師走になったのでこの項を立ち上げました。
例によって内容は変わりません。
この冬はこの絵日記を惚け防止の積もりで更新して参ります。

                                                   2011/12/1
                                2012年の年が明けました。新年おめでとう御座います。
                                が、ずぼら親爺、項を改めず尚しばらくこのページを続けます。
                                皆様本年もどうぞ宜しくおつきあいくださいませ。
                                                                 2012/ 1/ 1



2/29
 毎年恒例の北アルプス山小屋協会の総会で、今年は我が立山山荘組合の当番だったので、昨日は9時頃
から誘い合わせ、剱沢の友邦兄、早月の謙ちゃんと「山小屋専用4WD小型貨物車」で宇奈月温泉に向かった。
 一応当番なので少しは会場の準備の手伝い(邪魔?)などもし、総会、懇親会と流れ、宇奈月温泉泊まり。
 ところが今日は今日とてヘリコプター空輸の安全講習会。馬鹿話で殆ど寝ていないまま講習会に・・・・・。
 何とかこの多忙な2日を乗り切って、今帰宅したばかりだが、疲れてヘロヘロである。
 帰宅した我が家の屋根は、今冬最後の冠雪。融雪装置を切って居るので・・・。
 


2/27
 薄日の射す寒い朝。オカカと二人の明け暮れは雪が降っても、止んでも、穏やかだ。
 オカカはお気に入りのソファーが、親爺はその足元の炬燵が、各々の居場所で、家にいるときの大半はこの
居間の”居場所”で過ごしている。
 明日、明後日は三県協(富山、長野、岐阜山小屋協同組合)の会合と、ヘリコプター空輸安全会議と二日間
続けて予定があるが、これで二月も終わりで、親爺は又三月も当分、この居場所で過ごすだろう・・・。
 約八割五分出来てきた震電、これも親爺の居場所でセッセと作られている。
 


2/26
 ここへ来て又雪が続く。今朝も寒く雪だ。今年の冬の神様は本当にしつこい・・・・・。
 日曜日の朝だが、スキー場へ行く車列はもう出来ず、静かに細雪の舞う薄暗い寒い朝は裏日本の呼び名
にふさわしい。
 裏日本と言えば、表日本、裏日本という言葉が差別的だとか、尊敬と親しみを込めて使っていた看護婦が
差別的だとかで使われなくなっている。で、この前から気になっていたのが、茶道。テレビなどでこれを「ちゃ
どう」と言うようになってきている。この論法で行くと喫茶店は「きっちゃてん」で、寅さんの中のギャグが通用し
なくなる・・・。言葉は時代により変わり、例え誤用でも大半が使う言葉はそれが正となると、まことしやかな青
びょうたん学者のシャッ面がテレビ画面に映り、さて次はどんな言葉が消え、変わるのだろうか・・・。
 寒い日が続く裏日本の山里だ。


2/25
 せっかく雪が融け少し春めいてきたと思いきや、又雪が降り出した。朝は雨だったのがいつの間にか
霙となり、雪となりもう数cmも降り積もった。
 所用で出かけた道すがら、水田単作地帯の平野部の雪も多い。平成18年に続く記録的な大雪だそうな・・・。


2/24
 見事にプラモの世界に舞い戻った。ほぼ1年ぶりだろうか・・・???
 震電という大物の挑戦したのが良かったのか、とにかく久々に童心に返り(3月には還暦行事・・・)楽しんでいる。
 細かい部品を一つ一つ気長に、削り、塗装し、組み立ててゆく。完成後は見えなくなる部分までこだわる。それが楽しい。
 


2/23
 昨夜は寝しなに風音がした。今朝は雨で、まだ少し風もざわついているが暖かく9:00を過ぎた今はもう外気温
も6度以上。親爺は今居間の炬燵でHPの更新中だが、隣のソファー(この和洋折衷のアンバランスが心地よい)
にはオカカが座り、くしゃみをしながら刺繍をしている。いつもの親爺とオカカの冬の日の明け暮れの一こまだ。
しかし、この全くなんの変哲もない穏やかな日常こそ尊いのだと云うことを、親爺は昨年以来痛感している・・・。
 親爺は又プラモに夢中、オカカもセッセと刺繍に精出して、長閑に平和にゆっくりと時が流れている。
 雪が融け春のにおいが少ししてきた山里。穏やかな雨の朝だ。


2/22
 暖かい朝だ。朝日が居間にさし込み暖かい。
 オカカが何か手慰みにと取り寄せた刺繍だが、初心者向きの一番ハイレベル?なものらしい。で、オカカは
ここ2,3週間、拡大鏡や、老眼鏡を頼りにセッセと刺繍に励んでいて、何度も間違えてほどいたりしているが、
楽しそうだ。で、と言うわけでもないが、親爺も三丁目の夕日情景フィギュアに手を出し、物足りなくて、又例の
飛行機プラモに手を出し始めた。


 先ずは古いキットの97式戦闘機だが、デカールが全てオシャカになっており、親爺の技術レベルではこれ以
上出来ぬと言う、不完全モデルとなってしまって、次ぎにうっかりと手を出してしまったのが、震電・・・。
 これは部品点数が200を超える精密モデルで、堺市のNさんに頂いた嬉しいプレゼントだったのだが、余りの
精密さに親爺が尻込みしていたと言うモデルだ。
 勢いというのは恐ろしい。全くためらわずこれに手をつけてしまった昨日の午後、あれだけビビッていた組立
が、面白くて面白くて・・・・・。で、親爺はこの顛末をこのHPに特設ページを立ち上げて、報告することにした。
 


2/21
 今日も穏やかな天気で陽が射したりしていて、しかも暖かく5℃以上ある。雪はかなり目減りしたとはい
うものの、山里ではまだ1m70cm程も積もっている。
 昨日出かけた富山市内の雪の多さに驚いた。この時期に市内に、こんな量の雪が残っているのは余り
記憶にない。雪ももう、捨て所が無く、太陽が解かしてくれるまで待つばかり。


 親爺はプラモデル用塗料をたっぷり仕入れ、今日もせっせと組み立てて、さて仕上げにデカール(転写
シール)を張ろうとしたら・・・キットが古すぎて、デカールが全ていかれており・・・。仕方なく最小限の塗装
で、日の丸と胴体のマークは入れたが、何分久々のプラモで、しかも自分の予想より老眼が進んでいて・・・
とにかくまあ、それなりにと組み立て終えた。
 

 

