恐らく大正末期から昭和初期に撮られた写真を元に作られたと思われる 絵はがきが見つかりました。 絵はがきとはいえ程度が良く、古写真と言っても良いと思われる程です。 立山のいにしえを偲ぶ、画像資料としてここに掲載します。 H24.11.20 右は祖父佐伯宗作の「案内人証」です。 富山県の公式認定を受けた山案内人にのみ交付されました。 19番と云うかなり若い番号が付いています。 |
現在の藤橋より遙かに川幅が狭いが、この写真右手が現在の立山駅や登山研究所のある千寿ヶ原。左手の建物は
藤橋ホテルだと思われる。
称名滝(現在の八郎坂辺りからの撮影か) 獅子が鼻は岩場の難所、現在もルートが再現され鎖もかかっている。手つかずの弥陀ヶ原が美しい。
別山乗越に小屋の影もない。昭和5年以前の写真に違いない。登山道も今とは違う。
当時の地獄谷登山道は写真右手の高台にそれらしく見えるが・・・・・
今とさほど変わって見えぬ「みどりヶ池」
往事の宿舎は室堂小屋のみ・・・
浄土の裾から一の越へ向かうルートは今もさほど変わらない・・・。
三の越しの御製を刻んだ大岩。 立山登拝の精進落としをここでしたと言う。華やかなりし頃の立山温泉。