦峅小学校だが、かってはあの学舎
に100人を超す腕白達がひしめいていたことを想うと、もうそれだけで涙腺が緩んでしまう親爺である・・・。
我が山里の人口減少の最たる理由がこの白い雪である。1年のうちほぼ4ヶ月を雪の下で過ごすと言う事が、如何
に大変かは我が山里の住人達が一番よく知っている。
庭の雪も減ってきた3月の山里。
3/7
穏やかな日でゆっくりプラモでもと思っていたが、来客、雑用と次々と続き午前中は潰れてしまった・・・。
オカカは午後から友達の家でお茶会で、高山とらやの蓬饅頭を持って出かけてしまって、親爺は留守番である。
で、プラモの手を出すつもりだが、流石にこの時期ともなるといろんな用事が出てきて、とても雪の下に閉じこめられて
いた日々のようなわけにも行かない。
それでも次々と事が運ぶのは楽しいことで、親爺もそろそろ冬眠モードから醒めて、山小屋営業再開の準備をせねば
なるまい・・・でもまだ一月以上もあるからね・・・
昨日、昭和館で駆ってきたボンネットバス。昔、我が山里にもこんなのが走っていたなぁ・・・。
3/6
約三ヶ月ぶりにオカカと二人で遠出した。遠出と言っても飛騨古川の馴染みのお宿で、家からほぼ一時間半である。
このお宿、八ッ三館は親爺とオカカにはぴったりと波長のあったお宿で、いつもながらの心からの気取らぬもてなしと、
湯と、素晴らしい料理に快く寛いで、心身共にリフレッシュしてきた。
帰りに雨の高山迄足を伸ばし、とらやの蓬饅頭を買い、高山昭和館を見てきた。最近多いこの手の施設だが、ここは
結構な規模があり、我々の年代には楽しめる。特に親爺には古都巡りよりこっちの方が遙かに面白かった・・・。
食堂や、小学校の教室まで再現され中で休めるのが良い。写真もストロボもOKだ。
こんな、あのころの学校給食まで展示されていた・・・・・一寸涙目になる・・・。
3/5
昨日とは打って変わった雨の月曜日。朝一寸所用があって外出したがものの20分で帰宅した。外が暖かい
のに驚く。
再発したプラモ熱さめぬ親爺は、駆って2年ほどお蔵入りしていた大物モデルを引っ張り出して、とうとう今朝
開封してしまい、着手・・・。
午後は又一寸外出の予定で本格的な作業は明日からになるだろうが、其れが待てぬ親爺だった・・・・・。
かなり精度が高く、組み立てやすそうだが・・・。
3/4
朝はまだ雲がちな空だったが、山の神様の祭り当番で、宮の道踏み除雪人足の作業を終えて、鬱蒼
とした宮の立山杉の境内から出外れると、青空が広がって明るく暖かかった。
今日はもう4日、ひな祭りも昨日で終わり。親爺が帰宅する頃にはオカカがおひな様を取り片付け、仕
舞い終えていた。俗に、おひな様の片付けが遅れると娘の縁が遠くなるなどと言うものだから、そのあた
りの事情がせっぱ詰まってきている我が家だから、オカカも慌てて片づけたのだろう・・・。
かなり春めいたとは言え、まだうずたかく雪が残る山里、山小屋通り・・・・・。
オカカ手作りのちらし寿司と、ハマ吸いは今でもひな祭りの定番献立。昨夜もオカカが頑張った・・・。
3/2
静かな明け暮れで、雪が一段落したので心穏やかだ。
食い意地が張っているので、自分で料理することも余り厭わぬ親爺だが、学生時代に通った東京の
ラーメン屋Tの兄ちゃんと仲良くなって、卒業して東京を離れる時に挨拶に行ったら、そこのラーメンの
スープの取り方や、焼き豚の煮方等々、大雑把に教えてくれたことがあった。もう40年近く前の話では
あるが、富山に帰り中々口に出来なくなった味だったので、家でも何度かその作り方を真似てそれらし
い味を作ったりしていたが、これが捨てたものではなく家族にも大受けで、独身時代も結婚してからも
それは親爺の得意料理の一つとなっていた。
そのラーメン屋Tは何時の頃からか随分有名になって、テレビでもちょくちょく紹介されるような有名店
になり、昔の場所から移動し、店も大きく立派になった。もちろん親爺のラーメンはあくまで素人料理で、
今や超有名店Tのプロの味とは一線を画するだろうが、爺ちゃん婆ちゃんから、オカカや娘達も大好きな
我が家のラーメンとなっており、大概の店のラーメンには決して負けないラーメンなのだ。
オカカと親爺の二人暮らしでも、たまに食べたくなって作ってみる。娘達が帰省したりすると親爺は必ず
1食はこれを作り振る舞う。
3/1
暖かい日で、部屋にいてもついウトウトとしてしまいそうだ。
村はずれから大日と雄山がやや霞んで見えているが、室堂では2m程、昨年より雪が少ないそうだ。
剣岳周辺、剱御前小舎回りもやや少なめなようだが、この3月の積雪がおおいので、小屋開け時の
雪はまだ判断できない。