 此処ででカールがだめになっていることに気付き慌てた・・・。仕方なく最小限の塗装で何とかごまかした・・・・・。
 


2/20
 今日も天気が良く、気分もすっきり良い。昨日あたりから又久々にプラモに手を出したら、面白くて面白く
て・・・。今日はオカカと食料の買い出しついでに、塗料やら何やら色々仕入れてくる予定。
 で、親爺が今取りかかっているのが、「陸軍97式戦闘機」。陸軍最後の固定脚戦闘機で、有名な「加藤
隼戦闘隊」も編成当初はこの機体を使っており、後に引き込み脚式の隼(陸軍1式戦闘機)が配備されて
隼戦闘隊として有名になったのだそうだ。
 昭和12年に制式採用され実戦配備された本機は、格闘戦闘能力に長けた軽戦闘機で、主に大陸方面
に配備され、当時の戦闘機としては傑出した性能で優位を保ち、大戦突入後まで生産されたと云うが、や
がて重戦闘機の出現により第一線を退いていった。
 などと、能書きがでてくると云うことは、親爺がすでにこのプラモにはまっていると云うことで、何やら又、
プラモの日々が始まりそうだ・・・。
 で、昨日は、こつこつと3〜4時間楽しんだ。先ずは機種。発動機、カウリングを組み上げ、コクピットの
組み立てを終える。着色しながらの作業なので、結構時間がかかるし、古いキットなので精度も低い。


 機首部分の管状オイル冷却器が銅色で、塗料が無くて色を合わせるのに往生した。コクピットのネービ
ーブルーの指定も腑に落ちぬので色々調べたが良くわからず、適当に合わせた・・・。
 いや、とにかく面白い・・・・・。
 


2/19
 昨日とは打って変わった晴天の寒い日曜日で、恐らく本シーズン最後のパウダースノーが楽しめると踏
んだスキーヤーやらボーダーやらがスキー場へ押しかける車の列で、立山往来は渋滞している。
 ここ何年かは、余り客足の延びないスキー場だったが、今シーズンに関して言えば休日ごとに立山道が
混んでいて、スキー場の関係者はちょっと嬉しいのでは無かろうか。でも最近は昼食一つとるにもコンビニ
弁当で、財布のひもが固くスキー場にはカネが落ちない・・・とのぼやきも聞こえては来る・・・。
 昨日は雪降りで外へ出られず、今日も車の渋滞で外出はならず、と、親爺は又ずぼらを決め込んで炬燵
に潜り込んでいる。
 こんな天気では、若い人たちがスキー場で雪煙をあげ駆け回りたくのも良くわかる・・・。
 雪崩がちょっと心配。無茶なところへ入らなければいいが・・・老婆心?


 久々に手を出して見た。又のめり込みそうで、大物の零戦やNさんから頂いた震電(これも大物)にも
取りかかるかも知れない・・・が、先ずはまた塗料などそろえなくては・・・。
 旧陸運「97式戦闘機」。かなり古いキットだ。


2/18
 2月半ば過ぎでもやはり、天の具合によっては僅か6時間ほどの間に50cm以上も雪が積もる我が山里
であった・・・。恐らく今年最後の、冬の神様の悪ふざけだろうが、本当に今年の神様は質が悪い。
 恐らくこの雪で。我が山里は4回目となる雪下ろしを強いられるかも知れない。昭和の終戦直後の大雪で
一冬に6回雪下ろしをしたという話を爺様から聞いたことがあるが、あの頃の6回なら今の4回よりは積雪
量は少なかったのかも知れない。そんな事を考えるとこれはもう記録的大雪に間違いない・・・。
 親爺は融雪装置のお陰で、屋根の雪下ろしからは解放されているが、この装置に喰われる灯油代は我
が家のささやかな家計を大きく圧迫するのだ・・・。(それでも雪下ろしを下ろした雪の片付けまで外注する
と普通の家で、5万〜が相場)
 それでもこんな山里を離れられないのは、「立山」があるからと分かり切ってはいるのだが・・・・・。


2/17
 真っ白に外は雪化粧・・・もう見たくもないし、風情などあったものか・・・でも、まぁそんな朝に、テレビから
流れる「サラリーマン川柳」を聞いて思わずフフンと笑ったりとしたりしているが、ガハハッと笑えぬのがこの
川柳の川柳たる所以か・・・。「定年後 田舎に帰れば 青年部」この一句が親爺には文句なく面白かった。
我が山里のまさしく今だから・・・。
 2月半ば過ぎでもこんな所には、若い人も住みたがらないのは良くわかるが・・・。


2/15
 名優、三崎千恵子さんが90歳で大往生された。三崎さんと言うよりも、寅さんのおばちゃんと言った方が
直ぐにぴんと来るほど、寅さんシリーズ全作を通し、「おばちゃん」として親しまれた名優だった。
 寅さんの渥美清さんが早々と逝って、3代目おいちゃんの下条正巳さんも逝き、車姓を名乗る最後の砦だ
った「車つね」のおばちゃんこと三崎さんもとうとう逝ってしまった・・・。ああ、車家断絶か・・・朝日印刷のタコ
社長(太宰久夫さん)、題経寺の御前様(笠智衆さん)も、とうに逝っているし・・・と、親爺は本気で悲しくなっ
てきた。
 山田洋次監督が三崎さんの訃報を受けて出したコメントが心に響いた。
 「寅さんもおいちゃん、おばちゃんも皆、映画の中と同じ姿で、皆さんの心の中に生き続けている。」と。
 こんな山里の村人の心にさえも寅さん一家は生きている・・・。やはり悲しい・・・。


2/13
 大好きな模型の世界なら飽くことを知らぬ親爺だが、いわゆる情景模型、ジオラマは初めて。
 それでも始めると面白い。どんどんキットを買い加え、せっせと作っているがそこは初心者というか全くの
未経験ゾーン、何をどうするのかさえ解らぬ我流で楽しんでいる。しかし最近はインターネットという強い味
方があって、此処である程度の情報は取れるから嬉しい。
 又好きなことは、そんな情報収集が又楽しいのだ。で、先ず殆ど情報無しの現在の親爺ジオラマ。

 
 銭湯「福の湯」                       映画館「光映会館シアター」
 

  何となく夕日町三丁目                 1/150のいろいろなキットがある・・・。
 


2/12
 親爺は今年、とうとう還暦をむかえる。そして、我が山里芦峅寺にも還暦の習わしがある。
 その年に還暦を迎える同級生(何時の頃からか学年単位となっている。)は、3月21日に閻魔堂に
集い、仏事を行い、閻魔堂で、その月の組当番心づくしの御膳を頂くのだ。と此処までは村の婦人会
や、氏子総代の皆さんの世話になるのだが、その後又同級生うちそろい河岸を変え泊まりがけの大宴
会をすることになっており、これら一連の還暦行事を、手配、案内取り仕切るのは、山里にまだ住み暮
らしている者の役目となる。
 で、親爺の同級生で、そんな連中と言えば男4人に、女2人と実に少数で、全部で27人いた同級生も
気付けば、物故者3名もおり、大半が村を出てしまっている・・・。
 村に居残りの顔ぶれを見ると、親爺と、室堂山荘の千尋親爺と、立山黒部貫光に勤めているTと、
自営の設計事務所を営むKの、アンマ(長男)連中ばかりである・・・。
 で、何時の間にやら。親爺に案内文章作成配布のおはちが回ってきて、まぁどうせ冬は時間がたっ
ぷりあるので、引き受けて、そしてもちろん今それを後悔しつつ、ヒーヒー言いながら僅かばかりの書
類と格闘している。この程度で、ちょっと情けない・・・・・。
 


2/11
 隣の謙ちゃん(早月小屋親爺)が、痛い腰をおして雪を下ろしている。
 向かいの市ちゃん(写真家)も玄関先の除雪に早朝から頑張っている。いやいや二月の降りだが、
此処3日ほどで、延べ70cmは降ったのだろう・・・。
 大雪だ。大雪だ。紛れなく大雪だ。
 ほとほと冬に飽いた・・・否、雪に飽いた・・・。


2/9
 降るわ降るわ、今年の冬の神様は本当に意地の悪い嫌われ者だ・・・・・。こんなのに限って耳をそば
だてて悪口には意地悪で報いるからと、ちょっと遠慮していたが、どうせこんな底意地の悪い神様は、何
を言っても意地が悪いままだろうから、言いたいことを言う方がすっきりする・・・。ばかやろ!!さっさと
どこかへ行っちまえ!!
 で、言うだけ言ったのでちょっとすっきりした。
 する事が無く、外出もママならず、写真の整理をしながら過ごしている。面白い写真が出てきた。
 1980年に全焼したエベレスト街道のタンボチェ寺院の前で、その前年に撮った写真。しかし肝心のその
寺院が全く移っていないところがおかしい・・・・・。
 27歳の親爺と妹と、ガイドのナムギャル。1979年11月。


 でも寺院の中の壁画が1枚だけ写っている。これも全部焼けてしまったそうだ。


2/8
 窓外の雪景色はもう見飽きたのに、今年の冬の神様は何を考えているのだ・・・。
 木立も又、脱ぎ捨てた雪衣を纏い始めた・・・。


 昨日オカカと映画を見てきた。ALWAYS64'だ。夕焼けの詩・三丁目の夕日の実写版で、これで3作目。
 原作はコミックで、このコミックの世界にどっぷりと浸っていたから、1作目は馴染めず、2作目もちょっと
斜に構えて見ていたかも知れぬが、流石3作目となると、全2作の下地が在るので、ようやく原作を離れ
たALWAISとして見ることが出来た。
 茶川先生役が、寅さんでは光男、北の国からでは純を演じた吉川秀隆だが、流石に子役時代を素晴
らしい役者達に囲まれて育ったからか、脇を殺さぬ良い役者になったなぁと感じ入った。
 決して名作では無いのだろうが、時代背景が我々世代の子供時代というのが先ず泣かせる・・・。


2/7
 昨日午後あたりから雨が降り始め、昨夜も今朝も降り続いている。お陰で雪が融け手有難いが、
この雨も今夜半からは又雪に変わるらしい。今日はこの後オカカとALWAYS64’を見に行く予定。
 熟年カップル割引で二人で2000円で見られるので、これは一寸嬉しい・・・。


2/6
 昨日に引き続き、ジオラマ(もどき)を作って写真を撮って一人喜んでいる。
 夕日町3丁目はその名の通り夕日のきれいなところらしいから、剱御前小舎で撮った夕景をプリント
アウトして背景において、小さな家の模型を並べて、ミニチュアカーも並べて、写真を撮る。
 まぁ、ジオラマなんて初めてだから、とてもそんな手の込んだ者は作れないが、親爺流ずぼらジオラマ
でも一向にかまわない訳で、楽しく遊んでいる。
 背景に電柱の陰が出たり、背景のつなぎにセロテープが親爺流・・・。


2/5
 最近暇に飽かせ、facebookに手を出していたが、そこで知り合ったHさんが映画「ALWAYS64’」を
基にし作成、発売されている情景フィギュアを紹介していた。
 情景フィギュアというとちょっと耳新しく、でも模型大好きな親爺がこれを見逃せる訳がない。
 と、云うのもこの映画「ALWAYS」は、西岸良平氏の「夕焼けの詩・三丁目の夕日」と云うコミックが原作
で、親爺もオカカもこのコミックの大ファンであり、全巻蔵していて、再三再四、再五再六、いや恐らくもっと
読み返し、なお飽きないのである。
 このコミックは昭和三〇年代の「夕日町三丁目」と云う小さな町を舞台に、鈴木オートの鈴木さん夫婦、
息子の一平君や、従業員の六さん、駄菓子屋の茶川さん、たばこ屋のおばあちゃん、子供達から悪魔
先生と呼ばれる本当は優しい琢磨医師、一平の遊び仲間のサブちゃん、等々数え切れない三丁目の住
人の生活や、出来事が何とも言えぬ西岸風タッチで描かれている。
 まだお読みになっていない方はどうぞ、どの巻でもいいから一冊買って読んで下さい。映画とは又違う
このコミックの世界にはまること請け合いです。
 特に昭和三〇年代を子供で過ごした我ら団塊の世代には・・・。
 情景フィギュアと言っても、親爺にはプラモ・・・。じっくり楽しんで作ろうと思っていたが僅か三日で組み立
て終わってしまった・・・・・。
 茶川さんの駄菓屋。親爺も駄菓子屋は大好きだった。
 あの頃は、この山里にも駄菓子屋と万屋を兼ねた商店が五軒もあった・・・。今はほぼゼロ・・・・・・。


 親爺もオカカも映画も過去二作はもちろん見ていて、最新作も明日にでも見に行こうと思っている。
 原作とはかなり違うが、それはそれで面白い。でも、寅さんシリーズで、「光男」を演じ、北の国からでは
「純」を演じた吉岡秀隆(良い役者になったねぇ。かつての共演者が素晴らしい人たちばかりだからね。)
が茶川さん役だとは・・・時の流れを痛切に感じる・・・。
 

 何やら本当に懐かしい町並みに見えませんか?箱庭風にアレンジするつもりです・・・。
 


2/4
 昨夜は節分。形ばかりですが親爺とオカカ二人だけで豆まきを致しました。
 豆はスーパーで買い求めた、小袋入りの炒り豆で、部屋の中には袋に入ったまま、玄関から外にだけ
は袋から出してまきました。
 随分簡素化された豆まきですが、邪気を払い福を呼び込むと言う「祈り」を込めてまきました。
 豆の入った小袋が宙を飛んでおります・・・・・・・・。


2/3
 明け方の寝具の中ではまだ、融雪装置のボイラーが燃えたり止んだりする音がして、雪がまだ降っ
ているのだなと、夢うつつに思っていたが、朝目覚めた時は、カーテン越しに明るい光を感じた。
 今朝は久しぶりに青空が広がり陽が射している。大雪も峠を越えたようだがまだ大雪注意報は解除
されていない。
 立山の天気を推し量るバロメーター役の独立峰、鍬崎山が姿を見せた。


2/2
 恐らく記録的な「24豪雪」とでも呼ばれることになる大雪だ。雪はうんざりするほど降り続いている。
 テレビなどではかなり声を大にして報道されているこの豪雪だが、親爺にはちょっと大げさに過ぎる
様な気がする。
 これは親爺が雪国の生まれで大雪に慣れているからではない。全ての報道がスポーツの実況中継
(これも頂けない・・・大した局面でもないのにアナウンサー一人がハイテンションで中継を盛り上げよう
とする意図が見え見えで、返って白けてしまう)のように、大げさで、事実を冷静に正確に伝えると云う
ニュース報道本来の姿勢が失われているようにさえ見えるのだが・・・・・。
 雪国の冬は雪の下でまだまだ続く・・・・・・。
 例によって孤軍奮闘のオカカ、親爺は息切れで、すでにダウン・・・。


2/1
 長い1月が終わり、今日からいよいよ2月。兎にも角にも節分を超せば、降る雪にも幾らか春の気配が
感じられるようになるだろう。
 天気予報は良いことを云わない。大寒波襲来で大雪が降るのだそうで、今はやりのニュースかバラエ
ティか判然とせぬような、ニュースショウのような番組では、必要以上に大げさに大災害がやってくるよう
な報道が目障りだ。いま少し淡々と、余計な私見や大げさな形容詞を省いた報道は出来ぬのだろうか・・・
 スポーツ番組の実況中継でも、たいした局面でないにもかかわらず大声絶叫中継が流行っているようだが、
人々の生活に直接関わる情報を提供するニュースに、余計な脚色は要らぬ。
 路面が凍てつき、滑りやすく、車での外出は極力避けているが・・・・・。


1/31
 昨日は晴れたので隣の謙ちゃん(早月小屋親爺)が雪下ろしを始めた。親爺より2歳も年上なので
大丈夫かなと思ってみていたら、甥っ子の新平(剱沢小屋の若大将)が手伝いに来て、ほぼ1:4の
割合で仕事を片づけてしまった。もちろん謙ちゃんが1で、新平が4である。
 

 親爺には助っ人の甥っ子もいないし、剱御前小舎の心平はあちこちから雪下ろしを頼まれ身動きが
出来ないので、雪庇状に雪が張り出してきた車庫の屋根の雪下ろしを又、ガッパ社長(ガーズクリエ
イティブ社長)にお願いした。
 山岳工事でいつも山に来ているガッパ社長以下、蒼々たる若い衆は猛者揃い。
 GWの剱沢キャンプ場のトイレの掘り出しから、鎖場だらけの剱岳登山道メンテナンス、晩秋の剱沢
登山道の整備等々、およそ難所の山岳工事は殆どこの会社の独壇場となっている。
 全く役立たずとなりはてた我が身をくよくよ思い煩うこともあるまい。自分が出来ぬ事は素直に認め、
ガッパ社長に素直に助けてもらえば良いのだ。「有り難う」の感謝の念を持って・・・。


1/30
 晴れた冬の朝は大抵バリバリに凍てつく。今朝がまさにそうで、隣の剣山荘の自動車が、家の前の
ちょっとした坂道を登るのに苦労していた。
 親爺も今日は出かけなくてはならぬが、この凍みがとける昼頃まで待って出かけようと思っている。


1/29
 「灯火近く衣縫う母は・・・・・」と云う、誠に懐かしい歌があった。確か「冬の夜」だったとおもう。
 昔はこの歌を聴くと、母が縫い物をしている姿を連想した物だが、親爺の古くなったウールのカーディガン
の袖を切り取り、寒がりの親爺のベストにと、リフォームをしてくれているオカカの姿が今はこの歌に重なった。
 別に、「灯火近く」ではないし、「居並ぶ子供」達もとっくに巣立って親元を離れているし、オカカが語るのは
「春の遊びの楽しさ」ではなく、今夜何を食べるかとか、テレビの韓ドラの話くらいだが、「囲炉裏火はチョロチ
ョロ外は吹雪」というロケーションだけがストーブは赤々、外は吹雪と歌詞にさほど変わらず、この連想を招い
たのだろう・・・・・。
 「囲炉裏の端で縄綯う父」がさしあたり親爺に振られる役だが、ずぼら親爺は縄綯うことも知らず、ましてや
「過ぎし戦」も知らず手柄話など在ろうはずもなく、ただひたすら炬燵の中でずぼらを決め込むが、外はやはり
吹雪・・・・・。


1/28
 雪は中休みで、薄々と青空の色もかいま見えるが、空から白い物が落ちてこぬのが一番嬉しい。
 近所は雪下ろしを始めた。山里では一冬に何回か雪を下ろすのが当たり前で、雪下ろしを前提にして
家に雪囲いをした。屋根から下ろした雪が堆積し、雨戸や窓の高さを超えてしまうからで、雪囲いをした
冬の家はかなり薄暗かったものだ。
 今は雪囲いも光を通す樹脂トタンなどを使うので採光に問題はない様だし、親爺宅のように融雪装置
を屋根に施してある家は雪囲いも要らなくなった。山里の村ではほぼ15%の家がこれの世話になって
いる。しかしこれは燃料費に参る・・・。1日降り続けば約60リッターの灯油を消費する・・・。
 近所のTさんは立山町の平野部に家を建てて、今はもう、冬場はそこに暮らしているが、芦峅寺の家
が在るので雪下ろしに来なくてはならない。今日も張り切っている。


1/27
 芦峅寺には気象台の観測ポイントがあって、今日の公式積雪量は1m70だと言う。
 昨年よりいくらか良いのは雪の止み間があること。この調子で降り続いたら堪った物ではない・・・・・。
 体がなまりきった親爺は、スコップで、二、三回雪を掬うと息が切れてしまうので、オカカが我が家の主力
で、今も玄関の上の小屋根に堪った僅かばかりの雪を下ろすのにオカカ八分に親爺二分といった体たらく
で、親爺は益々役立たずの看板ばかり大きくしている・・・。
 オカカはタフだ・・・。


1/26
 昨夜から降り続いて、今朝までに雪は70cmも嵩を増し、今なお降り続いている。
 山里はスッポリ雪に埋まり、積雪は1m50cmを超えているだろう・・・・・。
 大寒だから、このくらいの雪は当たり前だと、若い中なら全く気にもしなかったし、山スキーで銃を背に、
野山を駆け回るのが楽しくて、返って積雪のない冬を物足りなく悲しんだ物だ・・・。
 が、還暦間近の今は雪を楽しむなどと言う気分には、なかなかなれない。
 そう言えば、かつては雪の中を共に駆け回った隣の謙ちゃん(早月の親爺)も、ここ4、5日顔を見ない。
 どうせ親爺と一緒で、家の中で冬眠を決め込んでいるのだろう・・・。


1/25
 朝から雪が降ったり止んだりを繰り返している。昨夕から20cm余りの雪が降りつもっただけだが、元から
の積雪に加えて更に20cmだから、大凡1m50cmほどの積雪で、我が山里は雪に埋まった。
 閻魔堂も雪の下。それでも毎月一度の仏事は、村の女達により執り行われている。
 

        光昭和尚が来て・・・                   仏事が執り行われる。
 

  真冬は当番の女衆しか集まらない・・・・・       オンバサマ(姥尊)は何か不気味だ・・・。
 


1/24
 雪の止み間に突然陽が射す。全く気まぐれな冬日の陽射しだが、それでも嬉しい。
 おでん鍋とやかんのかかった居間のストーブの赤い火が一瞬にして色を失う。
 窓外の青空が心を和ませてくれる。


 心平からウサギ初猟果の知らせ。猟期も後1月足らずとなった。


1/23
 今年の冬の神様はあっさりと通り過ぎてくれるのかと思っていたが、又戻ってきてぐずぐずし始めた。
 悪態をつきたいのは山々だが、まだ大寒だし「さっさと行ってしまえ」などと言うと余計意地悪く居座り
そうな気配だから、ここはじっと我慢しかあるまい・・・・・。
 悪い予報は良く当たる。今朝から雪だ。
 せっかく生気を取り戻した木立も、又寒々と雪衣を纏った。


1/22
 去年は今頃雪が2mも積もっていて、その後も更に1月中に1m以上も降り積もった。
 今年はそれと比べれば少ないが、山里の大凡の家はもうすでに雪下ろしを1回終えている。
 雪の降らない暖かい日が5日ほど続き、昨夜は雨が降ったりしたお陰で雪もすっかり嵩を減らした。
 でもこの暖日も今日まで、情け容赦ない天気予報は雪マークをこの後数日間も連ねている・・・。
 正月の飾り餅だけは餅屋に注文するのだが、しっかりと真空パックにしてくれるので有難い。昔ならカチ
カチになった餅を木槌で割り崩し、かき餅としたらしいが、今はパックから出して、まだ包丁で切れる程の
これを切ってあられにしている。
 包丁より更に楽なのは「押し切り」だ。オカカが下ろした飾り餅を切ってあられを作る。
 寒の乾いた空気の中でこれを乾しあげ、油で揚げて塩を振れば上等の揚げ餅となる。


1/21
 大寒の入りの今日だが、山里は小雨がぱらつき花霞が流れる暖かさだ。この時期は氷点下の気温が
当たり前なのに、外は5℃もある。
 尤も、週間天気予報ではこのあと、24日くらいから気温が下がり、一つマークの雪印がしばらく続いて
いる。2日も降れば1mを超す雪に覆われる豪雪地帯。ちょっと先が心配だ。
 明日いっぱいは暖かい天気が続くと言う。大日の裾は黒が目立ってきた。


1/18
 良い天気に浮かれ出た訳でもないが、歯医者の予約があったのでオカカと二人、町場まで出た。
 親爺は入れ歯の型どりで直ぐに終わったが、オカカは歯石除去で、いたい眼にあってなかなか時間が
掛かった。それでも歯医者の帰りにあれこれ買い物をし、山里にいては見えない剱や、立山連峰の全景
を平野部から眺めて来た。
 いつも山ばかり眺めている親爺だが、こればかりは中々飽きず、間近から見る山はもちろん、平野部か
ら見る山の眺めにも心洗われる。


1/17
 ちょっと更新をさぼった。別段忙しくもなかったのだが、例によってのずぼらだ。
 でも1日更新をさぼると2日目、3日目も知らず知らずにさぼってしまう様で、これはイカンと、我ながら
思った。
 雪で降り込められている冬ごもりの日々。しかも親爺とオカカ二人の単調な暮らしが繰り返されている
日々に、日記の種は余り無いのだが、それでも生きて生活している限り、何かはあるようで、細々とした
世のため人のためには決してならない、どうでも良いこと事ばかり書き記している。
 今朝は朝日が居間にさし込む。久々の真冬の晴れ日。


1/14
 相変わらず雪は降ったり止んだり。昨日は青空が出たりもしたが夕刻から又降りはじめ、今朝は3〜40cm
程も降り積もっていた。今朝の我が山里の積雪は1m50cmほどだろうか?
 「寒とろろ」を昨晩久しぶりにやってみた。ネット上で探した自然薯(栽培物)を試しに取り寄せたのでちょっと
期待していたのだが、やはり栽培物と天然物は別物だ。
 爺様が元気な頃、近くの山林から掘ってきてくれた自然薯は形こそ細く小さかったが、色も粘りもそして何よ
り香りが違った。その自然薯で作ったとろろは素晴らしく美味く、親爺の味の記憶にしっかり残っている。
 残念ながら親爺は自然薯を探す方法も、堀方も知らない・・・。
 我が家の「寒とろろ」はすり鉢で擂った自然薯に卵と濃いめの味噌汁を加え擂り薄め作る。
 ゴリゴリと擂っているうちに鼻くすぐる自然薯の香りは、天然物には及ばない・・・。
 オカカの作った特製ぶり大根は、生姜とゆずを振りかけて喰う。とろろ飯の相の手に最高に美味い。


1/12
 炭酸系の飲料が家で作れると言うのが驚きだった。微炭酸飲料よりやや強めの炭酸だが穏やかな炭酸量
で、初回はレシピ通りレモンと生姜の絞り汁、唐辛子少々でやってみたが美味い。
 で、今、脳天気親爺はオカカが髪を染めに外出しているのを良いことに、台所でオリジナルジンジャービアー
の仕込み中。(台所を好き放題に使えるが、何がどこにあるか解らず困る・・・。)
 かまうことはない。基本は砂糖とドライイーストの量で、生姜を中心とした諸々は好みで何でも加えてみれば
良いと勝手に判断し、生姜をスライスし、砂糖を加え、レモンはごく少量にひかえ、シナモン、黒コショウ、鷹の爪
は2本加え注水、シロップに煮てさまし、これを予め少量の砂糖とドライイーストをぬるま湯で攪拌して、ペットボトル
に入れておいた中へ濾して加え、後は水をペットボトルに八分目半ほどになるまで加えれば、蓋をして暖かい部屋
に放置するだけだ。さて次回の親爺流ジンジャービアーや如何に・・・。


1/11
 車庫の雪下ろしをしてもらった。ガッパ社長と若い衆が二人で、約半日掛かった。ガーズクリエイティブ
はガッパ社長の建設会社で、一般土木はもちろんだが特に山岳土木が得意だ。
 親爺もいつも山で世話になっているし、昨年の荒れた剱沢の登山道補修なども実に見事に仕上げて
、登山者の安全を確保してくれたものだ。
 車庫の雪庇状に張り出す部分の雪下ろしと、下ろした雪の片づけまで、全く人力だけで、きれいにして
もらい、親爺とオカカは一安心。が、山里は今日も又吹雪だ。


 流石ガーズクリエイティブの仕事は早くて、丁寧だ。有り難うございました。親爺オカカ共に安心!
 


1/10
 新型雪下ろし機のデモンストレーションを隣の謙ちゃん(早月小屋親爺)の家の屋根でやるというので、
見に行った。動力付きの屋根用のロータリー除雪機なのだろうか、等と勝手に思いこんでいたのだが、
実はもっとエコな、人力機械・・・。なるほど考えてある。L字型のアルミボードを積雪部にさし込み、先端
部のナイフ状のバーがこれをスパーッと切ると雪塊が切り取られ落ちると言う仕掛け・・・が、あいにくと
雪が締まり、圧倒的な屋根の上の積雪に、雪下ろし機が上手くさし込めない・・・。ギャラリーがてんでに
勝手なことを言い始め騒ぐ、しかもテレビカメラまで回っている。結果。大失敗!殆ど使い物にならぬ事が
判明し、結局謙ちゃんの家の屋根の雪は、撮影に来たカメラマンや、件のデモンストレーターも手に手に
スコップを持ち(持たされ?)人海戦術へと作戦変更し、2時間足らずで完了したのである。
 雪が固くしまり、積雪部に機械をさし込めない・・・。


 テレビ局も撮影してるし・・・                 足元は悪いし・・・。
 


1/9
 ジンジャービアー。生姜ビールという意味だろうが、どんな飲み物なのだろうかと興味津々・・・で、早速
取り寄せて飲んでみたのが昨年暮れ。英国製の清涼飲料水で、ジンジャーエールをちょっとストロングに
した感じで、幾種類かのハーブも調合され、より複雑な味わい・・・。もとより下戸の親爺が飲めるのだから
ノンアルコールである。美味いし、ビンも何となく雰囲気があって良い。親爺はかなり気に入って、風呂上が
りに飲んだりしていたのだが、結構値段が高い(庶民派のおやじには)。
 そこでインターネットでいろいろ調べたら簡単に作れることが判った。材料は砂糖、ドライイースト、生姜、
レモン、好みの香辛料に美味い水。これをぬるま湯で混ぜ合わせ、炭酸飲料水用のペットボトルで常温発
酵。ボトルが炭酸圧でカチカチになるほどになったら出来上がりで、概ね常温で24時間くらいだそうだ。
 で、親爺は早速かなりアバウトな分量でこれを仕込んで、香辛料には赤唐辛子を加えてみた。
 暖房の効いた部屋で、一昼夜、明日にはどうなっている事やら。楽しみだ。


1/8
 雪は降っていないが鉛色の空が重く、寒い朝だ。
 まだ小寒で、今年の大寒は1月21日。これからが一番寒い日々で、節分まで続く。
 自分ではそれと気付かぬうちに、雪や寒さを、酷く嫌う様になっている事に遅まきながら驚く。これは
やはり年齢的なものだろうか。とは言え4月末に白銀の立山に入り、剱御前小舎で雪に埋もれて居る
事は、さほど嫌ではないのだからおかしなものだ・・・。
 まあ、こんなことで、ぼやき続けて冬を過ごそうかい。ありゃ、また降ってきた・・・。
 役立たずの親爺を尻目に、オカカは働き者だ。庭に雪を片づけるオカカの雄姿!?


1/ 7
 正月七日。七草粥の日だ。昔ながらの我が家の七草粥を食べた。
 正月のお供えを今日下げてしまうのが、我が山里の習い。そのお供えは餅を含めて5品なので、
これに黒豆と白菜を加え七草に見立て粥に煮る。
 干し柿やら、蜜柑の皮やらも入り、昆布と勝ち栗も入る。
 かなり複雑な味ながら、餅も入っているので、結構腹にもたまる。
 年に一度しか巡り会わぬ、雪に閉ざされた山里の七草粥の味は懐かしく美味い。


 1 / 5
 昨日から雪が断続的に降り、かなり減っていた雪が更に50cmほども嵩を増して、山里はいよいよ
本格的な冬だ。
 部屋はどうにか暖かいが、窓の外の景色は寒々としている。
 

 雪に埋もれて暮らす日々は長い・・・。


 1 / 3
 青空が広がってきた。正月も早三日だ。
 母校が、新記録で往路優勝を飾り、復路も制し総合優勝を目指して今スタートしたところ。箱根駅伝
に今日も夢中の親爺である。
 総合優勝を目指す母校選手のみならず、全ての選手のひたむきな姿に胸を熱くしている親爺、そん
な親爺を見ている方が面白いと云った、オカカと娘達である・・・・・。
 山里も今朝は青空が広がる。
 


 1 / 2
 外は猛烈に雪が降り、寒さも厳しくなってきた。正月2日は箱根駅伝で、親爺はテレビの前を動けない。
 何しろ母校の東洋大学がここしばらく強い。山の神様と呼ばれる柏原君が現れて、往路優勝をしたの
が4年前。これは凄いと、どきどきしたが復路も首位を守り総合優勝するとは思いもしなかった。「おい、
佐伯えらいことになったなぁ。」と九州から電話をくれたのが、大親友のA。あのときの嬉しさは馬も忘れ
ぬ。親爺は今日明日、テレビの番人となる・・・。
 我が家の雑煮は焼き角餅、醤油すまし汁したて。
 甘エビが乗っかって、かまぼこと豆腐も入り、青みは三つ葉。餅は親爺とオカカの搗いた手作り。


2012

 1/ 1
 年が改まって2012年となった。
 何が目出度いと云言っても、家族うちそろい恙なく新年を迎えられた事が先ずは目出度いことである。
 今年は辰年。我が家では親爺と三女が辰年だ。三女は2度目の辰。親爺は5度目の辰である。
 気付けば還暦。親爺も紅いチャンチャンコ・・・。まあ、一足早く子供気分になって、好き放題の日々を
過ごさせてもらっている親爺なので今さら特別な感慨もないが、そこはやはり人生の節目、健康に留意
しこの先も出来る限り元気に過ごしたいと改まった気持ちになっている。
 「朝明けて 五度数える 辰の年 子供心に 還り祝わむ」・・・親爺腰折れ
 先ずは目出度く剱御前小舎の日の出(昨年秋撮影)


 今朝は夜更かしで眠りこける三人の娘達を待たず、親爺とオカカは二人で雑煮とお節を祝った。
 親爺とオカカ合作の我が家のお節。



2011

12/31
 今年も今日で終わる。大歳の山里は良い天気に恵まれ、青空もかいま見え、陽も射す。
 親爺とオカカは朝からお節作りに精出して、神棚の修理掃除(我が家の神棚は祖父宗作の代のもの)
しめ縄替え、正月のお飾りと、大わらわだが、帰省中の3人の娘等は午前中はほぼ寝ている・・・。
 夜中は毎晩1時か2時まで居間を占領し盛り上がり、親爺オカカは二階の親爺部屋に避難という次第だ
から午前中眠いのは致し方在るまい・・・。まあ、これも気楽な独身時代の特権だろう、普段はそれぞれの
職場で、それぞれに働いているのだろうから、せめて故郷の家の正月休み位は好きなように過ごさせたい
と云うのが、オカカも親爺も偽らざる所なのだ。
 そんな3代目の親ばかぶりを、初代の爺様婆さまが、大歳の掛け軸の中から見て御座る。


 神棚のしめ縄を取り替えていたら屋根の裏板が外れた・・・。この神棚は祖父宗作が買ったもので、
火災もくぐり、囲炉裏の煤に燻され、今に伝わっている。
 愛着があって親爺もこればかりは買い換える気になれない・・・。もうぼろぼろだけど・・・。


12/30
 朝からの「人足」は堪える・・・。大体「人足」等という感覚がもう前時代のものなのだ。
 我が山里は、村下から順に1〜9の組に分けられていて、一組が大凡十七、八軒あり、村の行事や
共同作業などを、組単位で行う。で、この年の瀬に5〜9組に、初詣準備の作業動員が掛かり、親爺
は7組なので朝から「人足」に駆り出されていたのだ。
 村の雄山神社祈願殿は往時の立山中宮寺だったのが明治維新の廃仏毀釈により雄山神社となっ
たのだが、そこは神仏混合の立山信仰の村、余り抵抗もなくすんなりと村の「宮」として今に至る。
 初詣は、そんな宮の一大行事なのだから、氏子としての勤労奉仕は当たり前なのだろうが、寒くて
きつかった。2時間余りの勤労奉仕も、酷く高齢化した人足ばかりで、昔のような活気も無いが、それ
でも何とか準備は整い、余り役にも立たぬ親爺だが、人一倍疲れて帰宅したのである・・・。
 又こんなに雪が降り積もった。


12/29
 今日は又鉛色の空が戻ってきたが、雪は舞わず、僅かに薄日が射しているから、先ずは良し。
 昨日大阪の「奥野帆船工芸」のご主人、奥野さんから帆船の凝ったブックエンドを頂いた。
 奥野さんとは、今から9年前、爺様の喜寿の祝いに嘗て爺様達が乗り込んで南極に向かった、宗谷
のソリッドモデルを制作していただいたご縁である。
 奥野さんは奥様と二人で、現在も帆船のソリッドモデル作成を行っておられ、その後様子が先頃、大
阪のテレビ局の番組に取り上げられ、その中で宗谷作成時のお話なども紹介されたと云う事だった。
 律儀な奥野さんは、その時のDVDをわざわざ親爺にお送り下さり、そのDVDに何と立派な帆船のブッ
クエンドを添えてお送り下さったのだ。
 親爺は本を片時も離さないほどの本の虫。常に「今読み」の数冊を身近に置いておく癖があり、それ
がかなり乱雑に(親爺は乱雑だと思ったことはないが、傍目にはそう見えるらしい)積んであると云うこ
とでオカカがいつも文句を言って(オカカは親爺のすることがほぼ何でも約80%ほどの確率で気にくわ
ない)いるが、居間のサイドボードの上にブックエンドを置き、そこに今読み数冊を立てる事にしたら、見
た目もすっきりとし、オカカもこれなら良いと喜んでいる。
 これは本当に都合がよい。奥野さん有り難うございました。


12/28
 青空が広がり、鉛色の薄暗い空にならされた眼には、晴天の陽の光は眩い。
 あたりは一面キーンという金属音に支配されたような冷え込みで、全てが凍てついている。
 家の玄関前の石段もアイゼンが欲しいほど凍りつき、親爺もオカカも転ばぬように気を張って歩まな
いと危ないほどだった。
 それでも有難い陽の光は、穏やかな温みを振りまいてくれ、木立の雪が落ち、地面の氷りも緩んで
きた。こんな天気が3日も続けば、雪も半減してくれるのだが・・・。


12/27
 雪は一段落。年末年始は明日から冬型が緩み、さほど雪は降らぬようだ。
 親爺とオカカの居る部屋は床暖とストーブが一台で、十分暖かいが、窓外の杉木立は天然のクリス
マスツリー・・・。風情があるような、只寒々として居るだけのような・・・この景色を見るとついつい有名
な「雪見とは余り利口の沙汰でなし」と云う江戸川柳を思い出してしまう。


12/26
 雪の下に埋まってしまって、ようやく諦めが付いた・・・。
 まぁ1月半はジタバタしても仕方ない。雪に埋もれてじっと我慢の日々だ。
 さて、この冬は何をして過ごそうか・・・。


12/25
 昨日、気象庁をけなしたからか、その敵討ちのように今朝は50cm以上の雪が積もった。
 ホワイトクリスマスだと思えばよいのだが、降り続く雪には気が滅入る。寒くて邪魔で・・・・・。
 ここ最近雪が嫌で仕方ない。若い頃はさほど思わなかったのに、体力に自信がなくなるのに比例し
て雪が煩わしくなるようだ。
 この景色も60年近く見ているとうんざりするなぁ・・・・・。雪はまだまだ序の口だけど・・・。


12/24
 久しぶりの陽光が新雪の面を撥ね回り、眩く煌めき、鉛色の空に馴染んだ雪国人の眼を眩ます。
 ピーンと張り詰めた寒さもこの陽光で緩み、もうすぐ屋根や木立の雪が落ち始めるだろう。
 冬の晴れ間。特に新雪の後の青空というものは、雪国人の心の中まで明るくしてくれる力を持つ。
 八卦見ほどの想像力もない、コンピューターライズされた気象庁にもの申す。人による観天望気
にこそ更に精進されよ。と・・・


12/23
 雪は予報ほど酷くはなかったが、昨夜は一晩中降ったり止んだりで、屋根の融雪装置のセンサーが
頻繁にボイラーを入れたり切ったりしていた。
 今日は最初から、外出せず籠もる予定だったので、先日オカカと二人で再び搗いておいた「まいだま」
を、親爺が切って、オカカがこれを編んで、座敷縁側に竿を掛け渡し乾し連ねた。
 まあ、雪の中の年寄り仕事と言ったところだが、「まいだま」が掛け連ねられた冬の縁側が、我が家に
又蘇った。
 裁縫台を持ち出して「まいだま」編みをするオカカ。随分手早くなった・・・。


 編んだ「まいだま」が縁側に掛け連ねられた。数が増えそれなりの風情が・・・・・


12/22
 明日からは暴風雪との予報で、まだ穏やかな今日の中に親爺とオカカは町まで買い物に出かけ、
しばし籠もれるだけの食料を買い込んできた。
 旧立山街道には三軒の山小屋親爺の家が建ち並ぶ。手前から早月小屋、剱御前小舎、剣山荘の
親爺たちの住処だ。まだ黒々と道も出ていて、穏やかな様子だが、明日からの雪はどれだけ積もる
のだろうか・・・。
 いよいよ雪の下か・・・ああ、いやだいやだ・・・。


12/19
 雪は増えもせぬが減りもしない・・・。
 外回りの融雪パイプも水量が少なくて余り利かないのに、寒さも続いて、オカカは朝から忙しい。


 脳天気な親爺はそれでも少し役立とうと、「まいだま」切りを手伝って・・・・・
 

     一応上手に切りそろえ・・・               オカカがこれをビニールひもで編んで
 
 
   何とか上手に編み上げて・・・            親爺が縁側に掛けた乾し竿に掛け連ねてみた。
 


12/17
 目覚め寒さに震えながらも窓外を確認した。予想したとおり、そこは見事な雪景色だ。
 知らぬ間に除雪車が出動したようで、道路は黒々と出てはいるが、庭や屋根は真っ白、木立も真っ白。
 さてこんな日はオカカと二人餅を搗き、まいだま作りに挑戦・・・・・。

 こんな雪の日は普段と変わったことを何かして、空元気でも振り絞らなくてはめげてしまう。
 で、親爺とオカカはかねてやろうと決めていた「まいだま」作りを始めた。先ずは餅つきである。
  一晩水につけておいた餅米二升。          豆餅ならぬ南京豆餅は親爺のリクエスト・・・。
 

      餅つき器に米を入れる。              親爺の年寄り仕事の皮むき南京豆も入れる。
 

  で、スイッチONで、後は機械任せ・・・           何と立派な南京豆餅が搗き上がった・・・
 

 これをまいだまの型に入れて一丁上がり。       そして次は昆布餅も・・・
 

 南京豆と昆布のまいだまはこのまま固め、二三日後に押し切りで薄く切り編んで干す・・・。
 こんな事をしている中に、何時しか青空も顔を出した。
 


12/16
 雪の朝だ。鉛色の空から真っ白な雪が舞い落ちてくる。
     最初は遠慮がちに・・・                   そしてちょっと強まって・・・
 

  もう今は遠慮会釈無く大降りだ・・・ああ、寒い・・・。


12/15
 親爺は酷いヘビースモーカーだった。ハイライトを一日に最低二箱、どうかすると三箱以上・・・・・。
 それが、4年前見事に禁煙した。肺気腫の症状も出、煙草を止めざるを得ない状況だったからだが、
意外とすんなりと止められた。
 が、その副作用?禁煙して半年後くらいから、自分でも意外なくらい食欲が旺盛となり、何を食っても
美味い状態が続き、禁煙から1年半後、体重が5〜6kgも増えた・・・。
 主治医の先生は「佐伯さんにとって太ると云うことは、さほど悪いことではありません。肺の状態が悪く
なると必ず痩せます。少なくとも今、肺の状態が悪くなっていないと云うことです。」と、優しくおっしゃって
下さった・・・のだが、禁煙2年後くらいから、止まることを知らぬ体重増加はついに12kgとなり、親爺の
体重は90kgとなってしまった・・・。「佐伯さん、運動不足ですよ。急にではなくて良いから、少しずつ痩
せましょう。少しは食べ物もコントロールしてね。」流石の優しい先生も、見かねたようで、診察の度にイ
エローカード・・・・・。
 で、そのイエローカードのまま現在に至っているが、親爺は見事な肥満体である。
 でも親爺の食い意地はなかなか収まらず、あれが美味い、これが食いたいと、日々機嫌良く食いまく
っている。
 オカカも美味いものを食わせてさえおけば(大して舌は肥えていないので)機嫌が良い親爺だから、
又自分も美味いものには目がない方なので、あきらめて、親爺と一緒にメタボ街道を突っ走っている。

 熱いご飯に焼き穴子を刻んで載せて、たれを掛け回して喰う。この幸せに感謝!!


12/14
 山里は快晴。朝は放射冷却でかなり冷えたがもう暖かい。
 買い物に出た帰路、あまりの美しさに一枚。
 


12/10
 4泊5日の九州旅行を終え、先ほど我が家へ帰り着いた。早速作務衣を着て寛ぎ、HPの更新をしている。
 この程度の旅など、何ともなかった親爺も流石にちょっと疲れ気味なのはやはり歳なのだろうか?
 昨夜福岡のホテルで「ほたる帰る」という本に読みふけった。知覧の特攻基地から飛び立って二度と帰
らなかった若い勇者達とその若人を我が子のように世話し、見送った食堂の小母さんの記録である。
 駆け足で訪れた知覧だが、まだまだ見るべき所があったのに残念だったと悔いた・・・。
 帰り着いた山里は寒く、それでも立山が真っ白な姿を見せてくれ、親爺は思わず山に手を合わせた。
 「ふるさとの山は有難きかな」・・・・・


12/8
 知覧特攻基地跡は今整備され、特攻平和記念館となって公開されている。
 先の大戦、と言っても66年も前の話で、親爺もその実際は知らないが、その確かにあった大戦で、若い尊い命を国に
捧げ散った先人達を忘れるわけにはいかない。
 自らの意志とは関わりないところで、命を奪われたと言っても過言ではあるまいが、単純にそれだけで語れる話ではな
いだろうこの特攻を、せめてその事実だけでも曲げず、後世に伝えねばならない。そんな意味でも親爺はオカカと二人の
九州旅行にこの地を訪れることを決めていた。
 そして、やはり絶句したのだ・・・・・。
 一式戦「隼」の側で


    唯一残された三式戦「飛燕」             一寸重い一日だった・・・。親爺疲れた・・・。
 


12/6
 発作を起こしたわけでもないが、思い立ってオカカと一緒に九州に来た。
 学生時代の大親友が大分の国東にいて、まず彼に会いたかった。
 お互いに十数年ぶりの再開。でもすぐに分かったし、学生時代に戻って「おれ」「おまえ」は相変わらず・・・。
 互いの髪の寂しくなったのと、腹回りの豊かになったのも愛嬌。
 懐かしく、うれしく、感無量の時を過ごした。


 でも駆け足旅行の親爺とオカカ。再訪問を約して、今宵は別府に投宿した。オカカもこの親爺の親友Aはよく知っている。
 奥さんとは初対面のオカカだったが、あっという間に打ち解けて、互いに「初めてあった気がしない。」と意気投合。
 


12/4
 寒い日には温かいうどんがうまい。
 オカカの土産の伊勢うどんをすすり、十分満足し上機嫌な親爺だ。
 熱々のうどんに真っ黒な汁をかけ、七味と刻みネギに生卵を一つのせ、無心にすすり込んだ。


 今日も外は鉛色の空の下、寒々と冷え込んでいて鬱陶しいが、親爺なんて安上がりなものだ。
 何しろ一杯の暖かいうどんで、ニコニコと機嫌良くなれるのだから・・・。


12/3
 部屋を暖かくして、窓の外の冷たそうな雨を見ていると、雨の向こうはすっかり葉を落とした
冬枯れの木々が黒々と灰色の空に浮かびモノクロームの世界の様だ。
 その分部屋の中のストーブの火が色鮮やかなオレンジに際立ち、暖かみも増して感じる。


 そんな暖かい部屋で親爺はウトウトしながらHPを更新している。親爺の傍らにはレーズンの洋酒漬け。
酒が飲めない親爺だが、これは好物で、スプーン一杯も食べると酔っぱらう・・・。ああ、平和・・・。
 


12/1
 昨日剱御前小舎の、お手伝いボランティアのNさんが、アルペンルート最終便利用で剱御前小舎まで
登り撮ってきた写真を送ってくれた。
 11月29日の撮りたての写真で、雪が少ないことに親爺も驚いている。
 まあ、雪が少なく天気が良かったからNさんも剱御前小舎へ登れたわけだが、それにしてもNさんはタ
フだ。この方はイソジ半ばのニョショウで、知る人ぞ知る富山の老舗写真館のオクサマなのだ。
 いつも元気で、若々しく、剱御前小舎が多忙な時などわざわざ登ってきて手伝ってくれるので、剱御前
小舎のみんなもNさんに何時も感謝している
 剱御前小舎は吹きだまりで1.5mの雪。今のところ被害はない。


 この時期にしては本当に雪が少ない。


 

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